第10話 出立
慌てて夜中に荷物をまとめたニケだったが、思った以上に何も持っていなかった。
半人前の
時計を見ると、とっくに真夜中を超えていた。
子どもたちの寝顔をもう一度見て、その隣で布団に横になると、どっと疲れが押し寄せてくる。目をつぶると、一瞬のうちに眠ってしまった。
「ニケー! 起きろよ!」
「んーうるさいなぁ、今日は
「あっ、シオン様だ!」
その声にニケは飛び起きた。
「えっ、シオン!?」
「はっはー! ニケのばか、だまされてやんのー!」
子どもたちはそう言ってぎゃーぎゃー騒ぎはじめる。ニケはだまして起こしてきた子どもをとっ捕まえると、くすぐり攻撃をした。
朝からニケと子どもたちの楽しそうな声が
「あっ、シオン様だ!」
「今度はだまされないんだからね。捕まえた!」
くすぐっていると、他の子たちがニケの服を引っ張る。「シオン様、本当!」と言われて入り口を見ると、そこにはシオンが立っていた。
「あっ……と、えっとこれはその……」
ニケはその場で固まる。
「ずいぶんと楽しそうだな。準備できたら行くぞ。あと、ノックはしたからな」
シオンはふと笑うと、部屋から出て行った。
ニケは恥ずかしくて顔を真っ赤にして、そしてそれをまた子どもたちに散々からかわれた。
朝食はいつも通りにぎやかで、食べ終わると、ニケは荷物を確認する。
ニケが唯一大事に持っていたものは小さな日記で、そこに今まで学んだことが全部書いてあった。
それをしっかりと鞄に入れると、ニケは精霊の森まで走っていった。
「――チイ、ビイ!」
走ってくるニケを待っていたかのように、二人はそこにすでにいた。手を伸ばすと飛んできてニケにじゃれつく。
視線を感じて見ると、そこには昨日、毒キノコにあたってしまった精霊もいた。
「あ。元気になった? もう大丈夫? お腹痛くない?」
『ニーケー。この町の
チイが意地悪な声でそう伝えてくる。
ニケは「え?」と口をぽかんと開けたまま、狸のような姿の精霊を見つめて固まった。
『良いのだよ。この少女は救ってくれたからの。少女よ、行くのか?』
「あ、はい。シオンと一緒に行きます」
『ニケ行っちゃうの、寂しいよ』
『また戻ってくる?』
チイとビイがニケの膝の上で首をかしげる。ニケは、たまらなくなって二人を掴むと、ぎゅっと抱きしめた。
『わ、ニケ苦しい!』
「チイ、ビイ、友達でいてくれてありがとう」
ニケは大きく息を吸い込んで、太陽と森の香りがする二人に頬を寄せた。二人も、目をつぶって、ニケにほおずりする。
『僕たちはずっと一緒だ』
二人がするりとニケの腕から抜ける。そして、
『少女よ、祝福を授けよう。わしの角に両手で触れよ』
ニケは言われた通り、
――瞬間。
精霊三人からとつじょ猛烈な勢いで草花が伸びだして、ニケの肘まですっぽりと包み込まれる。ぐんぐんと成長したそれは、見る見るうちに花を咲かせて光る粉を散らして爆ぜた。
手を離していいと言われて、見ると、光る粉がまだキラキラとニケの腕についている。その一つが右手の甲に入り込むと、蔦模様を描いて光って消えた。
『道中、気を付けてな』
守護精霊が、笑うかのように目を細めた。
『ニケ、大好きだよ』
チイとビイが、名残惜しそうにニケに近寄って、身を擦り寄せてきた。
「私も大好きだよ。二人とも大好き。
ニケは、チイとビイともう一度抱き合うと、森を後にした。
*
「ニケ、どこ行って」
「ごめんロン、ちょっと森に! シオン、ごめんお待たせ!」
そう言うと、ロンのげんこつがニケの頭に飛んでくる。
「シオン様、だろニケ。まったく、お別れ前なのに怒らせるなよ」
ロンは困ったやつだと笑いながら、ニケに手紙を差し出す。昨晩見た、師匠が書いた手紙だった。
「え、いいの、これもらって?」
「うん。ニケのことを知る手掛かりになるかもしれないから。気を付けて行ってくるんだぞ。くれぐれも、シオン様のいうことを聞いて、人にも患者にも優しく自分には厳しく……」
分かったよ、とニケがそのロンを止めた。もう何百回となく聞いたロンのそのセリフが懐かしい。
ニケは、ロンに飛びついた。ロンも、一瞬驚いた顔をした後に、彼女を抱きしめた。すると、小さい子たちが「ニケ!」と言いながらいっせいにニケに飛びついてきた。
ニケはかがみこむと一人ひとりを抱きしめて頭を撫でる。
「みんな、元気でね。風邪ひかないでね。お腹出して寝ちゃだめだからね。あれ、なんか私ロンみたいに口うるさいこと言って……痛いっ! ロン、げんこつ嫌だってば!」
みんながそのやりとりに笑う。ニケは立ち上がると、服を正した。そして、シオンを見る。シオンは行こう、とほほ笑んだ。
みんなが
しばらく、ニケはシオンと並んで、黙って歩いた。
町の出口まではすぐそこで、そこに一人の人物が立って腕組みをしていた。
「……ビビ?」
ニケは足を一瞬止めて、そしてビビに駆け寄った。
「ビビ、見送り来てくれたの?」
「勘違いしないでよ。あんたの事なんか大っ嫌いなの。本当なら私が行くはずだったのになんでニケなんかが……」
ビビはニケをにらんだ。思わずニケが一歩後ずさる。
「あ、えっとごめん、色々」
「ふん。いいわよ、別に」
それよりこれ。そう言って、ビビが差し出したのは、師匠が身に着けていた大きな魔法石が埋め込まれた首飾りだった。
「これ、持ってきちゃったの!?」
「あんたが一番師匠と長くいたんだから、これくらい持って行ってもいいんじゃないの。
ニケはそれを見つめてぎゅっと握ると、首から掛けた。
「ありがとう、わざわざ」
「いいわよ。ニケが勝手に持ち出したって言うから」
ニケはそれには困った顔をしたが、気を取り直すとビビに抱きついた。
「わ、ニケ恥ずかしいから離れなさいよ!」
「ビビ、ありがと。またね」
ふん、とビビは鼻を鳴らす。ニケはビビから離れると、大きく手を振った。
「また帰ってくるね、元気でね!」
ビビはもう一度ツンとした顔で笑った。ニケは、シオンに向き直って「お待たせ」と言うと、二人で歩きだした。
町を出て、新しい世界の広がる道をニケは歩き始めた。
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