第249話:さっちゃんと甥っ子に対面

 一応、年の離れたお兄さんがいないか訊いてみたが、その<お義兄さん>しかいないとのこと。局長だの警視監だの言われたら、ご母堂様にひれ伏して光彦殿を接待しなけりゃならない。

 しばらく話していたら少しは落ち着いてきたが、「そのおかき食べようよ」と言われて「それじゃ意味ないだろ」と呆れ、あとはさっきの新ルールしりとりをしていたら、ぞろぞろと人が動く気配。どうやら和服の女性たちがどこかへ出かけるらしい。しかし、法事じゃないなら何の集まりなんだ?親戚にしては男性陣が一人もいないし、黒井のことを見たこともないようだった。黒井も、見送りなどに出向く様子はまったくない。

 ただのお友達か、あるいは地元の婦人会とか?

 ああ、盆踊りとかかな。でも花火は中止だっていうけど・・・。

「ね、次。<しまね>」

「・・・えーと、ね、ね・・・」

「遅いよ、もっと早く!」

「ええ?早くは出来ないよ」

「いいじゃん何でも。ね、でしょ、ねこ・・・ほら、<ねこ新聞>、とかさ」

「何だよねこ新聞って」

「そういうのがあったら楽しいじゃん。あ、今度は<あったらいいなしりとり>にしようか」


 玄関先がまた少し騒がしいな、と思っていたら、ふいにリビングのドアが開く音がして、「彰彦さんたち、来てますよ」というひそひそ声と、複数の足音。え、ちょ、ちょっと、誰かいらしましましましたけど・・・!!

 僕は反射的にその場で立ち上がり、猫背ですでに会釈を開始していた。黒井はちょっと首をそちらに向けて、でも当然姿勢なんか一ミリも変えない。

 入ってきたのは、まず先ほどのお母様と、そして、子どもを抱えた若い女性。あ、これが黒井のお姉さんと甥っ子・・・。少し遅れて、背の高い男性。たぶんこれがベンツの主、か。あんまりそうは見えないけど。

「おー、お姉さん久しぶり!」

 黒井はそう言って手を振るが、「しーっ、・・・え、何でわかんないの?」とお姉さんは顔をしかめて首を振り、抱いた子どもを示した。寝ているから起こすなということだろう。「何でわかんないの?」の疑問は、本人ではなく母親に向けて、信じられない、という様子で。

 お母さんがまあまあ、と苦笑してとりなし、旦那さんが抱っこを代わろうかと近づくが、お姉さんは「えー、いいよ」と、Uターンして廊下へ戻っていった。ポロシャツ姿の男性はこちらに軽く会釈をしてそれを追う。

 結局お母さんだけがリビングに残り、「あらあら・・・」と苦笑いで台所に立った。

「・・・はあ、これだもんね」

「え、えっと」

 僕はとりあえずまた元の場所に座り、まあ、何というか、成り行きを見守ることしかできない。

「あ、あの、さっきのがお姉さん夫婦?」

 小声で訊くと、「そうだよ」と。つまり、あの女性が、黒井が寝言でつぶやいた<さっちゃん>、だ。


 黒井が「まったくさあ」などとぼやいていると、お盆にお茶を載せてお母さんがこちらへやってきた。あっ、え、えっと、恐縮です、お邪魔してます、初めまして、お構いなく!!

「彰彦さんももうちょっとこう、察しませんと、ねえ」

 最後の部分は僕に同意を求めるように微笑みかけ、「いらっしゃい」と言いながら、ガラスのテーブルにガラスのティーカップが置かれる。中は鮮やかなにごり緑茶に、綺麗な透明の氷がいくつか。コースターは白いレース状の編み物で、雪の結晶のような。

「だって、ただ久しぶりって言っただけなのに、それなら最初からしぃーってしてくれないと」

「いくちゃんも今おねむの時間ですからね。まあ、子どもがいないとこういうのは、なかなか。・・・ああ、どうぞ、召し上がれ?」

 勧められ、僕はようやっと「どうも」と頭を下げ、いや、だから、きちんとまともにしっかりご挨拶を、・・・め、名刺があれば、いくらか普段の慣れでやりやすいんだけど・・・!

「それで?花火のことは、聞きましたか?」

「聞きましたよ。東京湾も中止で、こっちでまた中止なんて、ねえ?」

 振られて、とりあえずうんうんとうなずく。何だろう、ドラマの中のご母堂様と光彦お坊っちゃまの会話もまあこんな感じではあるんだけど、実際目の前で行われると、芝居がかってるというより、おどけてみせるごっこ遊びを楽しんでいるみたいというか、これはこれで一種の方言みたいだった。

 三人して冷茶をすすり、和風の敷物に正座したご母堂様が「お変わりありませんこと?」彰彦坊っちゃまは「一度痩せて、太りましたかね」。「あら、そうですか?(体つきを見る)」「別に、分からないでしょう」「ちょっと分かりませんね」「それから・・・」

「・・・何ですか、何かありました?」

「・・・友達が出来ましたよ」

「でしょうね」

「これがやまねこです」

 黒井が僕の方は見ずに言った。

「ヤマネコさんと仰るの?」

 お母さんは黒井の説明を待つけど、何も言わない。紹介するような気配はなくて、お母さんが僕の方を向く・・・。

 ・・・。い、今か、今なのか?

「あの、山根弘史と申します。どうも、この度はお世話になります・・・」

「え、山根さん?やまね、こ、さん?」

「あ、えっと、山根です」

「あらやだ、ほら、お庭の、いつも来て下さる方で、タネコさんって方がいらっしゃるんだけど、タネコさんて、種に子じゃなくて、田んぼに、根っこに、子って書くのよ。今ついそれを思い出して、ああ、ヤマネコさんって方もいるのかしら、なんて」

「お母さんそれはないでしょう」

「ないかしらね」

 お母さんは笑って、「分かりました、やまねこさんね。・・・あら?」とまた笑い、照れ隠しなのか、「さてさてこうしてはいられません、片してしまわないと」と立ち上がって廊下へと消えた。僕は傍らに置いた手土産を渡しそびれた。



・・・・・・・・・・・・



 上品ではあるけど、やはり決して冗談が通じないような大奥様ではなく、気さくなお母さんだと思った。

 「お変わりありませんこと?」って黒井を茶化してやりたいけど、何となくやめておく。つっこみどころはありすぎるけど、でも、そこに外からつっこんだら、自分が余所者っぽく感じてしまう気がして。

 ・・・たった半時間で、一言名乗っただけで、余所者もくそもないんだけど。


 しばらくはソファで黒井の荷物の整理や、そこに置いてあった地元の回覧板みたいな行事のお知らせなどを見たりして過ごした。お母さんはさっきの和服の女性たちに出していたらしいお茶やお茶菓子をキッチンで片づけて、お姉さん夫婦に甥っ子用のジュースを届けたり、何かとバタバタしていて改めて手土産を渡すタイミングもなかった。その間黒井はそちらにはまったく関心を向けず、ついには僕の荷物まで開け始めた。

「な、なに、何か探してるの?」

「いや、なんか面白いもんないかなーって」

「何にもないよ。ここで広げるなって」

「しりとりも飽きたしね、やっぱり暇だな、どうしよっか」

 会話が途切れると、静かだった。

 思い描いたようなド田舎では全然なくて、ふつうの郊外の住宅地って感じだけど、それでもやっぱり東京とは違う。それに、一軒家で、一階にいて、下は地面だというのが久しぶりなのかもしれない。


 訊きたいことは山ほどあるけど、いつ誰が出入りするか分からないし、根ほり葉ほり、この家はどうしたとかお姉さんたちはどこで何してる人なのかとか、口うるさい親戚じゃあるまいし。

 そして、黒井がそのあたりの新聞や服飾雑誌の下から、幼児用の小さな本を見つけだした。スーパーの雑誌売場なんかによく置いてある、簡単な、めいろやぬり絵や間違い絵探しなどの<ゲームブック>だ。

「甥っ子さんのじゃないの?」

「でも全然やってない。あ、ねえ、これ分かる?」

「おい、勝手にやっちゃまずいって」

「探すだけならいいじゃん」

 テーブルにそれを置き、ページの左右にうさんくさい動物人間たちの絵。ああ、つまり、二足歩行のライオンやゾウやシマウマたちが、燕尾服を着てテーブルのごちそうを囲み、手にはグラスまで持っている。ライオンのごちそうはシマウマだろうに。

 まあ、ぬり絵を塗ってしまうわけじゃないし、目で見て探すだけならいいだろう。間違い箇所にマルをつけなければ。

「こんな、小さい子向けなんだから、簡単すぎだろ。えっと、ここの蝶ネクタイが普通のネクタイになってる、それからグラスの中身の量が全然違う・・・」

「全部で七つだって。あ、ここの骨付き肉が魚になってる・・・これ何かシュールだな」

「まあ、魚にもリボンつけるのは・・・まあいいか?」

「ライオンが魚食うかな」

「でも猫科なら食べるかも」

「あっ、ここの花がない。花だけもげてる」

「こっちのテーブルはずいぶん趣味が悪いな」

「お前みたい」

「何でだよ!」

 ・・・黒井とやると、何でも楽しいんだ。

 二人ともソファを降りてさらさらした敷物に座り、空港で買った大辛の柿ピーをつまみながら迷路を進む。辛かったのでお茶のおかわりがほしいけど、そうも言えなくて溶けた氷で我慢した。

 書き込んではいけないルールのおかげで、何度も数え直したり、「そっちさっきダメだっただろ」と入り口まで戻ったり、指さししながら一ページずつクリアしていった。しりとりもそうだったが、確かに何か制限があった方が逆にその範囲内で最大限楽しもうと工夫して、頭を使うから楽しいのかもしれない。

 そして、絵の中に隠れている果物を探しながら、黒井がぽつりぽつりと、話した。

「何か、こないだお前んちでスケッチブック描いたりさ、うん、もうちょっと前からかな、ハンズ行ったりとか、・・・何か、こういう、・・・ことが、楽しいんだよね」

「・・・うん?」

「・・・お前が、一緒にやってくれるし」

「・・・」

「だって、こんなの、やりそうにない、じゃん?」

「・・・べ、別に、推理小説だって、突き詰めればパズルやクイズみたいなもんだし、嫌いじゃないよ」

「ああ、そっか」

「うん」

「じゃあもっとやろ」

「・・・う、うん」

 

 それから、二階から人が降りてくる気配がしてドアが開き、昼寝から起きたらしい甥っ子がおぼつかない足取りで走ってきた。



・・・・・・・・・・・・・・



「~~~・・・!」

 な、何て言ってるんだ。全く聞き取れない。

「いくと、いくちゃん、ね、おじさんだよ、あきひこおじさん・・・ま、覚えてないかな。それからあっちはあきひこおじさんのおともだち。ね、こんにちはー」

 お姉さんはいくと君の小さな手を取ってこちらに振らせた。黒井は「こんにちはー!」などと小さい子向けの声で返したりはせず、「だからおじさんはやめてってば」とただ文句を垂れた。お姉さんも素の声で「だっておじさんじゃん」と。姉弟間では丁寧言葉は出ないらしい。

 後からまたのっそりと旦那さんが入ってきて、テレビの前の籐の丸椅子に腰掛け、リモコンを握った。BS放送か何かの外国のサッカーがやっていて、そのまま見始める。お姉さんが新聞のテレビ欄を渡そうとするけど、いい、という感じで無言で首を振った。横柄なのかシャイなのか、今のところ五分五分か。

「さあ、お茶にしますよ。あの、やまねこさんもお紅茶でいい?それともコーヒー?」

「あ、いえ、どうも、紅茶で・・・」

「はいはい。ああ、氷を割っておきませんと」

 和服から着替えているお母さんはキッチンに立ち、旦那さんは無表情でテレビを見、お姉さんはいくと君を膝に座らせようとするも、一時も落ち着かない幼児に手を焼いていた。

 ・・・ひ、人が多い。

 僕はもう地蔵のように固まって、ほんのみすぼらしい置物ですので、とお札に書いておでこに貼っておきたかった。


「飛行機、何時に着いたの?」

 まとわりついたり離れようとしたりするいくと君を見つつ、お姉さんが黒井に訊いた。

「えっと、何時だっけ?」

「あ、確か、一時前です」

「ふーん。車で迎え行こうかって話してたんだけど、連絡ないしさ、まっすぐ来るかも分かんないしって。ねえ?」

 ねえ、の部分はちょっと後ろを向いて、旦那さんになのか、お母さんになのか、あるいは背中をうろちょろしているいくと君になのか。キッチンからは常にカチャカチャいう食器の音のほかにガンガンと大きな音がするが、誰も気にしていなかった。

「別に、空港で軽く食べて、まっすぐタクシーで来たよ」

「いや、だって、お友達と来るって言うからさあ、どっか見て回ったり・・・って、まあ見るものないか」

 ちょっと自嘲気味に笑って、「島根とか、ねえ?」と今度は僕に。反射的に「いえいえ」と返したが、まあ、空港から見た感じ、ないっぽかったけど。

 ようやく初めてきちんとお姉さんを見て、感じたのは、あか抜けているってことだった。子どもを持つ主婦って感じはなくて、服装や髪型も、よく分からないが化粧も?あの時花見に来ていた同期の女子たちみたいだ。いや、顔でいえば、やはり黒井に・・・似てはいないが、整っている。

 そして、「こんな所までよく来たよね」と言われ、ああ、そりゃお姉さんだって黒井と同じ世田谷育ちだったと思い出した。ふむ、これが黒井のチョコを選別して横取りしていた姉か。

「お友達って、何のお友達なの?」

「えっ、あ、あの、同じ会社で・・・」

「あ、なんだ会社の人か。え、同期?後輩?」

「あの、一応、同期です」

「でも同期は全然仲良くないって言ってなかった?だって、全然違う部署になっちゃったんでしょ?」

 僕がどきっとしていると、黒井が「それね、すごい昔の話。今は俺支社だから」と。

「え、いつ転勤したんだっけ」

「去年の秋。別に、転勤っていうか、本社から支社に移っただけ。だから今新宿」

「本社から支社って、それが転勤じゃん。何で本社から移ることになったの?」

「別に、いいじゃんそんなこと」

「・・・まあいいけど。それで、・・・あの、何ていうか、大丈夫?」

 いくと君が首にしがみつくのを「なに、なあに」と引きはがしながら、お姉さんが僕に訊いた。

「・・・え?」

「だってさあ、・・・よほど暇だったの?っていうかどうせ、あれでしょ、この人に無理矢理なんか言われて連れて来られたんでしょ」

「え、いえ、その」

「だってふつうこんな所にまで来ないよ。別に、見るものもないし、まあ元々出雲大社に行くついでっていうならアリかもだけど、・・・ホントによかったの?貴重なお盆休みじゃん」

「は、はあ・・・」

 適当に濁していると、「まあ今更迷惑ですっつってもしょうがないけどね」と、いくと君を抱っこした。どうやらお姉さんはとても現実的で、常識的で、良くも悪くも打算的で、僕がしばらく忘れていた「そりゃそうだ」って感覚を思い出させてくれる人だった。

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