第329話:好きって、聞かせて

 新人たちへのアンケートメールは月曜の朝イチでやることにして、僕たちはそのまま一緒に帰った。

 地下通路から延々、黒井が今まで催してきた新人との遊びのような研修の話を聞いた。商品知識に絡めたクイズ大会だったり、ロープレと称した演劇会だったり、「もう高浦さんがうるさくてさー」とか「頭脳派は扱いやすいけど武闘派が面倒で」とか、黒井はようやく喋れるとばかりに話しまくった。

 仕事の話なんて、クロとはしたくないと、思っていたけど。

 今はなぜか、一緒にサラリーマンをやっていて幸せだなと思うくらいだった。

 ・・・だから。

「あー、もう着いちゃった。続きは今度ね、っていうか電話する!」

 そう言って黒井が桜上水で降りていったとき、とっさに「ああ、うん!」とうなずいて電話を待っている旨を伝えたけど、・・・実は、ショックだった。

 え、こんな、一緒にどこかで夕飯を食うでもなく、・・・泊まる話になるでもなく、ただ電車でバイバイ?

 いや、仕事の話は楽しかったし、クロが今までどんなことをしてきたのか、少し嫉妬しつつも聞くのは嫌じゃなかった。新人のことが他人事じゃなく自分事になってきたという背景もあり、内容も興味深かったし。

 そして、会社員としての僕たちでいるのも、悪くない・・・のが嬉しくもあった。

 他の誰でもない<黒犬と山猫>じゃなく、三課の黒井さんと四課の山根だって、いいと思えた。だから、別に、・・・身体に触れたり、好きだのなんだの言わないで、ふつうに仕事の話をしながら帰るのも、悪くは、なかった。

 ・・・でも。

 あっさりまたねと手を振られたら、・・・急に、さみしくなったりして。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 自分の駅に着く頃には、馬鹿なせりふが頭から離れなくなってしまった。


 あのさ・・・俺のこと、好き?



・・・・・・・・・・・・・・



 それはあのお盆に、「恋愛の意味で好き」とちゃんと言われたにも関わらず、今聞きたくて仕方がなかった。クロ、俺のこと、好き?・・・ねえ、仕事仲間としてじゃなく、本当に俺のことが、好き・・・?

 クロは今まで自分一人で頑張ってきた仕事の話をして、盛り上がって、だからつい今までと同じ気分で自分の駅で降りちゃっただけだ。僕とはもう恋人同士だとか、狼だから家には出入り禁止ってやつも一応解除されてるとか、今は金曜日の夜だとか、・・・そんなの全部忘れちゃっただけだ、それだけだ。

 自宅まで歩きながら、携帯片手に電話を待つけど、いつまでも光らない。

 困ったな、また寒くなってきた。クロがいない。

 どうしてあのまま、仕事の話でいいから、「俺んちで語り倒す!」って言ってくれなかったの?本当に、そういう気分じゃなければキスをお預けされたって構わないから、せめてマックで食べて帰ったって良かったんじゃないの?

 ・・・知らず、早足になって、そのまま駆け込むように玄関に入った。

 胸が、苦しい。どうしよう、こんなことで。

 どうしよう、どうしよう。好きだの一言が聞きたい。お前に好かれていたい。

 こんなの間違ってると分かっていても、それが聞きたくてしょうがなかった。



・・・・・・・・・・・・・・



 夜中に電話でたたき起こせば、「うん?ねこ?・・・え、すきだよ」とかすぐに言ってくれるかな、なんて、思ったけど。

 寝ぼけまなこで言われてもたぶん、「本当に?ねえ、本当にそう思ってる?」なんて訊き返してしまいそうな気がした。

 ・・・もう、いいや。

 俺はこんなやつなんだ。それで黒井が嫌がるなら、もう仕方ない。

 もうすぐ日付も変わるというのに、発信ボタンを、押してしまった。

 ・・・トゥルルルル、トゥルルルル。

 出なかったらもうそれで、諦めよう。うん、それなら仕方ない。

 そうして切ろうとしたら、「うあー、もしもしねこ?」と黒井が出た。・・・ああ、クロだ。

「・・・あ、・・・あの、な、何でもない。ごめん」

 頭が真っ白になった。なんだっけ、えっと、何だっけ。

「うん、なに?どしたの?」

「・・・な、なんでも、ない」

「間違えてかけちゃったの?」

「・・・い、や、そうじゃないけど」

 ふふっ、と鼻で笑うのが聞こえた。ああ、クロが笑ってくれるならもう、何でもいいや。

「ちょっと待ってよ、もう、ちょいで終わるからさ」

「・・・あ、なんか、してた?」

「まあ、ね。ちょっと、洗濯とか、家事とか?」

「あ、そっか、ごめん。邪魔してごめん。なら切るよ」

「いいって。・・・くくっ、俺のこと、我慢できなかった?」

「・・・っ、いや」

「いろいろ、・・・さっさと、・・・終わらせてさ」

「・・・うん?」

「よい、しょっと、ふう。・・・明日は、行こうと、思ってたの!」

「どこ、へ?」

「お前んち、・・・泊まりに」

「・・・」

「急に押しかけようと思ってたのにさ。・・・つい言っちゃった」

「・・・いや、そ、それは」

「何か・・・今日いっぱい話したじゃん。・・・楽しくて、・・・でも、足りなくて」

「・・・」

「俺、ほら・・・なんか、気が済んだからさ、<それを取り戻す>っていうの・・・。だから、別に、会社とか仕事も、これはこれでいっかって、思ってきてさ」

「・・・う、ん」

「新人からもまあ、慕われてるし?」

「・・・うん」

「あ、まあ、不破くん以外、だけどさ」

「・・・え?」

「相変わらず嫌われてるよ。・・・お前と一緒。最初んときの」

「え、・・・不破くんが俺と、似てるとかって、その」

「むすっとしてかわいくなくて、一人でいる・・・のもそうだけど、何より、俺を嫌いってとこが、似てんの。まだ不破くんには懐かれない。不破くんは落ちない。・・・でも」

「・・・」

「お前は、落とせた・・・なんてね」

「・・・な、なんだよそれ」

「ねえ、ねこ・・・俺のこと好き?」

「・・・っ」

 ・・・そ、それは、こっちのせりふ、なのに。

「俺は、お前が好き。やまねこが、好き。早く会いたい」

「・・・お、・・・俺も、クロが、好き」

「・・・な、なんか、・・・照れるね」

「・・・う、ん」

「さっき別れたばっかなのにさ、もう、会いたいんだ、俺」

「・・・俺、も」

「そっか」

「うん」

「・・・明日、早く、行くね」

「うん」

「じゃあ、早くやっちゃって、寝るから」

「うん」

「それじゃ、・・・おやすみ」

「あの、・・・クロ」

「うん?」

「あの、俺・・・お前のこと、好きだよ。・・・そんだけ。おやすみ」

「・・・俺も好き。おやすみ」

 ・・・。

 もうどうしようもなくなって、ゆっくり切って、そのまま押していたら電源まで切れてしまった。

 ・・・恋人になんかなったって、好きだのなんだの言い合ったってしょうがないし、どこへも行けない、と思っていたのに。

 少しだけ、クロが<もう健全でいい>と言っていたのが、腑に落ちた。

 あの頃僕は、<世間の恋人たち>というのを馬鹿にして、見下していて、<恋人>なんて枠じゃない特別なつながりをどこかで夢見ていたんだと思う。

 そして今、・・・今の今で言えば、うん、<特別>なんかじゃなくていい。

 好き、と、言われて。

 早く会いたいと言われて。

 明日また、僕に会うために、今から準備をしてくれていて。

 そんなの、ただ嬉しかった。

 おかしいな、さっきの寒さと、さみしさが、消えている。

 特別かそうじゃないかなんて今はまったく、どうでもよかった。俺だって早く会いたいよ、クロ。明日、朝からここで会えるなら、ああ、こんなことしたらまずいかな。・・・でもいいよね、もうバレたって構わないんだし。うん、我慢できない。クロ、俺、お前のこと、我慢できないよ・・・。



・・・・・・・・・・・・・・ 



 翌朝。

 六時に目覚ましを鳴らして、さすがに早すぎると思いつつ掃除や洗濯を済ませ、そわそわしながらクロを待った。

 八時になり、九時になり、冷蔵庫の中身が少ないから買い出しに行きたいけど、家を空けるわけにもいかないし。

 十時になり、十一時になり、電話もメールも来ない。まさか、来る途中で何かあったのかと心配になるけど、いやいや、「早く行く」って、午前中に自宅を出れば十分早いと言えるよね、ふつうは。

 しかし、だんだん、不安と焦燥で腹まで痛くなってくる。

 でも、昼時に来るなら、何か作っておかないと。

 あいにく、この材料だと適当な野菜炒めか、残り物チャーハンか、あとは冷凍ギョーザくらいしかない。それならチャーハンとギョーザのセットに中華風玉子スープをつけるか・・・と、思ったけど。

 ・・・ギョーザ。

 う、美味いけど、・・・な、何か、いいことをする可能性も、あるわけだし。

 い、いやいや、二人とも食べるなら気にしなくていいのかな。っていうかもう一回、歯を磨いておくか・・・。


 そうしてとりあえずチャーハンとスープを作り、あとはたまねぎもにんじんもかぶるけど豚肉とちょっとしなびた水菜も入れて炒め物。うーん・・・こ、恋人とのせっかくの土曜なのに、もう少しマシなレパートリーはないのだろうか?たとえば、きのこのクリームパスタとか・・・?うん、クリーム部分は何で出来てるんだ?



・・・・・・・・・・・・・・



 作ったものにラップをかけて冷蔵庫にしまい、昼を越えて、もうすぐ二時。

 クロが来ない。

 来るって言ったのに来ない。

 あれ、勘違い?僕が行くって言ったんだっけ?

 そうじゃなかったと思うけど、どっちにしても、そろそろ電話をしてみたっていいだろう。

 ・・・。

 

 クロの携帯は、電源が入っていなかった。

 これでは僕があっちへ駆け付けようにも、連絡が取れなければ入れ違いになるかもしれない。

 だから、僕はここで待つほかない。

 

 しばらく、拗ねた。

 それから悲しくなって、それからごく普通に洗濯物をたたみ、それからちょっとイライラし、それからまたあの自撮り写真を眺めてクロに焦がれた。

 ・・・。

 そうしたら、写真がふっと消えて、電話の着信の画面になって、<黒井彰彦>の文字。

「も、もしもし・・・っ」

「・・・ねこ」

「クロ、あの、・・・どうか、した?」

「・・・あの」

「うん?」

「・・・おれ、いまおきた」

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