第3話 『転々転』
三.
「あ」
急いで来たつもりだったのだがすでに彼女はそこにいた。
こちらに気付くと顔を輝かせてくれる。
その様子にぼくも思わず顔がほころんだ。
小さく手を振ってくれていてなんだか微笑ましい。
「待ったか?」
駆け寄ってたずねると彼女はふるふると首を振る。
『い・ま・き・た』
「そっか。なら、よかった」
なんとなく嘘だろうなと思った。
けれど、えへへと笑う彼女を見ているとなんだかどうでもよくなる。
改めて向かい合うと彼女はずいぶん小さく見えた。
いや、最初から小さくは見えていたがこうして見ると思っていたよりも小さいことがわかる。
ぼくは身長一六七センチ程度なのだがその胸くらいに頭が来るのだ。
一五〇前半のアヤよりも小さい。
一四〇前半ほどではないだろうか?
華奢で小さくて弱々しい印象。
こちらを見上げながら幸せそうに笑う彼女は本当にとてもかわいかった。
人形のように整った容姿で小さいながらもかわいらしさだけではなく美しさも持っている。
これだけ整った容姿で話すことができないというのはきっといじめの対象になってしまうだろうな。
そしてそこで気付く。
「かばんどうしたんだ?」
朝は、持っていたか覚えていなかった。
あの時は細かく見ていなかったから覚えていない。
朝から持っていなかったのか?
それとも誰かに?
きょとんとした感じで彼女は首を傾げた。
「かばん、持って来てないのか?」
こくこくと彼女はうなずく。
『そ・れ・よ・り』
そう言いながら彼女は自分の後ろ、改札口のほうを指差した。
「ん?」
彼女ばかりを見ていて気付かなかったがなんだか改札の方は人がばたばたしている。
異様なほどの混雑具合だった。
朝でもここまでは混んでいない気がするのだが。
何かあったのか?
『じ・こ』
「事故?そう言えばハルが事故で電車が遅れたって言ってたか。まだその処理とかなのか?」
電光掲示板を見てみる。
『本日午前七時半ごろ、当路線の電車が横転すると言う事故が起き、現在原因の究明のため――』
「横転!?」
驚きのあまり大声を上げてしまう。
彼女はびくりと肩を震わせてぼくの方を見上げてきた。
「あぁ、すまん、驚かせてしまったか?」
『し・か・た・な・い』
そう言って彼女は苦笑いする。
「横転なんて普通起きないもんな。あぁ、それで調べてるってことか」
それで駅舎内にこんなに人があふれかえっているのか。
どうするんだ、これじゃ帰れなくなってしまうんだが。
親がいれば迎えに来てもらえばよかったけど今はいないし。
『ば・す・が・で・て・る』
「バスが出てる?あぁ、そうか、ちゃんとその辺考えてあるんだな」
帰宅できなくなる人のためにバスが出ていた。
駅別に送迎を駅側のサービスでやってくれるらしい。
定期を持っている人に限るらしいが。
「しかし、この状態じゃ帰るのもひと苦労だな」
人がごった返していて正直これではバスに乗れる気がしない。
人々は電光掲示板を見るためなのか駅員に尋ねるためなのか、改札周辺にかなり集まっていた。
「君は帰れそう?」
こくこくとうなずいた彼女は外を指差す。
「迎えが来るのか?」
当たっていたのか、えへへ、と笑った。
この状態じゃ普通そうか。
親も心配するだろう。
普段自分の子供が使っている路線で横転事故だなんて。
「ぼくもちょっとバス確認した方がいいかもしれないな」
『ま・た・あ・し・た・ね』
「そうだな。今日はこんなだしまた明日、朝が無理なら同じ時間にここで会おう」
こくりともう一度だけうなずいて彼女は手を振りながら駅舎の外へ歩いていった。
それを見送りながら、なんか、いいなぁと思ってしまう。
また明日って言うだけでこんなに幸せな気持ちになるだなんて。
単純だとは思うけど、笑みが勝手にこぼれてしまう。
電車のせいであんまり話せなかったけど、まだまだ時間はあるだろう。
明日からも会えるかもしれない。
楽しみでたまらなくなってきた。
電車の横転で大変な人たちには申し訳ないがわくわくする気持ちが抑えられないまま帰りのバスを探すために駅舎から外へ歩き出す。
うちの駅へ向かうバスはまったく混んでいなかった。
田舎ではあるのだがこんなもんかと少しほっとしながら乗り込んで今に至る。
バスで向かう家路は新鮮で窓の外をずっと眺めていた。
最近車に乗る機会もほとんどなかったし、なんだか少しわくわくしている。
さっきの少女とのことも影響しているのかもしれない。
テンションの上がったぼくは鼻歌なんか口ずさみながら過ぎ去っていく景色を見る。
そうだ、今日の晩ご飯はアズの好きな金平ゴボウと肉じゃがにしてみよう。
ぼくがうれしいときはみんなにも幸せを分けてあげたい。
喜んでくれるよな。
うん、買い物してから帰ろうか。
「ただいまー」
「あ、おかえりー」
ちょうどアズが二階から降りてきたところだった。
「買い物してきたの?」
「おぅ。金平作ろうと思ってな」
「ぉおおー、やったーっ」
「そんだけ喜んでくれると作りがいがあるよ」
「大好きだもんっ。けどどうしたの?なんか機嫌いい?」
「あー、となんつーか、一目惚れをしたのかもしれない」
「え、ついにお兄ちゃんに春が来たー!?」
「いや、会ったばっかだし春ってほどでも」
「でも女の子に興味持つのはいいことだよ。お兄ちゃんこの子たちばっかり気にしてるんだもん」
「大切な家族だし」
「アズはー?」
「もちろん大切だぞー、うりうりー」
うりゃ、と捕まえてハグしながら頭を撫で回す。
「ぅきゃーっ」
嬉しそうにアズが笑いながらその手に自分の頭を擦り付けてきた。
かわいいやつだ、ホント。
まぁ、なんと言うか他の兄妹に比べるとかなり仲が良いと昔からよく言われるぼくらだった。
「またやってんのかヨ、アホキョーダイが」
「んだよ、文句あんのかイソーロウ」
「あ、ランちゃ」
例の居候がめんどくさそうに目を細めながら愚痴をこぼす。
ホントこいつは態度もひどいし口も悪い。
ぼくがいいと言ってしまったからいるのだがそのぼくにもこの態度なわけで。
「べっつニー。キンシンソーカンはキケージがウまれっからダメなんだゼー」
「なんだよ、兄妹が仲良くするのもダメだって言いたいのかお前は」
「そんなことイってネーダロ」
独特のイントネーションで話すこいつの言葉はたまによくわからないのだが。
路頭で行き倒れし掛けていたのを拾ってしまったのだ。
さすがにアズには呆れられた。
拾い癖もいい加減にしてよね、なんて。
本人曰く『いつかデてっからカゾクじゃネーヨ。イソーロウでいんじゃネ?』とか。
家族と言うのをひたすら否定したがる変なやつ。
行き倒れていたこともあるし、もしかしたら苦労してきたやつなのかもしれない。
まぁ、しかしこの態度なんでたまにマジでイラっとすることもあるのだが。
仕事もしてないし。
「バンメシまだかー?」
「今帰ってきたばっかだよ。用意するから待ってろクソニートが」
「へーへー、マってますヨー」
「ちょっとは手伝ってもいいけどな?」
「ジョーダンじゃネーヨ」
「それこそ冗談じゃねぇっつの。ホント居候の癖になんもしないし」
「デてけっつーならデてっケドナー?」
「言わないよ。お前がいたいと思う限りここにいればいい」
「ヤサシーネ。ヘドがデるくらいヤサシーヤツだよ、コウヤは」
「アズのお兄ちゃんだからね!」
「キョーダイジマンかヨ、シスコンイモートが」
「自慢のお兄ちゃんなのです!わーい」
「だぁっ、包丁持ってるときに抱きつくな、あぶねぇ!」
「アホクセー。勝手にヤッテロ」
呆れた風なランはそのままソファの上でテレビを見始めた。
横柄でホントどうしようもない態度だけどまぁ、たまーに助かることもある。
なんだかんだで恩を感じているらしい。
あんなしゃべり方だが頭は良くてかなりの知識を持っているやつなのだ。
わからないこととかがあると聞いてみることがある。
ほとんどのことを知っている辺り、かなりの知識を有しているようだった。
ジャンルは関係なく本当にいろいろなことを知っている。
別に返してほしくてやってるわけではないけど、やっぱり嬉しくはあった。
「そーいやコウヤの乗ってる路線の電車、オーテンしたらしーナ」
「あぁ、みたいだな。逆側だったから知らなかったんだが」
「そーか。まぁ、無事でヨかったナ」
「ん。ハルは影響受けたみたいで今日は遅れてきたよ。あぁ、それについてアヤが予感があったみたいでメールしてくれたんだよ」
「アヤメかー。アイツの勘はバカにできねーからナ」
「まぁ、ハルも無事でよかったよ」
「ニュースでもヤってるナ。原因不明か。なんかアヤシーナ」
「横転なんておかしいしなー。まぁ、警察も入ってたみたいだしそのうちわかるでしょ」
「明日どーすんダ?このチョーシじゃ電車まだウゴカネーゼ?」
「マジかよ。どうしようかな。バスがまた出てくれればいいけど」
「アシタはフツーに町のバスでイったほーがよくネ?」
「そうだな、不確定な足で動くより町バスで行ったほうが確実か」
「ソーシトケ」
「おぅ。あとご飯できたぞ」
「うぃー、待ちクタビレタゼー」
そうして晩ご飯はみんながそろった。
決め事と言うわけではないが晩ご飯は基本的に全員で食べている。
ランもなんだかんだで夜はちゃんとみんなと食べていた。
行儀は悪いが。
「んじゃ、みんな。いただきます!」
「いっただっきまーすっ」
「っただきマース」
あんまり変化のない日々だけど、別に大きな変化を望んじゃいない。
けれど今日みたいな良い変化なら望むところだ。
彼女と再び話せる、それだけでこんなにわくわくできていた。
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