第13話 人の優しさ



 俺は、夜風に当たりながら昔住んでいた家の前に来ていた。

 神宮司という表札を見ると胸に痛みが走る。

 インターホンを押すわけでもなく、ましてや家族に再開して名乗りをあげようとも思ってはいない。


 ただ、懐かしく足がここに向いてしまっただけだ。

 車庫には国産セダンの車が止まっている。

 門の奥には庭があり芝生が生えていた。


「よくあの芝生のところで遊んだっけ……」


 俺は、ここにずっといるわけにもいかず通り過ぎて近くの公園にやって来た。

 空いているベンチに座り周りを見渡す。

 この公園でも妹の沙希と一緒に砂遊びをした記憶がある。


「ストーカーって、こんな気持ちなのだろうか?」


 俺は、遠目でもいいから家族を一眼見たかった。

 その気持ちがストーカーに似ている気がする。


 この間、沙希に会ってから何だか変だ。

 それに珠美のような純粋な心に接すると気持ちがざわめく。

 一年前、ユリアに頼んで今年の3月中旬に日本に来た。

 当時、ユリアも賛成してくれたけど、俺が新しい戸籍が欲しいと言ったら悲しそうな顔をしていた。

 ユリアは、昔の伝手を使って戸籍を用意してくれた。

 その伝手が紫藤さんだ。

 東南アジアの戦場で共同任務に当たったらしい。

 その時、一つの麻薬密売ルートが消えた。


 沙希に会うまでは、家に来ようとは思いもしなかった。

 元の家族と俺は決して混ざることのない液体同士だと思ってたから。


 しかし、今は理由はわからないが足が勝手にこの家に向かっていた。


 午前中に買ったハンドスピナーを手で回しながらそんな事を考えていた。


「このままでは何も出来ない役立たずの俺になってしまう」


 聡美姉の報告を聞いて、今日、俺ができる事はたくさんあった。

 マネージャーの蓼科さんの違和感を追求していれば……

 リリカに会ったときの強気な態度とか気になっていた点は山ほどある。


 途中で聡美姉に報告して、結局聡美姉がある程度調べてくれたのだが、俺自身がこんな気持ちじゃなかったら全部出来たはずだ。


 ユリアに知られたらバックドロップからの四の字固めをくらってただろう。


「俺は日本に来て鈍ってるんだ。ぬるい環境の中で当時の野生じみた危機感が消えかかっている」


 俺は自分をそう分析していた。


 だけど、弱くなっても良いのかもしれない。

 このまま日本で暮らすのなら……


 日本は思った以上に平穏な国だった。

 ユリアと一緒に世界を行き来してたから特にそう思う。


 ダメだ。

 俺はもう戻れないんだ。

 この手で何人も人を殺している。

 そんな人間が普通の人間に戻れるはずがない。


 そんな葛藤が心の中で交差する。


 手に持ったハンドスピナーはまだ回っていた。


「百合子はまだ持っているだろうか、俺のあげたハンドスピナーを……」


 曇って星が見えない夜空を俺は見上げてそう思っていた。





 翌朝、いつもの時間に目が覚めて作務衣に着替えて稽古場に来ていた。

 ぬるくなった自分を戒める為だ。


 素振りをする前に座禅を組んで瞑想する。

 呼吸を整え、体内の気を身体中に巡らせる。


 身体がポカポカしてくる。

 少し汗ばんできたところで、俺は目を開けて木刀を握った。


 素振りをしてると聡美姉がやってきた。


「カズ君、私が相手になってあげる」


「いいのか?戦闘は嫌いじゃなかったのか?」


「少しは身体を動かさないと鈍るでしょう?勘を取り戻す為に時々雫ちゃんと稽古してるんだよ。きっとカズ君もでしょう?」


 そう言って聡美姉は木刀を握った。

 構えは中段の構え。


 思った通り、幼い頃から鍛えているだけはある。

 隙が全然見当たらない。


 だが、隙がなければ俺が隙を見せて攻撃させればいい。


 俺は、一瞬で間合いを詰めた。

 思ってた通り聡美姉は俺の隙を見つけて木刀を振り下ろす。


 だが、振り下ろした先には俺はいない。聡美姉の背後に既に回り込んでいる。

 首に木刀を寸止めさせる。


「まいった。カズ君、全然見えなかったよ」


「聡美姉も隙が全然なかったよ。随分、厳しい鍛錬を積んだんだね。よくわかるよ」


「……うん。でもね、私警護官失格なんだ」


「‥‥何かあったみたいだね」


「カズ君に聞いて欲しいんだけど、まだ勇気が出ないんだ」


「話せる時が来たらでいいよ。そういう事は俺にもあるから」


「うん、わかった。もう一回しよう。さっきみたいな一瞬じゃなくってカズ君と打合い稽古してみたい」


「わかった、急所は狙わず木刀に攻撃するよ」


「カズ君とレベルが合わなくてごめんね。でも、一緒に汗をかきたいんだ」


「俺もそんな気分だよ。いくよ聡美姉」


「へい、よろこんで」


 俺と聡美姉は、稽古場で1時間ほど汗を流した。





 聡美姉との稽古が終わり、俺は道場稽古場にあるシャワー室で汗を流した。

 聡美姉は、一緒に入ろう、って言ってたけど丁重に断って大浴場でお風呂に入ってるはずだ。


 着替えを持ってくるのを忘れてたため、汗まみれになった下着や作務衣を着る気にもなれず備え付けのバスタオルを腰に巻いて屋敷に入ると、リリカがちょうど起きてきた。


『キャッーー!!』


 屋敷のロビーに響くリリカの悲鳴。

 何事かと雫姉が駆けつけてきた。

 俺を指差して『あわあわ』してるリリカとバスタオル一枚の俺を見て雫姉は状況を理解したようだ。


「はあ、そういう事ですね。気をつけてください。ここには珠美ちゃんもいるのですから」


 確かに教育には良くなかったと思う。

 反省……


 そう言いながら薄めを開けて俺を見る雫姉とリリカ。

 二人は似てるのかもしれない。


 俺は自室に行って着替えを済ませる。

 部屋を出ると珠美も起きたみたいで眼を擦りながら俺を見て呟いた。


「おはよう、カズキお兄ちゃん、元気になってよかったね」


 珠美の言葉で俺は気付いた。

 聡美姉は、俺の為に稽古を……


 他人の気持ちなど考える余裕のなかった俺は人の優しさが向けられても気付かない鈍感な男だ。


 そんな俺に聡美姉は……


「おはよう、珠美。ありがとうな」


「え、何で?」


「何でもさ。珠美に無性にお礼が言いたくなっただけだ」


「ふ〜〜ん、じゃあ今度、髪の毛洗ってくれる?」


「わかった。今夜は無理だけど約束するよ」


「やったーー。わ〜〜い」


 そんな事で喜んでくれるなんて……


 俺はもっといろいろな事を吸収しなければいけないのかもしれない。





「美味しい〜〜」


 リリカは雫姉の作ってくれたオムレツを口に含んで舌鼓を打っていた。

 俺の隣で珠美は、フォークでプチトマトを刺そうと悪戦苦闘している。

 さっきまでリリカに会ってキャーキャー言いながら喜んでいたのが嘘みたいだ。


「今日のリリカちゃんの予定は?」


 聡美姉が聞いてきた。


「今日はお昼のテレビ番組に出るから、ここを9時過ぎに出れば間に合う」


「じゃあ、テレビ局まで私が送って行くよ。他に用もあるし」


「いいのか?」


「その方がリリカちゃんも安心するでしょう?」


 俺と聡美姉が話しているとリリカが


「あの〜〜私の家に寄ってもらってもいいですか?着替えとかあるし……」


 そう言えば着の身着のままここにリリカを連れてきてしまった。


「私の服貸そうか?」


「え〜〜と、多分サイズが合わないかと……胸が……」


 リリカは自分でそう言って落ち込んでいた。


「確かにリリカと聡美姉は胸のサイズが……」


「あんた、本当にデリカシーがないわね。そこはスルーする事案でしょうが!」


 リリカよ、本当の事を言ったのに何故怒る?


「わかったわ。カズ君、女の子にそういう事はタブーよ。気をつけないと刺されるよ。行きにリリカちゃん家に寄って行こう。その時、盗聴器も調べてあげるね」


「ありがとうございます。聡美さん。本当に聡美さんは綺麗で優しいですね。それに雫さんも綺麗で家事もできるのがポイント高いです。珠美ちゃんもすっごく可愛いし、あんたがいなければここに住みたいくらいよ」


「気にしないで住んでくれてもいいわよ」


「本当ですか?お風呂も素敵だし、こんな立派なお屋敷に住めるなんて夢のようです。でも、辞めときます。こいつがいるし……」


 酷い言われようだ。


「え〜〜カズ君、優しいよ。良い子だよ」


「……それだけは聡美さんと見解の相違です。それに男子と住んでるなんてマスコミに知られたらアウトですし」


 すると雫姉が


「カズキ様はサブマネージャーですから、マネージャーと住んでいる芸能人の方も多いのではありませんか?」


「でも、こいつですし‥‥残念だけど諦めます。本当に残念ですけど」


 俺が邪魔みたいだな。


「じゃあ俺が前のアパートに住もうか?」


「あ、カズ君、あそこもう解約しちゃった。てへ」


 そう言えば、荷物が自室にあったっけ。

 そういう事か……


 話を聞いていたのか、珠美がリリカに話しかけた。


「リリカちゃん一緒に住もうよ」


「ごめんね。珠美ちゃん、お姉ちゃんどうしてもこいつがいるから住めないのよ」


「え〜〜ダメなの?」


「ごめんね。今度珠美ちゃんにコンサートチケットあげるから許してね」


「やったーーコンサート行きたい」


 子供の扱いがうまいな、こいつ……


「じゃあ、リリカちゃん家に寄るから8時半に家を出ようか」


 聡美姉は出かける時間を少し早めた。


「あと30分しかないけど?」


 俺の言葉でみんなは朝食を食べるスピードが上がった。


 食事はよく噛まないと……



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