第368話:ビンゴとキスマーク

 ビンゴはかなり盛り上がって、僕たちの紙もリーチになって黒井が「リーチ!」と叫んだけど、残念ながら結局景品はもらえなかった。まあ、デジカメやらDSやらイオンスチーマー(美容グッズ?)をもらっても仕方がないんだけど。

 でも、黒井と二人で一枚の用紙を必死に握り、番号に一喜一憂するのは本当にわくわくして、興奮で涙さえにじんだ。

 くそ、思いっきり楽しいじゃないか、二次会のビンゴ大会!


 それから小腹が空いたという黒井が冷めた料理をビュッフェ台からかきあつめ、バーカウンターでモリモリと食べだした。

 そして、外れたビンゴ用紙を指でパチンと弾く。

「あのさ、俺、森本って気に食わないんだよね」

「おっ、おい、・・・声を落とせって」

「だってさ、何であいつわざわざお前のこと気にかけんの?」

「・・・それはただ、きっと親切で」

「・・・なんか、あんの?」

「な、ないよ。今日だって本当に、久しぶりに会って」

 そう、言われてみれば、確かに森本は妙に僕に優しい気がする。・・・いやいや自意識過剰だろう、きっと誰にでもああなんだ。

「あの研修んとき、なんか俺、ずっとチラチラ見られてる気がしてたんだよね。・・・あいつまるで、お前のこと俺から守ってるみたいな。いじめられてたの、俺の方だってのに」

「い、いじめてないだろ」

「・・・あ」

 黒井の視線の先をたどると、噂をすれば当の森本がいて、僕は慌てて「さっきはありがとう!」と取り繕った。


 森本は、実は渡す紙を取り違えていて、自分にズワイガニのギフトカタログが当たったと言ってきた。

「ごめん、ちゃんと山根君の紙に目印つけてたのに、ウッカリしてて」

「いやいや、っていうか元々その場にいなかったのが悪かったんだし」

「その・・・ずっといなかったけど、何か、あった?」

「え、いや、ちょっと、トイレに」

「そっか。でもさ、これやっぱり俺がもらっちゃうのも・・・」

「気にしなくていいよ。それにそんな、食べられないから」

「・・・もしかして、カニのアレルギー?」

「あ、いや、別に」

「実はうちの妹がエビのアレルギーで、食べると急に赤い虫さされみたいになるんだけど・・・その」

「・・・うん?」

 「首のとこ赤いけど、大丈夫?」と言われ、無意識にその部分に手を当てて、そして、うまい言葉が何も出てこなくて固まった。

 ・・・さっき「大丈夫」とか言ってたけど、やっぱり赤く跡になってるんじゃないか!

 っていうか。

 うん?

 これってもしかして、いわゆる「キスマーク」っていうやつ、なんじゃないの!?

 そして「赤いよ」と言われたら普通、「え、どこ?」と聞き返すところなんじゃないの?

 ふいにそのことに思い至って、とにかく「だ、大丈夫。カニ、おめでとう」と馬鹿みたいにうなずくと、森本も「あっ、いや、こっちこそ何かゴメン」と会話を切り上げた。・・・ああ、うん、バレたのかな、バレたのかもしれない。でもまあ、森本は横浜支社だし、おまけに親切だし、状況証拠しかないし、何事も起こらないだろう、きっと・・・。



・・・・・・・・・・・・・・



 森本が去ると、後ろで黒井が声を出さずに震えながらテーブルに突っ伏して笑っていて、思いきり足を踏むか腕をつねるか首を絞めてやりたかったけど、お洒落なスーツのせいで触ることもできない。

「クロ、お前・・・」

「くくくっ、い、いい気味すぎる。こんな、こんなことってある・・・?」

「・・・っ、何だよそれ」

「でもお前だってさ、もし逆だったら、いい気味だと思わない?」

「そ、それは」

 もし、クロに想いを寄せていそうなやつがいて、そいつが、僕がつけたキスマークに気づいて退散したら?

 ・・・それは、いい気味だろ!

 いや、だけど、僕ならお前みたいに馬鹿笑いなんかせず、心の中で大いにお祭り騒ぎするだけだ。

 しかし、首を押さえながら少しこそばゆくもなって、笑い続ける黒井の隣でバーカウンターにもたれかかった。

「・・・はあ、おっかしい。・・・でも、カニ、食いたかったな」

「え、お前欲しかったの?」

「ううん、いいよ。ビンゴは自分で当てなきゃ意味ないし。・・・今度、一緒に食いに行こ」

「・・・うん」

「よし、カニしゃぶ!」

「た、高いよ」

 すると急に会場が暗くなって、そのまま何のアナウンスもないので、黒井と顔を見合わせた。

 何が起こるのかと思っていると、ピアノのしっとりとした、オルゴールみたいな、ノスタルジックな音楽。

 やがてプロジェクターに映像が映し出され、神妙な顔で何かのメモに目を落とす新婦の姿。

 まだ何も始まっていないのに「あーっ」とか「いやーっ」とか声にならない悲鳴があちこちから漏れて、そして「お父さん、お母さん・・・」と新婦の手紙の朗読が始まった。

 ・・・ああ。こういうの、うん。

 いつもだったらひたすら早く過ぎ去れ・・・と思うところだけど、今日は目を逸らさないで真面目に見た。


「・・・私が試合で怪我をして入院した時、お母さんはずっとずっと付き添って、大丈夫だよと励ましてくれたよね・・・、それから(えぐっ)・・・結局次の大会に出ることはできなくなって、もうバスケをやめようと思った時も・・・(ぐすん)、お父さんは、やめてもやめなくても、どっちでも、今まで得たものは変わらないよと言ってくれて・・・」


 ・・・。

 周りの女の子たちがあちこちで、小さなバッグからハンカチを取り出している。

 僕も、ほんの少し、もらい泣きした。

 それは雰囲気に圧されたのもあるし、感動もあったけど、半分は、困惑だ。

 ・・・これはどこかの、素晴らしい家庭の見本のような話?

 それとも、ごくありふれた家族の話?

 たぶん僕は、親のことを融通の利かない教師のようにしか思えないけど教師と生徒ほど客観的な関係にもなれず、だからこんな風な、心の通った素敵な交流をした記憶なんかない。・・・いやいや、やっぱりフィクションだろこんなのは?

 もしも僕がこういう手紙を書くなら、きっと僕という人間にかかった費用と労力についての謝礼および謝罪しか述べられまい。あはは、それはろくでもない結婚式だな、やっぱりクロと結婚しなくていいや。



・・・・・・・・・・・・・・



 それから泣き笑いの女子たちが前に集まってブーケトスをし、見事ゲットしたのは何とあの高飛車エルフのミキティーだった。そしてそれとなく目で追っていると花束を持った彼女が向かった先には森本がいて、親しげに話しながら写真を撮らされている。ま、まさか、下僕になってカニを貢いだりしてるんだろうか。


 そのうちに「あー黒井さん!」と望月や榊原が現れて、どうやら新郎に直接お祝いを述べに行くらしい。

 しれっとついていくと、後ろから「おー山根君お疲れっす」と横田が来て、一瞬ノリが分からずに「ああ、どうも」なんて会釈した。だから、人が多いといろいろな心構えが追いつかないって。

「いやーどうすか、二次会兼合コンは。そういやこの後、三次会でカラオケって話」

「え、そんなのあるの?」

「そうそう。俺はパスだけど・・・黒井さん行くかな?」

「・・・さ、さあ、ねえ」

「彼が行くなら・・・っていう女子が結構いるっぽくて。だからサカキくんたち、それ期待して口説き落としてんじゃない?」

 目の前を見ると、黒井を囲んで望月と榊原が熱心に話しかけていて、本人は「んー、どうしよっかな」と首をかしげている。いや、ちょっと待って、お前は結婚しないんだから行かなくていいだろ、行くなよ、行かないで!

 横田が「山根くん、首痛いの?」と訊いてきて、僕は「うん、ちょっと・・・」と、首筋をさらにきつく押さえた。



・・・・・・・・・・・・・・・



 お祝いを述べた後は何となく同期でひとかたまりになり、宴もたけなわというところ。

 三次会の話がどうなったのかは例によってよく分からない。参加意欲のない者にはろくに伝わってこないシステムだ。

 そのうち新郎新婦の最後のスピーチが始まり、これで締めくくりというところで、「キッスして―!!」と野太い声。やがて「キース!キース!」と囃し立てられ、新郎は照れくさそうに首を横に振り、新婦は両手で顔を覆ってしまったけど、それで声はさらに大きくなって、ついに、折れた。

 ・・・恥ずかしがる新婦の腰を引き寄せると、新婦も観念したのか抱きつくようにして顔を上げ、そのまま、キスを・・・。

 

 羨ましくない・・・なんてことは、ない。

 でも、結婚はともかく、自分に今、キスをする相手のあてがあるなんてことが、驚きだ。


 一瞬静まってからヒューヒューという歓声、そしてまたピィーッという指笛がすぐそばで聞こえた。

 ・・・って、前方のその音の主のシルエットは、黒井だ。

 え、これ、お前が吹いてたの?・・・まったく、それも驚きだ。



・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして無事に二次会は終わり、会場を出る時には新郎新婦からプチギフトとして鳥の形の小さな紙細工(お菓子?)を手渡してもらった。


 結局黒井は三次会には出ず、当たり前みたいに、僕と肩を並べて地下鉄に向かった。

 周りのあちこちでまだ盛り上がった空気のままの笑い声が響いているけど、黒井は「鳥でも食おう」と歩きながらクッキーを平らげた。どうしてお前は食欲がそんなに不規則なんだろう?

 例によってカラの鳥はぽんと僕に手渡され、仕方なく小さくたたんでクッキーのかけらがこぼれないようにポケットにしまう。うん、森本なんかに比べると、どうして人に対する気遣いってものが一切ないんだ。

「・・・ん、なに?」

「あ、いや、何でもない」

「・・・そういえば、さ」

「うん?」

「俺、今日、もうちょっとモテるかと思ったのに、そんなにモテなかった」

 そんなことを言って、手のひらをパンパンと払い、頭の後ろで組んでゆっくりと歩く。

 それで、黒井がカラオケに行かないと分かって安心したからか、あるいは会がつつがなく(たぶん)終わって気が抜けたからか。

 何だか妙にゆっくり観察してしまって、黒井は僕が決してやらないことばかりするなあなんて思った。

「へえ、モテなかったって?あっそう。さっき聞いたけど、お前目当てで三次会行きたい女子がいっぱいいたとか」

「ああ、それは、聞いた・・・。何か、女って男より利口だとか言うけど、みんな分かってなくて馬鹿だよね」

「・・・何だそれ」

「うん、もっと俺、すごい・・・すごいモテたかった」

「はあ?」

「会った瞬間から大絶賛されたかった」

「・・・何言ってんだ?」

「お前にだよ」

「・・・」

 ・・・。

 一瞬息が詰まって、声が出ない。

 どうして・・・どうしてこいつはこういうことを言うんだ?

 ・・・っていうか、心の中でなら、会った瞬間から大絶賛してただろ!

「くくっ、何だよ、その顔!」

「・・・っ、からかうな」

「からかってない。ほんとのことだもん」

「う、うるさい、人の顔をとやかく・・・」

「違うよ、いや違くないけど・・・俺が言ってるのは全部本音だよ。からかいたいのも本音だけど」

「・・・う、ん?」

「ねえ、やまねこ」

 急にトーンダウンした黒井は立ち止まって、改札への階段ではなく、地下通路を奥へと歩いた。駅というより大規模施設のロビーみたいな感じで、観葉植物のオブジェみたいなものが並んでいる。祝日の夜は閑散として、誰もいない。・・・お前はどうしてこういう場所をすぐ見つけるんだろう。

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