第55話 ふたりだけの夜

 温泉にも入り、カツラギたちは道中の疲れを取ることができた。

 口数は疲れからだろうか、いつもよりも少なかった。

 でも、それは、居心地が悪い沈黙ではなかった。

 居心地がよい沈黙だった。

 まるで、この世界にはふたりだけになってしまったような……

 分かり合えるってこういうことなのだと彼女は思う。


「今日はお疲れ様でした」

「ありがとうございます、王様」

 宰相の策略で、ふたりっきりの部屋で、同じベットで寝るはじめての夜だ。

 たぶん、事件は起きない。

 王はそんなひとではないという確信がカツラギにはあった。

 それがうれしくもあり、さびしくもある。

 こんなことを考えている自分はどうしようもなく、彼が好きなのだと思う。

「少し早いですけど、今日はもう寝ましょうか」

「そうですね」

 王は少し緊張した声でそう言った。

 一方で、彼女の声はとても落ち着いていた。


 ふたりでゴソゴソと同じベットに入る。

 フカフカで気持ちがよいベットだ。

 そして、隣には大好きな人がいる。

 最高の環境だ。

 ドキドキはする。

 でも、ふたりは幸せだった。


「いろいろ、ありましたね」

 王がしみじみとそう言った。

「はい、いろいろありました」

「最初はビックリしました。いきなり、空から落ちてきて!」

「誰のせいですか! わたしもビックリしました」

「すいません」

「責任取ってもらいましたから、大丈夫です!(居場所がなかった私に、居場所をくれたんだ。本当に感謝している)」


「最低のプロポーズでごめんなさい」

「一生に一度しかないかもしれないのに、酷すぎます」

 そこが彼らしくもあるんだけどと彼女が考えていた。


「あなたと一緒に暮らせて、本当に楽しくなりました。弟も楽しそうですし……」

「宰相さんの楽しいは、少し違う気がします」

「たしかに」

 ふたりで笑いだす。

 この時間が永遠と続けばいいのにとふたりは思う。


「あの、王様。ひとつだけわがまま言ってもいいですか?」

「なんですか?」

「お昼に見せた機械を使って、ふたりきりの肖像画を作りたいんですが……。旅行の記念に。わたしの世界ではそういうことが古くからの習わしなので」

 彼女は少し言い訳がましくお願いをしてしまった。


「そうなんですか。いいですよ」

「ありがとうございます。宝物にしますね」

 そう言いカツラギはスマホを取りだす。

 まだ、電池があるのが奇跡だと思っている。

 急に電池がなくなってしまうかもしれない。


 でも、今日の思い出を何か形にしておきたかった。

 それが、いつかなくなってしまうかもしれないけど……。

 ふたりの関係をどこかに残しておきたいのだ。


 これくらいのわがままなら、言ったっていいだろう。カツラギはそう思っていた。


「それじゃあ、撮りますよ。はい、ちーず」


「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 こうして、ふたりの夜は更けていく。


 いつの間に彼は寝てしまったらしい。

 スー、スーという可愛い吐息が部屋に聞こえてくる。

「もう少しだけ、しゃべっていたかったのにな……」

 小声で彼女はそうつぶやく。


 ずっと波の音が聞こえていた。

「(今度は世界にひとりだけ取り残されてしまった気分。

 実際にそういう立場なんだけど……)」


 王には、前の世界でリストラされたことや婚約破棄されたことは話していない。

 自分の情けない部分をみせることができなかった。

 もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。

 偶然でも、手にいれることができた居場所を手放したくないという利己的な性格に自己嫌悪をおぼえている。

「こういう性格だから、素直になれないし、前の世界でも無理し続けたのかもね」

 一度でてしまうと、ネガティブな気持ちが抑えられなくなる。


 目から少しずつ涙がでてきてしまう。

「わたしなんかがこんなに幸せでいいのかな」

 彼女は急に不安になってしまった。

 いまの環境がとても恵まれているから、逆に不安になってしまう。

 前の世界でリストラされてしまったときのように、この居場所が突然、無くなってしまうのではないか。

 そんなことを考えて、どうしようもなく怖くなってしまう。


 鈍いという音ともに王様が寝返りをうった。

 彼女のほうに、どんどん近づいてくる。

 顔が…………とても近かくなった。

 彼の吐息が彼女の顔に当たっている。

 不安がどこかにいってしまった。


「(どこまでゲンキンな性格なんだろう。わたしって本当に単純だな)」

 彼女の自嘲気味にそうつぶやく。

 彼の顔をみていると本当に安心できた。

 だからこそ、彼の本音を言葉にしてほしかった。

 それが、許されないことと知りながら。

 彼女は今の関係を超えていきたいと、素直にそう思っている。


「父さん、母さん」

 王は寝言でそうつぶやいた。

 目には少しだけ涙がにじんでいる。


 きっと、実の両親の夢をみているのだろう。

 幼少期に、亡くなった実の両親を……。

 

 彼も孤独なのだと思う。

 責任に押しつぶされそうな孤独。

 彼に抱き着きたくなる衝動にかられる。


「これは寝返りですよ、陛下」

 聞こえるはずのない一言を彼に告げる。

 そして、ゴソゴソとカツラギは彼の背中に手を回した。

 ギュッと腕に力を入れる。

 彼の体温が伝わってくる。

 彼女は最高に幸せだった。

 強く抱きしめると、少しだけ彼女の背中にも力が入ってきたように感じたのだった。


 カツラギも眠りの世界に旅立った……。


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