スイミーの眼
いなせ小僧
登場
彼はJRの高架線の下が好きだ。
そこを通ると、鼠色に塗りたくられた壁にどこぞのヤンキーが書いたABCを眺めるために、必ず足を止めるくせがあった。
それは筆で描いたような黒い文字に白い縁取りで、うねりだらけの文体はさながら養殖場にいるウナギを壁に貼り付けた様であり、雨の日などはちょうどウナギが壁の上をのたうち回ったかのようにきらきら濡れた。
彼がいわゆる仕事というものに通い始めて十数年たっていたが、そのABCはいつも彼を同じ場所で迎えつづけていた。彼もまた、仕事帰りに高架線の下を通るときは喜んで挨拶をする。
幼少時からの知り合いに会うことは、私たちの心に強い安心感を与えてくれる。彼が感じていたのはまさしくそれであった。
灰色の壁に描かれた煩雑な落書きはもちろん、高架下にはあらゆる不潔なものがあった。格子蓋にはいたるところにガムがこびりつき、ついぞ見たこともないような文字が書かれているペットボトルが油の浮く汚水とともに電車の振動と共鳴している。壁際には毛の禿げかかった野良猫が自分の子供と一緒に道路脇に投げ捨てられたカップ麺の空容器を嘗め回している。
しかし彼は壁のABCやらペットボトルやら、ひいては壁際で陰険な目つきをしている野良猫まで、いとおしむように眺めるのを日課にしていた。中でもお気に入りは電車の無粋な振動とともにゆらゆらうごめく水色のペットボトルである。中に入っている深緑色の液体が、外の世界と一緒に震えるのである。その何かを訴えるような紋様を眺め、その訴えを想像しては楽しむのであった。
大切な日課を済ませると彼は帰路の道のりをとぼとぼ歩きだした。高架下から出るときつい真夏の太陽の光が私を刺した。多くの人々が生き、明日も明後日も同じような光景と物語が繰り広げられると彼らが信じてやまないような、日当たりの良い世界に戻っていく。
目の前を若いカップルが通りすぎていった。無邪気な笑い声が彼の耳を突き刺す。
無邪気な、残虐な笑い声。
それはこの世で生きるべくして生かされている、脳髄を与えられた人たちの凱歌であった。
彼らは生きるために生きている。人間たちが織り交ぜあって暮らしている社会の中で、
おそろしく健康に生きる人たちのことである。
間違っても詩歌や文学には心を動かされない。
今流行りの、ついぞこの世ではお目にかかることのないような美女が涙をのみこむさまが色濃く描写されている、そんな映画にひどく心を動かされる。
そのような時、決まって頬には涙が流れる。美しく無邪気な、飲めるほどに純粋な涙である。
彼らは詩歌も小説も読まない。誰からも相手にされぬ物には目もくれない。
それは本来のあるべき姿なのだ。彼らは神に愛されている。
一方、私たちのよく知っている、高架線の下に住んでいるウナギが好きな彼といえば、今自分の目の前を通り過ぎた、健康そのものの若者たちをそっと見つめるだけであった。
その目は、いわば羨望、憧れ、そのようなものだった。彼はあの幸せなカップルのようには生きることができない。彼らの誇る健康さをうらやみながら、そうはなれない自分を変えようともしない、そしてそんな自分にも嫌気がさし始めるが、やはり何かをするわけでもない。
彼は不健康であった。
「連中は、きっと集団の中でワイワイやれて、大声で叫んだとしてもみんなが受け入れてくれるようなありきたりなことだけを考えて話すのだろう。
そうやって生きていけたら、いったいぜんたい、どれだけ楽しく暮らせるんだろう」
彼はもう三十年も生きていた。その短くない人生の中で、今日のように彼が無邪気な笑い声を聞くたびに、ひそかに心の中で言う言葉ときたらこれであった。
何ともふがいない男であった。健康になりたいと願いつつ、健康になるために何か努力するわけでもない。
今日も彼はいつも通りであった。先ほどの若いカップルをじっとりとした目で見送る。
そして、何か行動する、すなわち自分の欠点を克服してより向上せしめんと志すこともなしに、いそいそと帰路につく。
気が付くと、彼は繁華街の中にいた。さも自分はこの世で一番幸福だと叫ばんばかりの笑い声にあふれた雑踏の中を、耳を塞ぎながら歩いていく。
ふと小汚いマンホールの前で彼は立ち止った。
どのマンホールの縁にはアスファルトの割れ目があり、そこから灰色の頼りなさげな土がのぞいている。そして、驚くべきことに、その土からタンポポが一輪咲いていることに彼は気づいた。
「どうしてこんなところに花が咲いている?よく踏まれなかったものだ。美しいじゃないか。すぐ近くを通る酔っ払いの千鳥足。逃げろ逃げろ。この美しさはなんだ。花壇の花の美しさと違う。あれは咲くべくして咲く。生かされるべくして生きる。人間の目を楽しませるために生かされている。彼女たちの与えられた演戯はきらびやかだろう。でもこいつは、よくわからずに落とされた地面がここだったんだ。アスファルトの割れ目のわずかな土に根を張り、恵んでもらった屋台のたこ焼きの食べかすやらこぼれたビールやら吸い殻やらを貪欲に吸いとってきたんだ。
あの輝きはどうだ。惨めな土壌の上にて命に縋りつく、ひとりよがりな、暴力的な美よ。私を照らしてくれ。その折にはお前の血液の一滴一滴をこの私の、不能な脳髄の上に垂らしておくれ。。」
彼の小さな感激は、当然のように繁華街の喧騒にかき消された。むろん誰も耳を貸すものはいない。
数秒経った。彼は相変わらずあの憧れに満ちた目でタンポポを見つめ続ける。かのタンポポも、何も答えずに曖昧な微笑を彼に送るだけである。
ふと彼はタンポポをまたいで歩き出した。しばらく目を落として地面を見つめていたが、再び前を向いておもむろにスピードを上げた。しかし彼の目はもはや周りの物たちのほほえみや語り掛けを探してはいない。一心不乱に駅の改札口へと向かっている。
彼は先ほどのタンポポにかなり苦しめられたのだった。彼は自分の外界に対して非常に鋭敏な感受性をもっている代わりに、自分に対して内省的でありすぎるという大きな欠点を抱えていた。無益にも先ほどのタンポポと自分とを比較したのである。彼は不健康ではあったが、職場ではしごく忠実な勤め人であった。同僚に迷惑をかけない。悪事も働かない。だがいつのまにか自分が高速道路の上を走らされているような、妙に不自由な感覚に襲われるときがあった。もちろん彼は道路の上を縦横無尽に走り回ることができた。スピードも遅すぎなければ何の咎もない。しかし行先は有無を言わさず定められている。決して逆走は許されない....
電車に乗った彼は、つり革につかまったまま窓の景色を見ていた。優しい微笑みを浮かべて彼と対話をしてくれる無数の物たちを、電車は暴力的に後ろへ追いやっていく。電車は彼の野蛮さを誇っているのである。世のあらゆるものを支配し自分のペースに巻き込む、人間の営みを代表している気分なのだろう。こんなことを考えた後にも彼はまた苦しんだ。箱の中でとてつもない速さを移動する自分と、割れ目から動かず生命を喫するタンポポとを無益にも比べ出す。
これは彼の宿命であった。
小さなことで喜びを見出すためには、小さなことに苦しめられる必要があった。
(続く)
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