第38話 暴走
ウァールが捕らえたニケを取られまいと彼女に駆け寄るのと、マグナの炎がニケに打たれた縄を焼き切るのが同時だった。
ニケは素早く駆け出すと、ウァールの横をすり抜けてマグナの伸ばした手を握った。
「ほんとお前、どこでも問題児だな」
そういうや否や、ニケを脇にやって、立ちすくんだままのウァールに火の縄を打った。巻き付かれた炎の縄のくびきによって、ウァールはその場から動けない。
「マグナ、シオンが……!」
ニケが焼けただれている森を指さす。それにマグナは顔をしかめた。そして、ウァールに向き直る。
「お前か、精霊の森に火をつけたのは?」
ウァールは答えないままじっとマグナを見つめて、それから視線をそらした。
「答えないってことは、肯定ってことだな。なんでことしてやがんだよ。精霊に手をかけたな、お前。ふざけるなよ、こいつらは自然の摂理で、生命の源だ。人間が下手に手を出していいもんじゃないんだぞ!」
「ふん、世界に誇る火の魔導士様も精霊の味方かよ」
当たり前だ、とマグナがすごい剣幕になる。
「精霊をぞんざいに扱うな! この馬鹿野郎が……一体このせいで何体の精霊が犠牲になったか…」
困ったなとマグナは森を見やった。すでに完全に火の海状態になり、どんどんと煙が流れている。木々が倒れるどおんどおん、という音も時折聞こえ、森から逃げてきた精霊と獣たちがあちこちに散らばって走り去っていく。
「シオンってあいつ、魔力あるんだよな? だとしても、これじゃ……。ニケ、たぶん無理だ。この炎じゃ助からない」
「やだ、そんなことない! 私行ってくる!」
待て、とマグナがニケの手を引っ張った。
「死んじゃうだろ、行ったら」
「シオンが。だって、まだあそこに」
その様子に、ウァールが鼻で笑った。
「あの薬師の男なら、魔力なんかない。これが証拠だ。この魔力を吸い取る魔法石なんか使って、魔力があるように見せかけている奴が、あの炎の中で生き残れるわけがない」
ウァールはポケットからシオンが身に着けていた真っ赤な宝石を取り出して、かざすようにしてニケとマグナに見せた。
ニケは頭にきて、手が焼かれるのも構わずにウァールを捕らえた炎の縄に手を突っ込むと、彼の手からその耳飾りをもぎ取った。
「返して!」
ニケが大きく肩を揺らしながら息を吸って、吐いてからウァールをにらみつけてマグナの元へと戻る。
「馬鹿だな。魔力があったところで、あの男はすでに死んでいたぞ」
「死なないもん! 私を、一人にしないって約束した……」
ニケは魔法石の耳飾りを、指先が白くなるまで強く握りしめた。
そのニケの肩に、マグナが手を置く。
「命をかけて守られたんだったら、いまさら引き返して、みすみすお前まで命を落とすことはない」
マグナが静かにそう言うと、ニケはこらえきれなくなって、目から涙を流した。握った赤い宝石に、ニケの涙がぽつりぽつりと、染みをつくる。
「イグニスの魔導士まで出てくるってことは、やっぱりチビ助、お前相当だな」
ウァールが意地の悪い笑みで笑った。
その血走った目を見て、ニケは絶望した。この、残忍な男にシオンが殺されてしまったということが、いまだに信じられなくて、心が空っぽになった。
*
ドオオオオ――ン…
「……なん、だ?」
とつじょ、地面が揺れた。いや、揺れるという一言で済まされるものではなかった。とてつもなく大きく揺れながら、その場の全員が立っていることができずにしゃがみこむ。
森の炎から逃げるように飛び出してきていた精霊も獣も、足元を崩して次々に転げた。
ニケも立っていられなくてその場にしゃがみこんだが、しばらく揺れが続いていた。
気持ち悪くなるかのような揺れがひとしきり収まった後、精霊樹の方向から、木々が倒れる轟音と衝撃波のような風鳴がやってくる。
「何だ、これは……?」
マグナまでその場で膝立ちのまま動けずに、辺りをきょろきょろと見まわした。
まるで地面が生きているかと思うほどに揺れ、そして、
――オオオオオオ
大地を揺らす音が森全体に広がった。
鳥たちがその音に驚いて、バサバサと大空へと逃げだしていく。
獣たちが見てわかるほどに怯えて身体を震わせ、精霊たちがいっせいに悲鳴を飲み込んだ。
あまりの音の大きさに、とっさに耳を塞ぐ。音が収まった後も、耳がきんと鳴って、世界から音が消えたようになっていた。
しばらくして、ぱちぱちと、木々が燃える音が耳に戻ってきた。
その場にいた誰もが、何が起きたのか理解できずに、地面に突っ伏したり、かがみこんだまま動けないでいた。
――森が、静まった。
ニケが、叫んでいた精霊たちの声が止んだことに気がついた。近くで身を震えさせている精霊を見やって、動けなくなっている森の獣たちを確認して気づく。
(――怯えているんだ)
何に? その答えは、すぐ近くにあった。
「なんだ。あれは――」
一人の兵士が、目をこれ以上開けられないというほどに見開いて、森の奥を凝視していた。
開いた口が塞がらないまま、瞬きさえ忘れて見入っている。
ニケは、その兵士の視線の先を追って、同じく息をのんで止まった。
焼けて倒れた木々の間から、見たこともない巨大な影が姿を現した。
豊かな毛並みに覆われた艶やかで優美な首の曲線。大きな翼が、背中でゆっくりと風雅な動きを見せている。
森に隠れていたその首をもたげて、上空を仰ぎ見た神々しさに、その場にいたすべての生き物たちが息をすることを忘れた。
「――竜だ」
ニケが、つぶやいた声は静謐な空間へと消え去った。
二本の角を生やした顔をゆっくりと揺すると、耳を動かして、竜は森の音を聞いているようだ。
竜は風下の燃えさかる森に顔を向けると、翼を広げて咆哮した。
そのあまりの声量に、ニケたちは耳を塞ぐ。音が地鳴となって響き渡り、竜に怯えた精霊たちが逃げ惑う。
竜は翼をしなやかに広げると、いきなり暴れ始めた。
そのあまりの衝動に、あちこちから木々が倒れる音と、精霊の悲鳴が押し寄せてくる。獣たちが怯えて脇を駆け抜けていった。
「竜が、なんでこんなところに」
マグナが耳を塞ぎ、よろけながら地面にある木の根に掴まって、顔をしかめた。
その間にも、竜は機嫌を損ねているのか、大きく身体を揺すったり、羽をばたつかせながら暴れている。
燃えている木々に顔を突っ込んだかと思うと、それらを咥えて、辺りの木をなぎ倒した。
森が壊れてしまうかのようなその破壊力に、誰も何もできずに固まった。竜は動きを一瞬止めると、耳を動かして天を仰ぐ。
「竜? あれがか? あんな色、聞いたことも見たこともない……」
ウァールが驚愕したまま、つぶやく。
そのウァールの声が聞こえたかのように、陽の光を吸い尽くすほどに漆黒の竜は、燃える木を咥えたまま、こちらを向いてゆっくりと目を開けた。
――その瞬間、ニケは弾かれたように森へと走った。
「ニケ、だめだ!」
マグナの声を振り切って、ニケは燃え盛る火の海へと身体を投じた。
「くそっ、お前ら、そこで動くなよ!」
炎を身にまとうと、マグナもニケの後を追って火の中へと飛び込んだ。
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