43●『崖の上のポニョ』の謎(9)…“大正時代の赤ちゃん”は、トキをかける!?

43●『崖の上のポニョ』の謎(9)…“大正時代の赤ちゃん”は、トキをかける!?





 『崖の上のポニョ』、最大のミステリーと言ってもいい、“大正時代の夫婦”。

 しかしポニョと、どのようなつながりがあるのでしょう。

 じつは、ポニョが西暦2007年の今に召喚したメインゲストは、この夫婦ではなく、乳飲ちのみ子の、赤ちゃんの方だったのです。


 大正時代の夫婦が西暦1917年の人物だと推定すると、その時の年齢が二十代と仮定しても、2007年には百十歳以上になります。ですから、ほぼ、すでに亡くなった人と考えていいでしょう。

 夫婦の二人は、西暦2007年時点では、おそらく故人の幽霊です。

 ですから、2007年に存在しているポニョとは、直接の関係はありません。

 しかし、赤ん坊は、乳飲み子の零歳児です。

 西暦2007年では九十歳。

 こちらは幽霊でなく、存命の可能性があります。

 どこで?


 “ひまわりの家”で。


 赤ん坊の性別は、見ただけではわかりません。

 青いベビー服ですが、白い襟に、赤いお魚の刺繍もしくはアップリケが施してあり、女の子ということも十分に考えられます。

 なお、白い襟の赤いお魚は、赤いお魚のポニョとの出会いと運命的なつながりを暗示しているのかもしれません。


 この赤ん坊は、“ひまわりの家”のおばあちゃんたちの一人である……という可能性が否定できなくなるのです。


 さて、この“大正時代の夫婦”は、ポニョが、“世界に大穴を開けた”魔法で召喚したと考えられます。

 なにしろ宗介君の目の前で、数億年も昔の海が召喚され、古代魚が悠々と泳いでいるのです。ポニョが、これと同種の魔法で、わずか90年前の夫婦を現在に召喚することは、たやすいことであろうと思われます。

 “時空を超えた転移”という点では、全く同じ種類の魔法なのですから。


 なぜ、この夫婦と赤ちゃんを呼び出したのでしょう。理由があるはずです。

 憎たらしいから呼び出してボコってやろう、とか、人がよさそうだから詐欺のカモにしてやろう……とか考えるのは、令和時代のよこしまな半グレ大人の悪業です。

 ポニョは純真な子供ですから、そんな動機はあり得ません。

 つまり、ポニョとこの親子の間に、悪しき因縁は全くないということです。


 とすると、親愛な挨拶、感謝、もしくは謝罪。

 お礼を言うか、お詫びを伝えるため……といったところでしょう。


 ポニョがそのような関係にある人物は、どこにいるでしょうか?

 ポニョが宗介君たちの世界に現れてから、関わった人間は、限られています。

 宗介君とリサの他には、ポニョが口から水鉄砲をかました、クミコちゃんと……

 トキさん。

 それゆえ……


 1917年時点で零歳児だった、この赤ちゃんこそ、トキさんだと考えられます。


 宗介君は、ポニョの水鉄砲を食らったクミコちゃんに対しては、わりと冷淡というか、「ポニョの悪口いうからだよね」(FC1巻115)で片付けてしまいます。

 しかしトキさんに対しては、ポニョを人面魚扱いして散々けなしたのが原因とはいえ、悪いことをしたと思っています。あとで、船の折り紙を差し上げる場面(FC2巻124-125)があり、お詫びの気持ちを持ち続けていたようです。

 そういった宗介君の感情を、ポニョもまた感じ取っていたのでしょう。

 悪いことをした……と内心では反省するポニョでしたが、宗介君はポニョをいとうことなく、「心配しなくていいよ、ボクが守ってあげるからね」といたわってくれます。(FC1巻130)

 宗介君の愛情に、グッとくるポニョ。

 その直後、波打ち際で、ポニョは宗介君に告白します。

「ポニョ、そうすけ、スキ」(FC1巻133)

 この告りのダイレクトなこと。やっぱ、青春はこうでなくちゃ。

 そこでポニョの心は決まります。

 いったんはフジモトの手に奪われたポニョでしたが……

 ひるむことなく、「人間になる!」(FC2巻45)と宣言するに至るのです。


 ポニョの固い決意。


 しかし人間になるにあたって、無視できない障害が生じています。

 ポニョに水をかけられたトキさんは、目下、ポニョを忌み嫌っています。

 ポニョが人間の女の子になってこの世に誕生したとき、トキさんだけは、ポニョのことを祝福してくれない可能性、大なるものがありますね。

 それは、ポニョにとっても心苦しく、不本意なはず。


 ですからポニョは、人間になる前に、トキさんとの関係を修復しておこうと考えたはずです。……トキさんの世界に行くのだから、仲直りしておかなくちゃ……ということですね。

 そこで、“顔に水をかけちゃって、ごめんね”とお詫びしようと考えて、トキさんを魔法で呼び出したのです。


 ただし90年前の、生まれて間もない赤ん坊のトキさんを。



 なぜ、現在のトキさんに謝らず、90年前の赤ん坊だったトキさんに謝ろうとしたのか。

 ポニョなりの、お詫びの仕方だと思います。

 トキさんがこれまでの人生で、最も助けを必要としていたときに助けてあげることで、お詫びをしようと考えたのではないでしょうか。

 2007年現在のトキさんにお詫びしようとしても、またまた人面魚呼ばわれされて、パニックを再現するでしょうから。


 そして、1917年の高潮(津波)災害の時点で、粉ミルク無しで川船に揺られる状態の零歳児……トキちゃんは、このままだと命の危険に直面するはずでした。

 母親の母乳が出なくなったら、著しく健康を害したでしょう。

 だからポニョは、母の体内で母乳に変わってくれる食糧…おいしいスープ…を、母親の方にプレゼントしたのです。ポニョの心ばかりの、お詫びのしるしとして。


 それにしてもこの夫婦、大災害から避難しているにしては、ずいぶんと落ち着き払っているところが、不思議です。

 オロオロしていません。

 しかし考えてみると、生死を分ける切迫した状況から脱出したところであり、そこでふと気が付けば、不思議と穏やかなデボン紀の海にいたのですから、“ここはどこ、私はだあれ?”状態です。

 狐につままれたような気分。しかし魔法のオーラに包まれた空間でもあり、危険は感じません。

 ともあれ安心とばかり、ほっとして一息ついたはず。

 だから、気分的に落ち着いていたのでしょう。

 ようやく、赤ちゃんの食事の心配もできるようになります。そこで……

 母親が、母乳を確保しなければならない現実に直面したところだったのです。


 つまり……

 ポニョは自分の魔法力を使って、トキさんに対して、時空を超えた、最も効果的な“お詫び”をしたのです。


 母乳を授けることは、人が代々、“体内の太古の海”を引き継いでいく営み。

 それはすなわち、この地球に最初の生命といえる細胞が発生してから、欠かされることのなかった、たゆまない“生命の輪廻”。

 その遠大な営みの一部に、ポニョが能動的に関わった……ともいえるでしょう。



     *



 さて、この赤ん坊がトキさんであると断定するだけの、確実なエビデンスがあるのかというと、残念ながら筆者の私には明確な材料がありません。

 ただ、状況証拠がひとつあります。

 ポニョの“頬ずり”です。


 夫婦と宗介たちの別れ際に、ぐずり始めた赤ん坊のトキちゃん。

 そこへ、半魚人モードで水面を跳び渡って戻ったポニョが、楽し気にぐいぐいと頬ずりをします。(FC4巻57:フィルムコミックでは明確でありませんが、DVDの動画では、確かに直接、顔を接触しています)

 ポニョの親愛の情がわかったのか、それまで終始ムスッとしていた赤ちゃんは、素直な笑顔を見せます。

 ポニョは零歳のトキさんに、このときフレンドリーなスキンシップでお詫びと和解を申し入れたのでしょう。


 ただし、ちょっとした“誤解”も残しました。

 おそらく後日、物心がついたトキ嬢ちゃんは、両親から、高潮(津波)で避難していた船上で、“お魚の女の子”にもらったスープを母乳に変えたことで、飢えることなく助かった……と聞かされたことでしょう。

 その記憶が大人になる長い時間の中で変容し、年老いて90歳(推定)になって身体も弱ったトキさんの頭の中では「人面魚が浜に上がると津波が来る」(FC1巻125)という、ある種の“自己伝説”に固着したものと思われます。


 それが災いして、宗介君に紹介されたポニョを毛嫌いし、ポニョの水鉄砲を食らう羽目になってしまいます。

 しかし……。

 そのあと、山上隧道(産道にたとえられるトンネル)を通ることで進化を逆行し、魚に戻ったポニョ。

 宗介君のバケツに入ったまま、待ち構えていたフジモトに追いかけられる形になります。

 水面から出た柵の上を走る宗介君。

 両腕を広げて受け止めようとする、90歳(推定)のトキさん。

 宗介君はジャンプして、トキさんの腕の中へ。

 同時にポニョもバケツの中からジャンプして……

 トキさんの顔面に密着ゴール!(FC4巻121)

 これ、二回目の頬ずりですね。

 繰り返されたスキンシップ、巡りくるデジャヴ。

 90年という長い時をつないで、ポニョはトキさんに、再び、親愛の情を伝えたのです、きっと。


 そしてトキさんはこの時すでに、車椅子を降りて、自力で立ち、歩けるようになっています。ポニョが世界にかけた魔法の影響です。

 老いた身体が、いくらか若返っているのです。

 同時にもちろん、トキさんの脳内の記憶も取り戻されて……

 たぶん、トキさんはおぼろげながらも、潜在的に思い出したのです。

 90年前に、半魚人モードのポニョからもらった、あの頬ずりを。

 トキさんは素直な心で90年前のことをポニョに感謝し、このとき、二人の間に、完全な和解が成立したのではないでしょうか。

 トキさんはついに、これから人間になるポニョを許し、受け入れ、祝福することができるようになったのですね。


 ポニョの魔法が可能にした、時空を超えたお詫びと和解のスキンシップ。

 だから、“大正時代の赤ちゃん”は、トキさんだった……と、私は思うのです。


 トキさんのキャラ名は“時”にかけていたのかもしれませんね。

 いわば、“トキをかける老女”。(なんちゃって……)



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