0:03 ヨスガの秘密

花火の日

 8月に入った最初の日曜日、沙綾が朝から慌ただしく準備している。僕があくびをしながらリビングに降りると、沙綾はカメラに三脚とクーラーボックスを持って家を出るところだった。




「……どこか行くのか?」




 えらく重装備だったので気になって訊いてみる。




「今日花火大会でしょ。場所取りしないと」




 沙綾はさも当然のごとくかのように答える。そうか。今日は花火大会か。毎年恒例のイベントだが、もう何年も行っていない。沙綾が




「じゃあ、お母さん、お父さん、いってきます」




と声をかけると、キッチンにいる両親が




「気を付けるのよ」「父さんたちもあとで行くから」




と返事をする。僕は誘われない。そりゃ何年も行っていないのだ、当たり前だろう。


荷物を担いで出ていこうとする沙綾の背中に




「僕も行くよ」




と言う。それを聞いた沙綾は振り返ることなく、ひとこと言い残して出ていった。




「来るなら早めに来てよね。一人で場所取り大変なんだから」




☆☆☆




 沙綾には悪いことをした。僕が花火大会の会場に着いたのは夕方だった。結局この日も時間を止めた写真撮影に夢中になってしまった。申し訳ない気持ちになって沙綾のもとに急いで向かう。まだ日も落ちてなかったが、久々に来る花火大会に僕は疲弊していた。河川敷にはブルーシートが敷かれ、堤防の上には屋台が出て人で溢れかえっている。人の波を掻き分けなければ先に進むことができない。


 それでも僕が花火大会に行くと決めた理由は簡単だ。時間を止めて花火の写真を撮りたいからである。沙綾やその他大勢の観客が朝から場所取りに励む中、僕は時間を止めて最前列で撮影することができると思った。きっと今までにない最高の写真が撮れるに違いない。




 やっとの思いで沙綾のもとについたが、彼女は複数の男女に囲まれて談笑していた。みんな浴衣姿の中、沙綾だけショートパンツにサマーニット姿なので浮いている。「懐かしいね」なんて声が聞こえてくる。みんな小学時代の同級生だろうなと思った。


 一瞬、沙綾と目が合ったが、すぐに無視された。僕はこの場にはいれなくなり、花火大会が始まるまで少し離れた公園で待つことにした。砂時計を手に公園のベンチに腰掛ける。花火の時間が近づくと、この公園も人が増えてきた。一人ぼっちの高校生に周りが好奇の視線を向けるのを感じる。今すぐにでも時間を止めて逃げ出したいが、砂のチャージが切れてしまうためにできない。


 僕は暗くなるまでベンチで下を向いていた。時間が止まっていても、動いていても、結局一人ぼっちであることには変わらない。時を止めてさえしまえば一人でいることなんて何も怖くないのに、どうして動いていると僕は逃げ出したくなるのだろう。そのまま頭を抱えて僕は時間が過ぎ去るのを待った。




☆☆☆




 花火の音が鳴り響いて、僕は頭を上げた。始まったのだ。この公園からはビルの陰になって花火は見えない。打ちあがる音とともに歓声が聞こえてくる。


 僕はプログラム終盤の一番きれいな花火を撮ろうと考えた。ベンチから公園の入り口まで歩くと、少し遠目ながら花火を見ることができた。久々に見る花火は迫力があって、美しかった。時間を止めるのが惜しいくらいだ。このままここでフィナーレまで待つとしよう。


 僕は花火を見つめながら、ふと砂時計を見つめた。時間を止めると、ヨスガが現れる。最前列の撮影スポットへ行くまでに、屋台の並ぶ人ごみの堤防を抜けなければならない。僕の後にはもちろんヨスガが着いてくる。ヨスガはしゃべらなければ綾野先輩だ。女の子と人ごみの堤防を掻き分けるだなんて、まるでデートしているみたいだと僕は思った。綾野先輩と花火デート。どうせなら浴衣を着てきてほしい。僕は淡い期待に少し胸がドキドキしていた。




フィナーレが近づいたので時間を止めると、ヨスガはいつもの制服姿で現れた。




「なんでだよ」




と思わず口に出る。




「……なにがですか?」




 ヨスガは不思議そうな顔をして聞き返した。僕は




「いや、なんでもない。花火を撮りたくてさ」




と誤魔化す。花火大会の目玉である何発も打ち上げられた花火が、真っ黒な夜空で静止している。今にも消えそうなのにいつまでも空に居座っている。不思議な感じだ。




「綺麗ですね、久々に見ました」




ヨスガは花火を見て、初めて目を輝かせた。その目は綾野先輩に似ていた。




「もっと近くへ行こう」




 そういって僕は河川敷のほうへ歩き出した。ヨスガはもちろん後からついてきた。静まり返った大会会場。皆が花火に見とれたまま動かいない。その花火の足元へ、ヨスガと二人で歩いていく。


 堤防の近くまで来ると徐々に人が増えてきた。浴衣姿の中を掻き分けて僕は堤防の階段を目指す。だがここで予想外のことが起きた。堤防までの道のりはすごい人だかりで全く先に進めない。時間が動いていれば譲り合って道が開けるだろうが、今は誰も動かない。まるで大量のマネキンのように静止した人の波が僕とヨスガの前に立ちふさがる。


 僕は一人一人慎重に動かしながら、堤防へとつながる階段を登っていく。ここで砂時計を見ると、もう砂が半分まで落ち切ってしまっていることに気づいた。振り返るとヨスガはまだ階段の下段だ。彼女を待っていては最前列で撮影し、戻ってくることなど不可能だろう。僕はヨスガをおいて堤防の上を目指すことに決めた。おそらく今上がったままの一発で花火大会は終わる。このチャンスを逃すわけにはいかない。しかし堤防の上はさらに混雑していた。頑張って真ん中まで来たが、完全に身動きが取れなくなった。そんな中で無情にも砂時計の砂が落ち切ろうとしている。僕は思わず目を瞑った――。




――ドドン、ドドドドドン、ドン




 最後の花火が綺麗に散って、花火大会は終わった。僕は歓声のあがる堤防の真ん中でただ一人花火を見ることなく立ち尽くしていた。


 目を開けると浴衣姿のカップルに四方を囲まれていた。各々「綺麗だったね」など感想を語り合っている。僕はこの場に似つかわしくないと思った。一刻も早く消え去りたい。少しずつ溜まる砂時計の砂を見ながら、人の波に乗って歩いた。堤防が混雑していることはわかっていたが、一人一人動かさなければならないのは予想外だった。




「ソウタ? ソウタだよな?!」




 心で反省会を開きながら歩いていると、低い聞き覚えのない声に呼び止められた。僕は声の主を探して振り返る。




「やっぱりソウタだ。オレだよ、中学一緒だった小林だよ」




 坊主頭にニキビ面。中学時代のヒーロー小林星士こばやしせいしだった。身長は以前よりさらに高くなっている。僕も少しは伸びたが、僕の頭の高さが彼の肩あたりにある。




「……小林くん?」




「久しぶり! ソウタ!」




 小林は満面の笑みで数年ぶりの再会を喜んでくれた。しかし僕は素直に喜べなかった。一人で花火大会に来ていたと思われたに違いない。惨めな姿での再会だった。小林が横に浴衣の女の子を連れていたのも僕の惨めさに拍車をかける。嫌だ。僕は今すぐに脱兎のごとく逃げ出してしまいたい。しかしお互いに旧友だと認めてしまった以上、このまま会話をしなければならない。




 僕はすかさず砂時計に手を伸ばしていた。茜色が広がり、時間が止まる。チャージした時間はおよそ1分。その間にできるだけ遠くへと逃げることを決める。


 行きは慎重に進んだ人ごみを強引に押し倒し、一気に階段を駆け下りる。ヨスガは何もわからずついてくる。彼女は時間を止めた場所に現れるので、今は堤防の上にいる。




「どうしたんですか?!」




 慌てて走り去る僕を追いかけながら、ヨスガが叫ぶ。僕は




「いいから走れ!」




と階段を下りながら答える。




「ちょっと待ってください、きやっ」




 その時、ヨスガの小さな悲鳴が背後から聞こえた。僕が途中で足を止めて振り返ると、彼女は階段で転倒し膝と頬を擦りむいていた。人ごみの階段を一気に駆け下りようとして、足を滑らせたのだ。


 僕はヨスガを助けようと思ったが、小林から逃げることを優先してしまった。堤防の真下、まだ小林から見つかる可能性のある場所だ。ヨスガは大丈夫。普通の人間じゃない。時間が動き出せばきっと別の場所にワープでもして、傷の治療を誰かがしてくれる。そう自分に言い聞かせて、そのまま振り返ることなく、さっきの公園を目指して一目散に走った。途中、ヨスガのすすり泣く声が聞こえた。泣き声を上げないように必死に声を絞っているのも分かった。それでも僕は止まらなかった――。




 ちょうど公園についたところで砂時計の砂が落ち切り、時間が動き出した。僕が上がった息を整えていると、堤防のほうで悲鳴が響いた。僕の押し倒した人たちが、時間が動き出すことによって一斉に倒れたのであった。


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