184●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。⑪21世紀オタクたちの“沈没愛”の結晶なのだ!

184●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。⑪21世紀オタクたちの“沈没愛”の結晶なのだ!




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 2006年版は、1973年版よりもずっと広範囲に、公的組織の協力を得ています。

 大きくは防衛庁(当時)、陸海空の自衛隊、東京消防庁、海洋研究開発機構(JAMSTEC)。

 そうなると、それぞれの組織のご機嫌を損ねるストーリーや演出は忖度そんたくせざるをえませんね。制作上のやむを得ぬ制約です。

 それに、監督が意識されたか否かはともかく、ご協力組織の皆様をとにかくカッコよく見せるようにシーンが作られるので、それらが一杯集まった結果、“体制におもねる”というか“現政権をヨイショする”といった傾向がチラチラと見えてくるような……


 あ、そのことを批判するつもりは全くありません。

 そういった、制作上の裏事情を推測することも、2006年版を鑑賞する楽しみの一つでしょう、ということで。


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 それら公的組織の大々的な全面協力の結果、当時の新鋭海底掘削船“ちきゅう”をはじめ、深海潜水艇の“しんかい6500&2000”、護衛艦おおすみ&しもきた、ホバークラフト揚陸艇などが惜しげもなく続々と出演、この点は1973年版のスケールをはるかに上回り、日本沈没という巨大災害に対して、ニッポンが総力戦で立ち向かう姿勢がうかがえます。

 それらをCG特撮だけでなく、モノホン揃いで映像化した迫力はさすが!

 のちに同じ監督さんで映画化された『シン・ゴジラ』の陸自さん総出演につながるものがありますね。


 ただしかし、本物の迫力が優りすぎて、俳優さんの演技が浮いてしまう場面も、無きにしもあらずでしょう。


 随所に陸自と海自の隊員さんがエキストラ出演されているようで、双方の敬礼の仕方の違い(ひじの角度とか)がわかるほどですし、東京消防庁のレスキュー訓練にみるフィジカルな躍動感、“ちきゅう”の掘削作業や“しんかい2000”を洋上でクレーン懸垂する場面にみられる海洋研究開発機構の関係者諸氏など、プロフェッショナルな面々の皆様が主演俳優さんの脇を固めておられるのも、凄いのですが……


 これ、プロの皆様がプロとして登場し、変に演技されていないところに、本物感覚というか、そこにしか見られないプロのオーラゆえのリアリティを感じさせて、おおっと言わせてくれます。

 しかしその反面、プロの皆様のリアリティが本当にしっかりしているので……

 やっぱり、俳優さんの演技が浮いてしまうのではないでしょうか。


 つまり、本物の隊員さんたち、プロフェッショナルな人々を背景にすると、俳優さんの演技が、まさに“演技に見えてしまう”のですね。「あ、これってロケだよね」って感じが漂ってしまうのです。


 それやこれやで、2006年版の日本沈没のリアリティは、どうしても薄口になってしまうのかと……


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 そして高度なCG特撮。

 とりわけ火山の噴火や、さまざまな爆発火災シーンが、もう絢爛豪華。

 しっかりと、お金かけてるなあ……と感嘆するばかり。


 しかし、1973年版のミニチュア特撮と比べますと……

 ディテールの表現はCGが圧倒的に優りますが、


 つまり「細かいところまで綺麗に見せすぎ」ではないかと……


 要するに、美しいのです。

 津波も噴火も火災も、CGゆえにピカピカ、キラキラとした、クリアーな美しさ。

 津波一つとっても、ドーッと大量のミネラルウォーターが押し寄せてくる感じ。

 対して、1973年版のミニチュア特撮の津波や洪水は、実物の水だけに綺麗な透明でなく濁りがあって、泥水が押し寄せてくる感じ。そのぶんリアルです。


 炎も、CGに比べて1973年の実物はメラメラ感がリアルで、熱量を感じさせます。スタント俳優さんが焼け焦がれる街で背中に火が付いたまま(カチカチ山状態)で転げまわる情景などが組み合わさって、うわ、アッチッチだ……とばかりに顔を覆いたくなります。

 伝わる熱さ、これはやはり本物の火に限りますね。


 降り注ぐ火山灰も、CGだとサラサラ感があって粉雪みたいに綺麗ですが、1973年版では、空から舞い降りて総理や田所先生の頭に肩に積もったそれは、ザラザラした埃っぽさがあって、あまりきれいじゃありません。燃やしたあとの灰に似た実物の粉がもうもうと舞い上がっていて、しかもどことなく汚れた感じ。吸い込んだら咳き込みそうな。

 実物の特撮だと、おのずと汚れや濁りを内包していて、そこがリアルなんですね。


 プラモの塗装にたとえれば、2006年版はスプレー塗料の吹き付け。

 1973年版は、ちょっと塗りムラの残る手塗りですね。

 で、多分、微妙な塗りムラや光沢の違いがあると、かえって実物っぽく見えたりもするものです。


 だから、特撮の画面でも、ミニチュアゆえのチャチさがばれてしまう面はあるものの、本物に近づけるリアリティでは1973年版の方がやや優っているように思えます。


 やはり、2006年版の演出は、視覚効果もアニメ的なのですね。


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 さて2006年版の特色として、オタクな分野も含めた著名人が次々とカメオ出演(有名人のチョイ出し)をされていることがあげられます。

 1973年版では、原作者の小松左京先生がセリフ付きでチラッと出ておられましたが、カメオ出演はその一か所だけだったのでは。

 しかし2006年版は、アニメの著名監督、映画原作者、そのほか関係者の皆様があちこちに姿を見せておられて、なんだかオタクな仲間内で、ワイワイやりながら制作されたような、文化祭的なムードが漂います。

 三枚組豪華版のDVDについている、監督さんと特撮メンバーの皆さんのコメンタリーを観ると、そのあたり、詳しめに解説されています。


 どうしてこんなに次々とカメオ出演されているのか。

 天邪鬼あまのじゃくな目で見ると、カメオ出演されると、作品を褒めることはあっても、けなすことはされませんよね。つまり、各界の批判を封じるというメリットもあるのかと。


 それはそれでいいのですが……


 カメオ出演は、映画の本筋とは別ですが、「気になりだしたら、否応なく気になってしまう」のですね。そのため、お話の要所要所で、現実に引き戻されてしまうのです。「あ、あれが〇〇さんなんだ」と。


 これも、2006年版が「薄口リアリティ」となってしまう一因でしょう。


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 リアリティが薄口、アニメを実写化したみたいな演出……

 とはいえ、公的機関の艦船や装備をドカンと投入、カメオ出演に見るように2006年のニッポンのオタク文化を担う俊英や大御所のチラ見せなど、やはり2006年版『日本沈没』は、“総力の結集感”にあふれています。

 超大作であり、大ヒット作であることにうなずけます。


 20世紀のSF金字塔である『日本沈没』に対する、21世紀からの挑戦、とも受け取れるでしょう。


 2006年版はきっと、新世紀オタクたちの“沈没愛”の結晶なのです!




    【次章へ続きます】



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