第2話 立ちはだかる物
これからあたしが通うのは小学校ではなく中学校だ。もう卒業したんだから間違えたりはしないよ。
慣れ親しんだ近所の道をあたしは猛スピードで走っていく。自慢することではないがあたしは運動は得意だ。小学校のクラスではいつも一番の成績を取ってみんなから称賛を浴びていた。
『綾辻さんって凄い』
『お前がナンバー1だ』
そんな尊敬の眼差しを感じていた。
自分が一番だと見せつける為にクラスのみんなに受けの良いバク転だって練習したんだ。
だからといって全力ダッシュが辛くないわけではないんだけど。頑張るしかない!
もうすぐ小学校に行く道とは違う中学校に行く道に差し掛かる。
そこからは全く新しい未知のロードだ。未知と道を掛けたダジャレじゃないよ。人を笑わせる趣味はあたしには無い。あたしが目指すのは尊敬される一番であって馬鹿に見られる道化者では無いのだから。
あたしは電信柱を迂回して道路を華麗に曲がった。そして、また直線を走っていく。
さて、しばらく直線が続くからそろそろここで走りながら自己紹介をするね。
あたしの名前は綾辻彩夏(あやつじ あやか)。今日から中学校に通う事になる一年生!
あたしにはちょっとした夢があってね。みんなの中で頂点を取ってこの国のボスとなり、大日本アヤツジ王国を建国するのが夢なんだ。
みんなはあたしの前にひざまずくの。素敵でしょ。
そんなささやかな夢を叶える為にあたしは頑張って勉強して小学校でぶっちぎりの一番の成績を納め、日本一の名門と言われる中学校に入学を決めたんだけど。
「遅刻遅刻ーーー」
そのあたしが初日から遅刻ってありえないでしょ。全国民の恥になっちゃうわ。無遅刻無欠席だったのが自慢だったのに。
でも、まだ遅刻が決定したわけじゃない。時間はまだあるのだ。
あたしはパンを咥えたまま全力疾走する。
「もう出てこないで!」
「おおっと、危ないな」
あたしは角でぶつかりそうになったイケメン男子を小学校でみんなを驚嘆させた運動能力で華麗に回避。先を急ぐ。
パンを咥え直して走りながらあたしは計算する。あたしの小学校で一位を取ったやがてノーベル賞を取るであろう優秀な頭脳は距離と速度からこの時間で間に合うと算出し、あたしは勝利を確信した笑みを浮かべるのだが……
「何あれ?」
道路で見知らぬ物が前方に立ちはだかっているのが見えて急ブレーキをかけた。
ここで物知らずな能無しのザコなら突っ込んで自滅していただろう。だが、あたしは有能なのでどんなに急いでいても障害物の前では止まることができた。
それを立ち止まって見る。
そこにある物があたしの知識にある物なら難なく突破口を見つけられただろう。
だが、初めて見た物だったのであたしは心奪われ、口に咥えていたパンをふがふがとさせて立ち尽くしてしまった。
「これはいったい何なのかしら」
それはゼリー状のぶよぶよした大きな物体のように見えた。道全体を塞ぐように鎮座していて結構高さがある。跳び越えるのも横を回るのも無理そうだ。これって何なんだろうか。
横の家の塀の上を歩けば抜けられるかもしれないが、足場がないとちょっとあれに登るのは無理そう。それに他人の家に迷惑を掛けたくはない。
あたしは一番を目指してはいてもあくまで常識ある普通の女子学生であって、忍者や超能力者ではないのだからやれる事に限界はある。
誰かに言って話を訊こうにも付近に通行人の姿が無かった。
戻って別の道を行くと時間のロスは避けられない。知らない道では思わぬ遠回りをするリスクもある。
あたしは素早く考えを巡らせてここは思い切ってジャンプしてみようかと結論付けていると後ろから声を掛けられた。
「あれは妖だな」
「あやかし?」
お化けみたいな物だろうか。どっちかというとモンスター、スライムに見えるのだが。
振り返るとやってきたのはさっきスルーしたイケメン男子だった。学校の制服を着ていて少しぶっきら棒な印象を受ける。
小学校にいた有象無象の冴えない男子と比べると比較的かっこいい部類に入るね。だけど、イケメン男子が現れようとあたしが心を動かされる事はないよ。
あたしの将来築く予定の大日本アヤツジ王国の中では日本一のイケメンだろうが可愛いギャルだろうが等しくただの平凡な庶民に過ぎないのだから。
崇められるのはてっぺんに君臨するあたし一人と決まっているのだ。
それよりもこいつの『そんなに急いでどうしたの?』って涼し気な態度がムカついた。遅刻しそうなのはあんたも同じでしょ。
同類の臭いというのかな。その時にはあたしもこいつが同じ名門中学校に通う生徒だって気が付いた。
それは向こうも同じだろう。彼は「フッ」と余裕のあるむかつく笑みを浮かべて言ってきた。
「あれに気づくということはお前もそれなりに修練を積んでいるようだな。あの微弱な妖気ならこちらから手を出さなければ日が明るくなる頃には消えるだろう。妖は日の光が苦手だからな。悪いが今は先を急ぐ」
そう言い残すと彼は華麗な動作で横の塀に足を掛けて跳び乗って、そのまま屋根の上まで跳びのった。
なんという運動能力。あいつ忍者か? それともこれが中学生のレベルというものだろうか。バク転を決めただけで盛り上がっていたあたしの通っていた小学校の連中とはわけが違う。
少し見惚れてしまったのは内緒だ。だって負けを認めてるみたいで悔しいもの。
そいつは屋根の上に立つと振り返ってこっちを見下してきた。
「早く急げよ新入生。学校に遅刻すんぞ」
「あんたも新入生でしょ!」
もう悪態を付く時間も惜しいよ。そいつはさっさと姿を消してしまう。あたしも早くここを突破して急がなければならない。
「あれぐらいの事はあたしにだって出来るんだよ!」
あたしはさっきあいつがやったのと同じように塀に足を掛けて屋根まで登ろうとするんだけど、スライムはさせまいとするかのようにぶよぶよした体を近づけてきた。
あたしは触られる前に素早く回避して道に戻った。
「同じ手段は通用しないってわけ? こいつ知能があるのね」
このスライムのどこに脳みそがあるのかあたしには分からない。だけど、通す気は無いって意思は感じたね。
「あたしの道を阻もうだなんていい度胸だね」
あたしは別の道に行く事も検討に入れつつ、それでもこいつをどうにかしないと気が済まないとその場に視線を巡らした。
すると長い焼け焦げたような棒が道の隅っこに転がっているのに気が付いた。あれは使えそうだね。
スライムもあたしの狙いに気づいたようだ。その棒に手を伸ばすが(スライムに手があるのかって? 物を取ろうとして伸ばしてるんだからあの触手は手なんだろう)、危ない物に触ったかのように素早くその手を引っ込めた。
あたしにとっては朗報だ。ニンマリと笑みを漏らす。
「あの棒が苦手なご様子ね? なら食らってみなさいよ!」
スライムが怯えたように後ずさるがあたしは逃がさない。王者の道を塞いだ罪は重いのだ。
あたしは素早くその棒を拾い上げると、小学校で一番だった運動能力を遺憾なく発揮してスライムに向かって投げつけた。
スライムは避けることも出来ずまともに食らい、泡となってはじけ飛んだ。光の粒子となって消えていく。
「日の光を待たずして消えたわね。これにて一件落着。……って、学校!」
あたしには勝利の余韻に浸る余裕なんて無かったよ。これから学校があり、こんなスライムなんてどうでもよかったのだから。
「もう無駄な事で時間食っちゃった! 急がないと!」
まだあたしの中の計算式は間に合う時間だと弾いている。なら走るだけだ。
あたしは再びパンを咥え、学校への道を急ぐのだった。
走り去るあたしの後ろの道端ではあたしの投げた焼け焦げた棒がまるで持ち主を見つけたかのように低く振動し、その方向をこっちに変えていた。
でもきっと、あたしには関係ないよね! あたしには目の前の事しか考える余裕はなかったのだった。
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