僕がすべきこと

 高校生活最後の夏休みが始まった。綾野先輩と過ごした小4の夏休み以来、僕はずっと一人ぼっちで過ごしてきた。


朝から晩までクーラーの効いた部屋で現実逃避に勤しむ。ゲームかアニメか小説か映画。両親はもちろん仕事だし、沙綾は部活だから、家には僕しかいない。学校でも夏休みでも一人ぼっちには変わりないが、学校があるよりは気が楽だ。日が沈めば部屋から出て、少し散歩して眠る。今年の夏休みもそんな感じで終えるつもりだった。でも神様がいたずらをした。というよりお遊びの被検体にされた。




☆☆☆




 茹だるような暑さが僕を照り付ける。7月下旬の太陽は嫌いだ。僕は砂時計をもって昼下がりの公園に向かった。真ん中に大きな噴水を有するこの公園は平日の昼間でもかなり賑わっている。蝉が永遠と鳴き続け、子供たちの笑い声がプールのほうから聞こえてくる。


 この公園にはたしかドッグランがあったはずだ。暑い中をTシャツにジーパンで探し回るとゲージに囲まれた広いスペースに行き着いた。犬の鳴き声が聞こえてくる。大型犬用と小型犬用があり、大型犬用のドッグランにゴールデンレトリバーが元気よく駆けていくのが見える。


 僕はそれを見て、砂時計を使い時間を止める。蝉の鳴き声が一瞬で止み、静寂に包まれた。ゴールデンレトリバーは両足とも地面から浮いた状態で固まっている。ヨスガは僕の後ろに現れて不思議そうな顔をし、スマホを構える。


 そんなヨスガを横目に




「まあ見てろって」




と言って、僕はドッグランに入る。犬の前でしゃがみこむとスマホを取り出し、写真を収める。ゴールデンレトリバーは口から舌を出し、犬歯をむき出しにして動かない。目は生き生きとしており、今にも動き出しそうだ。一般的に動物の写真を撮るのはかなり難しいらしい。しかし今の僕には自由自在だ。アングルも構図も好きなだけ吟味して好きなように撮ることができる。スマホのカメラでもブレることはない。


 一通り撮影を終えて、僕はヨスガを見る。スマホを構えたまま僕を見つめるその顔が少し笑っているように見えた。




☆☆☆




 時間を止めたままドッグランから出て、僕はそのまま公園を散歩した。不思議な心地がする。さっきまであれほどうるさかった公園が今は物音ひとつしない。僕とヨスガが歩く足音だけが響いている。


 公園を歩いていると様々な発見があった。人はもちろんのこと、鳥や虫までも静止した公園はどれだけ歩き回っても飽きないような気がした。僕は写真を撮りながら、時間の止まった公園を満喫した。鳥や蝉にありえない距離まで近づいてみたり、噴水の水滴の真下で水滴越しに太陽を見つめたりした。


 夢中になっていた僕は、途中からヨスガがついて来ていないこと気づいた。気になってあたりを見回すと、ヨスガは噴水横の水飲み場で水を飲んでいる。夏場だというのに中高一貫校のブレザーを羽織っていていかにも暑そうだ。いやそれは綾野先輩の姿だからそう見えるのであって、本当のヨスガがどんな姿をしているか僕は知らない。ただ暑そうなのには変わらなかった。時間を止めてはいるが太陽の日差しは普段と何も変わらない。事実、僕も暑さでやられそうだった。無機質に感じられたヨスガの人間らしい一面を見た気がした。そうしている間に砂がすべて落ち、時間が動き出した。








 蝉や物音たちが一斉になり始め、あたりの人間たちも動き始める。水飲み場はヨスガの姿だけが消え、誰もいない空間に水だけが噴き出している。僕は急いで水を止めに行き、スマホの中のアルバムを確認する。


 我ながらいい写真が撮れた。ゴールデンレトリバーに蝉、鳩の群れ。噴水を真下から見上げた写真。何も知らない人からすればどうやって撮ったのだろうと疑問を抱くものばかりだ。その場で気に入ったものをいくつか選定しインスタグラムとTwitterにアップした。僕のこの写真たちがフォロワーの多いユーザーたちに拡散され、有名になっていくのはもう少し後のことだ。この時は単純に時間をとめて写真を撮る面白さにハマっていった。




☆☆☆




 それからしばらくは時間を止めて写真を撮り続けた。野良猫や野良犬の自然な表情。珍しい形の雲。虹や雷の姿。気象や動物関連のものが多かった。気づけば1週間で100枚を超え、ほとんど何も入ってなかった僕のスマホのアルバムはいっぱいに近づいていた。


 時間を止めた数だけ、ヨスガに会う回数も増える。初めのうちは会うたびに軽蔑の眼差しを向けていた彼女が、次第に優しい眼差しへと変わっていくのをなんとなく感じていた。




☆☆☆




時間をとめて夕焼けの街を撮りながら、僕は何気なくヨスガに話しかけた。




「僕みたいな人間は珍しいのかな?」




「……そうですね。男性では珍しいです」




 この答えを聞いて、僕はしばらくの間、ヨスガから軽蔑の眼差しを向け続けていた意味を理解した。観察されていても構わずに、己の欲望を満たすためだけに能力を使った者たちがたくさんいたのだろう。見たくもない場面を見せられるヨスガが心を閉ざしてしまうのもなんとなくわかる。彼女のスマホには時間停止の醜い活用法がたくさん記録されているに違いない。




「本当は正義のヒーローになりたいんだけどね。時間停止を使って悪者を懲らしめるヒーロー。でもそう簡単に犯罪は目の前では起こらないし、悪者は現れない」




それに可愛いヒロインも現れてくれない。と僕は心の中で続きを言う。


 ヨスガは黙って僕の話を聞いていたが、何を思ったかスマホを取り出すと「例の動画」の再生を始めた。




《よ、よく見ると結構かわいいな……それに胸もでかい》


《……うわ、柔らけえ……》




僕のみっともない声が無音の世界に響く。一瞬にして顔が真っ赤になる。




「うわっ! やめろ、もうその時のことは忘れてくれ!」




「ふふふっ、悪者を懲らしめるときが一番楽しそうですね。正義のヒーローさん」




ヨスガが意地悪そうな声で笑う。僕は恥ずかしくなって彼女の顔を見れない。


 この頃から僕はヨスガを無機質な存在ではなく、「綾野先輩に瓜二つな人間の女の子」として意識し始めた。


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