第26話 エルネ・クルーザットの父と母

 そんな因縁渦巻く地で、エルネの父エドガーと母アルネラは出会った。

 山で滑落し怪我を負った人間のエドガーを、偶然通りかかったエルフのアルネラが見つけ、介抱したことがきっかけであった。


 ふたりは最初こそ警戒しあっていたものの、すぐに惹かれあい、そして愛しあった。

 やがてどちらからともなく今後の人生を一緒に歩もうと決意しあったのだが、この地に生まれた互いの血の因縁から、ふたりはエルフの里で暮らすという選択肢をもっていなかった。


 必然的にふたりは、人間の地でひっそりと暮らすという選択肢を選ばざるおえなかったのだが、その生活は意外にもうまくいった。


 エルフの特徴は、目も覚めるような美貌に、人間よりもずっと長い寿命と耳である。


 アルネラも多分に漏れず美しい容姿をしていた。

 しかし、とうぜん人間にも美しいものはいるのだから、それが確信にいたる材料となることはなかった。


 また特徴的な長い耳も、絹糸のような輝きを放つ銀髪を伸ばすことで、自然に隠すこともできた。

 10数年もしたら、その変わらぬ美貌に疑念を抱くものもあらわれるかもしれないが、それでも身構えていた以上にごく普通の幸せを享受できる生活に、ふたりは満たされたものを感じていた。


 村の酒場で働いていたアルネラは、看板娘としてたいそう評判であった。

 その美貌はふたりが住む村だけに留まらず、わざわざ近隣の村々から、泊まりがけの客が押し寄せてくるほどに有名であった。


 正体を隠したいふたりからすれば好ましいことではなかったが、ここ以上に辺境の地となると山籠もり生活になってしまうので、細心の注意を払いながら生活することを選んだ。


 人妻と知ってか知らずか、アルネラにアプローチして来るものも少なくなかった。

 アルネラはそのたびに、左手の薬指にある指輪を見せ、やわらかな笑みで断っていた。

 本来であれば誰にも認められることのないふたりの仲を、多くの人に認知してもらえているようで、アルネラはそのやりとりが嫌いでなかった。


 しかし幾度とないそんなやり取りの中で、ひとりだけ忘れられぬ人物がいた。


 その人物が酒場の扉をくぐったとき、店にいる誰もが注目した。

 ブーツをカツカツと鳴らしながら席についたその男が、こんな大衆の酒場にはとうてい似つかわしくない格好をしていたからである。


 襟元に細やかな意匠がほどこされた真っ白なシャツに、袖に金糸の刺繍が入った上等な生地で作られたスーツ。

 腰に提げられたカットラスの鞘と形のいい指には、大小様々な宝石がちりばめられている。


 男性と女性で男に対する視線の色が異なるのは、その男が人好きのする整った顔立ちをしていたからであろう。


 アルネラの仕事仲間の若い娘たちが誰がオーダーを取りに行くか競いあっていると、それに気づいた男がにこりと微笑んだ。

 娘たちはその笑みを見てうっとりとしていたが、アルネラはなぜか違和を感じていた。


 その理由はほどなくして判明した。


 男が注文したワインを飲みほし手招きでアルネラを呼びよせた時である。


 アルネラが席へ向かうと、男はスッと立ち胸に手をあて会釈をし自己紹介を始めた。

 男はカール・ノルティスと名乗った。

 とある地の子爵の息子で、今日この店に来たのはたまたまではなく、アルネラの評判を聞いてとのことだ。


 話のたね程度のつもりであったが、余りの美しさに突然声を掛けてしまった自分を許してほしい、と男は話した。

 そして『そんな美しいあなたを食事に誘うことも許してほしい』と微笑みながら手を差しだしてきた。


 まさか子爵の息子がと少しびっくりしたものの、アルネラはいつものように左手の薬指を見せると、いつもと同じ断り文句で微笑んだ。

 いつもならそれだけで終わる話である。


 しかしアルネラが断ったその瞬間、男は微笑んだままに瞳孔をカッと開かせ瞳に黒い感情を灯らせた。

 その相反する表情に、アルネラは恐怖を覚え悲鳴をあげそうになった。


 ほんの一瞬の出来事であったため、アルネラ以外、恐らく本人ですら気づいていないだろう。


 アルネラは先ほど感じた違和の理由を理解した。

 今は元の表情に戻っているが、それでも男の笑みが作り物めいておりアルネラには少し不気味であったのだ。


 男はそうですかと差し出した手を引っ込めると、もっと早くあなたと出会いたかったと残念そうな表情を見せ、ワインのお代わりを頼み席についた。

 その後、男が普通に食事を済ませ帰っていったので、アルネラはそれ以上深く考えることはなかった。


 男はそれからも何度か店に訪れるものの、顔を会わせた際に軽く会釈するだけでアプローチしてくることはなく、やがてアルネラもいつも通りの幸せな日々を送っていた。


 それから幾日かたったある日、村の近くで盗賊を目撃したという噂が流れた。

 人々は初めの内こそ警戒したものの、何も起きぬまま1週間ほど過ぎた頃には、こんな盗るもののない辺鄙な村に盗賊が現れる筈がない、といつもの生活へと戻っていた。


 しかし、村の衛兵をしていたエドガーは違っていた。

 何もない村だからこそ、有事の際でも国はすぐに兵を派遣してはくれないだろう。

 何かあってからでは遅い。


 そう考え周辺の見回り強化を提案し、自身も忙しなく動きまわっていた。

 また、アルネラのことを案じたエドガーは忙しいながらも時間を作り、アルネラが帰宅する際は酒場まで迎えにいくようにした。

 アルネラはエドガーの体が心配であったが、自分へ向けられる真っ直ぐな愛に幸せを感じていた。


 そんなある日のことである。

 エドガーとアルネラはいつものように酒場からの帰路に着いていた。


 ふたりの家は村の外れにあるため、やがて辺りを照らす光は手に持ったランタンだけとなり、ふたりは身を寄せあいながら歩いていた。

 森で暮らしていたアルネラは夜目が効くためその必要はないのだが、ただそうしていたかったので黙っていた。

 エドガーもそのことをわかっていたが、同じ気持ちから気づかないふりをしていた。


 そうしながらしばらく歩いていると、アルネラは突然足を止めた。


「だれ?」


 アルネラが身を強ばらせ叫んだ。


 エドガーは素早くアルネラの前に立ち身構えると、ランタンを掲げた。

 掲げられたランタンが、前方に灯りを広げ不審者の様相を露にしていく。


「気づかれたか……」


 不審者はふてぶてしく呟き舌打ちすると、腰を低く下ろし剣を構えた。

 左手にマンゴーシュ、右手にエストックを持っている。


 エドガーはランタンをアルネラに手渡すと下がっているよう合図し、腰のショートソードを抜いた。


「近頃この辺りをうろついている盗賊というのはお前か?」


 エドガーは問いながら相手を観察する。


 鉢がねと皮の鎧を身にまとう無精ひげを生やした男。

 20代後半から30代に見えるこの男はいかにも盗賊といった風体をしているが、予期せぬ出来事の割に妙に落ち着いている様子と、両手に構えた武器が一介の盗賊らしからぬ雰囲気を漂わせている。


「見逃してくれるってなら、答えてやってもいいぜ」


 男は挑発するようにへらへらと笑っている。


「それはお前の態度次第だな」


 エドガーは答えながら左側に数歩、身を寄せた。


 マンゴーシュは、柄にガードがついた少し短めの防御に特化した剣である。

 これを持つ二刀の者と対峙するときには、決してマンゴーシュに仕事をさせてはいけない。


 下手に攻撃を仕掛けると武器を絡めとられるから、なんて単純な話ではない。


 前につき出されたマンゴーシュとショートソードでは、お互い致命に届かぬ間合いで機をうかがっている攻防のように思えてしまうが、実のところはもう一方の剣により命を刈りとることができる、必殺の間合いに誘いこまれているのである。


 それをさせんがため、と言うのがエドガーが左側に回り込んだ1つの理由である。


 相手の右側から切りつけエストックで対処させることにより、戦術の幅を狭める狙いである。

 当然、外周を回るこちらと比べ、相手がわずかな動きで対処できることはわかっている。


 しかし、エドガーの目的は相手を打倒することではない。


 相手は逃亡生活をおくる盗賊だ。

 ほんの少しでも戦いにくいと思わせ、退けることができたらそれでいいのだ

 。

 もちろん捕まえられるに越したことはないが、何もアルネラが一緒にいるこの状況で無理をすることはない。

 エドガーにとっては最愛の妻を守ることが、何よりも優先するべき事項なのだ。


 が、男は逃走を選ばなかった。

 つまり腕に自信があるということだ。


「態度次第ねぇ。じゃあ……、こういった態度はどうだっ!」


 言いながら男は、不意に右手のエストックを突きだした。


 エドガーは素早く左足を下げ半身でかわすと、男の肩口に切りかからんとショートソードを振りあげた。


 が、男はすでにエストックを引き次の突きの構えに入っている。


「――ッ!」


 エドガーは攻撃を中断し、ショートソードの側面を前にし構えた。


 静寂の闇夜にけたたましい金属音が鳴りひびく。


「やるじゃねーかあんた。俺のダブルスタブをかわすとはよぉ」

「3度突いておいて何がダブルスタブだ」


 返したエドガーの頬からつらりと血が流れる。


「なんだ、最後のをかわしたのもやっぱり偶然じゃなかったのかよ……。ったくぜ」

「――どういうことだ?」


 エドガーはギロリと睨んだ。


 男の剣の腕前を見て、逃走しない理由についてなるほどと納得しかけていた。

 しかしその思考は、男の一言によって霧散した。


 


 男はそう言った。

 つまり、今この男と対峙しているのは偶然でないということだ。


『この男は今倒す必要がある』


 エドガーはそう判断すると、静かに男を睨みつけた。

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