水族館での告白

 次の朝はよく晴れた。月曜日なので父さんと母さんは仕事に向かったのだろう。僕が少し遅めにリビングに降りると朝食が作り置きされていた。ベーコンエッグと食パン、サラダがラップに包まれている。


 沙綾の分もなかったので彼女も朝早く部活へ向かったのだろうと思った。ベーコンエッグをレンジで温め、食パンをかじる。スマホを見るとTwitterとインスタから通知が来ていた。僕が先日投稿したゴールデンレトリバーの写真に多数のいいねやRTがついていた。フォロワーも増えている。僕はこれを見て昨日の一件で失った自信を少し取り戻した。僕にはまだ居場所がある。僕の写真を待ってくれている人たちがいる。




☆☆☆




 朝食を食べ終え、食器を片付けると、僕はリュックに財布とPASMOを入れて外に出た。夏の日差しは相変わらずきつかったが、日陰を歩くと涼風が時々吹き付ける。雲もなく青空の広がった心地よい晴れの日だった。久々に電車に乗って遠くへ出かけてみる。もちろん「砂時計」も忘れない。


 僕は海の近くにある水族館までやってきた。夏休みの平日ということもあり、大学生や高校生のカップルが多い。僕はチケットの係員に




「高校生、2枚ください」




と告げる。不審がる係員から二人分のチケットを受け取ると、僕は一人で水族館に入っていく。


 ここの水族館も小学時代に家族で来て以来だった。沙綾と2人でイルカショーに目を輝かせた記憶がある。展示も大幅に変わり、リニューアルした館内にあの頃の面影はない。


 僕はマグロやサメのいる大きな水槽を抜けて、イルカショーを観た。平日の午前中のためか観客は少なめだったが、イルカたちと飼育員さんたちは最高のパフォーマンスを見せてくれた。ちょうどイルカが宙を舞ったところで、僕は時間を止めた。




 軽快なBGMも水しぶきの音も一瞬でなりを潜め、無音のイルカショーが始まった。太陽の前で動かないイルカを、ヨスガは腫れた目で見ていた。右頬には絆創膏が、左足には包帯が巻かれている。制服姿はいつもと変わらない。僕にはヨスガが昨日の夜の姿のまま水族館に現れたように思えた。少しだけ元気がないように見える。


 僕はイルカの写真をスマホに2,3枚収めると、大きな水槽がある水族館の本館へと歩き出した。


 ヨスガが




「もうイルカの写真はいいんですか?」




と不思議そうに問いかけながらついてくる。




「あっちにも撮りたい魚がいるんだ」




僕はそう答えながら歩いた。




☆☆☆




 それからヨスガと二人で音のない水族館を回った。ウニ、ウツボ、クマノミ、イソギンチャク……。久々に来た水族館は知らない魚をたくさん見られて新鮮だった。それはヨスガも同じだったらしく、彼女は少しずつ元気になっていった。イソギンチャクに隠れるクマノミを見て




「可愛いですね。ずっとここにいたいくらいです」




と微かに笑った。綾野先輩と同じ頬に笑窪ができる笑顔だった。




☆☆☆




 少し歩くとマグロやカツオといった回遊魚の水槽に出た。回遊魚は常に泳ぎ続けないと死んでしまう魚で、普段はトンネルのようになった通路の上を元気よく泳いでいる。そんな回遊魚たちが一匹残らず水中で静止していた。その間に太陽光が流れ込み、まるで木漏れ日のように通路に映り映える。水面やそれに反射する光までも固まっているため、まるで大きな氷の下にいるような気さえしてくる。


 僕はふと真横にいるヨスガを見た。昨日の怪我のことなんか忘れて、水族館を楽しんでいる気がした。だが眼だけが常に遠いところを見つめているように見えた。初めて会った時もこんな目をしていた。将来に希望の持てない人間だけがこの眼になることを僕は知っている。僕も時よりこうなるのだから。


 木漏れ日が差し込むような回遊魚の水槽を歩きながら、僕はヨスガに昨日の話の続きをする。




「ヨスガ、昨日は悪かった。僕のせいで怪我をさせてしまって……」




 ヨスガは少し驚いた顔をして、僕を見た。




「いいんです。むしろ傷の手当てをしていただき、ありがとうございました」




 ヨスガは見る者によって姿形が変わるはずなのに、膝から血を流し、頬を擦りむいていた。そうして時間が動き出しても、僕が手当てをするまでその傷は放置されたままだった。ヨスガは一体何者なんだろうか。僕はここで昨日聞きそびれたことを思い出す。




「……昨日言ってたこと。もう一度聞いてもいいか?」




「はい、なんでしょう?」




「ヨスガの時間だけが、世界と違うって話……」




「ソウタさんは優しいんですね」




ヨスガはここで足を止めた。つられて僕も足を止める。




「私なんかのことを気にしてくださるなんて……」




「まあ、そりゃ気になるよ。時を止めるたびに必ず会うからね」




少しの間があって、ヨスガは何かを決断するように目を瞑り、そして口を開いた。




「約束していただけますか? 私の秘密をお話ししても、この時間停止の実験を続けると」




 初めて会った日のようにヨスガはかしこまった。僕は少し迷ったが、




「わかった。約束する」




と答えた。この告白がヨスガにとってどれほどの重みをもった決断であったか、僕には想像もつかない。彼女は大きく息を吸い込むと、話を始めた。




「……私が自由に動けるのは、時間が止まった世界だけなんです」


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