人の驕りで焼肉を食べたい

酒井カサ

第「驕」話:奢れる者、久しからず


 ――おごり。

 それは後輩限定のタダ飯である。

 自分じゃ手を出しづらい価格の美味しい食事にありつけるチャンス。

 この時ばかりは僕たちに暴君のごとく振る舞う先輩でも輝いてみえる。それが飴だとわかってもしゃぶっちゃう。骨の髄までジュバジュバってね。


 正直なところ、おごりの質が先輩への尊敬度に直結しているといっても過言ではない。ここで鳥畜生が貴族な店や、餃子のキングダムに連れていくならば、そいつはパイセン呼びで構わない。まあ、どっちも美味しいのだけど。


 その点、今日僕を誘ってくれた入谷いりや先輩は『超ウルトラハイパーグレートワンダフル大先輩さま』と呼ぶにふさわしい。だって、一生縁がないような高級焼き肉屋へ連れて行ってくれたのだから。もう、その場で忠誠を誓ってもいいよね。ハイヒール舐めたって構わないね。ヒャッホイっ!


 しかし、その時の僕は失念していた。

 先輩は少々、人とは違う性分をしているということを。

 そして、美味い話には必ず裏があるということを。

 

「人ので焼肉を食べたいんだよね」


 トングをカチカチと鳴らしながら、先輩はふと呟いた。熱した網に載せられた塩タンがじゅうっと縮んでいく。


「……は?」


 ご馳走を目の前にだらしなく開き切った口が、素っ頓狂な音色を奏でた。まさか、奢りじゃないのか!?

 一瞬にして血の気がひいていく。店について早々、生ビールをジョッキでイッキしたはずなのに。先ほどまでイイ感じにポカポカ陽気に浸っていたはずなのに。先輩の何気ない一言で現実へと即座に引き戻される。


「あの、それってどういう意味で?」

「あら、後輩くんだって、おごりは好きでしょ?」

「当然ですよっ! ただ、奢るのは好きじゃないというか……。奢られるのが大好きというか……」

「奇遇ね。私も後輩くんと同じなの」

「いや、でも、こういうのって先輩の役目じゃ……」

「後輩くんの男らしいところ、見たいなぁ」


 そういって微笑を浮かべる先輩。

 けれども視線は窓の外。全くこちらを見てくれない。まるで奢ると言い出すのを待っているようだ。まさか、先輩に奢らなきゃいけないのか。僕が大学三年生へ進級した祝いの席なのに……。

 しかし、この先輩、人が嫌がることを率先としてやることで有名なのだ。もちろん、悪い意味で。このぐらいの嫌がらせはやって然るべきだろう。

 だからといって、黙ってやられるわけにはいかない。カバンから財布を取り出し、開いて見せる。


「残念でしたね、先輩。ぼんくら大学生の財布の中身を侮っちゃいけない。なんと驚き、野口さん一枚。つまりは千円ジャスト。この場の会計をできる金額じゃないんですよっ!」


 さらにいえば、クレジットやプリペイド、最近流行りのQR決済の類は一切利用していないので、今使える残高は正真正銘、千円ぽっきりなのである。

 これには先輩も驚いたようで、目を丸くしていた。どうだ、これで奢らざるを得ないだろ。そう勝利を確信していると、先輩はクスクスと笑いだした。


「あっはっはっ、そういうことなの。なるほど、日本語って難しいね」

「……へ?」

「安心してよ、後輩くん。今日の会計は私がキチンと払うわ。だって、後輩くんのお祝いでしょ? それぐらい、先輩にさせてよ」

「え、あ、マジっすかっ!?」

「だから、遠慮せずにたんとお食べ」


 そういって、僕の皿にタン塩を載せてくれる先輩。まさか本当に奢ってくれるとは。後光がさしてみえる。超ウルトラハイパーグレートワンダフル大先輩さま、マジパネェーっす。一生リスペクトっすっ!

 とまあ、舎弟精神が全開になるほど嬉しい話であったが、先程の言葉の真意がつかめない。首をかしげながら、口内でタン塩を溶かす。


「それは、私と後輩くんで思い浮かべている『おごり』が違うからよ」

「同音異義語ってことですか?」

「ええ、私が思い浮かべていたのは『思い上がってわがままなことをする』という意味の『おごり』なの」


 なるほど。それで会話がかみ合っていなかったのか。だけども、この説明だけでは納得できないこともある。


「でも、『驕る』という行為と焼き肉を食べることは関係ないんじゃ?」

「う~んと、ほら、人の不幸話って酒の肴になるじゃない?」


 例え話が根っこから腐っているのだけど、いかんせん理解できちゃうので、小さく頷く。ぶっちゃけ、そうやって駄弁るのが酒の席の本質だよな。追加のジョッキをグイっとあおいで、白ひげをつくる。


「そのノリでさ、焼き肉を食べるときは思い上がった自慢話を肴にしたいわけ。わかってくれるかしら」

「……つまり、僕の驕り高ぶった話を肴にしようってわけですか」

「理解が早くて助かるわ。流石は自慢の後輩くんね」


 口元を手で隠しながら口角をつりあげる先輩。それはイタズラっ子のそれであり、純朴さの中に底知れぬ意地の悪さが見え隠れ。時代劇の悪代官を連想させる。となれば、僕は越後屋か。焼肉店が完全個室なのも相まって、雰囲気がでている。


「けど、そんな急に驕れといわれてもできませんよ。それに僕って先輩と違って誠実ですし」

「それよそれっ! そのナチュラルに私を見下した態度っ! これはたまらないわっ!」


 興奮気味にまくし立てた先輩は、湯気の立ち込めるカルビをタレに浸し、ツヤツヤの白米と一緒にかきこんだ。「んんぅ〜!」と声にならない雄叫びをあげながら、幸せに満ち溢れた表情を浮かべている。やはり、先輩の性癖はおかしい。

 だけど、別に驕ったつもりはないのだけどな。なにかやらかしたのだろうか?


「もっと、もっとちょうだい。その様子じゃまだ驕るネタあるんでしょ!」

「別になにもありませんって。普通に大学生活を送ってるだけですから」

「じゃあさ、日常の出来事でいいから、なにか語ってよ」


 先輩はそう言いながら、牛ロースを追加注文する。これを焼いてあげるから、なにか驕りエピソードを話せという圧力を感じる。まあ、ジューシーな強迫なので苦じゃないけど、値段に見合うエピソードは提示できそうにない。


「せいぜい、昨年度の成績が全部秀だったぐらいで、面白いことはなにも」

「ロン、ロン、ロンっ! 諸々込々で満貫マンガンだわ、これはっ!」


 いきなり12,000点の支払いを求める先輩。いつの間にか聴牌テンパイしていたらしい。なぜ麻雀マージャンなのかはわからないけれど。うまくアガれた喜びに浸りながら、牛ロースを噛みしめている。


「いやいや、これは驕りじゃないですって。別に大学の成績なんて重要じゃありませんし」

「重要じゃないかもしれないけれど、それをオール秀の人間がいうと、驕り以外の何物でもないわ。成績の清一色チンイツじゃないっ! この天然もの、たまらないわぁ~!」

「そんな恍惚とした表情をされてもフクザツなんですけど」


 先輩だって、大学の成績は悪くないはずだ。そうでなければ海外留学なんて出来ないから。そんなところで驕りに思われても困るし、頬を染められるともっと困る。酔い覚ましに冷水をごくり。先輩は鶏もも肉を網に載せる。


「だけど、後輩くん、麻雀やってたっけ? 覚えがないわ」

「従妹に誘われて、最近始めたんですよ」


 曰く、今、ネット麻雀がアツいらしく、「ゲーマーたるもの、ブームに乗り遅れるべきじゃない。今すぐやろうっ!」と勧誘されたのである。最初は乗る気じゃなかったのだが、やり始めたらやめられない。


「腕前のほうはどうなの?」

「よわよわ青虫ですよ。従妹が異様に上手というのはありますけど」

「ふうん、ゲームに強い後輩くんをボコボコにする従妹ね。想像つかないわ」

「悔しいので、知り合いに雀荘に連れていってもらったんですよ。修行のために」


 ネット麻雀にはない、独特の雰囲気を知れば強くなれるのでは。そんな下心を丸出しにして乗り込んだ。春期休暇で暇を持て余していたのもある。


「わかったわ、それでぼろ負けして、財布を空にしたんでしょ」

「……その、九蓮宝燈チューレンポートウがでちゃいまして」

「え?」


 そう一言だけ発すると、先輩はこんがりと焼けた鶏もも肉にかぶりつく。じゅわっと溢れ出す肉汁をそのままに、角ハイボールで流し込んだ。その表情は至福そのもので、頬には涙が伝っていた。まるでグルメ漫画の実写映画を見ているみたいだ。悦に浸る方法がゲスいことを除けば。

 しばらく感動の余韻にひとり浸っていた先輩は、ハイボールを飲み干して、こうつぶやいた。


「明日、死んでもかまわないわ」

「いやいやいや、今の驕りにはそんなにカタルシスはありませんって」

「文芸部員として、三年弱麻雀を打ってきたけど、九蓮宝燈なんて出したことがなかったの。それを麻雀初心者である君に先を越されたとなれば、快感が止まらないわけ」


 自身の身体を抱きかかえ、身震いする先輩。後輩に役満を上がられたからってエクスタシーを感じないでほしい。こうなることが目に見えたから、言うかどうか悩んだというのに。いや、そもそも文芸部員が麻雀に熱心なのもどうかと思うが。


「後輩くんにはゲーマーの素質があるのかもね」

「ああ、そのことに関してなんですが、ご報告が」

「えっ、まだ驕るの? そんなに贅沢しちゃっていいの?」


 先輩は目をキラキラと輝かせて、トングを鳴らす。別にこの話題は驕りじゃないのだけど。それに奢りならまだしも、驕りを贅沢に感じないでほしい。


「ここ数年、レースゲームばかりプレイしていた話はしましたよね」

「ええ。なにかしらの因縁だと聞いているね。去年、解消したとも聞いたわ」


 因縁と呼ぶほど、根深いものではなかったのだけど。わざわざ修正するほどでもないので、スルーする。先輩はメニュー欄の隅にあったチゲスープが気になったようで、注文していた。ついでに石焼ビビンバもお願いする。


「なので、ほかのゲームにも手を出していこうと思ったんですけど、どうにもそのレースゲームが面白くて、極めたくなっちゃったんですよね」

「めちゃくちゃ驕りの匂いがするわね。続けて」

「……それで、ここ数ヶ月プレイしていたんですけど、とあるコースにてワールドレコードを更新しちゃいました」

「おめでとうっ! そしてやっぱり驕りじゃないっ!」


 ニヘラとした笑みを浮かべながら、先輩はジョッキをぶつけて乾杯してくる。その顔を見るに随分と酔いが回っているらしい。頬がすっかり紅色に。驕りに愉悦を感じすぎておかしくなったのかもしれないけど。しかし、なんであれ先輩に褒めてもらえるのは素直に嬉しい。だけど、それを率直に表現できるタイプじゃないので、照れ隠しに石焼ビビンバを食べる。とても美味しい。


「後輩くんがやってるレースゲームって、世界規模のやつでしょ」

「ええ、まあ。実際、僕のライバルはロシア人でしたし」

「動画配信とかはしないの? バズりそうなものだけど」

「やりませんよ。僕はあくまでゲームが好きなだけですし」

「周囲に流されず驕らない態度が、逆にアリだわっ!」

「それがありなら、なんでもありじゃないですかっ!」


 ゲラゲラっと大笑いする先輩。完全に酔っ払いのうざ絡みだ。残っていたチゲスープをずずっと飲み干すと、シメのアイスを注文する。なんでも、ここの店主はもともとパティシエだったそうで、一番人気の商品だとか。高級焼き肉店とは……。


「けどさ、後輩くん。それだけ驕りだらけの人生を歩んでいたら、さぞかしモテるんじゃないのぉ?」

「どうしたんですか、いきなり。酔っぱらってるんですか?」

「まーねー。ともかく、どうなの?」


 銀のスプーンで僕をさしながら、先輩はとろんとした口調で訊ねてくる。しかし、厄介な質問だ。正直に答えても、嘘をついても、先輩はどちらにも驕りを見出すだろう。酔っぱらっているわけだし。けど、僕も焼き肉の熱気と酒の酔いが混ざって、ふわっとした気分が抜けない。ゆえに口が軽くなる。


「まあ、人並みには。告白されたことはありますよ、そりゃ」

「……そっか、そりゃ、そうだよね」


 先輩は不意にアイスを食べる手を止めると、トーンを落としてつぶやいた。おかしい、あの先輩のことだから、この件からエクスタシーを感じるものだと思ったが。どうやらなにか思うところがあるのだろうか。


「さあて、そろそろお開きにしましょうかぁ。今日はたくさんの驕りをありがとね。とっても楽しかったわ」

「こちらそこ、奢りで食べる焼肉は最高でしたよ。だけど……」

「だけど?」

「実はまだひとつだけ、驕りのネタがあるんですけど」

「あらぁ、そんな隠し札を持ってたのね。それで?」

「先輩を満足させうる驕りなので、覚悟してください」


 そう切り出すと、先輩は浮かした腰をソファーに沈めた。その表情は先ほどの陰りがあるものから、変化があるようにみえた。ギラリと獲物を狙う獣の目つき。

 これは生半可な驕りでは食われかねない。腹にグッと力を込め、カバンから小さな白い箱を取り出した。――そう、指輪である。


「一番の驕りは、この指輪で先輩を口説き落とせると思っていることですね」

「……これは驚いた。資金はどうしたの?」

「その指輪、九蓮宝燈って呼んでたんですよね」

「先輩に奢らせた席で告白とはね」

「驕り好きな先輩にはたまらないサプライズだと思うんですけど」


 震えた声を殺しながら、平然を装って答えた。かなり思い切った攻勢だけど、先輩に届いたのだろうか。ぴちゃっと汗がしたたり落ちる。すると、先輩はニヤリと愉悦に歪んだ笑みを浮かべて、こう返してきた。


「君がほど、私は安い人間じゃないけど。それでもよければ」


 今日の一連の出来事で学んだこと。

 それは、おごるのもおごられるのも悪くないってことだ。

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