第73話 いざ決戦の地へ
俺はベルの手を引きながら、宿へと帰っていた。
「良くこらえたなベル」
前を向いたままベルに言う。
「何か考えがありそうだったからの。我はグラムを信じている」
繋がれた手からベルの震えが伝わってくる。俺はその手を強く握りベルに言った。
「お前の妹は必ず取りかえす。安心しろ、行方はちゃんとわかっているから」
ベルの妹の競売中、ひとりの人物から視線を感じた。何かと思い見てみると、男は口角をあげパンチネェロに一言告げた。
180万ゴルドと。
なんの意図があったのかはわからない。しかしその男は、明らかに俺のことを認識したうえで、ベルの妹を買っていった。
「坊ちゃま。手紙が届いているみたいです」
宿の受付で手渡された手紙を確認しながら、エルネが言った。
「差出人は……、ヘイブン・フィルフォード侯爵ですね」
俺はエルネから手紙を受けとると、蝋封を破り中を確認した。
「……どうやら、明後日の昼に会ってくれるそうだ」
取引の相手として遠路遥々会いにきたフィルフォード卿。間違いないだろうなと思ってはいたけど、返事が届いたことに俺は改めて安堵した。
しかし問題はまだ山積している。むしろこれからが本番と言っても過言ではないだろう。
1つ目に、フィルフォード卿をいかにして口説き落とすか。そして2つ目、今日の件はどういったつもりなのか、問いたださないといけない。
しかし、まずはベルに教えてやらないとな。
「ベル、思った以上に早くお前の妹に再開できそうだぞ」
「ほ、本当かグラム!?」
必死の形相で問いかえしてきたベルに、俺は無言で頷いた。すると、緊張の糸が切れたのか、ベルの頬を一筋の涙が伝った。
「待っていろ……。我がすぐに迎えに行くからな……」
俺はベルの頭をそっと撫でその涙が乾くのを待った。
「坊ちゃま先ほどの話ですが、つまりフィルフォード卿がベルの妹を落札した人物だと言うことですか?」
部屋に戻りソファに腰を掛ける俺に、エルネが紅茶を差しだし聞いてきた。
「マスカレードマスクから出ている、口やあごのライン、耳の形にいたるまで、以前見たことのある肖像画と一致していた。恐らく間違いはないだろう」
俺は何も知らぬ人物に、ただのカンで会いに来た訳ではない。
頭の中のデータベースから、条件に合う有力貴族を検索して、ラトレイアまでやって来たのだ。
そのデータについても、昔書斎で読んだアイレンベルクの貴族名鑑が元になっているので、信頼はおけるはずだ。
「フィルフォード卿はなぜ、ベルの妹を落札したのでしょうか?」
そう言うとエルネは、俺の隣に座り紅茶を一口飲んだ。
「俺とベルのやり取りに気づいていたみたいだから、交渉の材料に……。いや、もしかしたら俺に何かをさせるためかも知れないな」
「何かとは?」
「いくつか想像のつくことはあるけど、具体的にはわからないな。それよりも、どうしたベル?」
エルネとは逆となりに座るベルが、さっきからひどく険しい顔をしている。
「ベル。先ほど坊ちゃまが仰っていたように、フィルフォード卿は人権派の人物です。ベルの妹が酷い扱いを受けていることはありませんので、安心してください」
そう言ってエルネは柔らかい笑みを見せた。優しい口調も相まって母性すら感じる。
「ああ。それはわかっているが、ずっと気になっていることがあるのだ」
しかし、ベルは険しい表情を崩さなかった。そして俯いたまま言葉を続けた。
「あんな側にいながら、我は憤怒の存在を感じることができなかった。いったい、憤怒に何があったというのだ……」
なるほど、確かにそうだな。それにベルが言っていた凶暴性も、なかった様に見えた。
でも今ここでなぜかを考えていてもきりがない。
「心配になる気持ちはわかるが、考えてもわからないことで気を揉んでも仕方ないだろ。そんなことは、取りかえしてから考えようぜ」
生きているのかすらわからなかった今までより、ずっと好転しているんだ。まずはできることからやればいい。
俺はそう考えベルに言った。
「そうですよベル。坊ちゃまなら、何があってもきっと解決してくださいます」
「……そうだな。ありがとう、ふたりとも」
エルネのフォローもあり、ベルはようやく少しだけ笑顔を見せてくれた。
今はこれでいい。明後日には満面の笑みに変えてやるさ。
俺は密かにひとり決意した。
そして、フィルフォード卿から招待を受けている当日の朝。
「な、なあグラム、俺おかしなところないよな?」
えんじ色のジェルトコール――膝まである真ん中の開いた上衣――に身を包んだガラドが、落ち着きのない様子で聞いてきた。
「エルネの見立てにけちつけるのか?」
「ち、ちげーよ! ただ俺こんなの着るの初めてだからさ」
ガラドは今、近世ヨーロッパ風の男性のファッションに身を包んでいる。
落ち着いた風合いのえんじ色のジェルトコールの中に、黒色のジレ――ベストのこと――と緑のシャツを重ね着、えんじ色の膝丈のキュロットに黒色のブーツを履いている。
ガラドは体格がいいから、丈の長いジェルトコールが良く似合う。色も赤い髪とぴったりだしな。
「冗談だよ。よく似合っているさガラド。なあエレイン?」
「おう、ガラドじゃないみたいだけどな」
エレインがにやにやと嬉しそうにガラドを見回している。
「ほ、本当か!?」
そんなエレインに褒められて、とても満足げな様子のガラド。俺の10の言葉よりもエレインの一言のほうが、ガラドには響くのである。
「ベル、どうにゃ? シャルル可愛くなったにゃ?」
深緑色のドームラインドレスを着こなしたシャルルが、その場でくるりと回った。
ウエスト部分と二の腕までの袖口がきゅっと締まったデザインは、シャルルのしなやかな体のラインを際立たせている。
また、細部を黒のレースであしらった深緑色のドレスは、落ち着いた大人の雰囲気を醸しだしている。
「ほらほらもっと見るにゃー」
まあ着ている本人は、欠片ほどの落ち着きも持っていないんだけど。
「シャルルも良く似合っているぞ。まるで貴族のお嬢様みたいだな」
俺がそう言うと、喜びいっぱいの顔でシャルルが腕にしがみついてきた。
「にゃふふ。そんなに言うならグラムの愛人になってやってもいいにゃー」
「愛人ってお前……、それでいいのか?」
シャルルの言葉に呆れた様子でベルが言う。
「強い男は女をはべらかすものにゃ。シャルルは寛大にゃよ」
「こ、こら! やめろってシャルル」
俺の体に額を擦りつけるシャルルを、ひっぺがすエレイン。シャルルはそのままエレインに額を擦りつけだした。
猫ってけっこう嫉妬深いと思ったんだけど、猫獣人はまた違うのだろうか。
「ちょっと、誰か助けてー」
そんなことを考えていたら、シャルルにまとわりつかれ困りはてる、エレインの叫び声が聞こえてきた。
美少女と美少女の絡みって尊いよな、と思い俺はとりあえず無視しておいた。
それから俺たちは、小麦粉と砂糖と用意しておいたお菓子を抱え、宿の馬車に乗せてもらいフィルフォード卿の邸宅へ向かった。
「すごい家だな……」
馬車の窓から見上げガラドが言った。
荘厳なロマネスク調のその邸宅は、門塔や側塔までついていてまるで小さなお城である。
周りを見てみるとエルネ以外、完全に怖気づいてしまっている。
「お前らそんなに緊張しないでも平気だって。話は全部俺がするから」
その言葉にエレインとガラドが、震えているのか返事をしたのかわからない様な声を出した。
シャルルなんかは、無言で耳と尻尾を垂らし怯えてしまっている始末。
その隣に座るベルは、みんなとは別の理由で身を固くしている様だ。
「もうすぐ会えるな、ベル」
ベルの頭をぽんと叩き俺は呟いた。
さあ、いよいよ戦いの始まりだ。
巨大な門扉を潜り俺はひとり気を引きしめた。
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