第25話 2人のいる場所
カラオケ店でメイの例え話を聞いて、日本で育った女子高生と女子中学生は、その過酷な境遇を1ミリたりとも理解できなかった。
恐らく想像はできる。
だが、体験してこそ理解ができる。
その前提条件である体験が想像の範囲でしか理解できないのだ。
だから、1ミリも理解が及ばない。
静まりかえった室内では隣の部屋の下手な歌が聞こえてくる。
配膳された料理は冷めてしまった。
ジュースに入ってる氷は水となり、ジュース部分に浸潤している。
沙希は確信していた。
東藤和輝が神宮司和輝だと。
でも、次の一手が打てない。
もし、間違った手を打てば全てが消え去ってしまう気がしてた。
動けないままの状態が襲いかかる。
荒波に向かう漁師なら必死に漕げば、海は答えてくれるかも知れない。
でも、答えてくれなかったなら『死』しか待っていない。
沙希は、大量に入ってきた情報を処理できぬままその場に茫然とするしか無かった。
「それって、その男の子は沙希のお兄さんって事だよね」
突然の瑠美の言葉。
その質問は愚問だ。
最短距離の答えを導く為に、全てを台無しにする可能性がある。
「私は例え話をしたネ。その質問には答えられないヨ」
「でも、そう言う事でしょう?メイさんが言った事って……」
「瑠美、ごめん。黙っててくれないかな?」
「えっ……う、うん」
「瑠美ちゃん、そう言う話じゃないのよ。もし、東藤君が沙希ちゃんのお兄さんだとして、お兄さんは沙希ちゃんのことわかっているの。でも、名乗れない事情があるのよ。その事情をメイさんがお話ししてくれたの」
「でも、それって……」
「メイさんの例え話で、その女の子は感情を失くす程、人を殺してたのよ。その男の子もそうだと言ってたわ。もし、日本で多くの人を殺した殺人犯が、自分の家族に堂々と会えると思う?家族は気にしないかもしれない。でも、本人にとって、その家族に会う事はどれほど苦悩するか私では考えも及ばないわ。だから、お互い会えて良かったって素直な気持ちになれないよ。もし、会えて名乗りをあげたら、その殺人犯は、きっと何処かに行ってしまうと思うわ。そして、二度と会う事はできないでしょうね」
「そんなぁ〜〜だって、誰も悪くないじゃん。自分で望んでそうなった訳でもないんだし。目の前にお互い探してた相手がいるのよ。何でハッピーエンドにならないの?おかしいよね?」
「瑠美ちゃんはそう思うのね。でも、実際はそうならないわ。もしその可能性があるなら沙希ちゃんがお兄さんのいる世界に行かないといけない。お兄さんはもう、表も世界に戻る事ができないんだもの。沙希ちゃんが行くしかないわ。でも、それはメイさんが話してくれた想像を絶する過酷な世界よ。人も殺さないといけない。そんな世界に足を踏み入れなければ混ざり合う事なんてできないわ。だから、その男の子とメイさんは相手を自分の命だと言えるんだと思う。私達には理解できない言動だよ。そして、もし沙希ちゃんがその世界に足を踏み込んだらきっとお兄さんは自分を責めるわ。自分のせいで大事な妹をその世界に入れてしまったってね。だから、メイさんの話は、決して2人は混ざらない。そう、メイさんが話してくれたのよ」
「だって、だって、それじゃあ沙希が……せっかく会えたのに、沙希の12年が〜〜、わ〜〜〜〜」
瑠美は、悲しくて、切なくて大きな声を上げて泣き叫んだ。
そして、黙って考えていた沙希は、その思いを言葉にする。
「わかりました。私は待ちます。お兄ちゃんが自分から名乗ってくれるまで。今まで待ってたんですから何年も待ちます。そして、その男の子の心がいつか癒えたなら、私は男の子を抱きしめたいです」
沙希の下した決断は、前向きな撤退であった。
◆
メイは遅くに帰ってきた。
俺と目を合わすのを躊躇ってるようだ。
「メイ、何かあったのか?」
「ううん、グーグ、ちょっといい?」
メイは、いきなり抱きついてきた。
髪の毛が少し湿っぽい。
お互いの心臓の鼓動が合う。
『ドクン、ドクン』と響き合う音はいつの間にかひとつになり、そのテンポもゆっくりとなっていく。
メイは、昔から不安になると抱っこをせがむ子供のように俺に抱きついてきた。
俺もメイを抱きしめていると自分が生きてるって事を再確認できた。
俺とメイは似ている。
1人の母体から産まれた双子のようだ。
「メイ、お風呂に入ってくるといいぞ」
「グーグも一緒なら入る」
「俺は入ったんだけど?」
「なら、メイは入らない」
流暢な日本語で話すメイは、不安に押し潰されそうな時だ。
なら、俺にできる事は……
「仕方ない妹だ。一緒に入るか?」
「うん!」
俺は本日2度目の湯浴みとなった。
しばらく見ていなかったが、メイの身体は女性らしさが増していた。
ガラガラに痩せた肉体に最低限の筋肉を持ってたメイは、丸みを帯び胸もふくよかな膨らみをみせている。
「随分、女性らしくなったな」
「グーグは、無駄な脂肪がついたよ」
「ねえ、グーグ。メイを女として見れる?」
「いつもそう思ってたけど、どうして?」
「だって、反応してない」
「時と場合による。男の心は繊細で複雑なんだぞ」
「なら、大きくして」
「大切な妹と一緒にお風呂に入って反応してたら失礼だろう?」
「そうなの?」
「と言うのは嘘だ。こいつは自然と反応する」
「じゃあ、何で?」
「そういう風にコントロールされた。メイと会う昔」
「それならわかる」
「しかし、どうしたんだ?興味は無かったのに」
「メイも年頃になった。赤ちゃんも産める」
「そうか、可愛いメイは女になったのか、お兄ちゃんは少し寂しいよ」
「そうじゃない。でも、それもいい」
俺とメイはどんな形で死ぬのだろうか?
死と隣り合わせだった生活は、そんな事を考える事もなかった。
「メイ、髪の毛は自分で洗えよ。俺は、これだから」
ビニールに包まれた両手を上げて見せる。
「わかった。メイも子供じゃない。自分で洗える」
シャンプーをつけて髪をゴシゴシしてる。
力が入りすぎじゃないか?
「メイも、もっと優しく洗わないとダメだよ。せっかく綺麗な黒髪なんだから」
「やはり、グーグが洗って?」
「仕方がない」
俺はビニールに包まれた手で丁寧に髪を洗う。
メイは気持ち良さそうな顔をしてた。
「ねえ、今日だけ一緒に寝てもいい?」
「わかった。でも、抱き枕がわりにするなよ。お前は寝相が悪いしな」
「グーグは死刑、今。決めた」
今日2度目の洗髪。
この手でもなんとか洗えるものだ。
俺とメイは湯船に浸かり、今日あった事を湯に溶かした。
そして、俺達は湯から上がり、着替えをして同じベッドで朝までゆっくりと寝て過ごした。
◆
〜神宮司沙希〜
私は家に帰ると、お手伝いのお佳代さんが造り置きした冷めた料理を口に含んだ。
結局、カラオケ店では何も食べないままだった。
お腹が空いてるわけではない。
何かしてないと、どうにかなってしまいそうだからだ。
食べると胃腸が働き始める。
消化をしようと血液が集まり出す。
身体の体温が上がり始め、喉が乾いてくる。
私は冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに入れて一気に飲んだ。
そして、自分の部屋に向かい制服からパジャマに着替えてベッドに横になる。
シャワーは朝、浴びよう。
今日は、このまま眠りたい。
眼を閉じると、メイさんが言ってた男の子の姿が浮かぶ。
小さな身体で必死の生きていこうとする強い生命力。
もう、この世界ではお兄ちゃんに会えないと思ってた。
偶然、電車で助けられて気になっていた男の人。
寡黙だけど、優しい雰囲気を持ってる。
暗いけど、自分にも他人にも正直な人だ。
そんなイメージの東藤先輩。
それが、まさかお兄ちゃんだったなんて……
自分でもよくわからない。
だって、勝手に心がそうかもって言ってたんだもの。
可能性は極めて低い。
同名の人で似たような男の人などたくさんいただろう。
でも、なぜか東藤先輩が気になった。
理屈じゃない。
運命としか言いようがない。
私の想像の中のお兄ちゃんは、汗をかいてもハンカチを使わず服の袖で拭う。
少しワイルドでカッコいい。
でも、実際のお兄ちゃんは繊細で臆病な人だ。
相手の気持ちがわからない場合、何もできずに立ち止まる。
そして、そんな自分を許せなくて責める。
私には、3歳だったからお兄ちゃんの実際の行動とかよく覚えていない。
ただ、よく頭を撫でてくれたのは覚えている。
それからはイメージの世界のお兄ちゃんだ。
カッコよくて、ワイルドで優しい。
今日、東藤和輝先輩と会って少し似てると思った。
勿論、イメージ像のお兄ちゃんにだ。
こんな不安な気持ちの時は抱きしめてもらいたい。
「お兄ちゃん……」
声を出して呼んでしまった。
メイさんと別れて色々考えた。
多分、鴨志田先輩の言った通り、今、名乗りを上げてしまえばお兄ちゃんはどこかに行ってしまうだろう。
なら、名乗りを上げないでそばにいる事はできるのではないか……と
そして、お母さんに一緒に会うのだ。
お母さんの具合は良くなって、また、家族4人で暮らせる。
そうなれば良いのに……
そうだ、姓名が違うのはだから結婚できるのでは?
そうすれば名乗りを上げないでもいつも一緒にいられる。
そして、お兄ちゃんに抱かれて……私は……
ダメだよ。
なんで私は自分に都合の良い事を考えるの?
でも、お互い知らない振りをしてる状態で恋人みたいにお付き合いしたら……
学校の門のところで待ち合わせして、一緒に帰ったり、腕を組んで並木道を歩いてみたい。
あ〜〜どうしてあれだけの事があったのに私の脳味噌は自分勝手なの?
全て都合の良い妄想だ。
脳味噌が、現実に耐えられなくて幻覚を見せてるのかも。
もう、どうしようもない状態なんだよ。
だけど、ひとつだけ思いが叶った。
お兄ちゃん、生きててくれてありがとう。大好きです……
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