遅すぎた来訪者
一ノ路道草
第1話
この世に神や仏が居ないと思うようになったのは、いつからだったろう?
多分高校を卒業して、大学生になった頃だろうか。
ああそうさ、俺はあの、どいつもこいつも、どこまでも馬鹿でいられた頃が愛おしい。
下らない話で笑って馬鹿騒ぎしていれば、それだけで俺たちは、世界で一番、死ぬほど楽しかった、あの頃が。
「だから、私は見たって言ってるでしょ?」
休日の土曜、久しぶりに実家の様子を見に来たら、またお袋の与太話が始まった。
確かにもう良い歳だが、別にボケちまってる訳じゃない。こいつは昔からの持病なんだ。
「俺も中学までは信じてたよ」
あのFBI二人組が主人公のやつ、面白かったなぁ。
苦笑いしながら俺が言うと、お袋は露骨に機嫌が悪くなった。
「あんたはあの光景を見てないから、そうやって否定出来るんでしょう」
そう言って俺の母親は、またいつもの話を繰り返す。
「私が小さい時に夜に寝てたら、急に眩しくて目が覚めたの。もう昼になるまで寝てたのかなって思うほどに空が眩しくて、でもそれどころか本当は、昼間よりも、太陽がすぐそばにあるんじゃないかってくらいに、明るかった」
一字一句とまでは行かないが、内容はまるで変わらない。
まだまだアホで純粋ざかりだった中一辺りの俺ですら、すっかり聞き飽きていた、そういう、いつもの話だ。
「地球が燃えてるんじゃないかって思うくらいに、息が止まるくらいに恐くて眩しくて、動けなかった。またどこかと戦争でも始まったんじゃないかって、本気で思ってたんだから」
俺も最初は、明らかに本気で話していると分かる母親のことを信じていたが、中学二年に吉沢にコクった際、フラれた上にクラス中に言いふらされ、この世界に絶望していた俺が心底待ち望んだ世紀末、アンゴルモアの恐怖の大王が来なかった辺りから、俺はそういうのを卒業しちまった。
「その後近所の人から私の母さんにね、あんたの家のほう、夜中にやたらと明るかったけど、何かしてたの? って、本当に何度も何度も聞かれてたんだから」
俺が世の中に腐るほど溢れていると思い、信じていた超常現象、UMA、幽霊や妖怪、UFOに宇宙人、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
「ねえあんた、聞いてんの?」
そんなもん、この世界にはどこにもいやしなかったのさ。
「まあ、なんだ。また宇宙人にあったら、よろしく言っといてくれよ」
「またそういう事言って……」
俺は別にお袋のことは嫌いじゃないし、もし死んだら、俺はわりと本気で泣くと思う。
今さら歳を取った自分の親を傷付ける趣味はないから、俺はまた自分の心にだけ毒を吐いた。
もう何年だよ、毎年何人が、世界中でテレビやらネットやらで似たようなこと話して、消えていくと思ってんだよ。
俺だってフィクションとして楽しむ分には、別に嫌いになった訳でもないが、あまりに矛盾が目立つチープ過ぎる話しを、それも、さも本気で真実みたいに語っている奴を見ると、どうしても無性に苛つく時がある。
世の中にそんなもんがあるならよ、なんでこんなに、この世界はつまらねえんだ。
もっといくらでも、どうとでも面白く出来るだろうがよ。
こんなに苛つくのも、俺は多分お袋が、このすっかり老けたにも関わらず昔とまるで変わらない、この人が羨ましいんだろうな。
かつての俺が諦めた、最高に面白い世界。
子供の頃に夢見た幻想の世界に、彼女はまだ、住んでいるんだから。
我ながら、男の癖に心がちいせえなぁとは思うが、俺はもうすっかり根っこから、そういうつまらない人間になっちまったらしい。
やがて、はあ、と俺に溜め息を吐いてお袋は言った。
「夕飯の食材買ってきて」
「なに買おうか」
お袋はこういう時、昔から段取りが悪い。
何故か俺が聞くまで、毎回あんまり考えてないんだよな。
「あの人、昨日豚ステーキ食べたいって言ってた」
「ほーん、良いじゃん」
先月も来たから久しぶりとまでは言わないが、独り立ちするとお袋の味ってやつは、途端にありがたく、恋しくなる。
まだ口に入れてもいないのに、あの絶妙な酸味と甘さ、柔らかさ達が舌の上で甦り、強烈な食欲を感じた。
散歩中の親父に感謝だな。
「だから、ステーキ用の豚肉と、付け合わせに人参とインゲン、アスパラね」
そう言いながら、お袋は冷蔵庫を開けていく。
「あっそうだ、ポン酢切れてた。あとお饅頭三つと水買ってきて」
ポン酢は大事だ。
俺が真似すると、ただやたらと酸っぱくなるだけだが、お袋が魔法の杖みたいにポン酢を振り掛けるだけで、あの安い魚や肉が、そこいらのレストランで出される品より上等になる。
俺にとっては、こっちの方がよっぽど魔法や超能力に見えるくらいだ。
いちいち覚えておく自信は無いから、忘れずスマホに注文を書いておいた。
ま、これで間違いないだろ。
玄関で靴を履くと、すっかりプリントが薄れるほどに熟成された買い物袋を渡される。
「じゃ、行ってくるわ」
「はい、気を付けなさいよ」
「うす」と答え、俺は出かけていった。
それは俺が暑苦しいほどの日射しの下で、買い物袋をぱんぱんにして家路を歩く最中だった。
「喉乾いたな……」
周囲を見て自販機を探すが、どうにも好みのやつが無い。
「つまんねえやつばっかりだ……」
見上げれば、相変わらず鬱陶しい青空だ。
昔はあれがこの上なく綺麗なもんに見えていたのに、いったい何が変わっちまったんだろうな。
そうやって空を見ていると、雲の隙間から細長い灰色をした飛行機のようなものが見えた。
いや、飛行機じゃない。
「なんだあれ……」
それには翼がなかった。主翼どころか尾翼もなく、強いて言えば、飲み薬の入ったカプセルを細長くしたようだった。
こんな胴体だけの達磨みたいな飛行機なんて、俺は聞いたことも見たこともない。
「まさか……」
俺の脳裏にふと、葉巻型UFOという懐かしい単語が走っていた。
その認識を自覚した瞬間、何故か俺の頭に浮かんだのは、驚きや恐れではなく、激しい怒りだった。
「なんで今頃、なにしに来やがった」
いつでも来れただろうがよ。なんで今さらなんだ。
返答とばかりにUFOがチカチカと点滅した。
それはお袋の言ったように、太陽よりも眩しい光だった。
俺の脳に自分以外の意思のような、言葉や感情かも分からぬほどに溶け合った何かが、大量に流れ込んでくる。
俺は日本語しか分かんねえよ。英語どこでも通じると思ってる外国人かてめえは。
懲りずにまた頭に色々流れ込んでくるが、またしてもさっぱりだ。
あんたらでも難しいんだな、交流ってやつは。
宇宙人にもままならない事があるってんなら、世の中が上手くいかないのも、仕方ないのかもしれないな。
そこへ返答のように、UFOが一度だけ光った。
なんだよ、やりゃ出来んじゃねえか。
でも、なんで俺なんだ。うちのお袋が寂しがってるぜ。
俺みたいなのより、見たいやつの前にその顔出してやれよ。……いや、だからそれ分かんねえって。
そんな、あまりにぐだぐだなやり取りを十分ほど続けて、UFOは去っていった。
「なるほどな……」
俺たちが分かり合うには、まだ早すぎんのかもしれないな。
その時、再び空が太陽よりも眩しく、二回光った。
最新の空母より何倍も馬鹿デカい灰色の植木鉢みたいな奴が、空に複数、隕石みたいに落ちてきた。
「うおおおっ……おおおおおっ!! ははっ、あっははははは!!」
俺は人間らしい言葉を失って鼻水と涙を流しながら笑い続け、スマホで動画や写真を撮りまくり、ネットにばら蒔いた。
それから世界は、色々と滅茶苦茶になった。
俺は人類史上初めて、宇宙人の公式アカウントから動画の高評価ボタンを押された男になった。
ようやく、面白くなって来やがった。
遅すぎた来訪者 一ノ路道草 @chihachihechinuchito
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