第85話:勝ったらひとつ、いうことをきく

「また、ピザ?」

「いいじゃん。食べたいんだ」

「あっそう。じゃあ・・・マルゲリータと、茄子とトマトのリングイネと、ポテトと、それから・・・」

「生二つ!」

「かしこまりました、繰り返します・・・」

「いいから、先に生!早くね!」

「え・・・」

 ウエイトレスを追い返して、僕たちはまた同じ席にいた。・・・ああ、疲れた。本当に疲れた。

「ねえ、楽しかったね」

「・・・そうだね」

「いろいろあったね」

「・・・そうだね」

「俺が、勝ったね」

「・・・そうだ、ね。おめでとう」

 僕は出された水を一口飲んで、黒井の顔を見た。何だか、向かい合ってるのが恥ずかしい。ちょっと気まずくなったところに早速ビールが来て、助かった。

「お待たせいたしました」

「ありがと!」

「い、いえ・・・」

 ああ、そんな笑顔振りまいちゃって。何だかなあ、この人、誰だろう。見る度思っちゃうね。暗闇で見るのと、感じが違うから・・・。

「さ、乾杯!」

「・・・そうだね」

「ふてくされるなよ」

「ふてくされてないよ」

「じゃあ・・・」

「分かった。クロの勝利に乾杯!」

「・・・やったね!」

 カチンとグラスを合わせて、一口飲んだ。・・・あ、止まらない。うまい。喉乾いてたらしい。半分以上飲み干した。

「ぷは、うまいね」

「うん」

 何となく、本当に<本番>の舞台の、千秋楽を終えた役者みたい。もう日常に戻って、役も終わって、目の前にいるのは誰でもない、仲間であり、友達で。もう犯人じゃないし、追跡する相手でも、裏をかく相手でもない。距離感が、つかめなくなる。ふつうの会話って、どうやってするんだっけ?

「それ、で?」

「え?」

「どうすんの」

「何が?」

「勝った、あかつきの・・・」

「ああ、・・・それ?」

「うん」

 黒井は少しうつむいた。え、何。もしかして、これから変なこと、言おうとしてる?急に緊張した。まさか、もう、終わりにしようとか、今までありがとうとか、そういう・・・。

「あ、あのね」

「う、うん」

 あ、準備してなかった。何を言われるんだ?っていうか、自分が勝った場合のことも全然考えてなかったな。ああ、それじゃ勝てないわけだ。この場面までイメージ出来てこそ、それを実現していけるんだ。

 黒井はビールを一口飲んで、手元の鞄を探った。さっき通用口の外に置いてあったから、僕が怒ったんだ。念には念を入れろって説教したけど、大事なものが入ってるから、お前に見られないようにとか、言ってた・・・。

 あ、もしかして。

 勝ったときの何か、もう、そこに用意してあったのか。

 ああ、やっぱり、そうなんだ。そこまで具体的に思い描かないと、勝てないんだな。

 ・・・っていうか、何を出すの?探索の間に僕に漁られたら困るもの?え、何、まさか婚姻届?

「こ、これ、なんだけど」

「は、はい・・・」

 しかし受け取ったのは、柔らかいビニール袋に入った、四角い何かだった。重い。たぶん、本。・・・婚姻届のわけ、ないだろバカ。

「何これ、本?」

「・・・うん」

「・・・え?」

 勝ったら、相手のいうことを何でもひとつきく。・・・で、僕は何をすればいいんだ?

「読めってこと?」

「ん?・・・、うん・・・」

「何だよ、煮えきらないな」

「うん、何て、いうか・・・」

 ここでピザが来て、会話中断。袋を開けようとすると、止められた。

「あ、あとで・・・」

「え、うん。分かった・・・」

 ピザを食うけど、何だか味気ない。これ読んでよ!ってどうして言わない?え、何かいやらしい本?

「ね、ねえ、これ、読んでいいんだよね?俺に、読めって、ことなんでしょ?」

「・・・そ、そう、だけど」

「何か、見ちゃ、まずいの?・・・あ、もしかして。まさかお前、本・・・自分の?出版して?」

「ち、違うよ、そんなんじゃない」

「あ、そう。じゃあ、何だよ。お前のおすすめの小説?」

「・・・ま、まあ」

「ふうん。どんなの?」

 そういえばそんなことも、知らなかった。

「え、ええと」

「何だよ、恥ずかしいやつ?」

「ち、違うよ」

「何だよさっきから」

「・・・はあ。もう、いいじゃん。何も言わないで読んでよ。・・・読まなくてもいいよ。好きにして」

「何それ?」

「ゆ、ゆーこときく約束でしょ?黙って受け取ってよ」

「・・・ま、そう、だけど」

「か、感想とか、いらないから。っていうか、何も、訊かないで」

「・・・。分かった。じゃあ、一つだけ教えてよ」

「・・・ん?」

「これ・・・いつくらいから、決めてたの?勝ったら、って」

「・・・え、ええと。ここ、で」

「え?」

「ここで、だよ」

「・・・先週の、って、こと?」

「うん」

「・・・はあ。それじゃだめだ。負けるわ」

「え?」

「俺。何も、考えてなかったんだ」

「・・・そ、そう。何だよ、聞いてみたかったのに」

 ・・・下手すると、結婚しようとか、言い出しかねなかったかな、なんて。あはは。まあせめて、一緒に住もうとか、いや、きっと、最後まで、本番、しようとか・・・。

「・・・今、考えた?」

「え、あ、いや」

「どんなこと?」

「言えない、よ。秘密」

「え、俺、負けた方が良かったかな」

「何だよそれ」

「だって聞いてみたいもん。あ、その本やめて、教えてくれってのに変更しようかな」

「だ、だめだよ。変更はナシ!」

「えー、余計に気になる。言えないような何をさせたいの?」

「へ、変な言い方するなよ。そんなことより、お前・・・」


 よく読破したな、とか、どこで立ちションしてた、とか。

 ピース吸ったろ、吸殻拾ったぞ、とか。ああ、僕の方も痕跡を調べられていたんだな、変な感じだ。

 他にも、たくさん。

 ずっと、尽きることはなくて。

 唐揚げとか、追加注文して、ワインなんかも、頼んじゃったりして。

「だって、猫、全然見つからなくてさあ」

「非常口の、床のそばの、あそこだよ」

「ええー?あ、初日は見逃してたかも」

「ドライバーがなけりゃ、開かなかったしね」

「そうだよ、そいつでさ、俺、刺されるとこだったわけ。えへへ」

 笑ってる場合じゃ、ないだろ。まあ、いいけどさ。ちょっと酔ってるし、楽しくなってきちゃった。

「これ、記念に取っとこうよ。ほら」

 不細工な猫を手渡された。・・・お前だけ、いいとこに入ってたな、さっき。いや、ここで匂いとか嗅がないよ…あとで、ね。

「何かもう、分身、みたいだよ」

「俺も。こいつ、外に吊そうとして、落ちてさ」

「おい、かわいそうだな」

「あはは、ほんと。見つけるの、大変だったな・・・」

 もう、外は、夕方だ。このままずっと、ずっと朝まで喋ってたい。帰りたくないよ。楽しすぎる。こんなこと、人生で、初めてだ。

 見飽きるくらい、黒井の顔や、髪や、セーターの編目や、手や指を見ていた。見えるところ全部。耳とか、少し伸びてきた髭とか、首筋とか。爪とか、何だか擦り傷だらけの手の甲とか、骨ばった手首とか。

 同じように僕も見られてるのかと思うと恥ずかしくて席を立ちたくなるけど、それより見ていたい方が勝ってるから、座ったまま。ああ、幸せだ。負けたって全然構わない。だめだな、だから、勝てないんだ。でもお前が勝ったって、僕の勝ちみたいなものだったんだよ。だから、最初から僕は不戦勝。だって、何を言われても、そんなの嬉しいだけだからさ。



・・・・・・・・・・・・



「・・・じゃ、そろそろ、帰ろっか」

「あ、そうだね、もう、こんな時間・・・」

 たぶん、世界が終わるって顔で僕は腕時計を見つめた。・・・あ、狂ってるのか。

 ちょっとでも、何かが起こって黒井の気が変わらないかって探すけど、何もなくて。トラックでも突っ込んできてくれたらいいのに。強盗が来て、本当に僕を人質にとってくれたらいいのに。だめ?腰を上げて、ねえ、レジに向かったら外に出て、行くしかないの?

 僕は無言で伝票を取り、黒井は後からついてきたが、途中で引き返して、トイレに向かった。「やっぱり待って」とは言われないから、そのまま清算する。僕たちが飲み食いした記録が紙になって出てきて、これは不要レシート入れには捨てない。僕はそれを内側に丁寧に折りたたんで財布に入れた。

 終わったころ黒井が出てきて、一緒に店を出た。何となく、無言で歩く。駅までは一緒に行って、いいよね。

 何もしてないのに腹が、いや、胸がひゅうと透けて、肩を抱きかかえたくなるような焦燥がこみ上げた。僕の家の方向へは歩かない。まっすぐ、駅へ。泊まっていかないの。泊まっていきなよ?言えない言葉。え、いやだよ、これから駅でバイバイしたら、一人で黙ってうちに帰らなきゃいけないの?それで、一晩寝て、もう一回寝ないと会えないの?そんな何十時間過ごせないよ。何で別れなきゃいけないの?

 ・・・何で駅までこんなに近いんだろう。もっともっと、フルマラソンくらい遠ければいい。エジプトくらい遠ければいい。ねえ、ピラミッドに行ってみない?僕、古代遺跡ミステリも好きなんだ。

 駅に着いた。改札の前。

「・・・じゃ、またね」

 そう言われて、返す言葉は他にはなくて。

「うん。じゃ、また」

 軽く手を振って、黒井は改札を通り、ほんの少しちらと振り向いた後はそのまま行ってしまった。呆然と立ち尽くす僕。心臓をもぎ取られたみたいな気分。

 そしてふと気づいて、本の入った袋を抱きしめた。そうだ、せめて、これがある。

 あ、そっか。これなら、無人島でも一人楽しく暮らせるのか。僕はその本の厚さを確かめ、心臓は現金にもすっかり戻って脈を打ち、足早にスーパーへ急いだ。本のお供を買わなくっちゃ。


 結局うちについたら、本はもったいなくてそのまま置いて、まずは風呂を洗って入った。軽い火傷が熱い湯でひりつく。さっきファミレスのおしぼりでずっと冷やしてたけど、赤みが残っていた。

「ほんとに・・・」

 笑っちゃうな。泣いたカラスが何とやら。だってさ、あいつから何かもらうなんて、うわ、すごくない?マフラーは交換だし、コンポは、アイロンのお礼だし、カロリーメイトもクッキーのお礼で、一方的にもらうのって初めてかな。

 しかも、本なんて。

 何だろう、いったい何の本だろう。あいつ、ずいぶん言いにくそうにしてたな。「潔癖症を治す本」?「自傷癖を治す本」?それとも・・・「男同士の四十八手」?

「ははは、ウケる。それいい。ってか笑える」

 盛大に独り言。何て楽しいんだろう。

 のぼせないうちに上がって、しばらく本は見ないまま滞っていた家事を済ませた。洗濯機を回して、掃除機をかけて、冷蔵庫の中を整理して・・・。

 部屋の片づけをしてたら、あ、クロゼットの奥に、小さな段ボール箱。これって、例の建物の通用口の鎖と南京錠。ああ、っていうか、いろいろ、置きっぱなしだった。片付けに行って、南京錠もかけて帰らなくちゃ。鎖も素手で触っちゃったから、新しいの買おうかと思ってたけど、もうこれでいいよね。行くなら、明日の早朝がいいだろう。僕はゴム手袋をはめて、鎖を一つずつ丁寧に拭いた。先が見えない反復行為に満たされて、何も考えずそれをした。気分だけは、恍惚としていた。


 目覚ましが四時に鳴り、リュックを背負っていつもの道を歩いた。歩き慣れた道なのに、すごく新鮮だ。まるで卒業した母校に行くような、一抹の寂しさもあった。僕と黒井の、人生の本番の舞台。下手な思いつきだったかもしれないけど、本当にやってよかった。胸が熱くなった。

 まあでも、高校も、大学も、卒業してもそれほどの感慨はわかなくて、ああ何だやっぱりこんなもんか、って思ったんだよね。別に、次の日から、みんな他人で。連絡を取り合うようなこともなくて。ただその施設に通わなくなるっていうだけの区切り。劇的な何かを期待しても、第二ボタンを下さいだとか、告白されるわけでもないしね。

 ・・・。

 あの本、何だろう。

 またもや気になり、気もそぞろで門扉を乗り越える。今日は新しい軍手。つけてたのは半地下に置いてきちゃったからね。あ、っていうかライトもない。・・・まあ、また携帯ので頑張るか。

 携帯の画面に4:44って表示されるのが嫌だなあと思いつつ、母校の感慨はどうした、と自分を叱咤して、真っ暗な廊下を進んだ。・・・ガシャン!

「うわっ!」

 な、な、何。びびった、びびった!!

 ・・・脚立、か。蹴っ飛ばしたのか。出しっぱなしだったのか。

 や、やめて、おどかさないで、本当に、おしっこちびるよ。ひい。

 気を取り直して、脚立は通用口の前に置き、廊下に戻る。ああ、何か肝試しの気分になってきちゃった。怖い。ぼんやりしたライトが照らすすぐ先に何かがいそうで。宇宙人とか・・・ほんとにやめてよ!

 すくみそうになる足を気力で進め、宇宙人の股間を蹴るべく前蹴りをして歩く。あ、でも、あの人たち、ついてない?っていうか、男女ってない?うわ、つまんない。セックスとか、してないの?・・・馬鹿なことを考えていたら少し落ち着いた。

 残してきたのはナップザック、ドライバーとペンライト、軍手、シーツにロウソク、あ、階段に落としたスキットルも。まあ、身元が分かるようなものでなければ、別に忘れたって構わないんだ。

 もうちょっと感慨にふけりたかったけどやっぱり怖くなって、そそくさと詰めて、早足で通用口に引き返した。え、何でこんな夜中の学校みたいなとこ、夜中に一人でうろうろ出来たんだろう?今となっては信じられないな。あ、もう、だめ。帰ろう。

 まさか通用口が閉ざされているんじゃ、と焦り、脚立片手にガタガタと慌ててドアを開けて外に出た。はあ、はあ、閉じ込められてゾンビにでも襲われたら大変だ。僕は帰って本を読まなきゃいけないんだ!

 とりあえず外に出たから少しは落ち着き、あとは乱暴に鎖を巻いて南京錠を留めた。留めるとき、少し、冒険の終わりって感じがした。これで、おしまい。カチャ。

 脚立はまた裏に置いて、これはいつか業者が入ったら使ってもらおう。持って帰ってもしょうがないし、何となく、舞台を使わせてもらったお礼。

 ・・・しかし、ふいに、南京錠を開けるときに棒を一本落としたことを思い出してしまい、思い出したからには探さずにおられなくなって、探した。すっかり忘れて帰ったなら諦められるのに、手の届くところにそれがあって、今の自分に何とかできる範囲だと思うと、やるしかなかった。世界の秩序が一つ回復し、僕が乱したものが一つ解消するのだ。あーあ、せっかくの綺麗なラストが台無し。まあ、這いつくばって棒一本探す作業が僕には似合ってるから、仕方ないね。

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