第4話 客人

『行っちゃったね。僕たちのことが見えた人って、ニケ以外で初めてだね』


『うん。ニケの師匠も、最後は鏡がないと僕たちのこと見えなかったものね』


 ニケは初めて、チイとビイのことが見え、しかも話ができたシオンという青年に興味津々だったが、町で彼に話しかけたらまた何をみんなに言われるか分からない。


 もっと話したかったなという気持ちと、何を話せばいいのだろうという気持ちが胸の中で湧き上がって、そして消えて行った。


「もっと話したかったけれど、もう会わないかもしれないし……」


『あんな小さい町なんだから、また絶対に会うって!』


 ビイは身体の羽毛を膨らませて怒る。その姿は可愛らしいのだが、精霊は怒らせると怖い。


「そう、かな?」


『そうだよ! 聞きたいことあるなら今のうちに考えておかないと、ニケはいつも肝心なところでおっちょこちょいだから忘れちゃうよ』


「おっちょこちょいは余計だよ」


 チイとビイはニケの肩までの真っ白な髪の毛をついばみながら、二人で協力し合いながら編み込む遊びを始めた。


 ニケはその二人を好きにさせておきながら、もし次にシオンに会えたら何を聞こうかなと胸を弾ませた。


「――あ、私、今日は夕飯の当番だった! 忘れてた、こんな時間になっちゃって、もう絶対作り終ってるわ。これじゃ私の分の夕飯抜きになっちゃう!」


 二人と話をしていると時間が経つのが早い。すっかり夕暮れ時になってしまい、一番星が輝いているのを見つけたニケは慌てて立ち上がった。


 ニケが住む薬所やくしょは、師匠に拾われた孤児の子どもたち数十名で暮らしている。今までは師匠がまとめていたが、亡くなった後は年長者のロンが仕切っていて、ロンは決め事に関してはかなりうるさかった。


『急がないと、夕飯食べられないぞ!』


『走れ走れー!』


「またね、また来るからね!」


 ニケは慌てて森を駆け抜けて町へと戻った。駆け出して行く間にも、どんどんと夕陽の色が濃くなっていく。


「急がなきゃ!」


 これでもかというくらいに全力疾走で薬所やくしょに戻り、裏口から厨房へと向かったのだが、そこには誰の姿もなかった。


「あ、あれ……?」


 肩を上下させたニケの前には、作りかけの料理が置かれている。食材も刻んだまま、鍋のお湯もぐつぐつと煮立っていた。


「みんな、どこ行っちゃったんだろう?」


 きょろきょろと辺りを見回すが、人の気配は全くない。仕方がないので、ニケは作りかけの夕飯を作ることにした。


 献立通りのものを作り終わった後、ニケはこれで一安心だなと思って、厨房を離れた。


「それにしても、みんなどこに……?」


 ニケが料理をしている間、誰も厨房に来なかった。人が誰もいないなんてことはこの薬所やくしょではありえない。何しろ、狭いこの家の中で、十人以上もの子どもたちが暮らしているのだ。


 ニケは不安になって、厨房から中に上がり込むと、長い廊下を渡って診察室の方へと向かった。廊下を歩いている途中から、人の気配を感じる。


 何やら、診察室のほうに、おびただしい人数が集まっているようだった。そうっと診察室へとつながる扉を開けて、誰にも見つからないように中へと入る。なんと、診察室の中は、人であふれ返っていた。


 そこにいたのは町の大人たちで、その足元をぐいぐいとニケはすり抜けて進んで行く。


 すると、同じ薬所やくしょの子どもたちが、診察室の真ん中辺りを囲んでいるのが見えた。ニケはそこまで行くと、その先、みんなが一斉に注目している中央を見た。


 そこで、箱の中を広げている人物——。


「え、し、シオン!?」


 驚いて大きな声を出してしまい、しまったと自分の口を塞いだときにはそこにいた全員がニケのほうを振り向いていた。


 シオンが、説明をやめて下を向いていた顔を上げる。真っ赤な細かい装飾の耳飾りが揺れ動き、印象的な瞳がニケを見た。


「あ、と……痛いっ! ちょっと、ビビ離してってば!」


「なーにお名前を呼び捨てにしてるのよ! シオン様でしょうが! っていうかニケ、あんた今までどこ行ってたのよ、いつもいつも仕事サボってばっかりのろくでなし!」


 ニケの胸ぐらを掴んで頬を思いっきりつねってきたのは、朝にニケのことを邪険にした同い年のビビだった。ビビはニケの耳の上についていた白い花をもぎ取ると、地面に投げつけた。


 ニケよりもずいぶんと背が高いので、ニケは引きずられるような形で隅っこへと放り投げられた。壁にしたたかに背中をぶつけて、ニケは痛みに一瞬呼吸が止まる。ビビは腕組みをしてニケの前に立つと、鼻息も荒くふんと鳴らす。


「お客様に向かってあんた失礼よ。こちらは巡回薬師じゅんかいくすしの、シオン様よ。あんたみたいな半人前が呼び捨てにしていい人じゃないの。そこで大人しくしてて!」


 最後に鼻までつままれて引っ張られると、ビビは怒った顔をして戻って行った。ニケは悔しくて目をぎゅっとつぶったが、結局何もできなかった。


 シオンが少し心配そうな顔をしたのだが、ビビは「あの子落ちこぼれで変わってて。礼儀もないから不快な思いさせたらごめんなさい」とさっきまでとはずいぶんと違う口調で話している。


 ニケはつままれた鼻を押さえて立ち上がってビビを見たのだが、一言いおうとした口を閉じてその場にとどまった。


 ちらりと周りを見ると、子どもたちはまたニケが怒られているぞという顔。大人たちはニケはどうしようもないなという諦めた顔をしていた。


 悔しくて何か言いだそうとする唇を、ニケは噛んで戒めた。地面に捨てられた白い花は、子どもたちに踏みつぶされてしまった。


 ビビに急かされて、シオンはニケから視線を外すと、背負っていた薬箱から広げた珍しい薬草や何かの説明に戻る。


 近くで聞きたい気持ちを抑えて、ニケはじっとシオンが説明のために取り出した薬草や薬の原料になるものを見つめて、一言一句聞き逃すまいと聞き耳を立てるしかなかった。

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