第23話 誰が流した涙なのか→泣いているのは誰なのか⑤


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「ぐすっ、えぐっ、ひっく」


 両手の甲でぐしぐしと顔を何度も拭う。


 冷たい床に貼り付けたお尻が冷たいけれど、泣きすぎて脱力しきった身体を持ち上げることができない。


「ずっ、ふぇ、ふぅうう」


 浅く何度も深呼吸をして息を整えようと頑張ってみる。


 未だ涙は止まらないけれど、なんとか冷静な思考を取り戻せるところまでは落ち着いてきた。


「ひっく、うじゅ、すんっ」


 しゃっくりと嗚咽と鼻を啜る音を同時に出すなんて自分のことながら器用だぁなんて呑気なことを考えながら、もう一度ハッチから魔導炉の内部の様子を伺う。


 変わらず、ゼパルはそこに居る。

 姿を見ているだけでこみ上げてくる思いに再び泣きそうになったから、思いっきり手を伸ばしてハッチの扉を掴み身体を引き上げた。


 よろよろと立ち上がりながら両手でハッチの鉄板を持ち上げ、ロックが解除された感触を確かめてからパッと手を離す。


 鉄板の重みによって凄い勢いで閉まるハッチの扉。


 機関室の通路に響く鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音を聴きながら、オレは目を閉じて精神の奥深くで蹲るイドへと意識を向けた。


 イド──────大丈夫?


【は、はい。お恥ずかしい姿を見せてしまいっ、大変申し訳っ……ございません】


 オレと同じ様な泣き声でしゃくりをあげながら返事を返すイド。


 その声を聞いてなんだか安心したオレはゆっくり息を吐きながら通路の壁に背を預けて、ずるずると力無く座り込んだ。


 そしてしばらくオレとイドは泣き止むことに集中し、無言の時を過ごす。


 そしてイドがいつもの様に落ち着きを取り戻したことを感じ、心の中で問いかける。


 ねぇイド、どうして泣いていたの?

 なんでイドが泣くと、オレまで泣いちゃうの?


【どうして泣き出してしまったのか、それはイドにも分かりません……。イドは『悲しい』という感情をデータでしか知りませんでした。これが『悲しい』という感情なのか、イドには判断ができません。イドの感情が姫へと流出したのは、イドと姫の精神が密接に繋がりすぎている為──────だと思われます。本来はフィードバックを受ける側であるイドの感情データが、なんらかの要因で一時的に姫の感情データを上回り逆流してしまったのだと……現時点では推測に過ぎませんが】


 イドにもわかんないこと、あるんだ。

 なんだか教えてもらってばかりだから、ちょっとびっくりした。


【申し訳ございません……まさかシステム・イドにこの様な欠陥バグがあろうだなんて……今システムの内部を全力で調査しております。姫を完璧に補佐するためのイドなのに】


 いいよ。

 イドも普通の人間と同じ様な感情を持っているんだって、逆にちょっと安心しちゃった。


 オレらずっと一緒なんだろ?


 無機質な機械と一緒にいるより、同じ気持ちを共有できる兄弟──────姉妹と一緒の方が寂しく無いじゃん。


 なんだかオレ、この世界に転生してきて変わってる自覚があるんだ。


 考え方が幼くなった──────っていうか、女の子っぽくなってる気がする。


 猫たちはオレが元々男って知らない様だし──────そもそも本来のラァラとして造られているって信じきってるのは察してる。

 それがなんだか申し訳なくて、今まで出来る限り自然にラァラっぽく振る舞ってきたけど。

 

 オレの事情を理解してくれて、相談に乗ってくれるイドにはとても救われているんだ。


 だから別に良い。

 むしろちょっと、嬉しい……かな?


【──────姫……】


 一言だけボソリと呟いて、イドはオレの精神の中で黙り込む。

 感じているのは、こみ上げてくる嬉しさをなんとか隠そうとする健気な気持ち。


 立ち位置的には色々教えてくれるお姉ちゃんみたいだと思っていたけれど、実はイドの方が妹ポジションなのかも。


「ん、よいしょ……っと」


 重たいお尻──────いや、実際には小さくてとても軽いんだけど──────をなんとか持ち上げ、オレは立ち上がってワンピースの埃を払う。


 3号や4号がオレの帰りを待っている。


 ここまでの道のりを歩いた事や大泣きをしたことでかなり疲れているから、実はとっても眠たいんだ。


 戻ろっか。イド。


【はい。お部屋に帰りましょう姫。お夕飯まで体力の回復に努めることを推奨します】


 うん、そうだね。

 

 夕ご飯、楽しみだなぁ。5号の作る料理、びっくりするほど美味しかったね?


【5号はゼパルの『生活力』を基礎にして、各地の料理人の腕を模造したデータによって構築された『料理人タイプ』の人工猫妖精ケット・シーです。生前のゼパルは美食家としても有名で、魔導書と料理レシピなんかを書くことをライフワークとしていましたから】


 そっか!

 なんでもできるなあの人──────お父様……は。


【ええ、凄いお人です。姫のお父上……ですから】


 ちらりと閉じたままのハッチを見る。

 あの姿を見たことで、オレとイドにとってのゼパルへの認識が少し変わっている。


 あの人を父と呼ぶことに、なんとなくだけど抵抗が無くなっていた。


 生前の、あの人がその人生を捧げるまで愛したラァラ・テトラ・テスタリアと同じ姿をしたオレたちだから。


 せめて呼び方ぐらいは、父と慕っても良いんじゃ無いだろうか。


【──────そう、ですね】


 イドは静かに同意する。

 やっぱりオレたちは気が合うのだろう。だってほとんど同一人物らしいしね!


「お、とうさま。また──────きます」


 分厚い鉄板で造られた堅固な隔壁の向こうへと、小声で語りかける。




 その先で、大魔導師が恥ずかしそうにはにかんだ──────様な気がした。

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