第5話 水野亜玖亜は読まされる #3


「わぁ——、見てくださいよ。綾香さん」


 書棚の前で瞳を輝かせている美紅は年相応の少女に見えた。きっと、あの邪悪な微笑みは気のせいだったんだろう。


 おおむね二人の女の子が描かれた表紙がずらりと書架を埋めている。そのほとんどが漫画だったが、文庫本も隅っこに固まって並んでる。ポップにはでかでかと『ガールズラブの本棚』と色とりどりに縁取りされた文字が踊っていた。

 美紅の『散歩』に付き合ってやってきたのは、ものの十五分ほど歩いたところにある五階建ての大きな書店だ。私も普段からよくお世話になる店である。バイト先の古書店よりお世話になっているとは口が裂けても言えない……ほどでもないか。何せ蔵書数が明らかに違う。古書店に入荷するものはそちらで買うが、それ以外のものはこちらの書店で購入している。


 ともあれ、ガールズラブ特集の本棚が割と最近できたのは知っていたけれど、自分には関係ないと思ってスルーしていた。

 しかし、こう——目の前に来てみると圧倒されるというか……。


「もはや一大ジャンルね。お姉さん、ちょっとカルチャーショックだわ」


「何言ってるんですか。そう歳も離れてないでしょうに」


 しれっと一蹴される。

 美紅が本を手に取って物色し始めたので、私も何冊か手にしてみる。裏表紙や帯の説明をさらさらと眺める。一口にガールズラブと言っても、それぞれに独自の毛色があるものだ。学生、社会人、学園、アイドル、歌劇、グルメ、SF——。

 ふいに、漫画の試し読みの冊子に目を落としていた美紅がぽつりと溢す。


「私の作品……」


「うん?」


「ガールズラブというタグは、『波止場』の読者さんに勧められたので付けたんです。そちらの方が読む側にとって選別がしやすいから、と。わたし自身は、特殊な恋愛を書いているつもりは、なかったんですけどね」


 冊子をめくる手が止まっている。ずっと同じページを凝視しながら、美紅はそのままの立ち姿で佇んでいた。まるで私の言葉を待つように。


「まぁ、一般的に特殊かそうじゃないかの二択なら前者になるでしょうね」


「そうですよね」


「でも、そんなの関係なくない? 好きな層と嫌いな層が一定数いるのはどのジャンルだって同じ。私の書いている異世界ファンタジーにだってね、愛好家もいれば拒絶反応を示す人もいる。誰も美紅さんの価値観が変だなんて思ってないよ」


 そこまで言ったところで、突如として美紅が冊子に顔を埋めた。


「美紅、でいいです」


「へ?」


「名前ですよ。『さん』はいらないです。美紅って呼んでください」


「はぁ……」


 冊子から顔を上げてこちらを向いた彼女は、うっすら邪悪っぽい微笑を浮かべていた。先ほど感じた邪気はやっぱり気のせいじゃなかったらしい。


「それで、……——美紅。お目当ては見つかった?」


「はい。『安田とゆにくろ』って小説の新刊です。知ってますか?」


 美紅は持っている文庫本の表紙を見せつつ問いかけてくる。


「ごめん、知らない。どんなストーリーなの?」


「高校生の女子が二人、授業をさぼって体育用具室で色々するんです」


 ——色々。


「それ、面白いの?」


「ええ、とても。ときには何気ないことで笑い合い、ときには賭けポーカーで真剣勝負、またあるときには磨き抜かれた拳を交わす、青春百合活劇です。二人はそれぞれが拳法の流派の後継者なんですが、流派同士が敵対していて……。それでも戦いの中で二人には友情とは違う感情が芽生えていくんです」


「へぇ……」


 それはなかなかバイオレンスでエキセントリックなことで。あなたが非行に走っちゃわないか、お姉さんは心配ですよ?

 しかし——。

 やましい絵面しか出てこなかった自分の貧困な想像力に辟易する。

 世のライトノベルは日進月歩、もっとずーっと先へ進んでいるのだ。表紙で自転車に二人乗りしている夏服の少女たちの笑顔からは、美紅が語ってくれた血生臭さは微塵も感じられない。


「でも、一番の見どころは二人きりでだらだらするシーン。縮まりそうで縮まらない二人の温度感が絶妙なんですよ」


 美紅は宝石を見つけたかのようにその文庫本を胸に抱いた。


 ふと——。

 心の底で一瞬だけ——。

 この小説も美紅の作品に影響を与えているんだろうなと思った。




   ***つづく***

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