37●『崖の上のポニョ』の謎(3)…その魔法は“過去からの召喚”。太古の海と月を呼ぶ。

37●『崖の上のポニョ』の謎(3)…その魔法は“過去からの召喚”。太古の海と月を呼ぶ。







 世界、すなわち“時空”に穴が開いてしまったら、どうなるのでしょう?


 その“穴”を、出産時に胎児がくぐる産道のような、時空を超えるトンネルと捉えるならば……

 ありえない時間の、ありえない空間の事物が移動してきたり、あるいはこちらから移動していったり、といった“転移現象が起こる”と想像されます。


 事実、ポンポン船で出航した宗介君とポニョは、自宅近くの海中を悠然と泳ぎまわる、デボン紀の古代魚を次々と目撃します。(FC4巻37-39)

 カンブリア紀に匹敵する“生命のバクハツ”をもたらしたことにより、なぜか、ここにデボン紀の海が出現してしまったのですね。

 ちなみにカンブリア紀は、5憶4200万年前から4憶8830万年前までの時期。

 デボン紀は4憶1600万年から3憶5920万年前までの時期に当たります。

 スケールの大きさに目もくらみますが、あの時代の海の一部が、2007年現在の作品世界へ転移してきた……もしくは、複製された……ということなのでしょう。


 魚だけでなく、鳥たちも古代種が飛来してきたようです。(FC4巻64)


 そして目を上げれば……

 巨大な、月。

 月の大接近です。これが災厄の元凶のようです。

 しかしよく見ると、それぞれの場面場面で、月の顔相が異なっています。

 クレーターの分布や地形に明らかな違いがあるのです。

 (FC3巻106、119、137、4巻114の月面を見比べてみて下さい)

 そしていずれも、私たちの現実世界の月面とは似ても似つかぬ別天体の容姿です。

 見慣れた、ウサギが餅をつく図柄の地形ではありません。


 断定するほどの材料はありませんが……


 これは、地球からおよそ38万キロメートル彼方の宇宙に浮かぶ西暦2007年の月を、ポニョが魔法の力で引っ張り寄せてきたというのではなく……


 “異なった時代の月がこちらの世界へ転移して、2007年の月と入れ替わっている”と考えることもできるでしょう。


 と、いいますのは……


 現在の主な学説によると、もともと、月は地球の一部だったからです。

 太古というよりもさらに昔、四十億年あまり前には、月はまだありませんでした。

 いわば一人ぼっちだった地球へ、突然、火星ほどの大きさの天体が衝突しました。

 ジャイアント・インパクトと申します。

 このとき地球の一部分が砕かれ噴き上げられて、地球を周回する“月”になったというのです。

 ならば、当時の月は現在よりもずっと地球の近くで形成され、地球の周りをぐるぐると回りながら、徐々に遠ざかっていき、現在の位置にある……と考えられます。

 事実、月は今でも年に三センチメートルあまり、地球から遠ざかっているとされます。

 とすると、今から二十億年とか三十憶年の昔には、月は、物語のラスト近くでフジモト氏が見上げたような大きさで、空を圧していたのかもしれません。


 そういった時代の月が、ポニョの魔法の力で西暦2007年の空に召喚されてきた……ということではないでしょうか。

 デボン紀の魚たちが、同じくポニョの魔法の力で2007年の海へ召喚されてきたように。


 “世界に穴を開ける”……すなわち、“時空に穴を開ける”ことになった結果、さまざまな過去の事物が現在に転移してくる、あるいは入れ替わる……そのような“過去からの召喚”が行われてしまった……と考えられます。

 これが、ポニョの魔法の正体の一つなのです。



※※※ポニョの魔法力の本質が“過去からの召喚”であること。このことは、この物語の最も大きな伏線を探り出すカギとなります。あとの章で説明しますが、物語中、最大のミステリーである“大正時代の夫婦と赤ちゃん”が、西暦2007年であるはずの宗介たちの眼の前に現れたことを説明する理由付けとなるからです。




 さて一方、地球は自転しています。

 この自転速度が、時とともにわずかずつ遅くなっているという説があります。

 ということは、太古の地球は、いまよりもずっと早く、びゅんびゅんと回転していた……ということになります。

 地球が自転することで、たとえば赤道地域では地表から離れようとする遠心力が、より強く働きます。

 そして太古の地球は自転が早く、その遠心力が、現在よりもずっと大きかったと想像されます。


 さて、地球の海洋の潮の満ち引き……海水面の上昇と下降は、月の引力と、地球の自転による遠心力、そして太陽の引力の、三者の相互作用による潮汐力が引き起こします。


 それが、いつの時代のことかわかりませんが……

 かりに二十億年、三十億年の昔だとすれば、その時代には、月は地球にずっと近く、地球に及ぼす引力はずっと大きかったことでしょう。

 地球の自転も速く、遠心力は今よりもずっと大きかったことでしょう。

 遠心力によって海面が持ち上がり、それがさらに、月の引力でぐいぐいと引き揚げられていきます。


 ということは、当時の海洋の潮の満ち引きは、現在よりもずっと大規模で、ずっと激しい現象であったと考えられるのです。

 その現象が、作品世界の西暦2007年に、はるかな過去から転移されてきたとしたら?


 何が起こるでしょう?


 宗介君の父、耕一が小金井丸のブリッジから見た、あの超常的な海洋現象。

「海の水があつまって山になってる」「船の墓場」「あの世の入口が開いたんだ」 (FC3巻108)と口々に感嘆させた、あの現象です。


 超巨大な、満ち潮。


 月の引力と地球の遠心力があまりに巨大だった、はるか昔のあの時代に発生していたかもしれない、巨大満ち潮。

 ポニョの魔法がもたらした、地球の危機です。


 宗介君たちが暮らす地域を呑み込んだ、海。

 そして頭上に接近しつつある、太古の月。

 そこに発生する巨大にして尋常でない潮汐力。


 この危機的状況を解決すべく、女神グランマンマーレが来臨します。(FC3巻110-115)

 “観音様の御神渡(おみわた)り”です。


 さて、“船の墓場”と恐れられたこの巨大満ち潮ですが……

 どうやら実態は、墓場ではなさそうです。

 小金井丸の電力とエンジン動力は、グランマンマーレの通過時にいったん途切れますが、すぐに復活します。

 山のような満ち潮の周囲に集められた無数の船は、しかし、死んでいるのでなく、いずれもイルミネーションを輝かせています。

 何者かによって、ふんだんに電力が供給されていると思われます。

 “墓場”とは裏腹に、エネルギーに満ち満ちているのです。


 どこか、ブラックホールを想起させますね。

 万物を呑み込む死の穴であるにもかかわらず、そこには事実上無限と言えるほどのエネルギーがあふれ、穴を取り巻いています。

 穴の強烈な引力は周囲の天体を引き寄せ、とてつもない潮汐力を及ぼしています。

その暴力的なパワーで星々を砕きながら、しかし一方で、新しい星が生まれるための原材料も作り出す、エネルギーの巨大なき臼といった趣です。


 つまり、ポニョの魔法力が作り出した、太古の“巨大満ち潮”は、天体がもたらす潮汐力のエネルギーの象徴でもあるわけです。


 潮の満ち引き、なんて、普段の私たちはほとんど意識しないでしょう。

 しかしそのエネルギーは天体規模であり、あまねく世界に力を及ぼす、自然の巨大な営みなのだ……ということです。

 私たちの身体の構成物質の六割は水分です。

 人体はその内側から、巨大な潮汐力のエネルギーに影響されているのです。


 フジモト氏の“生命いのちの水”がポニョの魔法によって海中へ解き放たれたことで……

 太古の海や月、太古の海水や魚たち、その他の事物が西暦2007年の作品世界にもたらされました。

 ある程度は、フジモト氏の計画の想定内だったことでしょう。

 “太古の海の復活”は彼の計画の主要部分だったのですから。

 しかし問題は、ポニョの魔法力の暴走です。

 とくに、月が地表へ落ちてくる羽目になったら、コロニー落としの比ではありません。

 人類は一巻の終わり、地球表面の七割を占める海洋も、消滅しかねないでしょう。


 そこでグランマンマーレは、唯一の解決策を提示します。

「ポニョを人間にしてしまえばいいのよ…(中略)…人間になって魔法を失うわ」(FC3巻141)


 こうしてフジモト氏は、グランマンマーレとともに、事態の収束に動き出します。


 さてここで、ひとつ気になることがあります。

 ポニョの脱走騒動であえなく挫折してしまったフジモト氏の“生命いのちの水”計画(仮称)が、もしも支障なく準備完了し、予定通りに実行されていたら、どうなっていたでしょうか?


 フジモト氏が大切に守っていた“命の水”の蔵の扉の上に、看板が掲げてあります。

 そこには“PANGEA”と表記されています。(FC2巻64)

 超大陸パンゲア。

 大陸移動説によって、現在の五大陸に分裂する前に存在したとされる、巨大大陸。

 それは、2億5000万年前から2億年前のことだそうです。

 問題は、その直前、今から2億5100万年前の“P-T境界”と呼ばれる時期に、地球全域の生物の“大量絶滅”が起こったとされることです。

 今から5憶年前後昔のカンブリア紀以来、最大の大量絶滅事件です。

 それは、のちの時代に起こる恐竜の絶滅事件よりもシビアな、かなり徹底した滅びの現象だったようです。


 とすると、やはりフジモト氏の計画には……


 “人類の絶滅”が織り込み済みであったのかもしれません。

 といっても、核戦争やコロニー落としのような、汚ならしい手段は用いません。

 人類の遺伝子・DNAに働きかけて、細胞の自己死を早めるように改編することで、千年二千年をかけて種の絶滅へ追い込めばいいのです。

 それでも、物事を億年単位で考えれば、あっという間の出来事です。

 そのような方法でしたら、絶滅する人類の側も、まったく不幸を感じることはないでしょう。

 安らかなる滅亡。

 そして、人類無き理想郷、新たなるパンゲア大陸を創造する。


 フジモト氏は、そんなことを考えていたかもしれませんね。

 もしも、そうだとしたら……

 ポニョは、はからずも、この絶滅計画を止めてくれた、“人類の恩人”であり、“救世主”ということになるわけです。





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