第4話:忘年会当日

 何となく落ち着かない土日。

 たまっていた海外ドラマの鑑賞と靴磨き、アイロン掛けをして、また週が明ける。メールも来ないし、電話も鳴らない(知らない番号が一件、たぶん迷惑電話)。

 何となく上の空。

 今までどうやって、こんな、興味もない仕事を、好きでもない担当者を相手に、苦手なアポ取りや打ち合わせ同行までして、こなしていたんだっけ?僕はこれをもう四、五年やっているわけだけど、何が楽しくてこれをやっていたのだろうか?

 ちょっと、よく思い出せない。

 会社では、何度も席を外して、ビルの下のコンビニまで気晴らしに行くようになった。来月から本格的に忙しくなるが、嵐の前の静けさなのか、全社を挙げての先延ばし精神なのか、内勤が多く、残業も少なかった。

 忘年会の話は結局、あのとき行けなかった蜜の雫に決まったようだった。誰かが話していたのをちらっと聞いただけだ。そのうちアウトルックで妙に浮かれた年末モードのメールが来て、参加・不参加を押して返事をすることになる。とはいえどうせ課長のひとにらみでほぼ強制参加なわけだけども。

 あれから、黒井とはよく喋るようになった。

 先月くらいから、僕と同じ四課の同期の横田が休みがちになっていたから、余計にそう感じた。横田とは仲が良いというほどでもなかったが、地味なやつで、特に何の気兼ねもなく、なんということもない会話を交わしていた、んだと思う。いないとき思い出せないくらいの。

 そう、だから僕は横田の不在のせいで、そこへもって内勤が多くなってきたせいで、自分の所在なさをびんびんと感じていたのだ。それで、黒井のやつがわりとこまめに、僕が一人の時を狙って、どうでもいいネタを振ってくる。

 ああ、哀れんでいるのか。いや、いいヤツだから、気を遣ってくれているんだ。

 助かるけれども。

 悪い気はしない。でも、図に乗ると、とてもまずいと思うので、深入りしないよう自分をきつく戒める。だって、どんなに黒井が優しくたって、四課に入ってくれるわけじゃない。横田の代わりになってくれるわけじゃない。それに、彼はあの「黒井さん」だ。こんな関係がだらだらと続くはずもない。

 それでも二回も昼飯を共にしたり、コンビニで鉢合わせしたりしても僕が気まずくならなかったのは、やはりあの「みつのしずく」の夜の、馬鹿みたいな体験の共有のおかげだ。あの日の彼は「黒井さん」ではなく、人なつこい「黒犬」でしかなかった。そして僕と二人でいるときの黒井は、必ずいつも「黒犬」になった。みんなの前ではやはり「黒井さん」なのだが、二人になった途端に馬鹿みたいに無防備になる。

 それもきっと、僕を気遣って、僕に合わせているんだろう。僕がこういうノリしかついていけないだろうと踏んで(実際そうなのだが)、そうしてくれているのだ。たぶん、彼はとても親切な人なのだ。



・・・・・・・・・・・・・・



 どこかの共有フォルダに「忘年会のお知らせ」というひな型でもあるのだろうか、かくして今年も11月中にメールが来て、「これだけ前から知らせてあれば都合つけられるよな」という無言の圧力と共に、みんな課長の顔色をうかがいながら「参加」を押した。派遣の女の子は一応課長から誘われたが、丁寧に断っていた。そりゃ、普段からお茶汲みもしているのに酒の席で本性を出した課長たちにお酌なんて、特別ボーナスでも出なければまっぴらごめんだろう。いや、むしろそれでお金をもらうのも変な意味になってしまうか。まあとにかく、僕は男で良かった。酒に弱く早々に酔った振りをして、端っこでとろんとした目をしてみんなの話に相づちを打っていればよいのだ。

 

 そして12月になり。

 忙しさは急に嵐のようにやってきた(やはりあれは嵐の前の静けさだったのだ)。来年の消費税増税を前に(※注:これは2013年のお話です)、全社を挙げたリプレース大会が幕を開ける。1月からの本番を前に、徹底的に顧客情報を整備して、SからDまでのランク付けを更新し、案件計画を練って短期決戦をしようということだ。ここで3月の決算までに数年分の売り上げをあげようというのだから、力も入る。

 まあ、SとAは当然、主戦力のグループ長たちが押さえるわけで、B、C、Dの取りやすいところを僕らが時間の許す限り多く拾えれば、というところに落ち着くだろう。

 会議の後、課長から呼ばれた。

「山根、お前はね、今の話でちょっと、とにかく取ろうとか、イケイケな雰囲気になったかもしれんけど、焦ることないからな。お前のいいところは、丁寧なとこだから。こういう時ってね、お客さんの懐にスッと入るチャンスなわけ。お前知らないだろうけど、前の消費税のときとかも、そうだったの。おおごとだからさ、お客さんも、早くチャッチャとやってほしい人もいるけど、いろいろ不安だから、丁寧に、事細かに説明してほしいって人も、特に中小の人に多いのよ。だから、お前は数字そんな気にすんな。さっきのはただの目安だから。この機会に、今後の信頼を作るのよ。ね、分かる?このお祭り終わったら何にも残りませんでした、じゃ、会社が困るわけ。ちゃんと種を植えとかないと。俺はさ、お前にはそういう役割を期待してるわけ。分かった?」

「はあ、はい」

「期待してるからね?頼むよ?」

 腕をどんと叩かれる。わざわざこういうフォローが入れられるということは、きちんと部下のことを考えて、かつ売り上げのことも考えて上に立っているのだと、ようやく分かるようになった。多少僕に対する評価が的外れでも(丁寧というか遅いだけだし、臨機応変な演技が出来ないだけだ)、叩かれた腕が無駄に痛くても、だからムカついたりはしない。ちょっとだけ、これも、黒井と同じように、「出来ない僕」を頑張ってフォローしてくれてる?と思うけど、そのままそう訊いたって、そうだと言われてもそんなことはないと言われても結果は変わらないのだから、考えてもしょうがないことだ。それに、「僕は本当は出来るんです、勘違いです!」ということはなくて、まあ、その通りなのだから、相手の厚意をありがたく受け取ればいいだけなのだ。

 まあ、どうしてみんなと同じようにさっさと仕事や人間関係を「流して」いけないのか、いちいちぐずぐずと考えて納得しないと動けないのか、何でだろうとは思う。それを丁寧だの誠実だの言われても、自分の美徳なのだとは思えない。むしろ教えてほしいくらいだ。今度黒井に聞いてみようか、どうしてそんなに流せるんだ、って。無意味だとか、見せかけだとか、上辺の満足しかないとか、時間とお金の無駄だとか、思わないのか?って。そんなに大事なものがお前のどこにあるんだ?って。



・・・・・・・・・・・・・・・



 忘年会当日。

 終礼のあと三々五々会場へ向かうのだが、同期と後輩の女子の一団の後ろにぽつんといるのが居たたまれず、少しトイレで時間を潰したら、誰もいなくなってしまった。何となく合流しようと思っていた一課の同期も、あるいは意外と気の合うくたびれたおっさん連中もいなくなって、あとは課長やグループ長ばかりだった。それももっと気まずいので僕は急いでエレベーターに飛び乗った。

 何となくみんなについていこうと思っていたので、場所もろくに確認していない。一人で行ってもまた「みつのしずく」に着いてしまう。僕はエレベーターの中でひとり吹き出した。

 1Fに降りて出口へ向かうとき、ポケットにケータイの振動を感じた。名前の表示はなかったが、とりあえず出た。

「はい」

「あ、あの・・・山、ちゃん?」

「やまちゃん」

 僕のことを山ちゃんなどと呼ぶ人間はいないので、一瞬キョトンとなる。

「あ、俺、黒井」

「ああ」

 幹事の黒井はすでに会場に着いているのか、後ろにガヤガヤと声が聞こえる。

「お前、まだ会社にいんの?」

「え、いや、今ビル出たとこ」

 本当は出ていないが、何か遅刻を責められる事態が起きたのかと思い、自然、早足になる。同期全員で準備とか余興の練習とか?いや、そんなものはない。

「俺、何か、まずかった?」

「いや、むしろ良かった。実はさ、シンコーの大月さんいるじゃん。あの人に、うまいこと連絡行ってないみたいで、知らないってことないだろうけど、たぶんメール届いてないし、スルーしちゃってるっぽいんだよね。だから悪いんだけど、きっとまだデバッグにいるだろうから、拾ってきてっつーか、うまいことフォローして連れてきてくんない?って話」

 後ろから、「幹事さーん、しっかりしてよお」の野次と、「相手誰?」「んー、山根くんみたい」というやりとり。「お前らうっさい、聞こえない」と黒井の声。

 僕は立ち止まり、回れ右をしてエレベーターホールへ戻る。今更一人で行くより、何か役割をやっている方が気が楽だ。

「オッケー、オッケー。いつものデバッグにいるのね。話してみる」

「いい?」

「別にいいよ、全然。じゃ、少し遅れるかもだけど、よろしく」

「はいよろしくねー」

 後ろの「ちゃんと大月さん連れて来いよー」の声が、終わらないうちに、ぶつりと通話が切れた。同時にチンとエレベーターが開き、こんな時間だし、一人で入って、閉じる。広いし気が楽だ。

 ドアが閉まり、大きく息をつくと、「浮かれちゃってさ」と呟いた。自分でもなぜそんなセリフが出たのかは分からなかった。

 いいんだ、出来ることをやれば。

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