第3話
「オラオラ、お前の鼻を割り算しちゃうぞ」
僕の鼻につっこんだ鉛筆を左右に引っ張りながら、少年の一人が言った。
「ご、ごめんなさぁい……」
下校途中、神社に立ち寄ったら小学生三人組がいた。気づいたら囲まれてた。割り算の練習をするから財布の中身を見せろという。断ったら、ひざまずかされて鼻の穴に鉛筆突っ込まれてグリグリされてしまった。
「財布出せって言うんだよ。それとも、鉛筆じゃなくてハサミで2で割って、穴をひとつにしちゃおうか」
「だ、出しますぅぅ」
僕はカエル形のガマ口を取り出す。
それを少年の一人がひったくって中を確認する。舌打ちした。
「千円しかないよ。最近の中坊はシケてんなあ」
「千円じゃ三人で割り切れないし。明日またもってこいよ。あと二万九千円」
「えぇぇ、無理だよぉぉ」
「無理なら今の姿がみんなにさらされるけど」
そういって、一人がスマホを向けてきた。
「うわあ!」
この程度の姿ならミーちゃんに何十回とやらされているが、ほかの人とあれば話は別だ。
「抵抗したらこの場で割り算だぞ」
「ひぃぃぃ」
「ぎゃっ!」
水の音とともに、僕のものでない悲鳴を聞いた。
少年たちがびしょぬれになっていた。この寒空の下、とても冷たいだろう。
彼らが振り返ると、そこに一人の巫女さんが立っていた。
「白石さん……」
クラスメイトの白石さんだった。学年トップの成績と体育祭でクラス優勝に導いた運動能力、無口でクールだけどクマ好きというギャップをあわせもった女の子である。
今は白装束に緋袴という文句のつけようがない巫女さんスタイルだ。それはそのはず、この神社は彼女の家でもあるからだ。
今は手に木桶を持っている。桶の口からは水のしずくが垂れて、境内の丸砂利を濡らしていた。
「な、なにすん――」
白石さんが持ち替えた竹ぼうきのブラシ部分がを押し付けられ、少年の言葉を封じられた。ちくちくして痛そうだ。
「ち、ちくしょう、俺はプールに行く途中に玄関にある泥落としのチクチクにも耐えている男だぞ」
す、すごい……僕はあれ踏むといつもゾゾゾとなってしまう。少年は、竹ぼうきのチクチクにもなんとか耐えていた。
白石さんはほうきを回転させる。
ブラシのチクチクが波状を描き、少年の皮膚を刺激する。
「うぐぐ、な、なんの。こんなもの、爪の間にシャーペンの芯が刺さって途中で折れちゃったときの痛みに比べれば――」
な、なんて猛者なんだ! 僕ならそんな恐怖と苦痛に耐えられない!
と、白石さんはさらに、ほうきを小刻みに震えさせる。顔のみならず少年の全身を撫で回した。
「な、なんだ……この、こそばゆくもいじらしい感触は――あ、ああ――あ、あっふぅ」
息を漏らすと同時に、少年は倒れた。天にも昇るような幸福に満ちた表情。
なんという北風と太陽。痛みを与えつつ、とどめは微妙なタッチの振動を与えることで少年に未体験の感覚を与え、昇天させてしまった。
「ち、ちくしょう、覚えてやがれ!」
リーダーを失ったほかの少年たちは、倒れた彼を支えながら逃げていく。
白石さんは彼らを見送り、息を吐いた。
僕を見る。
手を鼻の前で上下させるしぐさをした。なんだろう。鼻ちょうちんぴゅー?
僕も鼻に手をやろうとして、気づいた。
鉛筆刺さったまま。
「――っ!」
あわてて引き抜くと、鼻水がみょーんと伸びた。
「わっ」
ブッ。
驚いた拍子におなら出ちゃった!
「…………」
彼女はなぜかうなずいたあと、何も言わず去っていく。
ああ!
絶対に嫌われたよ!
小学生にカツアゲされて、鼻から鉛筆ぶらさげて、鼻水伸ばしたと思ったら、放屁するなんて!
最低だ……。
僕は、彼女の後姿を見守ることしかできなかった。
肩まで伸ばされたとび色の髪、細くしなやかな手、そして袴に包まれた控えめなふくらみーーなんて素敵な腰つき――って何を考えてるんだ僕は! そうじゃなくて、僕が気づいたのは、袴に差し込まれていたクマのぬいぐるみのほうだった。うらやましいから――でなく、昨日のことを思い出したのだ。
実は昨日、彼女のクマのぬいぐるみを拾っていた。もちろん彼女が今持っているものとは別のものだ。きっとクマが好きなんだろう。ぬいぐるみに限らず、彼女はさりげなくいろんなクマグッズを持っている。特に昨日のぬいぐるみはかなり年季が入っていた。「クマ吉くん」という名前の刺繍まで入っていた。大事なものだったんだろう。今日はそれを返しにきたはずだった。
それが小学生にカツアゲされ、鼻水伸ばしたと思ったら放屁する始末。
いったい僕が何をしたっていうんですか、神様。
それとも自分のところの巫女さんに悪い虫がつかないよう、さりげなく凶運でも送ってきてるんでしょうか。
「はぁ」
うつむくと、千円札のはみ出たがま口が落ちていた。僕の全財産だ。あの少年が落として行ったのだろう。
今はそれを拾うのも、みじめな気がした。どうせ取られかけたお金だ。この際ここに捨てておいたほうが、潔くはないだろうか。千円だけど。
――あ、そうだ。
ふと思いついて、僕は千円を手に、賽銭箱の前に立った。
「神様。僕の全財産をお供えします」
千円を賽銭箱の中に放る。乾いた音を立てて、紙幣が暗い箱の中に消えていった。
「お願いします。僕は、強くなりたいです。そして彼女――白石かぐらさんに好きになってもらいたいです」
ふいに、彼女のクマのことを思った。あんなに大事そうにされていて、さぞ本望だろう。
僕もあんなふうに思われたい。
その瞬間、まばゆい光に包まれた。
社が光り、どこからともなく声が聞こえた。
”その願い、叶えてしんぜよう――”
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