第72話:ミステリ・スイッチが入った山猫さん

 やがて<生>が届いて、まあ、成り行き上乾杯をすることになる。

「俺たちの本番に」

 黒井がやけに精悍な顔で言った。

 気障ったらしいせりふでも格好がつくから嫌なんだ。仕方なく僕も同じせりふを吐き、カチ、とグラスを合わせて、一口飲んだ。タバコのせいか味はよく分からなかったが、何となくいつもより美味しかった。

「くうー、・・・この、苦味がさ。うまいね」

 うん、美味しい、と素直に頷いてから、黒井がニヤニヤしていることに気がついた。飲んだら、苦い、なんてつぶやく。本番で、生で、飲んだら苦いって・・・だから、その下ネタの思想をやめろって!

「も、もうお前は黙ってて!」

「そう?」

「あっち向いて!」

 僕が手元のノートを見せないように前かがみになると、黒井はようやくスマホ片手にむこうを向いた。少ししゅんとしたので、歯がゆくなって、タバコを一本差し出した。

「え?」

「火。つけて!」

 本当は水商売の人みたいにさっと火を差し出してもらったらいいのかもしれないが、自分では先が燃えるばかりでうまくつかないのだ。・・・あ、別に間接キスが目当てって、わけじゃ、ないんだけど!

 もう知ったもんかと、鉛筆片手に、前も見ないでくわえさせてもらう。そして、やがてそのまま、本業に集中した。



1、ハンニバル

2、コフィン・ダンサー

3、黄金を抱いて翔べ

4、フリーメイソン

5、針の目

6、模倣犯

7、ミレニアム~炎と戯れる女~



 とりあえず思いついたミステリ小説を並べていくが、まあ結局僕の好みなわけだから、どの犯人たちもみな神経質で証拠を残さず、冷徹なわけで、似たり寄ったりになってしまった。どの犯人になりきろうと、それと分かる確信など得られないだろう。ほとんど当てずっぽうになるかもしれないが、致し方ない。

 この中から選ばせようと思ったが、タイトルから恣意的に選ばれると、黒井の好みという別の推理を働かせなきゃならなくなるので、くじびきにしてもらった。ノートをちぎって一行ずつ細く折り、ぴりぴりと破る。ひらひらとハタキのように握り、一本取らせた。

「俺に見せるなよ」

「うん」

 黒井はテーブルの下でそれを見ると、小さく折って青いカンに入れ、留め金をかけた。しかしもう一度開けて、「これ、お宝ね」と、元々入っていたチョコ菓子を上から詰めた。

「じゃあ、このお宝はお前に渡すよ。そんで、俺が、見つける」

「うん」

 僕は残った六本の細い紙を見ないようにして手のひらで丸め、小さく押し潰した。これを見てしまっては意味がない。テーブルの上のナプキンで包んで、このまま置いていくことにした。

 もう一枚ノートをちぎり、携帯と地図を取り出して、先ほどGPSで表示させた廃工場の位置を確認した。番地と大まかな地図、そして自分のPCのメールアドレスを書いて黒井に渡した。

「お前がさっき撮った写真はこっちに送って。これは共有の情報。で、ここからは、お互い何を調べようと、何をしようと、自由」

「分かった。何か他に、条件は?」

「そうだな、・・・絶対会社を休まないこと。警察とヤクザのお世話にならないこと。あとは、馬鹿をやって死なないこと。人生、なんだからね」

「よし。何があろうと、次の土曜の昼、またここに来よう。それまでは、犯人と、人質だ」

 黒井が手を出すので、何かおかしいけど握手をした。


 帽子とマスクをつけた犯人は鋭い目つきのままカツカツとブーツを鳴らして出て行き、振り返ることもなかった。テーブルの上には食べかけのパフェと、猫とカンが残された。駅までたどり着けるのかなと心配しつつ、僕は僕でノートにまとめることが山ほどあった。施設の概要を調べて大丈夫そうなら、そもそもまず侵入しなければいけないんだし、そのためには下調べも、諸々の道具も必要だ。込み入った工具を買うなら少し郊外のホームセンターまで出向かなくてはならず、外回り中にちょっと寄り道というわけにもいかない。残業を終えれば店はどこも開いてないのだし、つまり、これから何とかする以外にない。

 僕は黒井の残したパフェをかき込んで糖分を摂ると、広げたものをナップザックに突っ込んで、伝票を取った。一緒に入れてしまったナプキンは、慌てて灰皿に入れた。

 心臓が高鳴り、体が興奮状態になっている。交感神経が、今にも僕を走り出させようとしていた。本番だ、本番だと脳みそが繰り返し、僕は拳を握りしめた。

 ファミレスを出て元来た場所に急ぐ間、冷えた指をもどかしく動かして一本メールを打った。これから先の一分一秒、それにあてる暇がなさそうだったからだ。


<CD受け取りました、どうもありがとう。ついでにコンポまでもらったので重低音がきいています。また何か焼いてください。

 ただ、来週まで忙しくて連絡出来そうにありません。今度話したいことがあります。良かったら電話番号も教えてください

 追伸、キーホルダー?はどうでしたか>


 何分もしないうちに返信。


<080-****-**** 年中無休です。渡すとき噛み付かれてしまいました。保険に入ることを真剣に検討中です。

 コンポなんて高値のもの、私には手が出なくて、ご一緒にお届けできず申し訳ない。誰かと音楽を共有するなんて今までは拒否反応でしたが、山根さんなら大丈夫でした。またそのうち、拙いセレクトなどお持ちします。

 あと、キーホルダーは家の祭壇に飾りました。私などに話してくださる事案なら、いつでもお待ちしてます。ではまた>


 足は止めず、ざっと流し読み。ああ、コンポってそんなに高いのか。アイロンの、十倍、以上かな?まあいいや、なんて思うのは、何となく、いつかそれが二人の部屋に置かれるから・・・なんて、そんなの、勝ってから考えなきゃ!

 


・・・・・・・・・・・・



 再び、現場に戻る。

 ・・・茶番だ、という、声がした。

 いい年して、何やってんだ、そんなことして、意味なんかないぞ・・・。

 でも、じゃあ、普段の会社はどうなんだ。売上?粗利?損益計算書?神に仕える神官でも、司法解剖する監察医でもあるまいに、どれだけの意味があるっていうんだ。それこそ、そんな毎日が茶番なんだ。デスクに座って電話を取って、お世話になりますとか頭下げたり、それがこの世界の何なんだ。

 ・・・給料は、出るけどね。

 その給料で、生きてるんだけど。

 いいんだ、クビにさえならなければ、もう、今はこっちが本業だ。茶番がどうした、たった一週間、好きな男と本気の対決が出来なくて、何が男だ・・・!

 ・・・。

 ・・・。

 雨は上がって、空の雲は薄いオレンジ色。知らない会社の敷地内に、あからさまに浮いた格好の男が一人。ジャンバー、ジーパン、ナップザックにスニーカー。風が強く吹いて、雲が流れていた。

 居心地悪いな・・・。

 茶番がどうとかはもう消し飛んで、とにかく一分一秒でも早く立ち去りたくなった。普段の外回りでも、どこが会社の入り口なの?っていう、蕎麦屋の二階だとか、港湾の倉庫の事務所とか、うろうろするから多少は慣れてるけど・・・。

 スーツで来れば、まだよかったか。

 いや、この場合は、何かの作業着かな。

 建物に素早く目を走らせ、開いた窓はないか、何階建てか、外階段がないかなどを見ていく。周りの建物との距離、窓の位置、どこから人目につきそうか。

 とりあえず件の建物は完全に放置されていて、人の出入りはなさそうだった。張られた鎖も、薄汚れた門扉も、少なくとも最近触られた跡はなかった。問題は、むしろ、周りか。

 右隣はいかにも自社ビルという感じで、門扉の向こうは広い車寄せしか見えない。いくつか車が停まっているが、日曜に働いている気配はない。

 左隣はプレハブで、物置なのか建築現場の事務所なのか判然としない。今はとりあえず辺り一帯、人の気配はないが、平日どうなるかは全く分からなかった。夜中でもシフトで動くような業態なのか?警備員や保安員がいるのか?しかしどちらにしても、やるなら・・・今しかない。

 僕はひとまずさっきもらってきたナプキンを門扉に当てて、指紋が残らないようそれを握って乗り越えた。五、六回左右を見て、耳を澄ませて、・・・何もない。もし何かあったら、廃墟探検ですって言い訳しようと思いつつ、僕は<管理地>の敷地内へ、足を踏み入れた。



・・・・・・・・・・・・



 正面玄関は無視して、裏手に進む。右隣のビルに明かりはない。日曜には完全休業するような、自社ビル持ちの会社。果たしてこの廃工場?と関連があるのか、ないのか。

 建物と右の塀との距離が狭まって、だんだん細道になる。そして、建物の外階段。二階から直接降りて来れる、社員用の通用口。とりあえず体勢を低くして、ここを上る。

 扉は、ガラスの、観音型だった。

 真ん中にノブがあって、取っ手の握りを下げて開けるタイプ。時計でいえば、三時から六時へ回して引く。普段は右側だけ開閉するけど、たぶん荷物などを運び込むときは両側開く感じだと思う。

 そして。

 右の取っ手と、左の取っ手が鎖で一緒にくくられて、そこに南京錠がかかっているのだった。

 つまり。

 ここのドアの鍵は、かかっていないとみていい。

 後で一周見て回るが、とりあえず、入るならここだろう。建物と平行に伸びる階段の壁が目隠しになって、しゃがんでいればたぶん見えない。僕はそこに座り込んで、南京錠を調べた。

 カラスの声がする。

 薄暗くなってきて、黄昏時で目が利かない。

 それほど大きな南京錠じゃないが、ごくふつうの金色のやつ。錆び付いてることもなく、これさえ外せば、入れそう・・・。

 指紋を付けないよう気をつけながら、練り消しがあれば錠本体に刻まれた型番や、鍵穴なんかも型が取れるのにと思った。・・・別にプロでもないし、取って何が出来るわけでもないけど。いいんだ、こういうのが、したかったんだから。

 ちゃちな、本当におもちゃみたいな南京錠なら、開けられた。クリップと針金で、何回かに一回はものの見事に外れるまで練習したのだ。しかしこんな業務用は無理だと思う。原理は同じだろうが、ペーパークリップでは無理だろう。しかし鎖を切る方が無理だろうから、ここしかない。

 錠の大きさを指で測って、あとは階段を下りて建物一周に戻った。とにかく時間がない。買うものは山ほどあるのだ。

 

 いくつか通用口はあったが、どれも普通に施錠されていた。丹念に見て回っているつもだったが、暗くなるとともに不安も大きくなって、最後はざっと見て、ほとんど小走りで入り口に戻った。壊せそうな窓もいくつかあったが、梯子を用意してよじ登って入るリスクは高すぎる。

 雨どいをつたうとか、ピアノ線でどうのとか、アクロバティックなトリックも思いつくけど、ここでは却下だ。ごく、普通に、入るだけ。やはり南京錠が確実だ。もっとも入りやすく、出やすく、出口に近い。建物の一番奥は、向かいの建物の敷地に近い上に塀が低くなっているため、あまり長居したくなかったのだった。

 僕ははやる体を抑えて一分ほど立ち尽くし、「ここは廃墟かなあ」なんて顔で建物を眺めて携帯をいじる振り。廃墟なう、みたいな?古い?

 誰も来ない。よし、いったん退去。全てを持って、また来よう。

 僕は再びナプキンをつかむと、門扉を乗り越えて悠然と歩いた。しばらくして通りに出ると、全力で走って、駅へと向かった。



・・・・・・・・・・



 とにかくベンチに座って、ノートを開く。順不同に必要なものを書き殴る。

・軍手

・音のしない、無毛の敷物

・ペンライト

・カイロ

・作業着?

・足袋?

・首から提げるカメラ?

・七つ道具セット

・段ボール

・とにかく南京錠をあけるもの

・練り消し


 ・・・。

 これからホームセンターに行って、これらをかき集めて、また戻って、まずは南京錠と格闘する。

 首尾よく開いたらとにかく駒と宝を設置するだけ設置して、すぐに帰る。帰って、あの建物のことを調べて、すぐに寝る。病み上がりの体が少しふらついてきて、もう、一分と無駄にしてはいられないのだった。


 広すぎるホームセンターを右往左往して、どでかいカートにカゴを積み、使えそうなものを片っ端から入れていった。しかし、何はともあれ、南京錠だ。売場で試しに「うちの納戸の鍵をなくして・・・」と相談してみるが、鍵屋を紹介されるだけだった。

 さっき見たものに近い南京錠を手にして、あとは金属の小物のコーナーで、いかにもその鍵穴に入りそうな細いフック状の棒を見て回った。実際こっそり入れてみる。いけるような、いけないような・・・。ここが計画が始まるか始まらないかの正念場なわけだが、店の中で不審な動きをあまりしていられないし、最も手応えのあったものと、他に二、三個選んで買うほかなかった。

 日曜で混んだ店を回遊しながら、カゴの中に開いたノートを見つつ、これからの手順を確認した。

 南京錠が見事に開いたと仮定して。

 まずやることは、宝と駒を隠すこと。

 しかし、通用口が開いたとて、中に進入してどこでも入れるわけではあるまい。もしかすると各部屋のドアは施錠されていて、廊下と階段しか隠し場所はないかもしれない。防火シャッターみたいなものが閉じていたら、それこそ入り口から何メートルかの廊下で、駒も宝も隠しようがないのかもしれないのだった。

 ・・・ああ、両方いっぺんに置いたら、だめなのか。

 駒はともかく、宝は隠さなくては。

 敷地内の様子を思い出す。建物の中でなくてもいいなら、塀の下は一部花壇になっていて、もう花なんかないが、土だったはずだ。

 ・・・埋めるか。

 スコップか。

 カートをUターンさせて、ガーデニングコーナーに回る。大体そういうのは端っこにあるんだ。あるいは外かもしれない。・・・ええいもどかしい、このスプーンでもいいか?いや、結局、箸にも棒にもかからないというのは当たるのだ。こんな時には純正品を買うのが正解だ。

 人生の、本気の、本番。

 たかが買い物に、神経がすり減る。時間との戦い。セレクトひとつに、今までの経験の縮図がつぎ込まれる。どのレジに並ぶのかで迷い、結局遅くなったりして、自分の未熟さに恥じ入ったりする。

 こういう、ことなのか。

 全てが、試されている感じがした。己の知略が、体力が、臨機応変さが、刻一刻と、試され続けている。

 戦いだ。しかも、画面の中じゃない。

 店内のゆるく穏やかなBGMが、かっこいい戦闘音楽なんか流れない現実を告げていた。

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