第7話 再会



 朝の鍛錬が終わり、雫姉しずくねえの豪華な朝食を頂いた後、最寄り駅まで車で送ってもらった。

 その駅は、俺が以前、日本で暮していた時に利用していた駅だった。


 5歳迄しか日本で暮していなかった俺は、1人でこの駅を利用したことがない。記憶は曖昧だが懐かしい気持ちになる。


 人混みの中、改札を通ってホームに出ると電車を待つ人達がいる。

 電車が丁度来たので乗り込むと、慌てて走って来て飛び乗った少女がいた。


 俺の目の前で息を切らして落ち着こうとするその少女は、制服のスカートの端がドアに挟まっている。

 その事に気づいた少女は、慌てて引っ張っているが荷物を持っている為上手くいかないようだ。

 俺は、見かねて声をかけた。


「ドアを横に押して隙間を作るからその間に抜いてみて」


「えっ、あ、すみません」


 走行中のドアは開くはずもないが、両サイドにドアを押せば少しは隙間ができるのでは?と思ったが上手くはいかない。今度は、スカートが挟まってる黒いゴムの部分手を入れて隙間を開けたら、少女も自分のスカートを手に持って引いてくれたおかげで何とか無事にスカートを引き抜けた。


 僅かな部分しか挟まれて無かったのが幸いだった。


「あ、ありがとうございます」

「ああ、礼はいいよ」

「あの〜〜その制服、高等部の方ですか?」


 俺が着ていた制服と似ている制服を少女も着ている。


「私、同じ学校の中等部の三年です」


 確か、同じ敷地内に隣接する中等部も少女が着ている制服だ。

 そう少女に言われて、俺は視界にチラチラと写っていた顔を直視した。



 まさか、沙希さきか……



 記憶にある沙希は3歳のままだ。

 あの沙希が成長したなら、こんな少女になっていてもおかしくない。

 どこか当時の面影がある。


 だが、この少女が沙希だとは限らない。

 成長した沙希の姿は知らないからだ。

 俺の思い違いだ。

 きっと、そうだ。


 妹の神宮司沙希じんぐうじさきは、俺が襲われた客船には乗っていなかった。

 当初は一緒に行くはずだったが、出発前に風邪をひいたからだ。

『行きたい』と駄々をこねる沙希をお土産を買って来るからと宥めて、落ち着かせた。

 でも、沙希にとってはそれが幸いだった。

 あの事件を回避できたのだから。


「そうみたいだな。俺は高等部の二年だ」

「先輩ですね」

「後輩だな」


 1ヶ月半前の4月に今の緑扇館りょくおうかん高校に転入してから、一度だけ中等部の校舎に行ったことがある。目的は沙希を遠目からでも見たかったからだ。

 だが、その時は多くの生徒の中で沙希を見つける事は出来なかった。


 俺は今まで学校という場所に行った事がなかったので、学校に馴染むまで余裕がなかった。だから沙希の件は後回しになっていた。


 俺は目の前の少女を恐る恐る観察する。

 肩まで伸びて手入れの行き届いた栗色の髪。


 母さんの髪の色と似ている……


 くるっとした大きな瞳。

 長い睫毛。

 小さい顔に潤んだ唇。


 肩からかけているのは学校指定のバッグ。

 運動部に所属しているのか、手にはラケットを入れたバッグを持っている。

 テニス……いや、これはバトミントンか……


「先輩、どうかしましたか?」

「な、何でもない」


 透明感のある綺麗な声。

 俺の記憶の中の沙希と当てはまらない。


 沙希ではないかもしれない……


 名前を尋ねる勇気のない俺は、目の前の少女に記憶の中の沙希の面影を探していた。


 電車が『ガタン』と揺れ、手に持っていた少女のラケットケースの裏側が見えた。


『…………あ』


 そこには、アルファベットで『SAKI』と書かれている。




「あの〜〜先輩、どうして泣いているんですか?」


「えっ!?」


 涙など当の昔に枯れていた。

 賢ちゃん(白鴎院賢一郎)と一緒に拉致されて、二人でどれだけ『帰りたい』と泣いただろう。

 騒げば殺される、そんな暮らしの中で声を抑えて二人で泣いていた。


 気がつけば、俺も賢ちゃんも涙の代わりに血が出るようになっていた。


 そんな俺が涙を流しているだと?


 俺は手を頬からそっと目に移動させた。

 そして、少し濡れた手をジッと見つめる。


 頬に伝わる水滴の感触さえ忘れていた俺に、この出来事は異常そのものだった。


「先輩、どこか具合が悪いんじゃないですか?大丈夫ですか?」


 沙希の綺麗な声が聞こえる。

 俺の意識は真っ白だった。


 この胸の痛みは何なんだ。

 内から湧き上がる身体の熱はどこからきている?

 訳が分からなくて気持ち悪い。

 今朝食べた朝食が胃から逆流しそうだ。

 それに目の前の少女に抱きつきたい衝動が抑えられない。


「……お、俺は……」


 その時、電車が止まった。

 乗り換えをするターミナル駅に到着したようだ。


「先輩?」


 俺はハッとして、意識を取り戻した。

 電車のドアが開くと同時に、俺は人をかき分けてその場から逃げるように立ち去った。


『ダメだ、ダメだ!俺が沙希と会ってはいけないんだ』


 俺は、走るように人混みの中を進んだ。



『俺は……俺は……』





「おはよう沙希、どうしたの?浮かない顔して」


「あ、瑠美ちゃんおはよう」


 二人の少女は学校までの続く並木道を歩いていた。


「あのさ、男の人が泣くってどういう意味があると思う?」


「えっ、何、どういう事?」


「私が瑠美ちゃんに聞いてるんだけど」


「う〜〜ん、そうだよね。状況にもよるけど、あんまり需要がないわよね」


「それってどういう意味?」


「だって男の人が泣いても絵にならないというか、引くっていうか」


「もう、そんなんじゃないよ!私、真剣なんだけど」


「わかった、わかった。沙希、怒らないでよ。そうだね。どこか痛かったからとか?」


「うん、確かに具合悪そうだったけどそんな感じじゃないんだよね」


「えっ、沙希の実体験なの?どんな状況なの、それ」


「え〜〜とね。今朝寝坊してね。何時もの電車ギリギリだったんだけど、どうにか間に合ったんだ。だけど、電車のドアにスカートの端が挟まって焦っていると、側にいた高等部の男子がね。ドアに隙間を開けて助けてくれたんだ」


「なんだ。いい話じゃない。もしかして一目惚れしちゃったとか?中等部のアイドル的存在の美少女沙希が男性に一目惚れしたなんて知れたら大騒ぎになるわよ」


「瑠美ちゃん、怒るよ。本当にそんなんじゃないんだから」


「でも、話を聞いても男子が泣く要素無かったよね」


「それはまだ話してません!だから、その助けてくれた先輩が私を見て急に泣いたんだって」


「えっ、電車の中で?突然?」


「それから急に青い顔になって話しかけてもうわの空だったし」


「具合が悪くなったとしか考えられないけど?」


「そうだよね。普通なら……」


「沙希は違うって感じたんだ」


「うん、何だか悲しそうだたんだ。涙を流してる自分が信じられないような様子だった」


「そうなんだ。何か過去にあった悲しいことでも思い出したんじゃないの?」


「うん、そんな感じだと思うけど、何で私の顔を見て悲しくなるんだろう?」


「ははあ〜〜ん。わかった。別れた彼女に沙希が似てたんだよ」


「そうなのかなぁ……」


(でも、あの先輩の側は何だか居心地が良かったな……)


「とにかく、泣き虫先輩と沙希には何もないんだから気にしちゃダメだよ。それより『FG5』の新曲が出るんだってさ。今度はどんな歌と振り付けなんだろうね」


「うん」


「楽しみだね。沙希も一緒に完コピしようよ。それでカラオケで盛り上がってさ」


「そうだね」


 二人は学校の敷地に入ると合流した他の女生徒と一緒に校舎に向かっていた。


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