第21話 火柱
駆け出したシオンは、炎の魔導士マグナの考えそうなことを思い浮かべた。もしも魔導士が、強力な魔力を持つ者を見つけたらどうするか。
――まずは、それが本物かどうかを、確かめる。
シオンは、それを確かめるのにちょうどいい場所があるのを知っていた。〈
「ここか」
シオンがその建物を見つめると、中から特大の歓声が地鳴りのように響いてきた。
「ニケ……!」
眉をひそめると、シオンはその建物へと駆け出して行った。
*
とつじょ現れた樹木の防御壁に、茶髪の少年が笑った。
「お前、木の魔力か? こんなの、俺の炎で焼いてやる!」
「やめて、こんなのだめ! お願いだからやめて、話を聞いて――」
ニケの声をかき消すように、炎の蛇が邪悪に身体を揺らしながら、樹木の壁を燃やし尽くそうとしていた。じりじりと木が焼かれていき、黒く燃えていく。
「やだってば、なんでこんなことするの?」
ニケは怖くなって震えが止まらない。この木の壁が燃え尽きたら炎の蛇が自分を襲ってくることは間違いない。その恐怖に、ニケは口を開けたまま、呼吸さえできなかった。
そうしているうちに祝福が光を失い、木の防御壁がその場で形を崩して、地面にぼたぼたと落下していった。その燃え尽きた木々の向こうから、茶髪の少年の勝ったぞと言いたそうな顔が見えた。
「やだ……!」
炎の蛇が、ニケを攻撃した。あっという間に体中に巻き付いたかと思うと、そのままニケを丸焼きにしていく。会場の声援が一気に大きくなり、ニケは悲鳴を上げた。
(――熱い、このままじゃっ……!)
どうしよう、師匠。そう思った時、ビビがくれた師匠の形見の首飾りを思い出した。それがあるからといって何かできるわけではないが、とにかく今はそれを握りたかった。
巨大な魔法石で作られた首飾りを、ニケは焼かれながら服の下から引っ張り出す。
「やっと、反撃するか? かかって来いよ、いつでもいい――」
少年が言い終わらないうちに、ニケが引っ張り出したそれを握った途端、地面からすさまじい勢いと規模で炎の柱が出現した。
「な……!」
少年が唖然とする。そして、同時に会場がしんと静まり返った。歓声に満ち溢れていた会場は、炎の燃える音だけになる。
炎の柱は、見上げるほどの競技場の観客席さえも遥かに凌ぐ高さで立ち昇り、そして、それによってニケの身体に巻き付いていた炎を巻き上げて一瞬で鎮火した。
あまりのことに、何が起きたのかを理解できた人間は、その場に一人しかいなかった。
観客席の一番高いところの端、そこにひっそりと目深にフードをかぶって立っていた男――魔導士マグナが、にやりと笑った。
競技場の外でその火柱を確認したシオンが、警備員たちが一瞬ひるんだのを見計らって、制止を振り切って入ったのも、同時だった。
「お前、どういうことだ! なんで、さっきまでは木の魔力使ってたのに、今の火の魔力はなんだ? しかもそんな、膨大な魔力……いかさましてるだろ!」
少年が叫んだが、ニケでさえ状況を理解できないまま、困ったように少年を見つめる。
「何が起きたの、どうして?」
「このっ!」
少年がまたもや炎の蛇を出撃させてきて、思わずニケは、誰にともなく、力を貸してと思った。その瞬間。
ごおおおお――!
聞いたことがないような大音量とともに、競技場の地面からいくつもの火の柱が溢れ出した。それはもはや、炎の暴力に近い。
攻撃してきた少年はその火柱の端に触れて一瞬で吹っ飛ばされた。
中央に現れた火柱は、その規模を拡げていくと、倒れ込んだ茶髪の少年の周りに詰め寄っていき、ついにはニケのいる場所以外を炎の海にして地面を覆い隠してしまった。
「やだ……これ、私のせいなの? 魔力ってどう使うの!? どうしよう」
シオン、と口の中でその名前を呼ぶ。しかし、もちろん、返事などない。
辺り一面、炎の海。競技場の平たい地面のほとんどが余すことなく燃える火柱を噴き散らしていた。
その炎の強さと規模は、気がつくと観客席にまで拡がっていた。
初めのうちはこんな魔導を見たことがないと喜んでいた客席の人間たちが、一つも収まらない炎の威力に、そして自分たちの客席を炎が侵食し始めたことに気がついていき、歓声が悲鳴へと変わる。
「――逃げろ!」
誰かが発した声に一拍遅れるようにして状況を飲み込んだ観客たちが、慌ててその場から逃げ始めて、競技場内は大混乱となった。
その間にも、炎は勢いが衰えることもなく拡がり続ける。
「……おいおい、なんちゅう力だよあの小娘」
逃げ惑う人々を見ながら、マグナはあきれて顔を隠していたフードを取ると、逃げ始めた観客の後ろからゆっくりと客席の階段を下りてきて、競技場を眺めた。
「とんでもねぇガキだな」
逃げ惑う人々を追い払うかのように、火柱はその威力をさらに増していく。とっくに、相手になっていた少年はその場で倒れてしまっていた。
「魔力の制御がきかないのか、あいつ」
火柱はニケだけをきれいに避けつつ、観客席まで拡がって人々を襲う。ニケは半べそになりながら、どうしていいのか分からずに魔法石を握ったり叩いたり、止まれ止まれと叫んだりしていたが、火の勢いが消えることはない。
流石にこれ以上はまずいと思ったマグナが、階段を駆け下りながら会場を焼き尽くす勢いの炎を相殺しようと手に炎をまとった時。
入り口から艶やかな長い黒髪の男が入ってきて、炎に焼かれるのもお構いなしに競技場内へと走っていくのがマグナの目の端に映った。
マグナは、手にまとっていた炎を縮めた。
「ニケ……ニケ!」
その声に、ニケが反応する。恐怖に顔を凍り付かせながら、ニケが「シオン」とかすれて声にならない声で叫んだ。
シオンが炎の壁を抜けて手を伸ばす。ニケが震えながら伸ばしてきた手をシオンが掴んで引っ張ると、彼女を抱きしめた。
「シオン……!」
「ニケ。もう大丈夫だ、落ち着け」
シオンに強く抱きしめられて、その懐かしい匂いに包まれた瞬間、ニケの緊張の糸が途切れた。
一瞬もたたないうちに、会場を丸のみにしていた業火が消える。
シオンは深く息を吐きながら、ガタガタと震えているニケをさらにきつく抱きしめた。
「大丈夫だ、ニケ。大丈夫だから……俺が悪かった。離れるなと言っておいて、置いて行くべきじゃなかった。約束する、もう絶対に一人にしないから」
すまない、とつぶやくシオンの声が近くで聞こえて、ニケはものすごい疲労感とともに、シオンに包まれて段々と落ち着いていった。
シオンからは、なぜか、チイとビイ、それからルーメリアと同じように、落ち着く匂いがした。
マグナがその様子を黙って見ていると、シオンがかすかに顔だけ動かして、視線をマグナに向けた。その金色の瞳が、怒りを以てマグナを射抜く。
「へえ。おもしれーじゃん」
マグナは不敵に笑うと、フードで頭を隠し、マントを翻して会場を後にした。その背中を、ずっとシオンはにらみつけていた。
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