第12話 『衝突』
一二.
街中なのが災いしてか、なかなか追いつけない。
残り一〇mちょいがなかなか縮められないまま逃走劇は続いていく。
向こうはこの辺りの地形をよく知っているのか、巧みに小道を使いながら逃げていっていた。
こっちは追うしかないのだがやはり曲がられると出た先の道でどちらに進んだのか判断しなければならないため、距離が縮まらない。
それどころかだんだん離されてきている気すらする。
まずいな、逃げ切られてしまうかもしれない。
とは言え彼が何故逃げるのか、この件と何か関係あるのかもわからないわけだ。
追わなければならない理由はない。
しかし、気になる。
何故あのタイミングで現れ、逃げ出したのか。
こじつけな説明ならつく。
前痴漢した時に絡まれた若い学生にまた見つかった、
警察などに通報されたらまずい、とか。
それならわかりやすいし、もっともな理由ではある。
のだが、何故か違うような気がしていた。
理由はない。
ただの勘だ。
強いて言うならあの目か。
振り返った瞬間に彼が見ていた先と言うのは中空だった。
普通の人ならば『中空であるはず』の場所だったのだ。
何もないはずである空間を見ていた。
本来なら見えないはずの、奈落を見ていたのだ、あの男は。
気のせいかもしれない。
ただそちら側にいた誰かを見ていただけかもしれない。
たまたま目をそちらへ向けていただけなのかもしれない。
しかし、ぼくの目には彼の歪めた顔が映っていた。
だから、追わずにはいられない。
あの男はたぶん、見えている。
奈落や幽霊といった心霊現象の類を。
もしかしたら奈落が生まれた理由を知っている可能性だってあるのだ。
この辺りの住人のようだし、見ていたかもしれない。
あの事件の当日、何が起きたのかを。
「止まれ、そこの男!」
「い、嫌だ!こっちに来るな!」
道をいくら知っていても体力には限界がある。
そして日常的に運動しているぼくと彼のような社会人には大きな差があるのだ。
いつかは訪れる結果だった。
ようやくぼくは彼の肩を捕まえる。
「何故、逃げた?」
「い、嫌だ、来るな!離せ!」
「別に取って食ったりしない。話を聞かせてほしいだけだ」
「お、お前と話すことなんて、ない!離せぇえええええ!!」
詰め寄った瞬間――
ブォン!
何か巨大なものがぼくの胸の辺りを強打していた。
「――な!?」
胸にそれが突き当たった瞬間に起きた謎の変化。
まばゆい光が周辺を包み込んでいた。
ぼくは少し後ろに押されて胸を押さえる。
しかし、強打されたはずなのに息が切れることもなく、痛いと言うほどの衝撃を受けていないことに気付いた。
五mほどだろうか、後ろに押されてはいたが防御体勢も受身もとっていなかったのにもかかわらず、ぼくの身体は被害を受けていない。
驚きつつ、前を見た瞬間、更なる驚きがぼくを襲っていた。
「な、んだ、お前?」
目の前にいる男の右肩から先、手首辺りまですべて硬質化しており、鱗のような形をした金属のプレートのようなものに覆われている。
まるで武士などが身につけている鎧のような、そんなイメージ。
籠手というのだろうか?
しかし、それだけではなくその腕は巨大化していた。
一回りくらい大きくなった腕は男の手とか身体とは不釣合いで、とても不恰好に見える。
というか、なんだアレ?
どこから出した?
まさか身体が変化したのか?
そんな話聞いたことないんだが。
もしかして妖怪?
いや、人間にしか見えなかったぞ?
待て待て、ぼくは幽霊すら区別がつかないんだから判断できない。
男の目は驚愕に見開かれていた。
なんで生きているんだ、とでも言うかのような。
なんだよ、冗談だろ?
まさか本気で殺す気で攻撃してきたのか?
いや、普通に考えればあんなでかいものでぶん殴られたら人間なんてひとたまりもない。
想像したくもない事態になるだろう。
わかっていてやったに決まっている。
まともな神経ではそんなことはできない。
こいつはヤバいヤツだ。
本気で殺す気で来ているのだから。
けど、じゃあなんでぼくは生き延びている?
なんでこんなになんともないんだ?
明らかに直撃したはずだった。
あいつの驚きも当然だ。
「君は、いったい、なんだ?」
「こっちのセリフだっての。なんだよ、その腕」
「確かに、直撃したはず、なのになんでこっちが解除される?意味がわからない」
「おーい、会話になってねぇぞ」
「今のでダメならもう、ヤるしかない。見られた以上、逃がすわけには!」
バキバキバキ!
硬いものが割れるような音と共に男の身体は右腕だけではなく左腕両方指先まですべて、両肩、下半身まで右腕と同じように硬質化した鱗に覆われ始める。
ヤバい、明らかにこいつは普通の人間じゃない。
こいつがなんにせよこのままこいつの相手をしているのは得策じゃないな。
即決して逃げ出す。
こんなの相手にしてたらいくつ命があっても足りないっての。
変化していくのを後ろ目に一気に駆け出す。
男の変化はものの数秒で終わってしまった。
『逃がすかぁああ!!』
そりゃ簡単には逃がしてくれないと思ってたけど!
変化が全身を覆った男は身体が2m以上に巨大化しており、もう恐れしか抱けない。
顔の部分には鬼のお面を着けており、その表情は憤怒。
その顔を見た瞬間になんとなくわかった。
これは人妖ってやつか。
人が自らの内に閉じ込められないほどの強い感情に駆られて、そのあふれ出る感情によって肉体すらも変化させて凶行に走ってしまう妖怪。
元々は人であり、その姿は普通の人間とはかけ離れたものになりがちだが特徴として人の顔に感情を前面に出した仮面をつけて現れる。
般若などは結構有名なのではないだろうか?
強い嫉妬に駆られて鬼になった女。
この男もなんらかの強い感情によって妖怪になってしまったのだろう。
それがわかったところで何一つ解決もしないのだが。
「逃げ切れる気がしねぇ!」
細い道を通っても後ろから追いかけて来てしまうあの巨体はあまりにも恐ろしい姿だった。
「誰かに助けを、って無理か、クソッ」
巻き込んでしまうわけには行かないに決まってる。
あんなもんちょっとぶつかっただけで危険だ。
人通りのない道を選んで動いているのだがそれもいつまで持つか。
駅近くだからまずい。
てかなんだろうか、さっきから胸の辺りでぶるぶる震えてるんだが。
携帯か?
今忙しいからあとにしてくれよ。
道を確認しながら曲がってすぐ携帯を取り出して見るとアヤからの電話だった。
「なんだ、今忙しいんだが!?」
『わかってるに。今そっちに助っ人行くから受け取って』
「あ?」
『上。見ればわかるに』
「上?」
なんか白くて丸いものが落ちてきた。
「うわっ、と」
ちょうどいい所に落ちてきたので受け止めることができたが落ちたらどうすんだよ。
てかなんだこれ?
なんかちょっとあったかい。
白くて綺麗な毛でもさもさしている。
「う、ん?」
なんかどっかで見たことがあるな、この毛玉。
『うぉおおおおおおお!!』
瞬間、忘れていた後ろからの追跡者がこちらに殴りかかってきていた。
離れた位置からの跳躍にもかかわらず、一気に距離を詰められる。
まずい、避けれない!?
「きゅっ」
声と共に、ばふん、と毛玉が飛び上がりながら大きくなってぼくの目の前で展開する。
そしてその背中に鬼のこぶしが叩き込まれた。
「って、お前!?」
「きゅ~っ」
見覚えがあるわけだった。だって今巨大化して大きな尻尾のないの銀の狐になったのはうちの家族の一匹だったわけだから。
「くー子、なんでここにいるんだ?」
「きゅいっ」
かわいい鳴き声でぼくを鬼から守るように立ちふさがる。
「まさか、お前ぼくを助けに来てくれたのか?」
「きゅっ」
嬉しそうに鳴いてくー子は鬼に向かって飛び掛った。
『く、来るな!?』
「くー子、待て!」
くー子は触れる直前でぴたりと止まる。
「おい、アンタ、これ以上やりたいなら止めないが、どうする」
『こんなところで、止まれるか!』
なら遠慮しないぞと言おうとした瞬間、彼はきびすを返して一気に逃げ出した。
「え」
あ然としたぼくらを置いて。
くー子はいいの?と言った感じでこちらを見てくる。
「あー、たぶん追いかけても追いつけないから、いいや」
彼はこの辺りの道を熟知している。
その上、鬼の状態だと人間の状態よりはるかに足が速くなっていたのだ。
ぼくでは追いつけないし、くー子の巨体じゃそもそも細い道を走れない。
「まぁ、さんきゅ、助かったよ」
「きゅ~」
よしよし、と顔を撫でてやると嬉しそうに目を細めた。
空を見上げると高い位置で滞空している大きな鷹のような鳥がいる。
「あるはもありがとなー」
手を振るとぴぃーと一声鳴き声が響いた。
ちなみにくー子は空狐と言う尻尾のない狐妖怪で、空を飛んでいるのが木の葉天狗のあるは。どちらもぼくが拾ってきた家族たち。
『ランたんにこーが危ないって聞いて家から呼んでおいたに』
「助かったよ、ありがとう、アヤ」
『帰ってこれる?』
「大丈夫だ」
『じゃあ電車のところで待ってる』
「ん、ランにも礼を言っといて」
『わかったに』
電話を切ってくー子を見上げる。大きさとしては四mほど。
普段家に入れないので小さくなってもらっている。
その小さくなった姿が先ほど空から振ってきたときの手のひら大の毛玉だった。
「小さくなれるか?」
「きゅっ」
ぽむ、と言う音と共にくー子が小さくなる。
この状態でならあるはに運んでもらえるのだ。
そうやってたまに山とかに遊びに行っているようだったがまさかこんなところで役に立つとは。
しかし、あいつはなんだったんだ?
逃げ出した上あんな風になるなんてあまりにも怪しすぎる。
あいつが犯人ってことなのか?
あの大きさならこぶしの大きさ的には電車のくぼみに合うような気はする。
威力的にも問題はなさそうな気もするが。
ただひとつ、気になるのはぼくへの一発目の攻撃。
電車を倒してしまうような一撃だったとしたらぼくなんかひとたまりもないはずなのだ。
なのにこうして五体満足でいられる。
それどころか痛みさえなかった。
いったいどういうことなんだ?
中途半端に腕だけ変化してたから弱かったのか?
それとも見掛け倒しで元々弱い?
しかし、なんかあいつも驚いていた気もするが。
自分だけで考えてもわからなさそうだな。
ここでずっと立っていても仕方がない。
あるはに家に帰るように合図をしてぼくはアヤたちの待つ電車のところで合流してそのまま学園へ帰る。
「ここに入るときってもしかして毎回ぼくら引っかかったりするのかね」
「ドーダロナ」
「中からなら解除もできる」
そう言ってキリが先行していった。
アヤも後ろについていく。
二人入れるんだな。
なんかえらくくっついて入って行く。
てかぼくはまたランと一緒に引っかからないといけないのか?
『認証、二名承認しました』
二人が入っていって、次にぼくらが入った。
「引っかからなきゃいいけどなー」
「ひっかかったら笑ってやるヨ」
「お前のせいだろ?なんでぼくが笑われないといけないんだよ?」
『認証、反応三個体、承認できません』
「やっぱりかよー!?」
「クカカカカ」
「きゅーっ!?」
アラートが鳴り出し、ランが笑い出してくー子が騒ぎ出す。
もう、勘弁してくれよホント。
今回はすぐに解除されてぼくらも中に入れた。
「なんか疲れるわ」
「あんな反応するんだにー。初めて聞いたに」
「ぼくはアレしか聞いたことねぇよ」
聞きたくないし。
キリは無表情のまま少しだけ首をかしげてこちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
「反応三個体?」
「へ?なんか変なのか?」
「いや、そうでもない、と思う」
「うん?」
今日もほとんど会話らしい会話をしていないし、彼はよっぽど会話が苦手らしい。
端的な話し方をするのでぱっと聞きではわからないこともある。
なんかPDCメンバーってあんまりまともに会話できる人がいないな。
アキラは言わずもがな、キリも今の通りよくわからないことが多いし。
そしてアヤはにーにー娘である。
まともに話せるのってハナくらいじゃなかろうか。
この変な集まりで一番まともそうな気がする。
卑下しがちなのが玉に瑕だが、それでも普通に会話できるし結構かわいいのでなんか許せてしまう。
癒し系キャラだな。
ちょっと天然っぽい気もするし。
教室に戻るとハナは居らず、アキラが出て行ったときと同じ席でお茶を飲みながら座っていた。
ハルもいないな。
どこに行ったんだ?
「ただいま。何やってんだ?」
「見てわからないのか?思考労働中だ。黙っていろ」
そんなの見てわかるかよ。
「あっそ。あ、ハナはどこに行ったんだ?まさかいじめてないだろうな?」
「知らん」
「なんだよそれ。あとハルはどこに行った?」
「あぁ、あの幽霊なら空を見てくると言っていたが」
「ハルだっつってんだろ。しかし、空?」
「そう言えばここ屋上があるにー」
「そっか。んじゃそこかもな。入れるか?」
「学生の入るところじゃないため解放されている」
「ん。キリ、サンキュ。ちょっと見てくるよ」
「アヤちんも行くに」
「いってらっしゃい」
キリに見送られながら教室から出て階段へ向かう。
この建物は外から見たときに五階建てだったので結構学校としては高い建物だからエレベーターもあるのだがハルにはきっと触れることができないだろう。
そうなると階段で行った方がすれ違う可能性は低いはずだ。
屋上の扉は両開きの大きな扉で、結構重い。
少し力を入れて開いてから気付いた。
ハルじゃまずこの扉開けなくないか?
しかし、そう思いつつ屋上に出てみるとハルとハナがそこにいた。
一緒にいると言うよりはハナはただついてきた、と言うか連れてきてくれただけ、といった感じで、手持ち無沙汰そうに屋上の柵に寄りかかってぶらぶらしている。
ハルはただただ、空を見上げていた。
その姿はなんだか、空に消えていってしまいそうで。
胸が締め付けられて、息ができなくなる。
「あ、コウ。おかえり」
胸が詰まったぼくを見てハルが笑った。
その笑顔は生前となんら変わらなくて、また、余計に胸が苦しくなる。
その手をアヤが握り締めてきた。
慰めてくれているんだろうか。
「ただいま、ハル」
「きーたん、ただいま」
「何かわかった?」
「ランは何か心当たりがあるみたいだったな」
普通に話し始めるけど、苦しさは抜けないままで胸に突き刺さっている。
まだ覚悟できていないんだ、ぼくは。
ハルを失う覚悟が。
それできっと本当は気付いていたはずの真実を、捕まえることができたはずの容疑者を、逃がした。
それがもしかしたら更なる犠牲者を呼んでしまう可能性だってあったのに。
ぼくは自分に覚悟がないから、わざと逃がしたんだ。
なんて、ずるいヤツ。
結局ぼくはなんだかんだ言いながらランに言われた通りまだ、この現実ってやつを受け止めることができていなかったんだ。
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