長女と第一王子1

 私クルミ・エステートがグレース王国第一王子リアム・グレースと初めて会ったのは4歳の時だ。


 隣に手を繋いだ2歳の妹と乳母に抱えられた0歳と数ヶ月の妹が、前にはリアム様とその弟たちが同じように並んだ光景はなんとも異様だった。


 まだ話せない下二人の代わりにお母様が簡単に紹介した後、「さあ、クルミ、リアム様よ」と自己紹介を促すよう軽く背中を押された。

 お母様に繰り返し教えてもらった通り、妹から手を離して会釈をしようとした。


 が、私の手はスカートの布を掴むより先に目の前のリアム様に手を取られ、軽く口付けられていた。


 教えと違う流れに目を白黒させていると、リアム様が優雅に笑って「僕の可愛いお姫様、ずっとそばにいてね」と私を見上げた。


 その幼い男児とは思えない艶っぽい表情に後ろに立っていたお母様は黄色い悲鳴を上げてお父様にもたれかかり、私は顔を真っ赤にして、訳も分からず「はい」と蚊の鳴くような声で答えるので精一杯だった。


 少し年齢を重ねてから9歳児があんな振る舞いできるわけない、絶対王妃様が教えたんだと失礼を承知で王妃様を問いただしたが、本当に何も教えていないそうで、どこからあんな技を学んだのかは未だに謎である。


 あの初対面から、十年以上の月日が流れたが、彼は相変わらずだ。





「おはよう、僕の可愛いお姫様」


 私の指先を軽く持って、手の甲にちゅっと音を立てて口づけをして、リアム様が色っぽく微笑んだ。


「おはようございます、リアム様」


 応えながら周りを横目で見ると、多くの人が慌ただしく足を動かしながら、目はばっちりこちらを映している。


 ここは魔法省の門前であり、今は朝の通勤時間のため、日で一番人通りが多い。



「リアム様。毎日顔を合わせるのですから、こう毎回丁寧にご挨拶してくださらなくて大丈夫ですよ。」


 リアム様の持たれた手を戻しながら、毎朝居た堪れない気持ちになるこちらの身にもなって、なんて言葉は心にしまって、優雅に淑女らしく微笑む。


「これは僕なりの愛情表現なんだ、そろそろ慣れてもらわないと」

「もう十分伝わってます」

「うわ、つれないなー、昔は顔を真っ赤にして喜んでたのに」

「いつの話です?あなたは魔法省のトップなのですから、注目されている自覚をもってください」


 肩を竦めるリアム様に語気を強めた。


 もちろん間違いではない。

 ただ、第一王子で魔法省大臣という肩書や三種の魔属性を持つ常軌を逸した優秀さより、彼の麗しく魅力的な見た目が注目される最も大きな理由なのだけれど。


 婚約者の私と肩を並べて歩いている今も「リアム様、おはようございます」と女の子たちが声をかけてきては「おはよう、僕の子猫ちゃん」と返すリアム様の微笑みを見て卒倒しそうになっている。


 「リアム様のお姫様や子猫は何人いるのかしら」と小声で呟くと、「安心して、お姫様は君だけだよ」と甘く囁かれたが全くもって嬉しくない。



「そんなうつつをぬかしていると、誰かにトップを奪われますよ」

「うーん、いるかな?僕を超えられる人なんて」


 誰かを強調していうと、満面の笑みを返された。


 それまで第一王子の婚約者として相応しくと、ゆったりと微笑んでいた自分の顔がぴしっと固まったのが分かった。

 彼はそんな私の顔を見てくすくす笑っている。

 この人は私が小さい頃からその地位に憧れているのを知っているのだからとてもたちが悪い。



 心の中の葛藤を必死に収めようとしていると、後ろからぽんっと肩を叩かれた。



「クルミさん、おはようございます!」


 振り返ると、肩まである銀色の髪を後ろで一つに束ねたセオが爽やかな笑みを浮かべて、後ろから歩いてきていた。


「セオ、おはよう」


 セオのその表情に毒気を抜かれて、緑色の瞳を見ながら微笑むと、隣でリアム様が「どちら様?」と首を傾げた。


 そういえばリアム様と顔を合わせたことはなかったかもしれない。


「先月から私の補佐をしてくれているセオ・テイラーです」

「補佐……」


 不思議そうに呟いているリアム様に、セオは「は、初めまして」と緊張したように軽く頭を下げた。


 今度はセオに視線を向けながら「こちらは」と言いかけると、セオが「もちろん知ってます!俺、リアム様に憧れてて…!」と勢いよく身を乗り出してきた。

 リアム様は言われ慣れているのか、「ありがとう」といつもと同じように微笑む。


 私と初めて会った時は感動も何もなかったのにと肩を落とす。

 リアム様と自分を比べるなんておこがましいけど、やはりプライドはほんの少し傷つく。


 リアム様と話せてよほど興奮しているのか、セオは私のことがもう見えていないらしい。


 先ほどから身を乗り出したセオの体に左肩が押されて距離が近いし、彼が小柄でヒールを履いた私と背丈があまり変わらないせいか顔もすぐそこにある。


「セオ落ち着いて」


 この間の研究が、と饒舌に話を続けていたセオに声をかけると、彼も顔の近さに気づいたのかほんのり顔を赤くして体をのけぞらせた。


「ご、ごめんなさい!」


「ううん、大丈夫」と答えながら、ふとリアム様の方を見ると珍しく眉を顰めて小難しい顔をしていた。


 そうこうしている内に、魔法省のオフィスや研究室が並ぶ建物に到着した。


「それではリアム様、また」

「また後でね」


 リアム様は専用の執務室があるため、にこりと笑って反対の方向に歩いていった。



「いやーリアム様かっこいいですね」


 セオが目をキラキラさせているのが面白くなくて、ふんと口を尖らせて少し足を早めると、セオが「え!クルミさん!?」と慌てたように追いかけてきた。

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