第7話

「シオン。お前……覚悟はできているんだろうな」

「ひっ」


 声の主であるエマさんがパキパキと指を鳴らして迫って来る。僕はそれに呼応するように一歩二歩と後ろへと下がる。やがて背中に壁が当たって、これ以上下がる事ができなくなったことを悟る。

 そのタイミングでエマさんは壁に両手を当てて、僕の逃げ場を塞いだ。俗にいう『壁ドン』という奴である。僕も学生の頃に憧れたシチュエーションであったけれど、こんな緊迫した場面で味わいたくはなかった。


「お前、本当にいい反応するよな。加虐心を煽るというか、何というか」

「あんまり嬉しい言葉ではないですね。それ」

「だろうな」


 エマさんがペロリと自分唇を舐める。これからとっておきのデザートを食べるときみたいな表情だった。

 ああ、僕はこれからひどい目にあわされるんだろうな……。それだけのことをした自負はある。だから何をされようと受け入れるつもりでいた。ただ、ずっとそれを見続けるだけのメンタルは持ち合わせていなかったから、瞳を閉じた。

 でも、いつまで経っても衝撃は来ることは無くて、代わりに僕の髪をワシャワシャとかき分ける感覚。何をされているのかは分かりやすかったけれど、その意図を掴みかねて目を開ける。


「顔を殴られたのはまあいいんだ。メイドはそう言うのも仕事の内だからな」

「お、怒ってないんですか?」

「怒ってねぇよ。だけど、うちのザック……ご主人様も言っていたけど、それが冗談で済まない奴もいるからな。気を付けろよ」


 エマさんが距離を取って、僕の主人の隣に立つ。


「エマさん、良いのかい? 一発ぐらい殴っても良かったのに」

「殴って良いのか?」


 ミツレさんの言葉が神経を撫でたみたいにゾクゾクと伝わる。勘弁して欲しい。というか自分のメイドだよね? 殴らせることを推奨しないで欲しい。どういう神経しているんだろう。


「落ち着きそうなときに油を注がないで下さいよ」

「主人としてはともかく、一人の女としては、殴った相手にそれだけの報いはあってもいいと思うよ?」

「それはそうですけど……」


 まあ、それは僕も理解している。僕は彼女に殴られても文句は言えないのだ。


「ハハッ、愉快だな。ホント。お前らを見てるのは飽きないね。でも殴るのは止めとく。シオンのメイド服の前じゃあ一発殴ったところで無力化される」

「そうだった」

「おいおい。そうだったって、着てる本人が忘れてどうするんだよ」


 ニヤニヤとしている彼女はスパンと僕の背中を叩いた。その痛みも僕に届くことはない。本当に便利だと思ったけれど、痛みを感じないからこそ感じる申し訳なさも、僕の中に確かにあった。


「そのくせ殴る側はいつも通りちょっと痛いんじゃ割に合わない」

「それはそうかもね。じゃあ、そうだな……」


 僕の主人は顎に指を添えて考える。それだけで彼女の品がにじみ出ている気がした。何というか絵になるのだ。でもそれが自分を貶める何かを考えるための物だと思うと、あまり楽観視できなかった。


「じゃあこうしよう。エマさんにはうちのシオン君に悪戯する権利をあげよう。良い反応するんだよ、彼」

「へぇ……そいつはいいな」


 エマさんがまたペロリと唇を舐める。これがエマさんの癖らしかった。その横で僕の主人も「でしょ?」とノリノリだ。……いや、ちょっと待って欲しい。


「ちょ、何僕抜きで話を進めているんですか!?」

「駄目なの?」

「駄目に決まってます!」

「でも、エマさんがやられっぱなしっていうのは申し訳が無いじゃないか」

「それは、そうですけど」

「それにシオン君には殴りかかっても意味ないだろう?」

「はい。無力化されますからね」

「そうなるとこれぐらいだろう。シオン君がエマさんに返せる物は」

「……そうでしたね」


 僕はこの世界においてそれほど価値のあるものを持っている訳ではない。主人にも迷惑を掛けたくはない。そうなると返せるのは必然とこれぐらいだ。ミツレさんはそれを分かって言っている。

 でも僅かながら足掻くためにピリッと浮かんだアイデアをそのまま口にする。


「僕にそれぐらいしか償えることが無いことは、不本意ですが……認めましょう。でもそれを悪用されたらどうするんです? うちの品位を下げられることだって……」

「それは無いよ。エマさんはそんな事しないもの。ねぇ?」

「ああ、スカーレット嬢はうちのお得意様だからな。関連のあるシオンにそうひどいことはしないさ。それにあたしには策略を巡らすほど、頭が無い!」

「そう言うことよ」

「誇らしげにして欲しくなかったし、ノータイムでそのフォローを肯定する側で言わないで欲しかったですよ」

「よし、契約成立だ。シオンいいリアクション期待してるからな」


 二人は僕のテンションが下がる所を目の前で見ておきながら、綺麗にスルーを決めた。そしてエマさんはビシッと親指を立てる。そんなに僕に悪戯できるのが嬉しいのだろうか……。


「まあ、悪戯はそのうちするとして、少し聞きたい事がある。シオン、お前の力についてだ」


 チラリと僕の服に視線が集まる。エマさんとの戦いで発揮された力。メイド服でのダメージの吸収。そしてあの黒く染まった拳。前者はともかく後者は説明された覚えもない。僕自身もあの力の出所は気になっていた。


「正直なところ、お前に殴られたときのパワーは不自然だ。『力強くあれ《アームズ》』を三回重ね掛けた程度のパワーじゃない。……何をした?」


 さっきと打って変わってシリアスな声色。それで僕に答えが分からない問いを投げかける。その答えを考え、出す前にミツレさんが前に出た。たぶん僕に余計な事を言わせたくなかったのだろう。


「……エマ。それを知って、どうしたい?」


 強い口調だ。いつも含まれている言葉の柔らかさが失われている様に思える。きっと、それだけ隠したい何かがこの問いの答えなのだ。

 それを知らされてない自分の不甲斐なさも気に障ったけれど、ミツレさんにも考えがある。そう信じたかった。


「単純な興味だよ。あれだけの低出力の魔法であれだけの威力が出せる組み合わせ。それを知ればアタシだってもっと強くなれると思ってね」


 二人は睨み合う。探り合いにしては酷く直接的だ。エマさんが策を弄すことができないってのは本当だったらしい。しかしこのままでは全く進展性が無いと思う。何故なら、ミツレさんがプレッシャーに屈して話すとは思えないし、エマさんも引くとは思えなかった。

 ピリッと張りつめた空気が維持されてしばらく。それを崩したのは僕でもエマさんでも、ミツレさんですらなかった。


「そうだな。それはオレも興味がある」


 金髪の男と黒髪の女の二人組。男は絵本や歴史の教科書で見た貴族みたいだった。白を基調としたパリッと整った衣服にマント。腰に差したサーベルは綺麗に装飾されていた。口を開けばさぞ偉そうなんだろうと偏見交じりに思う。


 一方女はワンピースにエプロンを重ね掛けしたスタンダードなメイド服。(少なくともこの世界では)どこにでもいる普通のメイドと言った感じ。だが、久々に見る黒髪に僕自身が驚いてしまう。肌色も色白ながら、日本人のように見えて勝手ながら親近感を覚えた。

 二人を見たミツレさんとエマさんは距離をとって、あからさまに警戒する。服装からしてただ者ではないことは確かだが、そこまでする理由が分からなかった。


「エリオット・ベイリー……」

「おっと『風拳』のトンプソンに覚えられているとは光栄だね」

「優勝候補筆頭がよく言うな。『炎帝』のエリオット、君がどうしてここにいる」

「どうしてって、決まっている。オレもこの学校の生徒だからだよ。『宝石姫』」


 エリオットと呼ばれた男はバチバチと二人と言葉を交しても涼しい顔をしている。僕だったら気圧けおされてしまいそうだと、他人事の様に眺めていたらエリオットの眼がこちらに向いた。


「君が噂のフヅキ君か。流石『宝石姫』の選ぶメイドだ。近くで見るとより一層だね。家に持って帰りたいぐらいだ」

「……エリオット様」

「おっと、そんな怖い眼でこっちを見ないでおくれ、ミラ。本気で言った訳じゃない。僕には君がいるからね」


 自分のメイドと言葉を交わし、僕から目線を切る。


「それで、何の用なんだ」

「何の用って、言ったじゃないか。トンプソン君と同じだよ。興味があるんだ、フヅキ君に。オレは数々のメイドを見て来たが、彼はかなり特殊な部類だ。人種に魔法のあり方、不思議な部分はこれからももっと増えるかもしれない。どうにかして教えてくれないかい?」


 エリオットは先ほどの問いを今度は自分の口から聞く。一瞬にして会話の中心にたどり着いた彼は遠慮がない。それに対してミツレさんは表情を崩す事無く首を振った。


「それは無理な相談だ。何故なら、私も君が納得させることができるだけの情報を持っていない」


 嘘なのか本当なのか分からない解答をする。堂々としているが故に、少なくとも素人の僕からは判断が付かない。そして。こう続ける。


「それに知っていたとしてもエリオット、君に教える理由はない。聖戦ももう近い。好奇心に応えるために手札を晒すわけにはいかないだろう」

「それも妥当だね。僕が君でもそうしたよ」


 エリオットは頷いた。こうなるということは分かっていたといった態度だった。だったら、何でこっちに来たんだ。ひっそりと隠れていればミツレさんが何か漏らしたかもしれないのに。


「エリオット様、時間です」

「おっと、もうそんなか。では立ち去るとしよう。あまり歓迎されていないみたいだしね」


 両手を広げて残念そうなジェスチャーを大げさにしてから、来た道を戻る。その途中で僕とすれ違う。流れる様に彼は僕の肩に手を置いた。

 ビクッと肩が跳ねたけれど、エリオットはそれを気にする素振りも見せない。そして他の誰にも聞こえない様に僕の耳元で囁いた。


「彼女は、君を騙している」


 一瞬それがどういう意味なのか分からなかった。思考が追いついて、どういう意味だと聞き返そうとしたけれど、既にエリオットはもうこの場から完全に立ち去っていた。


 ミツレさんが僕を騙している? どういう意味だ?

 ミツレさんは見ず知らずの僕に手を差し伸べて、今もこうして助けてくれている。だいたい、僕を騙した所で何のメリットがあるって言うんだ。

 でも、彼女が隠し事をしていることは明白である。エマさんやエリオットの聞いたものの答え。それは敵でもない僕にも知らされていないのだから。

 動揺を上手い具合に収められないでいるとまた僕の肩に手が触れた。


「何を言われたの?」


 見知った、いつものミツレさんだった。さっきまでの固い印象はもうなかった。それに少し安心感を覚える。


「いえ、よく意味が分からなかったんですよ」

「そう、ならいいんだ」


 彼女が頷く。

 考えはまとまっていない。彼の言葉も、彼女の言葉も真偽は不明だ。でも僕はミツレさんを信じてついて行くことに決めている。たとえ騙されたとしても、裏切られたとしても、それを受け入れるだけの恩は彼女にある。まあ最も、裏切られていないことに越したことはないんだけれど。


「まあ、そもそもあの野郎の言うことなんて気にしなくてもいいぜ。何抱えているのか分かったもんじゃないからな」

「そうなんですか、ミツレさん」

「ああ。彼の家は王家に近い、面倒な立ち位置でね。扱いが難しいんだ」

「え? その割には不遜、というか露骨に嫌がってましたけどそれはいいんですか?」

「問題はないよ。偉いが、決定権を持っている訳じゃない」


 ん? 王家に近いってことは何かしらの権限を持っている言うことではないのだろうか。でも僕のいた場所と常識が違うのだから、そうとは言い切れないか。


「分かりました、気にしないことにしておきます」

「そうしとけ、そうしとけ」


 エマさんがそう言って、そのように受け入れることに決めた。

 そして、話題を切り替える。その手段として少し疑問だったけれど、先延ばしにしにしていた問いをミツレさんに投げることにした。


「ところでミツレさん。学園長もミツレさんも聖戦が近いって言ってましたけれど、日程は? 僕、具体的な日程を一切知らないんですけど」


 僕は知らない。彼らと戦う覚悟も決まっているけれど、何事にも段取りがある。それを知らないことにはこれから行動を起しづらい。だからなるべく早く知っておきたかった。

 彼女はそれを受け「あれ、言ってなかったっけ?」ぐらいの気軽そうな表情で言う。


「一週間後だよ」

「それ、早く言ってよ……」


 僕は項垂れながらそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る