第5話 『崩壊』

五.


 ハルが、死んでる?


そんなバカな。


昨日だってちゃんと学校に来ていたじゃないか。


今日だって今ここにいる。




〈昨日ハルは誰ともまともに話していない〉




 どう見たって生きているようにしか見えなかった。


肌の色だって少しも変じゃないし、どこか怪我だってしていない。


普通に触れたし、ハルからもぼくには触れてきていた。




〈ナツは昨日一度もハルに声をかけていない〉




 待ってくれ、確かアヤは昨日ちゃんとハルと話していたはずだ。


それは間違いない。


挨拶だってしていたしメールの話もした。


アヤにはちゃんと見えていたはずだ。




〈アヤには不思議な力がある。死んだ人だって見えているのだ〉




 じゃあなんだって言うんだ?


認めろとでも?


ここにハルはいるのに死んでいると認めろと!?




「コウ、どういうこと、なんだろう?俺が死んでるって、何?」


「ぼくが聞きたいよ。昨日、ハルは事故になんて遭ってないよな?だからここにいるんだよな!?」


 わけがわからなくなって叫んだあと、周りの哀れみの視線にこらえ切れずに座って頭を抱えた。




「遭ってないよ。遭ってたらこんなところにいないよ」


「アヤ、アヤはハルが見えるよな?」


「見えてるにー。けどアヤちん幽霊見えるからわからない」


「認められるかよ、ここにいるのにハルが死んでるだなんて」


「ちょ、ちょっと待って、じゃあコウは?コウは不思議な力なんて持ってないでしょ?」


 ないよね?とすがるようにハルに見つめられてぼくはうろたえる。




 そんなことはないのだ。




「すまん、ぼくも幽霊とか妖怪が見える」


「え?冗談だよね?あはは、そうでしょこれドッキリだ。そうだよね?そうだと言ってよ!?」


「すまん」


「謝らないで、よ。冗談じゃ、ない?本当に?俺死んでる?なんで?」


 ぼくの態度に冗談の色がまったくないのでようやくハルも自覚し始めたようだった。


 そう、ぼくは昔から霊が見える。


それも、はっきり見えてしまうのだ。


なんの意図もせずに普通の人と同じように霊が見える。


向こう側が透けるなんてこともない。




 この世界には霊と呼ばれるものが普通に歩いているのだ。


不慮の事故などで死んだ人たちの魂が形となって存在している。


普通の人と同じように、生前と同じ暮らしをずっと続けていた。


 本人たちはそれに気付いていない。


自覚はなく、不自然な部分はすべて記憶が自分に都合が良いように書き換えられる。


自覚できるまで生きている時のように普通に生活していくのだ。




 他の人に彼らは視認できない。


霊感と言うかそういった第六感が発達している人は見えなくても感じたりする人もいるのだが。


それも稀な話で見える人はめったにいない。


ぼくやアヤには見えて他の人に見えないということはハルはもう間違いなく死んでしまった、と言うことになる。


 恐らくあの電車の横転事故によって死んでしまったハルはその現実を受け入れられず幽霊になって、記憶を不自然じゃないように改ざんしてここにいるのだろう。




「ねぇ、ナツ?俺のこと見えないなんてないよね?ナツ?」


「そんな、そんなことって、ある?」


「どうしたの、ナツ?」


 ふさぎこんだままのナツはハルの声に反応しない。


それは、そうだろう。


だって大切な友達がすでに亡くなっていただなんて。


ハルはナツの肩に触れようとしていた。


 しかし、触れる前に手を引っ込める。


怖くなったのかもしれない。


ハルの表情はそれを確かめるのが怖くて仕方がないような表情をしていた。


幽霊は生きている人に触れられないと考えているのだろう。


それを確かめてしまえばハルは認めざるをえなくなる。




 しかし、ハルはその肩にもう一度手を伸ばして、


「あ」


 触れ、られなかった。


「そん、な」


 大きく首を振ってから自分を抱きしめたハルは震えだす。


ハルの手はナツの身体をすり抜けた。


もう触れることは叶わないと言うことなのだ。


死した人は生きているものには触れられない。




「俺、本当に、死んでるのか」


 もう見ていられなかった。


なんでこうなっちゃったんだよ。


ハルが何をしたんだよ。


なんでこんなに辛いことになっちゃったんだ。


誰も悪いことなんてしていなかったはずだ。


していたとしても、だからと言って死んでいいなんてことにはならない。




 朝抱いたもしかしたら失ってしまったかもしれない、と言う恐れが現実になっていた。


その途端、鉄道会社に対する怒りとかが生まれてしまう。


ずるいなとは思うけど、仕方がないだろう。


だって、現実に自分に関わってきてしまうまで実感なんて沸かないものなんだ。


大切な友達を失っていたことがわかってようやく現実に感情が追いついてきた。


 けれど、だからと言って何かができるわけでもない。


だってぼくらはあまりに無力だ。




 どうせ鉄道会社に行ったってもう失われてしまった命は戻らない。


あとはハルが未練なくこの世を去れるようにしてあげるくらい、なのか。


 いなくなってほしくはない。


けれど、ずっとこうやって不自然な状態でいるのは霊にとってはよくないことなのだ。


憑依体質の人に触れたらその人に憑依してしまうかもしれない。


 そうなったら無理やり成仏させられたりと言う可能性もある。


それ以外にも地縛霊なんかになってしまうものもいるのだ。




 霊と言うのは元々あってはならないもの。


死んだ人の魂は世界へと還るべきものなのだ。


そうして世界は流転している。


幽霊として不安定な状態でここにいるのはよくない。


 事故で死んだことを自覚して、恨みに駆られてしまったら彼らは地縛霊として集まり始めてしまう可能性がある。


 あれだけ大きな事故だ。


そんなことが起きてしまうとそこに地縛霊が集まって、恨みを募らせて事故などが起きやすくなる。


そうなってしまわないようにきちんと成仏してもらった方が幸せだと思うのだ。


できることがあるとすれば、それくらいしかないだろう。




「ハル」


「コ、ウ?」


 放心したようにうつろな目をしたハルがこちらを振り返る。


「このままの状態でここにいるとお前はもっと辛い目に遭ってしまう。お前の無念を晴らそう」


「成仏、ってこと?」


「そう、なるな」


「成仏しないと、やっぱりまずい、よね」


「すまない。けど、ぼくはお前が地縛霊になったりした姿を見たくないんだ」


 ハルは一度黙り込む。


それはそうだろう。


だって、死んでしまっただけでも十分すぎるくらい耐えがたい現実で。


その上でまだここにいるのに消えなければならない、なんて。


 ずるい言い方をしてしまったと思う。


けど、本心だった。


ハルが、大切な友達がそんな風になってしまうのを黙って見ているなんてできない。




「うん、俺も、こんな想いを他の誰かにしてほしくないし、誰にももうこれ以上傷付いてほしくないよ。けど、怖いんだ、消えたくない。そういう気持ちは止められない」


「ゆっくり、心の整理をしてくれ」


「ありがと、ごめん」


 ゆるりゆるりとハルの頭を撫でてやる。


いなくなってほしくなんかない。


けど、人を呪ってほしくも、ないんだ。


そっちの方がずっと辛い。


あんなところで人の不幸を願い続けるだなんて。






「――な!?え!?」


「あ?どうしたんだ、ナツ?」


 ふさぎこんでいてこちらを見てもいなかったはずのナツがハルと話すぼくの声に反応したのかこっちを見に来ていてあんぐりと口を開けていた。




「ハル!?なんでいるの!?」


「え?」


 何を言ってるんだ?ナツには見えないんじゃなかったのか?


「は、ハル、死んで、ないの?」


「いや待ってくれ、ナツ。お前、ハルが見えるのか?」


「え?」


「は?」


「ハル、いなかったから、先生も死んだとか言うし、でもここにいるし、もう、何がなんだか、わけわかんないよ!」


「落ち着け、ナツ。ハルがここにいるのが見えるんだな?」


 ナツの肩をつかんでハルを指差す。




「き、消えた!?な、何!?どういうこと!?」


「あ?消えた?ハルはここにいるぞ?」


 全員がきょとんとなった。


ナツは何を言っているんだ?


 しかしナツは何も冗談を言っている風ではなくハルの方を不思議そうに見ている。


目には涙をためながら。


わけがわからなくて混乱してしまう。


なんだ?


何が起きてる?




「いない、よ?どこに行っちゃったの?」


「いや、そこにいるんだが」


「えぇ?」


 ハルに手を伸ばして、すり抜けた。




「なんだ、どういうことなんだ?」


「それはこっちのセリフなんだけどー?どういうことなわけ?ハルがいるの?いないの?」


「そこにいるよ」


「いないよ。何言ってるの?」


「あぁ、いや、普通は見えないはず、なんだ。だって、ハルは幽霊なんだから」


「え?幽霊?実在するの!?」


「ぼくやアヤには見えるんだよ」


「アヤメちんも見えるの!?ハルがそこにいるってこと!?」


「信じて、くれるのか?」


「いや、だって嘘って顔じゃないし」


「あぁ、ハルは確かにここにいる。しかし、さっきはナツにも見えたんだよな?」


「えっと、うん。見えた」


「それははっきり見えたのか?透けてたりとかではなく?」


「はっきりと見えたよ」


 どういうことなんだ?


一時的に霊感が開花する、なんてことがあるのか?


その割にはナツには霊感がまったくなさそうに見える。


ハルのいるところを通り過ぎてもなんの反応もない。




「こー」


「ん?なんだ?」


「きーたんに触れて」


「あ?」


「いいから」


「あ、あぁ」


 よくわからないままハルの肩に触れた瞬間。ガタン、とナツが飛びのいて机にぶつかる。




「いたっ、ったた、え?ハル!?」


「見えてる、のか?」


「え?あ、うん」


「どう見えた?」


「いきなり出てきたような感じ?」


「すまん、驚かせたな」


「こーが触れると見えるようになるみたいにー」


「ぼくが触れると見える?」


 霊感がある人が触れると幽霊が見えるようになる?


そんな話は聞いたことがないんだが。




「アヤがやってみてもなるのか?」


「試してみる?」


「あぁ」


「消え、た?」


 ぼくがハルから手を離した瞬間に消えて見えるらしくナツが目をぱちくりしていた。


そして、アヤが触れる。




「アヤメちん、そこにハルがいるの?」


「いるにー」


「見えない、のか?」


「ごめん、見えない、と思う」


 アヤが触れても見えない?なんでだ?どういうことなんだ?再びぼくが触れる。




「み、見えた、びっくりするね」


「今はナツにも俺が見えてるの?」


「う、うん、ハルが見えるよ」


「よかった、よかったよ。ごめん、ナツ」


「ううん、また、顔見れて、よかった」


 そうしてボロボロと泣き始めてその場に崩れ落ちてしまうナツをぼくが支えて、結局ナツを保健室で寝かせることになった。


いろんなことがあって精神的にかなり追い詰められてしまって疲れてしまったようだ。




 しかし、どういうことなのか。


霊感のあるものが触れると見えるようになるわけではない?


アヤが触れても見えなくて、ぼくが触れたら見えるようになった?


 まったく、意味がわからなかった。

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