4-7

 高度数百メートルの空の上、高く建つ灰色の塔を前に、古びた木製の開き戸を両手で押すと、上階へと螺旋階段が連なる、石造りを基調とした内装が視界に飛び込んだ。ここが時間をかけてオリヒメが目指してきた目的地、――『最果ての塔』。


(ここに眠る【時の神の憑代】の異常が、時計盤の世界タイムダイヤルと現実世界の繋がりを妨害してるはず)


 1階に部屋はなく、進める先は螺旋階段のみ。ならば目指す先は上階にあり、そこに行けば答えがあるはず。そんな期待を胸に、オリヒメは塔の内部へ一歩を踏み出した。


 しかし、その時――――。


「えっ?」


 オリヒメが踏み入った瞬間、足元に白い大きな魔方陣が輝き描かれた。そして陣から鎧姿の巨大な骨の怪物、アンデッドが出現する。交差リングの色は青、黄、赤、紫、黒、に続く白――すなわちレベル6のモンスター。その名は『シャドーデーモン』。


(しまった、『最果ての塔』はレイド戦のエリア! こんなの私一人で倒せるはずが……っ)


 短期間だが、かつてギルドに所属していた時にレベル6とは戦ったことがある。十数人ならまだしも、一人でまともに相手すれば瞬殺だろう。経験でわかる。


 オリヒメはアンデッドをジッと見据え、


(引き返すわけにはいかないし、ここはあの階段を突っ走っていくしかない、か)


 覚悟を決めたオリヒメは炎を真横の壁面へと放ち、アンデッドの注意が逸れた隙を見計らって真正面の階段へと駆け出した。


「ハァ!」


 絶えず上へと駆けながら、こちらへと向いたアンデッドへ炎を広範囲にオリヒメは放つ。しかしアンデッドは無茶苦茶に腕を振るい、石の階段は脆くも崩れ始める。オリヒメもまたバランスを崩しかけたが、散乱した足場をステップで走り、彼女はそのまま上へと向かってゆく。途中で部屋らしい部屋は発見できず、最上階に辿り着いて初めて一つの扉を発見した。


「ハァ……、ハァッ……、きっとここに……」


 一旦呼吸を、気持ちを整えたオリヒメは扉に手を当て、おもむろにそれを押した。錠はかかっていない。するとそこに広がっていたのは――――……。


「……っ」


 思わず、心臓が止まりかけた。彼女はハッと息を呑む。

 室内は塔の内装と同じ石造り。円形の部屋には至る箇所に血痕が飛び散り、血染まりな純白のローブを羽織る少女が数本の剣で無残にも壁に磔にされている。そしてあろうことか、少女は漆黒の仮面ブラックマスクに攫われたあの記憶喪失の少女だった。左手の中指にはめられている、オリヒメと依桜で獲得してあげたあの指輪が何よりの証拠。


(まさかこの子が清香の言ってた……【時の神の憑代】のこと?)


 ショッピングモールでオリヒメの前に現れた、記憶を欠いた少女の目を背けたくなる姿形。


「ひどい……っ」


 胸が痛み、言い知れぬ動揺を覚えかけたオリヒメ。けれども今すべきことは何か、冷静を取り繕うよう自分に言い聞かせ、


「もしこの子が【時の神の憑代】なら、外部とのアクセスが遮断されてるのも納得できる。でもどうすれば……。……?」


 オリヒメは靴に触れる異変に気づく。それは血に塗れ転がる一人のプレイヤーだった。それ以外にも部屋の隅でボロボロのクシャクシャになった四人の人間たちが、さらには――……、


「どうして……先輩、がここに……」


 石畳一面を覆うように描かれる青い魔方陣の上で、傷だらけで横たわる椎葉依桜がそこにはあったのだ。黒の装飾や、顔を覆っていた仮面も今はない。黒のブレザーにチェック柄のスカートと、オリヒメと同じ服装だった。

 オリヒメは即座に腰を屈めて、倒れている依桜の肩を揺さぶり、


「ねぇ、起きてよ! 起きてってば! 目を開けて!」


 そしたら依桜は薄っすらとまぶたを開け、らしさの欠けた弱弱しい眼差しでオリヒメを捉える。しかし目尻には小さく光る雫を浮かべ、


「悔しい、何もできなかった……っ。ごめん、ごめんね……っ」


 また、謝られた。もう、これで何度目? それに先輩の謝罪を耳にすると、なぜか胸が痛い。


「どうして……謝るの? 教えてよ、ねえったらっ」


 語尾が感情的に強まってゆくのを、オリヒメ自身が自覚した。


「言えるわけ……ないよっ。こんなこと、ヒメに言えるわけ……ないってばっ」

「ヒメって……。なんで先輩がその呼び名で……。ヒメって呼んでくれるの、それこそ姉ちゃんしか……。姉ちゃん、……え?」


 あらぬ考えが、ふっと胸によぎる。ううん、そんなことありえないって! オリヒメは突拍子もなく湧き上がった推察をすぐに否定した。けれども、これまでに知ってきた、見てきた、経験した事実が、オリヒメが認めない部分でその考えを徐々に肯定してゆく。


(……うそ)


 ある時を境に髪型や雰囲気が変化した事実、姉の親友であるだけの椎葉先輩が自分に示す振る舞い、古典理論という存在。加えて今、彼女が自分に見せているこの顔つき。


「そういう……こと?」


 依桜の肩から手を離したオリヒメ。目元を下げ、金髪を垂らすよう頭を下げる。


「……ヒメ?」

「どうして……言ってくれなかったの? 私だって……少しは力になれるのに。私を助けてはくれたのに……私は助けちゃダメなの? わがままだよ、それ」


 奥歯を噛み締め、拳を握る。目尻には涙を滲ませ、雫を振り撒くように顔を上げ、悔しそうに依桜を睨み、


「どうして私に言ってくれなかったの、咲理姉ちゃん!!」

「……っ」


 どうして教えてくれなかったの? 自分が弱いから? どうして気づけなかったの? 自分が未熟だから? オリヒメは悔やんでも悔やみきれなかった。

 依桜は自らを責める妹の顔を、壊れかけの瞳で捉え、


「ああ、バレ……ちゃったか。……実はね、ほんとの依桜はもう……死んじゃってるんだ。言えなかったのは……怖かったから……ごめんね……」

「じゃあ、どうして姉ちゃんが……椎葉先輩の身体に? ねぇ、教えて?」


「それは……咲理わたしの身体が【時の番人】に奪われちゃったから。だからあの男に協力してでも……私を取り戻したくて。そのために【時の神の憑代】が必要だったから……。けどごめん……、目論みは見透かされたし、あの刺客たちに邪魔されちゃった……」

「時の……番人? あの……男? え、それっていったい……?」


 依桜は消え入りそうな顔で、妹の頬を衰弱しきった手つきで撫で、


「ヒメの寂しそうな顔は……見たくないよ。絶対に渋谷咲理わたしを取り戻すって……決めたのに。いつまでもこの身体には……いられないから」

「な、なんで? なんでダメだの?」


 けれども依桜はオリヒメの問いには応えられず、妹の手を握ったまま、


「ごめんね……、ヒメっ。傍にいて……あげられなくて」


 その言葉を残すと、彼女は完全な眠りについた。妹に触れていた手は、力なく床に落ちる。


「姉ちゃん!? しっかりして、姉ちゃん!!」


 懸命に声を掛けても依桜の意識は決して回復しない。

 何もできない自分に苛立って、オリヒメは自らの金髪を乱暴に掴む。


(ここまで来て……何もできないって……っ。本当に私って……っ)


 部屋には磔にされた【時の神の憑代】、それに床を占める魔方陣。これらを使って閉ざされた時計盤の世界タイムダイヤルを現実世界と繋げることも、姉の意識を回復させることも、オリヒメに解決の糸口など思いつきやしない。


 だがしかし、


(魔方、陣……?)


 奇妙な感覚がオリヒメを渦巻いた。記憶にはない、けれども確かに脳に刻み込まれている何か。ドクンッ、と意識にブレが生まれる。


(なに、何なの?)


 オリヒメは頭を振り、強く目を瞑って願う。


「何でもいいから……姉ちゃんを助けてよ!」


 部屋いっぱいに響いた声。そうしたら青い魔方陣が赤く光を帯び始める。まるでオリヒメの望みに呼応したかのように。

 オリヒメは魔方陣の異変に気づかないまま、瞑った目を開けた。すると――、


「なに、ここ?」


 湿り気のある、血痕に塗れたあの冷徹な部屋はない。【時の神の憑代】も、複数の形骸も、椎葉依桜も、どこかへと消えていた。否、オリヒメという存在が移ったのか。


「それにあんた……、何者?」


 ――――暗黒の中、赤く輝く魔方陣の上で、見知らぬ少女がオリヒメを対面で見据えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る