第8話 診察

「――え、そんなの食べちゃったの?」


『美味しそうだったんだよ。でも、食べた後から、どうも腹の調子が悪くて』


「それ、多分食べちゃダメなキノコだと思う。どんな形してたの?」


 診察室にいたシオン以外の四人の薬師くすしたちは、その光景が信じられなかった。


 ニケはその精霊の身体を触りながら、脈を取ったり触診をしていた――鏡も、魔法石も無しに。


 今まで、ニケのいろいろな行動を見てきていた彼らは、ニケに魔力がないことを知っているがために、その光景を目の当たりにして度肝を抜かれた。


 ニケが、魔力が無くても精霊と話したり見たりできるということは、実は本当なのだと信じるしかない光景だった。


 嘘つきと決めつけ、彼女の行動を気味悪がり、ないがしろにしてきた彼らにとって、それは不気味さと神秘さを同時に感じさせた。


「ちょっと待って、そのキノコ私が今、カルテに描くから……なになに、赤くて、刺があって。って言うか、刺がある時点で美味しくなさそうだけど。ああ、で、水色の液が垂れていたの?」


 ニケはカルテに精霊に言われたものを口を曲げて書いている。ニケは顔をしかめつつ、ペンを走らせ、そして書き上がったものを精霊に見せた。


「こんな感じ? すごい不味そうなんだけど、これ食べちゃったの? これ多分、バラボラキノコだよ。人も精霊も食べないやつ。このキノコ食べちゃダメって、他の精霊に言われなかったの?」


『さあてね、言われたような、言われないような』


「これは食べちゃダメなキノコなの。二度と食べないでね。だから、熱が出ちゃったんだね。辛かったよね? お腹はまだ痛い?」


『まだちょっと痛むなあ』


「下の方が痛い? あと他にどこが痛い? うん、うん。分かった。お薬出してもらうから、待っててね」


 みんなが固唾を飲んで見守る中、おしゃべりし続ける形のニケの診察は終わった。


「――ニケ、見立ては?」


 そこでずっと立ったまま、黙ってニケのことを見ていたシオンが、声を発した。それにニケは振り返ると、はっきりと言った。


「毒キノコ食べた食中毒。処方は蜜草みつくさ煎じ薬せんじやくはみんなと一緒だけど、解熱剤は出さない。下手に熱を下げるより、毒を出しちゃわないと。後はお腹こわしてるから、精霊樹の樹液。水も飲まないと」


「以上か?」


「うん……じゃなくて、はい」


 それにシオンは笑った。そして鏡にかけた被せ物を取る。ロンにも、ダンとラダにも、その精霊の姿が見えた。


「ニケが正解と言いたいところだが、処方箋が惜しいな。胃薬を出さないと、痛みで辛いはずだ」


「あ、そっか」


 シオンは笑って、そして精霊に向かって礼を伝える。精霊は『大丈夫だよ』とほほ笑んだので、それを見てニケは安心した。


「みんな、もう少し修行が必要のようだ。これだと決めてかかるのではなく、相手ときちんと向き合うのが薬師くすしだ。声が聞こえなくとも、姿が見えなくとも、俺たちができることは、お互い歩み寄ることだ」


 それを忘れてはいけない。シオンはそう付け加えて、薬の調合のために調合室へと下がった。


 *


 急患でバタバタした一日が終わると、あっという間に夕食の時間だった。みんなが席に座っていっせいに食べ始める。年長者たちは神妙な面持ちで、子どもたちはいつもと変わらず元気に夕食を食べていた。


「そういえばさ、シオン様。今日の急患は大丈夫だったの!?」


 一人の男の子が、むしゃむしゃと口に野菜を放り込みながらシオンに聞いた。それはみんなが気になっていた話題で、子どもたちは診察室から出てきた年長者たちに話を聞きたがったのだが、誰一人として話してくれなかったのだ。


 もちろん、ニケもだんまりを決め込んでいたが、ニケに聞いてくる子どもはまずいなかった。


 処方箋をもらって、しばらく休むと精霊は急激に回復し、背中でしおれていた花々を満開にさせたかと思うと、『ありがとうなあ』と言って薬所やくしょをあっという間に去っていった。


「急患は、ニケが治した」


「えー!!!!!」


 食卓の皿が揺れるほどに、子どもたちが大声を上げる。静かに、とロンが怒ったのだが、子どもたちは騒ぎ立てた。


「ニケが治せるわけないじゃん、だってニケには魔力ないし!」


「そうだよシオン様、本当のこと教えて」


 シオンは困って息を吐くと、「本当だ」と短く伝えた。


 ニケはとつじょ訪れた沈黙とともに、注目の的となった。気づかずに黙って食べていたのだが、視線を感じて辺りを見ると、みんながニケを見ていた。思わず驚いて、野菜を噛まずに飲み込んでしまった。


「な、何……みんなして」


「なあニケ。今日の病人の精霊治したって、本当なの?」


「え? 私が? いやいや、治したっていうか……症状を聞いただけで私は何も」


 ニケはその空気に耐えられなくなって、食事をかき込むと、あっという間に水で流し込んで、そして立ち上がった。


「ご馳走様。私、ちょっと診察室に忘れ物!」


 と、言うが早く食器を流し台に片付けると、逃げるようにその場を去った。みんながその台風のように去っていったニケを、ぽかんと見つめる。


「――みんな。本当だ。俺が保証する。ニケが治したんだ」


 そして、シオンはさらに口を開いて、その場の全員に聞こえるように声を発した。


「ロンと話していたんだが、俺はニケを連れて行くことになった。いいな、ロン?」


 それにロンは瞳を揺らした。ビビが悔しそうに口をひき結ぶ。


「はい、もちろんです」


「明日発つ。世話になったな」


 シオンはそう呟くと、また黙々と食事を続けた。


 ニケが治したこと、そしてとつじょシオンが連れて行くと言い出したことに、その場の誰もが呆然として、何も言えなかった。

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