2024年9月8日 下血
下血、またやっちまったか。
15年程前にも大腸憩室炎で、大腸切ってしまい、血便が止まらず危うく死にそうに。ただ寝れば治るだろうと、そのまま自宅で寝たら、翌日には動ける。普通に日課のウォーキングも出来る。何だそれ。
ただ後日、腎臓の定期検診で病院に行くと、血液検査の半分以上がマイナスで、どうした。かくかくしかじか。そこから大腸検査と輸血で、まあ安定したか。
そして、また今回。予兆はあったんですよね。新しく買った麺つゆが濃厚で、いつも使っていたのより希釈しないいけないのに、そのまま冷やしうどん完杯。いや気づくだろうも、薬味多すぎて気づかず。その後、凄い心臓バクバクする、頭もガンガンする。ネットで色々読んで、水分、コーヒーを兎に角取りまくったら、強烈な下痢をして漸く排出。ここが後で響く。
その1週間後に、前触れもなく下血、ここで影響出るか。各先生にも聞いたが、それは関係ない。いや、それしか強烈な刺激がなく、腸管切る原因ないんですけどね。
まあ、その日の午前中に、県病院に徒歩で駆け込むも、提携病院に行けと。えっつ、死ぬかもしれないのに。まあ歩いて来れたから大丈夫でしょうの判断でしょうね。
そこから、近くの提携病院に行って、胃カメラとCT撮って、フル検査で1.2万円。処方箋は1週間。もっと欲しいなと思ったけど、身体に合うかだろうし。
ここの先生が、どうやら中学生時の同学年らしく、いや正直誰か分からない。互いに。まあ当時は、1学年10クラスのマンモス学校だったので、それはそうだろうと。
でも、処方箋心許ないで、いよいよ家の真裏の病院に行く。ここの先生は、本当幼馴染で、中学迄ほぼ一緒。あちらは秀才で、私は教科書すら開かない無勉強の民。住む世界が違うとは、当時から思っていた。
そして、診察になると。おおの再会かと思うと淡々診療。誰か分からないらしい。私も先生も声も見た目も変わり過ぎたし。まあかな。
それで最後に私だよ、ほらになるも。誰かな君。視線を滅多に合わせず、ああそうかもね、失礼。まあそういう事だろうなと。知らないふりか。
先生の家系は立派な医者で、ここ迄引き継ぐ為に、大きな決断、大きな切り捨てをしないと、こうも明晰な診察出来ないだろうなと。
ここは非常に分かる。一時期尖っていた頃の私もそれで、その都度やむ得ず切り捨てて生きてきた。でも、そう言う生き方って、気づいた時には最後に手元に何も残らない人生だったりする。それが良いか悪いか、そう言う生き方を要求されるのも運命と言うものだから、逆らえない。
まあ診察は、血便も薄くなったから大丈夫でしょう、残った薬で十分。また大腸切るとお世話になりますで、診察終える。
次切ったら、老人だろうし生きてるのかどうかな。その時も、ニックネームで呼ばれはしないだろうなと。大人の晩年はこういう切なさもある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます