急患
第6話 修行
いつもは布がかけられているそれの前に立ち、シオンはきちんと使えるかどうかの状態を確認していた。
その間にも、ロンやビビ、他の年長者に近い子どもたちがシオンの手ほどきを受けている。
師匠なき今も
ニケが、
ユタ師匠がいた時にもほどほどに邪険にされていたが、今ほどではなかった。大人の抑止力とはすごかったのだと今さらながらニケは思う。
「これは
シオンの透き通った声はよく響くので、ニケは必死に耳の端で聞いていた。
*
そんな忙しすぎる日が五日ほど続いた。
相変わらずへとへとになりながら、いうことを聞かない子どもたちを寝かしつけると、疲れたニケはふらふらと厨房へ行って甕に溜めておいた水を柄杓で飲んだ。シオンが来てからここ数日は、忙しすぎて、チイとビイにも会いに行けていなかった。
「なんだか毎日騒がしいな」
「――ニケ、まだ寝てなかったの?」
現れたのは、年長者のロンだった。あまりにも静かに来たので、ニケは驚いて柄杓を落としかけた。
「ごめんごめん。驚かすつもりじゃなかったんだ」
眉毛を八の字にして笑う十九歳のロンは、ユタ師匠の最年長の弟子だった。ロンは魔力はそれほどではないものの、精霊を写す鏡や魔法石で彼らを映し出して治療することができた。
しっかり者でとても細かいところに気がつくロンが、亡くなった師匠の代わりに今は
「もう寝るよ、疲れちゃったし」
「悪いね。毎日、大変な仕事ばかりで」
いいよ、とニケは少し笑った。
「ビビにまた今日もこっぴどく言われていたね。僕もビビには注意をしているんだけど、全然聞かないや。思春期ってやつかな」
ロンは困ったように髪の毛をぼりぼりと掻いた。ロンがビビの言動に手を焼いているのは、他の年長者のダンとラダも分かっていた。
その時、ロンの次に出てきた言葉に、ニケは思わずもう一度柄杓を落としそうになった。
「ビビにはちょうどいい機会だし、シオン様に頼んで修行に連れて行ってもらおうと思ってて」
「え……?」
修行に行くのは
多くの
弟子や見習いを育てなくてはこの職業は成り立っていかないのだ。
故に、
「でも、急だよ。ビビだって、行きたいって言うかどうか」
ビビはこの町育ちでここから出たことがない。おまけに頑固なところがあるので、修行に行くのを承諾するとは、ニケには到底思えなかった。
それに、本当は、ニケが行きたかった。どうにか自分が町から出られないかとニケは思う。
「旅は危険だし、慣れてないのに急すぎじゃないかな?」
「うーん。だけど、彼女なら魔力もあるから精霊の姿が見えているし、シオン様の足手まといにもならないだろ。それに、ビビには、もう少し成長してもらわないとだよ。いつまでもニケをいじめていちゃ、ニケだって困るでしょ」
それはそうだけど、とニケは空になった柄杓の底を見つめた。
「ビビには話したの?」
「うん。僕も意外だったけど、本人も乗り気だった。数年修行してから戻ってきてくれたら、この
(――シオンと一緒に行くんだ。ビビが)
ニケは「そう」とつぶやいて下を向いた。
正直に、ビビが羨ましいと思った。この環境から出たいと思う気持ちは、ニケの方が強かった。
しかし、いつも自分は選ばれない。こんな時でさえそうなのだ。ニケは絶望してはいけないと自分自身に言い聞かせた。
それと同時に、自分が行けたのなら、どんなにいいだろうとニケは思った。この町を離れて、誰もニケのことを知らない土地へ行けば、こんな惨めな思いをしなくて済むだろうか、と。
チイやビイと離れ離れになるのは辛いが、疎まれている環境から逃げ出したい気持ちは強かった。
「ビビがいなくなったら、ニケ、君がいてくれないと困るからね」
「え、私?」
「ニケだって年長者組でしょ? そろそろ一人前にならなくちゃね」
ロンはそう言って笑ったのだが、ちょっと困ったような顔をしたのは、ニケが頼りないからだった。
おやすみと言ってニケと別れてから、ロンはそう言えばと思ってユタ師匠の手記を倉庫から探した。
この辺鄙な町に、
この町では精霊との問題が起こることもほとんど無く、そして、病人も決して多い方ではないので、
「えっと、確かこの辺に……あったあった。わあ、師匠の字懐かしいな」
ロンはそんなことを呟きながら、その手記をぺらぺらとめくる。すると、一通の手紙がはらり、と地面に音もなく落ちた。
「ん? なんだろう、これ……え?」
その手紙を開いて、ロンは眉をひそめた。それを読み終わると手が震える。
そして、その手紙を持つと、慌ててシオンの部屋へと向かった。
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