第68話 金曜日は解放(1)



翌朝、目を開けると見慣れた天井だった。

深夜に帰って来た俺は、そのままお風呂にも入らずに寝てしまったようだ。


脱いだスーツは、床に転がってる。

紙袋は、制服を入れたままだ。


疲れているのか?


身体は何ともない。

眠気はあるが、至って健康だ。

でも、何故だか肩が痛い気がする。


そうなると疲れてるのは精神か……


もう少し寝ていたい欲求を払い除け、俺は無理やりベッドで上半身を立ち上がらせた。

頭を2〜3回横に振って、覚醒を促す。


俺は起き上がって脱ぎ捨ててあったスーツとズボン、そして紙袋にしまってある制服をハンガーにかける。


シワになってしまったが、これくらいは問題がないだろう。

スマホはスーツのポケットに入れたままだ。

ポケットに入っているものを外に出しておく。

名刺が数枚出てきた。


スマホカバーを開けると何件か連絡が入っていた。

緊急の要件では無さそうなので、返信はあとでしようと思う。


俺は、軽装に着替えて顔を洗いに行く。

既に、雫姉が起きてるようでキッチン方面から良い匂いが漂ってきてた。

俺は玄関を出て屋敷の周囲を走る。

珍しく穂乃果が俺を待っていて一緒に走る事になった。


「おはようございます」

「ああ、おはよう。俺と一緒に走るなんて珍しいな」

「いいえ、いつも気配を消して後から付いて走っていましたが?」


ええーー!そうだったのか?

今まで全然、気づかなかったぞ。

マジ、樫藤流って凄いな。


「ああ、気付いてたけど今朝は俺の前に姿を現しただろう。それを珍しいと言ったんだ」


この場はこう言っておこう。


「そうでありましたか、失礼しました」

「今日は神崎が泊まりに来るのだろう?後で顔を出すよ」

「はい、お待ちしております……その……あの事なのですが……」

「うん、うん、理解してるぞ」

「そうですか、では、今夜にでも」

「待て待て、今夜は神崎が泊まりに来るのだろう?それはマズい」

「大丈夫です。睡眠薬を入れて寝かせますので」


ちょっと待て、友達に睡眠薬を盛るな!


「いや、その必要はない。俺は日曜日が終わるまで忙しい。こういう事は気持ちがリラックスしてた方がいい」


「はっ、そういえば殿方は気持ちで役に立たなくなると聞き及んでおります。そういう事なのですね?」


「違うがそうとも言える」

「わかりました。では、来週とのことで」

「ああ、それで構わない」


朝っぱらからなんて会話してるんだか。

穂乃果は平然としてるし、元々顔の表情が読みづらい。

あの時は流れでそう言ってしまったが、落ち着いて考えるといろいろマズい。

ここは、しばらく誤魔化すしかない。


ランニングが終わり、その後軽く穂乃果と立ち合い稽古をした。

その後で浴びたシャワーは2人別々だった。





ちびっ子達の合宿が終わり、藤宮家別邸では平穏な日常に戻っている。

珠美は、雫姉が送り迎えしてくれるそうだ。


俺は制服に着替えて、家を出る。

メイの奴、俺がいるからって起きてこなかった。

まだ、寝てるのだろう。


メイにはいろいろ聞かなければならない事がある。

今夜は一緒に学園に行き監視システムの構築をする予定だ。


今夜は徹夜作業になるから寝溜めしてるのか、あいつ……


駅前で偶然、沙希と出会う。

俺を見て少しムッとしていた。


「おはよう、後輩」

「先輩でしたか、ゾウリムシかと思いました」


かなり怒ってるみたいだが、なんでだ?


「そうそう、15度から25度くらいが適温らしいですよ」

「それは、なにかの実験か?」

「繁殖の適温です」

「…………」


かなりの怒り度だ。80度くらいかな?


「ゾウリムシが繁殖するように妹を増産するのはどうかと思いますけど?」


沙希がそんな事を心配する必要はないと思うのだが。

俺の実の妹と知られているなら別だが……


「仕方ない場合もあるんだ」


「ええ、そうみたいですね。莉音ちゃんから聞きました。北キュウシュウで出会ったって。事情があるにせよ普通、出会ったからといって妹にしますかね、ほんと、先輩はゾウリムシです」


「…………」


怒り度120は超えてるな……


「もし、先輩の本当の妹がいたら悲しむでしょうね!」


沙希は知らないはずだよな……


その日の沙希は、こんな調子で文句を言いっぱなしだった。

こんな時は黙って聞くに限る。

下手に喋れば、火に油を注ぐことになる。


沙希との通学は、俺のメルタルがゴリゴリ削られていくのだった。





校舎に入ると下駄箱のところで声をかけられた。

知らない男性だ。


「東藤だな、ちょっと付き合え」


有無を言わせずに俺を人気のない場所に連れて行く。

スポーツマンタイプで、ガタイもいい。

それに、先輩みたいだ。


連れて行かされた場所は特別棟の裏手だった。

ここなら、滅多に人も来ない。


急に立ち止まって振り返り、そして俺に尋ねた。


「この間、生徒会長と一緒だったようだな。何でお前が白金と話す理由がある?」


生徒会長のファンなのか?

でも、それはこいつには関係ないことだ。


「会長の補佐をしてほしいと頼まれた。断ったのだが、なかなか折れてくれないので期限付きの条件で了解した。それが理由だ」


「くっ、なんでお前みたいな奴が会長の補佐をするんだ。おい、答えろ!」


「それは生徒会長に聞いてくれ、俺はできればやりたくない」


「こいつ、生意気なっ!」


そう言って殴りかかってくる。

俺は、急所をずらし当たる瞬間に衝撃を吸収する動作をする。

そして、派手に殴られて吹き飛ぶ演技をした。


「これは忠告だ!会長には近づくな。わかったな!」


その男は、そのまま帰って行く。

俺は立ち上がり、制服に着いた汚れを落とす。

相手を負かすのは簡単だが、それでは遺恨が残る。

理不尽だとわかっていても受け入れることにした。


今日は朝から沙希に嫌味を言われ、学校に着いたそうそう先輩に殴られた。


散々な日だな……


殴られた頬は、痛みはあるが酷い状態ではない。

全く男の嫉妬は醜いものだ。


俺は自分のクラスに行き、席に座る。

何故だか、鈴谷が他の女子と一緒にはしゃいでるでる。

昨夜、あんな事があったのにタフな奴だ。


すると、鴨志田さんが鈴谷達女子のところから俺のところにやってきた。

何やら興奮している様子だ。

嫌な予感がするので俺から挨拶をした。


「おはよう」

「う、うん、おはよう。少し話があるんだけどいいよね?」


有無を言わせずに了承を得るやり方はさっきの先輩のようだ。


「ああ、で、なんだ?」

「1時間目の休み時間、あの空き教室に来て」


そう小声で話して、鈴谷達のところに行ってしまった。


あの様子からすると、少し怒ってる気がする。


はあ、今日は厄日なのか?


俺は、そんな事を考えながら1時間目の授業を受けた。





1時間目の休み時間、僅か10分しかない貴重な時間を俺と話す為に、費やす事は無いと思うのだが、目の前にいる鴨志田さんはそう思ってないようだ。


「東藤君、その頬どうしたの?紅くなってるよ」

「見知らぬ先輩に殴られた」

「えっ、大丈夫なの?」

「ああ、大した事はない。それより話というのは?」


鴨志田さんの表情は、言い出し辛そうな感じも受けるが強い意志も持ってる感じで話し出した。


「昨夜、羅維華ちゃんとシンジュクで会ったって聞いたわ」


「ああ、たまたま通りかかったらたちの悪そうな大学生達に言い寄られていたんで少し介入しただけだ」


「やはり、東藤君だったのね。とにかくお礼を言うわ。羅維華ちゃんを助けてくれてありがとう」


「そんな事は気にしなくて構わないが、何故鴨志田さんが礼を言うんだ?」


「それは、羅維華ちゃんは友達だからだよ。それに今の姿の東藤君と眼鏡を外した東藤君を知ってるのは私だけだから」


「そうか……」


「それでね。私、少し不安になったの。東藤君って女の子の気持ちってわかってる?」


どういう意味だろう?

女子だけでなく男子でさえ、人の気持ちなど本人以外はわからないだろうに……


「気持ちというのは本人以外はわからないだろう?」


「そうだけど、そういう意味じゃないの。羅維華ちゃんもそうだけど、私だって、東藤君のこと……」


その時『ガラッ』と空き教室のドアが開いた。

入って来たのは、この学園の教師だ。


「あなた達、ここでなにしてるの?ここは関係者以外立ち入り禁止よ」


見た事はあるが、何の教科を受け持ってるのかは知らない。


「あ、すみません、少し混み入った話があったものですから」

「でも、規則は規則ですから、早く教室に戻りなさい」


「「はい」」


俺と鴨志田さんは話が途中のまま、その空き教室を出た。

その女性教師は、そんな俺達を見続けている。


「さっきの話だが〜〜」

「うん、そうね、今度きちんと話そう」

「わかった」


何を言おうとしたのか薄々はわかっている。

だが、俺にはそれに応える事はできないだろう。


俺に関われば、平穏な暮らしは、まずできない。

そんな男と一緒にいても辛くなるだけだ。


これが勘違いであればいいのだが……


俺はそんな風に思っていた。


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