第3話 中華料理はお好みで



『バクバクバク……』


 目の前では大きな口を開けて小籠包しょうろんぽうを頬張っている聡美さんがいる。

 さっきは、エビチリを小皿にとって胃に流し込んでいた。

 この人は食べた栄養が全部胸にいくのだろうと俺は思っている。


「ねぇ、カズ君。ちゃんと食べてる?」


「ああ、食べてるよ」


「さっきからチャーハンしか食べてないじゃない。この春巻あげるから食べなよ」


「わかった」


 聡美さんは、時々紹興酒しょうこうしゅのロックを飲みながら俺の様子を伺っている。

 殺気はないが、値踏みをされているようで落ち着かない。


「ねぇ、お仕事はいつからなの?」


「今週の土曜からだ。何でもメンバー全員が学生らしくて土日を中心に活動してるようだ。仕事の都合で平日の夜の時もあるけど学校終わってからで問題ないらしい」


「へ〜〜良かったね。これでカズ君も高校生活楽しめるね」


 楽しむ!?

 楽しいのか?高校生活が……


「ねぇ、カズ君はユリアさんの知り合いなんだよね」


「ああ、ユリアは俺を救い出してくれた恩人だ。また師匠でもある」


「じゃあ、ユリアさんから聞いてる?藤宮家の事……」


 少し聡美の声のトーンが下がった。

 知られたくない、と思っているようだ。


「詳しくは聞いていない。だが、代々名家を警護してきた人物を多く輩出していると聞いた」


「それだけ?」


「ユリアから聞いたのはそれだけだ」


「そっか〜〜それだけか……」


 聡美さんは何か迷ってる様子だ。

 先程のテンションと明らかに違う。


「何か言いたいのなら言えばいい。でも、言いたくなかったら言わなくていい」


「ありがとね。カズ君と会うのはまだほんの数回でしょう?紫藤さんに言われて戸籍を用意した時、思ったのよ。カズ君が悪い子だったらどうしようって」


「警戒するのは当たり前の事だ」


「そうね。でも、どうしちゃったんだろう。カズ君に会ってこうして話してると私落ち着くのよ。カズ君、もしかして催眠とか洗脳とか使える?まさか、精神魔法保持者?」


「言ってる意味がわからないが、そんなスキルは持ってない」


「だよね〜〜、でも、本当なのよ。さっきみたいに私、あんなに笑った事も無かったし、今みたいに食欲全開にもなった事なかったのよ。今まで生きてきてさ」


 そう言いながら紹興酒を煽って俺のところにあった春巻を口に加えた。


 全く、そう見えないのだが……


「それでね。カズ君が思ってた以上に良い子だったから、今、私混乱してるの」


「……混乱すると俺の春巻を食うのか?」


「あっ、ごめんね。注文しなきゃ。すみませ〜〜ん」


 やってきた店員さんに色々と注文する聡美さん。

 本当に混乱してるのか?


「それでね。私これからちょっと無神経な事カズ君に言うけど悪意はないから聞いて欲しいの」


「別に何を言われても俺は気にならないけど?」


「そう、ありがとね。それでね、カズ君は、その……ひ、人を殺してるでしょう?」


「ああ、任務だからな」


「正直いうとね、とても怖い人だと認識してたの。そんな人とどんな話をしたらよいかわからなかったから、なるべく接触しないようにしてたのよ。私」


「普通はそうかもしれないね。俺は壊れてるから……」


『自覚はあるんだ……』


 小さな声で納得するように自分にそう言った聡美さんは、俺の耳が聞いてるとは思ってないようだ。

 俺の目や耳、そして嗅覚も鍛えられている。


「カズ君は好きでそうなったわけじゃない。わかってるのよ。ユリアさんの資料読んだから」


「別に隠す事など書かれていないはずだ。だが、あまり口外してもらっては困る」


「言わないよ。私も裏の世界の人間だもん」


 裏の世界でもピンからキリまである。

 俺は何でもありの世界、その最底辺にいた男だ。


「私は望んでこの世界に入ったの。紫藤さんに頼み込んでね」


「そうなんだ」


「だからね、私も覚悟はしてる。いずれ人を殺さなくてはならない状況が来る事を」


「……任務なら仕方ないのでは?」


「そんな事はないよ。そんな風に割り切っていても心は違うんだよ。いつか心の器が壊れちゃうんだよ」


「心の器がどんなものか知らないが、壊れてしまうというのは俺は体験している。だから、もう戻れないし、戻ろうとも思わない」


「カズ君……わかった。私、カズ君と仲良くなりたい。カズ君のお姉さん的な存在になりたい!」


『あわわわ、言っちゃった……』


 聡美さんは小さな声のつもりなんだろうけど、普通に聞こえてますから……


「聡美さん……話の脈略がどうしても俺には理解できないのだけど」


「聡美お姉ちゃんって呼んで」


「はい!?」


「だから、聡美お姉ちゃんって呼んで欲しいの。だって、カズ君は戸籍上では私の母方の叔母さんの息子、従兄弟なんだからお姉ちゃんって呼んでもおかしくないでしょう?」


「……そうだけど」


「だから聡美お姉ちゃん。1、2、3。はい!」


「……聡美お、お姉さん」


「う〜〜ん、堅いなぁ〜〜。もう一度!」


 これは何の苦行なのだろうか……

 この歳になって赤の他人の女性に向かってお姉ちゃんとは言いづらい。

 しかし、この人は何がしたいのだろうか?


「ねぇ、聡美姉じゃダメかな?これ以上は……ちょっと無理」


「えっーー、出来ればお姉ちゃんが良いけど男の子だもんね。恥ずかしいよね。うん、わかった。聡美姉で我慢するよ」


『やったーー!!念願の弟、ゲットしたよ〜〜』


 だから、聞こえてるんだって!!


「聡美姉は何で裏の世界に入ったの?望んで入る世界じゃないよね?」


「それ聞いちゃうんだ。今は言わなくても良いかな。ちゃんと整理ができたらカズ君に話すから」


「わかった。それと何で俺を弟にしたいんだ?」


「わわわ、そ、それはね。この世界って怖い世界でしょう。だから絆が欲しかったの。各個たる絆が。それじゃダメ?」


 聡美姉は裏の世界に向いてないんじゃ……


「つまり、聡美姉は、裏の世界ではボッチという事なんだね。表の世界は知らないけど」


「そ、そ、そうよ。悪い?でも友達はちゃんといるんだからね。シズクちゃんとか近所のワンちゃんとか」


 つもり表の世界でもボッチ体質なのか……

 万年ボッチの俺が人の事を言えないが……


「聡美姉、この話題はよそう。お互いの傷が深くなる」


「そうね、そうよね……だから、よろしくね。カズ君」


 そう言った聡美姉の笑顔はとても魅力的だった。

 蟹の足を両手に持ってなければだが……


 上海蟹かよっ!





「ねぇ、カズ君、さっき事務所でもやし食べてるって言ってたよね。それって毎日、そんな食事してるの?」


 急に神妙な顔をしたかと思ったが、俺に聞いてきた事は食事の事だった。


「普通だと思うけど」


「普通じゃないよ。そんな食事してたら身体壊しちゃうよ。よし、決めた!カズ君、私と一緒に住もう。部屋はたくさん余ってるし和君の体調管理もお姉ちゃんがしっかりしてあげる」


「そういうのはいいですから」


「えっーー!!酷いよ。でも私、決めたから。カズ君覚悟しててね」


 今のボロアパートの暮らしには満足している。

 雨風を凌げる屋根と壁があるだけでもありがたい。


「俺は今の暮らしに不満はない」


「そういう意味じゃなくって、今のカズ君には必要な事なんだよ。信用してくれなくてもいい。心を開いて欲しいなんておこがましい事なんて言わない。私がカズ君と暮らしたいの。私の我儘なの」


「意味がわからないのだが……」


「じゃあ、任務だと思って頂戴。それなら良いわよね」


「‥‥潜入任務なら仕方がない」


「始めはそれで良いわ。じゃあ、決まりね。さあ私の家に行きましょう」


 俺は、言われるまま聡美姉の後をついて行った。

 店の前には、高級外車ベントレー・ミュルザンヌ スピードが止まっている。


「カズ君、乗って」


 後部座席に乗り込むと聡美姉も『よっこいしょ』と掛け声をかけながら乗り込んできた。


「シズクちゃん、頼むね」


 運転席に座っているメイド姿の女性に聡美姉は声をかける。


「わかりました。聡美お嬢様」


 えっ!聡美お嬢様!?

 俺はいったいどこに連れて行かれるのだろうか?


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