第251話:助手席にクロを乗せドライブ
サーモンづくしの後は何とか鉄火巻きとイカととびっこにすべり込んで、自分的には事なきを得た。玉子やサラダ巻きはいくと君の専売だから手が出せず、ウニや大トロを勧められるけど丁重に断り(値段もあるけど、そもそも味が好きじゃない・・・)、お茶を飲みながらガリをつついた。
家族団らんの会話を聞くうちに、いろいろなことが分かってきた。
お姉さんは今いくと君を保育園に預けて働きに出ていること(アパレル系?)。
旦那さんはノブユキさんという転勤族で、全国を転々としていること(それならまさか弁護士じゃなくてエリートコースの検事なのか?)。
お母さんは自宅で着付け教室をやっていて、あの女性たちはその生徒さんだったこと。ああ、なるほど。
そして、黒井はこの家族の中で思った以上に道化であり、ふらりと加わって会話の中心になってはおどけてみんなを笑わせて、「だって俺なんかいつも~~だもん!」と出来ないことを自慢してみせる。その度僕を引き合いに出して、「だからこいつにやってもらってさ」なんて、僕を会話に加えたり持ち上げようと気を遣ってる・・・わけじゃない。その場において僕は黒井の新しいオモチャであり、「ねえ、それでここを押すとここが動いてね!」って、自慢げに説明されているようだ。大人しく「はい、最先端の有能なマシンです」って答えたいけど、まあ、毎回「いえいえ、そんな」「大したアレじゃなくて・・・!」と否定するのが大変なわけだけど。
「えー、ちゃんと自炊してるなんて偉いじゃん」
「いえいえ・・・」
「そうよ、偉いわよ。彰彦さんもね、作ってもらうだけじゃなくて、たまにはおもてなししませんと」
「・・・えー、出来ませんよ。どうせ焦がすし」
「あなたは火加減がねえ・・・」
やはり料理の話は女性受けがいいなあなんて考えつつも、もてはやされて悪い気はしない。な、何か、本当に黒井のお母さんとお姉さんに褒められて、認められたのかな。毎日黒井のために味噌汁を作っていいのかな。
次の注文をのらくらと遠慮してひたすらあら汁をつついていると、それも偉いと褒められた。はあ、貧乏性でよかった。
帰りはお姉さんが運転するということで旦那さんは最初からビールを飲んでいたが、「あれ、みんな飲まないの?」と訊かれ(ほぼ初めて声を聞いた)、僕は反射的に「あ、あまり飲めないので」と。そうするとまた誰が運転するという話になり、やいのやいのと、大した距離でもないのに大論争。お酒が飲みたいというわけではないが運転は乗り気ではないお姉さんに対し、黒井が「その割にずっとカクテル見てるじゃん」とつっこみ、旦那さんがしれっと「ここは彰彦君に任せて、飲んだらいいじゃない」と。
黒井は「え、お、俺がそっちの運転?やだよ、俺だって飲みたい!」と言えば爆笑のうちに「だめだめ、もう決定!」「諦めが悪いですよ?」「えー、もう飲んでやる!」で黒井は旦那さんのグラスに手を伸ばすけど、すんでのところでひょいと取られてしまい、そのタイミングの良さには僕も一本取られた。・・・ちょっと、ほんのちょっとだけ、飲みかけのグラスにさっさと手を伸ばす黒井に焼きもちを焼いたりも、してるけど!
気づいてはいたことだけど、結局お母さんは息子に甘くて、次の注文の時に頼んで生レモン絞りのサワーを黒井にやった。お姉さんが「あーあー・・・」とつぶやき呆れ顔。ええと、これで向こうの車はお姉さん、こっちはお母さんの運転・・・。
・・・。
・・・?
まさか、僕が運転する気か?
お姉さんに「どうぞ」なんて言うために?
おいおい、他人の家にきて人気取りして、もしものことがあったらどうするんだ。恥をかくくらいならいいが、車だぞ?
「あ、あの、もしよかったら、僕運転しましょうか・・・」
な、何言ってんだ!誰の為の何の行為だ!自重しろ!
「え・・・あ、ああ、そうか。運転してもらったらママ飲めるよ」
「い、いいのよ。やまねこさんも飲んで?」
「でもママ、あんまり飲めない人に勧めてもさ、ねえ。別に、まっすぐ帰るだけだし、どうせママよりうまいよ」
「まあ、それはそうかもしれませんけどね・・・」
そうして、お姉さんはいかに男性の方が女性より運転がうまいかを力説し、しかしそれは筋肉量のように元から備わった能力だからそんなのずるい、というような趣旨で、「だってこんな人でも運転できるんだよ?」と黒井を指した。ふむ、こういう姉がいるから黒井は、自分がイケメンで何をしても格好がつくことをあまり鼻にかけないのか。その方がさらに格好がつくということを意識もせずに。
結局、母は娘にも甘く、「夜の運転の練習になるから」と、向こうの車に乗ることになった。え、っていうと、フィットの運転は僕がして、それで、黒井は?
・・・え、まさか。
ふ、ふたりきり・・・。
チャイルドシートがあるからいくと君とお姉さんは絶対に向こうの車で、しかし、お母さんと黒井が向こうで、僕と旦那さんなんて組み合わせは不自然だから、やっぱり・・・。
ひ、ひええ、どうしよう!
う、運転なんか久方ぶりだが出来るか?ふつうのAT車だし、通ってきた道だし、先導してくれるわけだし、細い道や急坂があるわけでもなし、大変なのは車庫入れくらいだろうが・・・。
い、いや、道の、問題じゃなくて。
黒井と二人きりの密閉空間で、運転なんか出来るか?
どうか後部座席で寝ててくれ。いやもう、トランクに押し込まれてくれ。
・・・・・・・・・・・・・・
気が気じゃないまま食べ終えて、お母さんとお姉さんが会計に向かう間、何も考えられなかった。僕がお茶ばかり飲んでいると黒井が「トイレ大丈夫?」と言うので、お前のせいだ!と内心にらみつけながら、「そうだね、ちょっと行ってくる」と席を立った。
落ち着け、落ち着け、今はただ無事に運転して家の前まで着けばいい。それ以外のことは全部後だ。
一瞬、慣れない車で人身事故を起こしたりするよりは、黒井が飲酒運転のネズミ取りで免停になった方がマシなんじゃないかと思えてくるが、いやいや、万が一それで黒井が事故ったら刑務所行きになってしまう。リスク管理がなってないぞ俺!
しかし、黒井を刑務所送りに出来ないという鉄の壁のおかげで、自分がしっかりやるしかないと、腹も決まった。火の輪くぐりや綱渡りをするんじゃない、ほんの二、三十分、日本のふつうの公道を、灯りもついてる街道沿いを行くだけだ。おそろしいことなんか何もない。
店を出て、お母さんにこっそり「大丈夫ね?」と、腕のあたりをぽんぽんと叩かれた(お母さんは小柄だ)。僕は「あ、はい、大丈夫です」と言う以外ない。
「多少ぶつけたって構いませんからね」
「い、いえ、そんな」
そこへ黒井がやってきて、「お母さん、人の心配より自分の心配ですよ」と。
「大丈夫よ、ノブユキさんにしっかり見ててもらいますから」
「そう?あの人だって結構飲んでた」
お母さんは再度「大丈夫よ」と言って、ヴィッツに乗り込みしばらく座席やミラーを調節していた。こちらのフィットの鍵は黒井が開け、「ねこの運転手!」と僕を運転席に押し込む。
「おい、いいか、絶対変なことするなよ。笑わせるのも、しりとりもナシだ」
「何だよ、別に、だいじょぶなんでしょ?」
「そ、そうだけど、久しぶりだし、人の車だし」
「緊張してんの?」
「そりゃ、するよ・・・だ、だから、そうやって、緊張してることをわざわざ確認して思い出させないでくれ!」
黒井は当然のように助手席に回り、僕はハードルが二段くらい一気に上がったのを感じた。黙って集中した方がいいのか、むしろ話していた方が気が紛れるのか、それすら、自分の状態が把握できない。今分かるのは、ただ、炙りサーモンが本当に美味しかったことだけ・・・。
あっ、お金を払ってない!
い、いやいや、そのことは後だ。今は目の前のことだけ、まずはエンジンをかけるところ・・・!
キーをひねって静かにエンジンがかかり、しかし「ピー、ピー!」と警告音。な、何だ、何だっけ?
光っているパネルに、飛行機と同じようなベルトのサイン。ああ、シートベルトか。エンジンの前にシートベルトだったか。えっと、あとは何だ。ライトと、ウインカーの位置を確認して、あと、これは、ここか。いや、これって、これだよ、ウインカーが両方カチカチする三角のやつ!
ヴィッツが発進して、それを追ってアクセルを踏み、久しぶりの、運転するという感覚。息を吐いて肩の力を抜き、背もたれに軽くもたれて、バックミラーを見すぎない、速度計を見すぎない・・・。
助手席の黒井を気にする余裕はなく、何だかにやにや見られているようだけど、眼鏡をずり上げ、気にしない。もし免許取るときこんな教官だったら・・・とか、妄想を始めない!
アクセルとブレーキの効き具合に少し慣れてきて、前のヴィッツはのろのろ運転だし、道路も空いているし、ちょっと落ち着いてきた。黒井がパネルをあれこれいじるのを「後にしろ!」と一喝してからは大人しくなっていたけど、そろそろ、大丈夫かも。
「・・・少し喋ってもいいよ」
「ねえ何か変な感じしない!?」
待ってましたとばかりに大声を上げ、ひいやあと奇声を発し、黒井はばたばたとはしゃいで暴れた。わ、分かってる、だからその変な感じを思い出させるな。じんましんが出るみたいに、車の運転どころか息の仕方まで忘れるじゃないか!
街道から一つ折れて、住宅街に入る手前。
このまま東京まで帰ろう!などと浮かれていた黒井がようやくおさまって、ぽつりと、「ねえ・・・今楽しい?」と訊いた。
「え、い、今?楽しいというか、まあ一生懸命だよ」
「うーん、そうだけど、そうじゃなくて」
「車の運転が、好きかってこと?」
「うん、まあそれもそうだけど、もっと、こう、この辺の意味で」
一瞬横を向いて黒井を見ると、左手でグーを作って前に出し、その下辺りを右手で示す。・・・いったいどの辺だ?
「ま、まあどこだかわかんないけどさ、とにかくまあ、楽しくないことないよ。こういう、家族や親戚がたくさんいるのは、その、新鮮だ」
「・・・うん」
いまいち納得はしていないようで、黒井はしばらく言葉を探すけど、「こう、こう・・・」って感じで手をひらひらさせ、やがてそれは僕の膝の上にやってきた。一瞬で腹が透け、やめろの声も出ない。
ぽんのひと撫でしてそれはサイドブレーキの向こうへ帰っていき、「まあいいや」と。
前のヴィッツが停まり、僕はこれ以上ないほどゆっくりじわじわとブレーキをかけ、少し手前で停めた。
前から人影があり、こちらにまっすぐ近づいてきて一瞬どきっとするが、背の高い旦那さんだった。ウィンドウを下げると「うちの車、先に動かすから、あとは・・・」と、家の方を示される。うん?つまり車庫入れはやってくれるってこと?手を出され、それが鍵のことだと気づき、エンジンを切って鍵を渡した。
静まり返った住宅街に降り立ち、さてこれから自分がどこに行くかって、この目の前の瀟洒な家に、黒井と一緒に入る、というか、帰る、という現実があって、歩いたらちょっとふらついた。
・・・・・・・・・・・・・・
黒井が僕の腕を取って「へろへろでやんの」と言うので、「酔っただけだ」とつい強がった。
「え、本当はお前も飲んでたの?」
「ち、違う、車に酔ったんだ」
「・・・運転してると酔わないよ」
「ま、まあ、そうだけど」
黒井の後について、玄関から廊下、そしてまたリビングのソファへ。中はちょっと蒸し暑く、そして静かだ。先に入ったお姉さんたちは二階でいくと君の世話をしているらしく、着替えがどうのという声がしていた。
「あ、そんな時こそこれだ」
ソファに座り、黒井は鞄を探って例の赤いアルミを出すと、また赤黒い錠剤を僕の口に突っ込んだ。・・・うん、しその味がさっぱりして、大丈夫なんじゃ・・・ひい!ガリより全然きつい!
あごがきゅーんと痛くなり、目をつぶって歯を食いしばる。
「でも、最初より慣れたでしょ?あ、噛んだらだめだって。少しずつ舐めて・・・」
「ん・・・」
ごくりと唾を飲み込む、けど、な、何か、頭が勝手に変な変換をしちゃうだろ。おかしな言い方するなって。
「よだれいっぱい出た?きつかったら、出してもいいんだからね」
「いや・・・」
「ああ、お前の顔見てたら、俺も欲しくなってきちゃった」
もしかして、ちょっと、酔ってる?
ソファにあぐらをかいて頭をもたれ、そして、少しこちらを向き、僕と目を合わせる。自分は酸っぱいのがぜんぜん平気だって、どや顔。
「・・・どう、いけそう?」
「うん、だいじょう、ぶ」
「そっか、欲しくなったらまたあげる。これ、どこででも手に入るもんじゃないんだ」
「そう、なんだ」
ガチャ、とドアを開ける音がして、思わず居住まいを正した。いや、別に、やましいことは何も・・・。
入ってきたお母さんは、「あら、お二人してかしこまって、なあにをしとるんですか?」と、ちょっとおどけた。
「いや、なに、俺のとっておきをあげてたんですよ」
「あら、とっておき?」
「これこれ」
黒井がパッケージを振って見せると、お母さんは「ああ、それですか」とそっけなくキッチンへ。黒井家ではメジャーなものなのか。
そしてお母さんは、「とっておきと言えば・・・」と言って、またお盆にガラス細工風のグラスを持ってきた。
「お酒ですよ。やまねこさん、飲めませんでしたからね。別に、少しは飲めるんでしょう?」
「え、あ、はあ、すみません」
「ねこはふつうに飲みますよ。遠慮していただけ」
「あら、そうだったの」
「いえいえ、気にしないでください、そんな、飲む方じゃないですから」
「ま、どうぞ、ちょっとお試しあれ?」
お母さんはふふふ、と笑ってグラスを手渡した。結構茶目っ気のある人なのだ。
グラスの匂いをかぐと、少し甘い、かつ苦いような香り。また見えないほど透明な氷が入っている。
口に含むと、あ、何か知っている味。ちょっととろんとしていて、飲み込んだ後アルコールがふわっとした。
「・・・梅酒ですよ」
「ああ・・・」
そうか、梅酒だ。っていうか、口の端っこに小さくなった<梅ぼし純>がまだあるし、舌が味を相殺してよく分からなくなってるかも。
「ふふ、分かります?自家製」
「あ、ああ、そうなんですか」
「いつかやろうと思っててね、今度はあれ、あの、アンズの、杏露酒もやってみようかなあなんて、思ってるんでございますよ」
お母さんはちょっと子どもみたいにはにかんで、にこにこした。黒井は「お母さん、やっぱり自分も梅じゃないですか」と梅ぼし純を再び振ってみせる。ああ、血は争えませんね。
「あら、そういえばそうでしたね」
やまねこは親子から梅責めだ、と言われ、みんなで笑う。自家製梅酒は結構効いて、細いグラス一杯でふわふわしてきた。かろうじて「とても美味しいです」と言い、「あらよかった。お口に合いまして?」と。
それから荷物を持って二階に上がり、僕たちが泊まる客間に通された。お姉さんたちのいる部屋の向かいで、引き戸を開けると和室に、布団が二組・・・。
僕は思わず目をそらし、窓の障子を見て、「障子なんて久しぶりだ、風流ですねえ」などと口走った。それから押入れのふすまの前に二つ並んでかかっている着物に目を移す。
「あ、着物ですか。やっぱり、着付けの先生だから」
「別に、着付けのセンセイってわけでもないんですよ?ただちょっと教えてほしいって言われてるだけで、お教室っていうあれでもないんだけど・・・それにこれは、あなたたちの浴衣ですよ」
「えっ?」
「花火があると思って、昨日からちょっと陰干ししといたんですけどねえ。まあ残念なことで」
黒井が「なーんだ、そうでしたか」とあっさり言う。「そんなに降ってない」と口をとがらせ、これにはお母さんも「本当ねえ」と同意した。
・・・ゆ、浴衣に、布団も、揃いで二組。
会ったこともない僕のために、な、何て言うか、もう交際が認められている?親公認ってやつ?小さなテーブルの下にはレースの飾りのティッシュケース。よく見れば布団の横には僕の分まで、タオルと寝間着と下着まで・・・。
僕の視線を察したのか、お母さんは畳にすっと正座して、「Tシャツと、ズボンと、まあサイズとか、大丈夫でしょう。それと、この、下着もね、さっちゃんが昨日また持ってきてくれて」
「え、じゃサンプル品だ」
「でも別に、ちゃんとしたものですよ。ま、お好みがあるでしょうから・・・やまねこさん、ご自分でも持っていらした?」
「・・・え、は、はい」
「まあご自由にお使いになって?何かあったら言って頂戴。それからお風呂は、ああ、いくちゃんはノブユキさんが入れるのかしら。もうちょっと待ってらしてね」
ごゆっくり、と言い置いてお母さんは向かいの部屋に行き、たぶん目尻が下がっているだろう声が聞こえた。黒井が「もう眠いね」と言い、薄い肌掛けの上に大の字になった。
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