第27話

 年明け初めての本間テキスタイルへの出勤。竹下さんが、あけましておめでとうございますと言ったのに対して、小林さんは、おっおっおっおっおめでとうと言った。竹下さんは、おっおっおっおっと言った。本間さんが全員にポチ袋に入ったお年玉を配った。中を見ると一万円札が入っていた。竹下さんが新しく入社してきても朝のコーヒーは僕が作った。机の上を拭くのを竹下さんがやり、僕は掃除機をかけた。お昼ご飯も僕は煙草が吸いたかったので僕がやると言って、僕が作り続けた。サンプルを作っていると気が付くことがある。似たようなものをたくさん作るように言われる。最近だとチェック柄が特に多い。僕は小林さんに聞いてみた。小林さんは、洋服の世界では毎年流行りがあり、今はチェック柄が流行っているから、と。それから僕は森川さんのことも小林さんに話してみた。僕は、自分の気持ちはもうすでに冷めている、それでも僕はずるいのでキープの意味で自分の彼女と今は付き合っている、こんな時小林さんならどうしますか、と。田舎のヤンキー高校を卒業した小林さんが言った。


 人は二人なら一人きりにもなれる。でも一人なら一人きりじゃいられない。


 小林さんは僕の目も見ずに表情も変えず、パーラメントを吸いながら。僕はその言葉の意味がすぐに分かった。

 僕はその日の夜、森川さんを夜の公園に呼び出し、別れを告げた。僕のいきなりのわがままに森川さんは泣きながら、そんなのは嫌だと言った。僕はそんな森川さんの涙を抱きしめることも出来なかったし、何も言えなかった。森川さんは叫ぶように、今まで私は何リットルの君の精子を飲んだと思ってるんだと言った。僕は、森川さんのお父さんから電話がかかってくるかもなあとか、キリヤ堂のみんなに会いに行った時に何て言えばいいんだろうとか、もっと森川さんが僕を罵ってくれたらいいのになあと思っていた。泣きながら、もう帰ると言う森川さんを家まで送って行きたかったけれど僕はそれをしなかった。公園に一人残された僕はハイライトに火を点けて夜空を見上げた。僕は何故か涙がこぼれそうになったけれど、それをしてしまうと自分が本当に偽善者で最低な人間になってしまうと思ってその涙をこらえた。翌日、僕は小林さんに森川さんと別れたことを報告した。小林さんは、ふーん、おっおっおっおっとだけ言った。それから次の休みの日に僕はパソコンとプリンターを買った。なあなあにしていた小説を書くことを意地でも続けるための僕の決意表明だった。何も書けないのに高い万年筆を買って、作務衣を着て、自称作家と言っている人間っていそうとビーバップで読んだことがあった。僕が大枚をはたいて買ったパソコンとプリンターが高い万年筆や作務衣になるか。それは僕次第だと僕には分かっていた。

 本格的に小林さんと同行する日が多くなってきた。僕はニットとは伸びる素材のことをそう呼ぶと思っていた。小林さんは、生地には織物と編み物があって、ニットは編み物であると言った。小林さんの言い分だと生地は織物か編み物の二種類であるそうだ。小林さんと一緒に小林さんの取引先に行くとたくさんのデザイナーやパタンナーや社長さんや経理の人がいた。岩島企画と言う会社に行った時は、そこの社長さんが小林さんに熱く語っていた。俺と小林さんで生地業界に革命を起こしていこうよ、と。本当に熱い社長さんだと僕は思った。その会社を出た後に小林さんが言った。今のが岩島企画倒れの岩島社長、と。小林さんは本当によくモテていた。同行で一緒にいろんな取引先を回っているとよく分かった。女の人は小林さんを見る目がみんなハートになっていた。そりゃあ、白竜さんが目の前に現れたら女の人は誰だって目がハートになる。また、キャバクラでも小林さん

はすごくモテていた。いつも小林さんが指名していた女の人がいた。その女の人が小林さんの相手をする前に別の女性が小林さんの席についていたら、小林さんが指名していた女の人は後から小林さんにものすごく怒って、嫉妬の言葉を投げ掛けていた。それに、僕は高円寺にある小林さんの自宅に、仕事帰りに遊びに行ったり、泊まりに行ったりもした。小林さんが呼べば、いろんな女の人が小林さんの部屋へすぐに駆け付けた。小林さんは本当に酒が好きだった。借金してでも飲みに行くし、借金してでも僕に奢る。それでも金が無い時は安い酒屋で缶ビールと安いつまみを買って、家飲みもよくした。小林さんは僕に、気に入った女がいればいつでも言え、いつでも紹介してやると言っていた。また、小林さんの自宅もマンションの一階で、よく猫が窓ガラスをゴツゴツと叩いていた。そんな時、小林さんはすぐに窓を開けて、家の中に猫が入って来ていた。そして猫につまみとかどこから出してきたのか分からない猫の餌をあげたりしていた。僕は小林さんに、猫が好きなんですかと聞いてみた。小林さんは、よく餌を食べにくるんだよ、別に好きじゃねえよと言った。小林さんは本当に酒しか飲まない。本間テキスタイルでは昼ご飯を食べていたけれど、飲みに行っても、家飲みをしていても小林さんは食事を一切口にしない。少なくとも僕の見ている前ではそうだった。酒しか飲まない。それでもガリガリなわけでもなく。また、酔っぱらうと知らない人によくケンカを売っていた。僕はケンカなんて人生でしたことがなかった。それでも街中でいろんな人に絡んでケンカを売っている小林さんの援護をしないといけないと僕は思って、震えるのを我慢しながら人を殴ったり、殴られたりもした。不思議なもので人のパンチや道具を持っての攻撃はものすごい大振りが多く、よく見ていると大体軌道が分かるので意外と避けるのは簡単だった。小林さんのまずいところはケンカを売るにしても、こっちは二人なのに、五人、六人相手でも平気でケンカを売ることだった。そうなるともう最後には二人とも丸まって顔だけは守るようにしてやられ放題になる。しかもケンカの理由も酔っぱらった小林さんの、今、俺の悪口言っただろ、とか、今、俺のことバカにしただろ、とか、今、俺のことを変な目で見ただろ、とか。僕から見ても小林さんがいちゃもんをつけて絡んでいるとしか思えなかった。それでも僕は小林さんと一緒に相手と戦う。理由は小林さんの敵は僕の敵だから。スーツが破れることはなかったけれど、ワイシャツが破れた時は悲しい気持ちになった。それでも小林さんがおふるのワイシャツをたくさんくれた。ただ、ケンカが終わって相手がいなくなった時に二人で吸う煙草は美味しかった。こういうことは野良猫なら避けては通れないのだ。

 若江さんは相変わらずオシャレなスーツやワイシャツやネクタイを毎日していた。小林さんから若江さんのことを何度か聞かされたことがあった。若江さんは三十一歳で僕より十歳年上であること、本間テキスタイルのナンバーツーであり、会社が出来てから本間さんが若江さんを拾ってあげたこと、その時の若江さんは半ズボンにランニング姿だったこと、今はマンションを買ってそこに住んでいて、結婚もしているということ。僕はそういう話を聞かされながら、以前に若江さんも若い頃はご飯に塩をかけて食べていたことを思い出し、若江さんもきっと必死で頑張って東京の人になったんだと思った。若江さんが歌う東京青春朝焼物語はどこに降りたと歌うのだろう。

 本間さんも社長だけど変わった人だった。いつもうんこを漏らしていた。ズボンのお尻の部分が茶色くなっているのを見て、お父さんが、お尻といつも叫んでいた。本間さんはお尻が緩いらしい。別にそれを他の人が、社長はうんこ漏らしで汚いとは誰も言わなかったし、そういう態度も一切しなかった。ただ、お父さんの、お尻と言う言葉は僕と小林さんの間ではいつも使っていた。副業でやっている個人相手の金貸しも電話を聞いているとこの人は金貸しに向いてないんじゃないかと思うぐらい世間話とか凍り付くようなダジャレばかり言っていた。父さんが倒産するよ。また、本間さんから会社を立ち上げた頃の話もたまに聞かせてもらったこともあった。誰も友達もいなく、いつも壁にゴムボールを投げては跳ね返ってくるゴムボールをキャッチすることばかりしていた、同じような仕事を雇われでやっていたけれど、本当に友達が一人も出来なかった、と。そんな本間さんは会社のマスコットキャラクターであり、あまり口を開かない若江さんや小林さんを尻目に一人でずっと喋っていた。

 僕はたくさんの生地のサンプルを作った。


 アイリッシュリネン、アストラカン、圧縮ウール、ファンシーピケ、アルバトロス、イカット、イタリアン・クロス、マドラス、クラッシュ、インド・シルク、ウィップコード、ウエポン、エクセーヌ、エタミン、クロス、エンボス、オットマン、オートミール、オパール、縮緬、カーキ、カシミヤ、絣、ボイル、ドビー、メルトン、カルゼ、キャラコ、キリム、クリンクル、クレトン、グレナディーン、クレポン、グログラン、ゴア、ゴース、サキソニー、サージ、シャギー、シャークスキン、シャリー、シャンタン、シャンブレー、シール、ジーン、スイス、スレーキ、ゼファー、セル、ソアロン、タッサー、ダッフル、タフタ、玉虫、縮、エジンバラ、ケンピ、スポーテックス、ソルト・アンド・ペッパー、バナックバーン、ネップ、ホップサック、紬、テディ・ベア・クロス、天女の羽衣、ドビー、ドスキン、ドリル、トロピカル、ニードル、二ノン、パシュミナ、バスケット、蜂巣織り、バーバリー、羽二重、バラシア、パンピース、ビエラ、ピケ、ビーバー、ファイユ、フェイクファー、フェルト、不織布、ブッチャー、プラッシュ、プリペラ、フランネル、ヘアクロス、ヘシアン、ベネ、ヘリンボーン、ベンガリン、ホップサック、細綾、フレスコ、ポンジー、ポプリン、マッキノ―、マッキントッシュ、マル、花崗織り、ダッサー、メルトン、モアレ、モケット、レノ、モール、ラチネ、ラテックス、レノ。編み物であるニットを入れるともっと数は増える。僕は一生懸命メモを取るのだけれど、似たようなものも多く、違いも分からず、生地の知識は一向に増えなかった。ただ、名前だけは記憶に残していった。小林さんと同行しても、小林さんはそんな言葉をメモ帳も見ずにデザイナーやパタンナーとさらっと使う。小林さんの頭の中には生地の知識が相当叩き込まれている。それもほとんど独学で得た知識が。ある日、僕と竹下さんが同時に電話対応している時にもう一本の電話がかかってきて、小林さんがその電話に出た。僕が電話を切った時に小林さんは、はい、小沢ならいますがそういう名前のものはいません、はい、すいません、失礼しますと言って電話を切った。その日の昼ご飯の後、一緒に煙草を吸っていた小林さんが僕に、さっき電話で白竜さんって方いますかって言われたけれど、お前、自分のお袋に俺のことを白竜と言ってるのか言ってきた。僕はすごく気まずい気持ちになったけれど正直にすいませんと答えた。僕と小林さんはそこまでの関係になっていた。同行する回数もドンドン増えて、仕事をさぼってパチンコをすることも増えて、午前中に小林さんに誘われて何度も四階の喫煙所に煙草を吸いに行ったりもした。僕は気が緩んでいたのだろう。ある日、そんな僕と小林さんに本間さんが怒鳴った。会社は遊びに来てるんじゃないぞ、と。僕と小林さんは本間さんに怒鳴られた後、何も言わずに自分の席に座り作業を続けた。僕は自分が悪いことをしたと理解した。本間さんだって仕事中に副業で金貸しをしている。でも、僕と小林さんが百パーセント悪い。本間さんは社長であるし、本間さんの怒りは正しい。それでもその二分後には本間さんはダジャレを言っていつもの本間さんに戻っていた。その日から小林さんに同行の回数を減らしましょうと帰りの電車の中で僕は提案した。小林さんは、社長に怒鳴られたのを気にしてんの、社長だって金貸しやってんだから、それに俺はやることはやってるから一ミリも気にしてないけど、まあお前がそう言うんなら別にいいけどと言った。僕は会社に自分の給料の三倍のお金なんて入れてないし、電話番は竹下さんでも出来るし、お昼ご飯を作ることと生地のサンプルを作ることしか本間テキスタイルには貢献してなかった。結局はいつまで経っても生地のことを覚えることが出来ない僕のことを本間さんは分かっていて、営業に出さないことは僕にも分かっていた。僕は自宅に帰って生地の勉強をせずにパソコンで作文のような小説ばかり書いていた。しかもインターネットも使うようになり、電話回線でパソコンをネットにつないで無修正のエッチな写真をプリンターでプリントアウトしてそれを小林さんに見せたりとかしていた。それから、本間さんが社員旅行でグアムに行こうと言いだした。僕は社員旅行と聞いたので最初は本間さんと若江さんと小林さんの三人で行くのだと思った。僕は時給千円のアルバイトだったから。本間さんは、お兄ちゃんも竹下さんもパスポートを用意してねと言った。僕はそれを聞いてびっくりし、恐る恐る、お金はいくらぐらいかかるんですかと聞いてみた。本間さんは、向こうでのお小遣いだけは自分で用意してね、あとの旅費とかは全て会社が負担するからと言ってくれた。本間さんと若江さん以外はパスポートを持っていなかった。僕と小林さんと竹下さんは三人で新宿にパスポートを作りに行った。いろいろと準備するものとかを前以って本間さんから教えてもらっていた。僕はそこでまたも愕然としてしまった。パスポートを作るのに免許証が必要だと、正確には顔写真入りの証明書が必要だと。僕はいろいろと電話でパスポートを作るところに質問して、国民健康保険と印鑑登録証明書ならなんとか用意できるとホッとした。僕は本間テキスタイルに入社してから安い国民健康保険に加入してあった。年金など払ってはいなかった。そしてパスポートを作る間にいろんなことに驚いた。まず印紙代だけでものすごくお金がかかるということ。切手代がそんなにバカ高いのかと僕は呆れると同時に千円以上もする切手を始めてみた。そして性別のところにSEXと書いてあったこと。僕は小林さんに出来上がったパスポートを見せて、SEX、SEXと連呼した。パスポートに貼られたお金を払って撮影した僕の写真を見てみる。小林さんのマネをしてオールバックで黒いワイシャツをノーネクタイで着ていた。しかも僕は視力が左右とも二・〇なのに伊達メガネをかけていた。プリーズとフリーズは違うんだぞ、間違えると撃たれるよと本間さんがみんなに言った。これにはみんなが笑った。僕は遠足気分で安いリュックサックみたいな袋の中に着替えとか歯ブラシとか、サンダルとか、こういう時日本食が恋しくなるとか聞いたことがあるぞと梅干しも入れた。お小遣いとして、銀行から五万円を引き出し、極力向こうでは節約して全部は使わないようにしようと思った。お盆休みに入る前の七月、僕らはグアムに社員旅行で向かった。本間さんは旅行中も時給はいつも通り発生するからと言ってくれた。本当に優しい人だ。人生で初めて乗る飛行機は本当に怖かった。最初はゆっくり動いていて、僕は、こんな加速で空を飛ぶのかと思っていたけれど、急に飛行機のスピードが上がり、ものすごいスピードで外の風景も電車に乗っている時と同じような感じで流れていく。そして僕はそのスピードで座席に押し付けられる感覚を覚えた。そして耳の中でキーンと言う音が鳴った。飛行機が空に浮いた。それは乗っている僕でも分かる。ふわっと宙に浮く感覚がハッキリと分かった。窓際の席に座っていた僕は地上があっという間に昔よく作ったお城のプラモデルとかそういう感じでおもちゃのように小さく点になっていくのを眺めていた。隣に座っていた小林さんも身を乗り出して窓の外を眺めていた。あれだけアナウンスでシートベルトを装着してくださいと連呼していたのに、小林さんはそれをしていない。流石にお父さんは参加していないけれど他の五人は参加しての社員旅行。しかも海外、グアム。飛行機の中では流石の若江さんまで笑顔でいつもより饒舌になっていた。君は飛行機も初めてなのか、君は海外も初めてなのか、君は英語を喋れるのか、君ははしゃぎ過ぎだよ、他のお客さんもいるんだから冷静にしたまえ。飲み物もタダでジュースやビールまで出してくれる。機内食も何か二つから選べるらしい。みんなで違うものを頼んで分け合った。本間さんが旅行で使える英会話の本を読みながら、もうちょっとスモールとか言っていた。僕らを乗せた飛行機は無事グアムに着陸し、僕はアメリカ横断ウルトラクイズのような心境で飛行機から階段でグアムの地に降り立った。グアムの地に足をつけた瞬間にブブーって音が鳴って強制的に成田空港に返されたりするんじゃないかと思った。税関があり、そこで外人の係の人が僕を見ながら怪しいものを見る目をした。僕はなんでそんな顔をするのだろうと一瞬思ったけれど、パスポートの写真の僕はオールバックでメガネをかけていたからだと気付き、僕は自分の髪をオールバックにして見せた。すると外人の係の人は一瞬で明るい顔になり、僕に向かって歓迎の意味だろうなと思う英語で何か喋ってきた。僕は英語なんて話せない。グアムは若江さんや小林さんまで子供にしてくれた。いろんなものにみんながはしゃぐ。最初に換金所で日本のお金をグアムのお金に換金してもらった。一ドルが三百円ぐらいだと本間さんが教えてくれた。そして帰りに余ったドル紙幣はまた日本のお金に換金してくれるから持ってきたお小遣いをとりあえず全部ドルに換金した方がいいと言われ、僕はそうした。ホテルの部屋は本間さんと若江さんと竹下さんが個室で僕と小林さんが二人部屋だった。ホテルのテレビを点けるとどの番組も全て英語でいつもあんなに冷静な白竜さんがすげえと言った。テレビの中で、チャンバワンバが拡声器を持って歌っていたのに僕は衝撃を受けた。水着に着替えてみんなで海に泳ぎに行く。すごくきれいな海水。透明で本当にどこまでも海底が見えるほど透けて見えるほどきれいで僕は、この中で本間さんがうんこを漏らしたらちょっと犯罪では済まないのではないかと思った。竹下さんの水着姿がとても可愛かった。そう言えば僕は東京に出てきて水着を着るのも見るのも、海を見るのも、海で泳ぐのも初めてだった。田舎から東京に出てくるときに僕が初めて田舎以外の海で泳ぐのがグアムの海だとは全く想像もつかなかった。いつもは整髪料でオールバックをビシッと決めている小林さんが髪をおろしているのも初めて見た。ものすごくかっこいい。俳優の白竜さんも髪の毛をおろせばもっとファンが増えるのではないかと思った。夕食をホテルの外にある屋根だけが付いたレストランみたいなところで全員が持っている英語の知識を出し合い英語のメニューを解読しながらウエイターの人に注文した。いつも気取っている若江さんや生地に詳しい小林さんも金貸しを個人的にやっている本間さんもお客さんにファンがいる竹下さんも英語となるとチンプンカンプンである。もちろん僕も全く分からない。結果、注文したものと違う料理が山の様に運ばれてきたけれどみんなで笑いながらそれを食べた。僕のコークとバドワイザーだけは通用したみたいで飲み物はちゃんと注文したものが来た。テーブルの上にはものすごく大きいハンバーガーやポテトやステーキなどで、いつもお昼ごはんにそうめんやそばやうどんを食べていた僕らには胸焼けしそうな料理だった。テーブルの上のケチャップが空だった。僕は昔、阪神のオマリーがエンプティと言って非難されたのを思い出した。エンプティとは空っぽを意味する言葉だと僕はそれで知っていた。僕はウエイターの人を捕まえ、空っぽのケチャップの入れ物をふりながら、エンプティと言った。ウエイターの人は僕の言葉を聞き、オッケーと言って空っぽのケチャップの入れ物を持って行き新しいものを持ってきた。若江さん以外のみんなが僕のことを、すごいねと褒めてくれた。僕は心の中でオマリーに感謝した。その日の夜、僕は小林さんとホテルを抜け出しグアムの町に繰り出した。頼むから海外でケンカだけはしないで欲しいと僕は思った。銃で撃たれたらお終いだから。その町は観光客用に分かりやすい変な日本語の看板がたくさんあった。すけべと言う看板が僕らの興味に火を点けた。小林さんと中に入るとそこはストリップ場で外人の女の人が裸で踊っていた。いつもはめちゃくちゃクールで感情をあまり表に出さない白竜さんも、チップを出すんだよ、丸見えだぞと騒いだ。僕は人生で二人目の生の女性のあそこをそこで見た。見えやすいようにギリギリ僕らの前まで来てくれて思い切りあそこを広げてくれたり、後ろを向いてお尻を広げて見せてくれたりして、チップを渡そうとするとその女性は受け取ったチップを縦に折り曲げて僕の口に咥えさせて、顔を僕の顔に思い切り近づけてきてまるでAをするように口でチップを受け取った。小林さんも同じようににやけた顔で口でチップを渡していた。横で見ているとその姿は情けないようで、正直でいいみたいで、僕はこれでは日本はアメリカには勝てないなあと思った。そのストリップ場はほぼ貸し切り状態だったので踊り子さんは僕らのためだけに踊りながらエッチなところをたくさん見せてくれた。チップを僕らは何度も投入した。ストリップ場から帰る時に、その踊り子さんが僕らにわざわざお別れの言葉を言いに来てくれた。お別れの言葉なのかどうかは僕には英語は分からなかったので理解できなかったけれど、簡単な英語の後で、バーイ、ハバナイスデイみたいな言葉は聞き取れた。僕は知っている英語の言葉で一番好きな言葉をその踊り子さんに向かって言った。昔好きだった小説の聖エルザクルセイダーズで知った言葉。フォーエバーヤング、と。踊り子さんは僕の言葉にちょっと笑顔になり、手を振って見送ってくれた。それから僕らはコンビニみたいなところでバドワイザーや外国のコーラやジンジャエールやエッチな雑誌やエッチなトランプを買ってホテルに戻った。エッチな雑誌は安いのに全てのページがカラーでもろだった。トランプも全てのカードがカラーでもろ。僕はこれを税関で見つからないように日本に密輸しなければいけないと思った。翌日も海で泳ぎ、バカみたいにでっかいステーキを食べ、グアムの太陽と海を朝から満喫した。若江さんは似合わない真ん丸のサングラスをかけて泳がずに飲み物を丸くて小さなテーブルに乗せて、持ち運び用のベッドに寝転んで日焼けをしていた。ゴルフのクラブを握っていれば現地の人も若江さんのことをタイガーウッズと間違えるだろう。本間さんは体を大の字にして海の中でぷっかりと浮かんで漂っていた。小林さんがそんな本間さんの顔に狙って海水を思い切りかけたりした。僕は今がすごく楽しかった。何故と人に聞かれたら僕は即答する。太陽がまぶしかったから、と。泳いだ後にみんなで拳銃が打てる観光者向けの施設に行った。そこで僕は人生で初めて拳銃を手にした。マグナムフォーティフォー。僕はモデルガンでいつも部屋のゴキブリを一発で仕留めていたし、拳銃の知識もあった。本物の拳銃は両手で構えないといけない。打ち方を指導してくれる人が本に書いてあったことを同じように説明してくれた。そして銃口を絶対に人にむけてはいけない、と。僕の番が回ってきて、僕は拳銃を打つ場所にマグナムフォーティフォーを手に立ち、標的である的を見た。リボルバーに弾薬は六発。撃鉄を指で引き起こす。衝撃でよろめかないように両足で踏ん張る。標的と銃口の上についた目印と撃鉄を自分の目で一直線に重なるようにする。僕は拳銃の音がどんなものか聞きたかったので着用を義務付けられていたヘッドホンのような耳栓をわざとずらして音が聞こえるようにしていた。引き金をゆっくりと引いていく。ゆっくり引かないと銃口が動いてずれてしまうから。たった一センチあるかないかの引き金を、時間をかけてゆっくりと引いていく。そしてものすごい音と衝撃と共に銃口から弾が発射される。マグナムフォーティフォーの衝撃は想像以上だった。両手でしっかりと力を入れて握っていないと手が上に弾き飛ばされそうだった。僕は続けて弾を打ち続けた。バナナフィッシュのアッシュの様には撃つことは出来ないけれど、正確さなら負けない自信はあった。みんなが撃ち終わったあとにそれぞれの名前をローマ字で書かれた自分が撃った標的の紙がみんなに配られた。僕が手渡された紙には真ん中にほとんど命中して穴が開いていた。他の人の紙は誰一人として大きい円の中にさえ命中していなかった。小林さんが僕に、お前はここに残って殺し屋でもやれと言った。白竜さんがそれを言うかと僕は思った。そして僕が思ったことは、拳銃はシャレにならないほど怖いということ。こんなのが自分の体に当たればものすごく痛いのは簡単に想像出来たし、拳銃で人を撃つことは絶対にしてはいけない。平和ボケだとか言われようが何だろうが拳銃を国が禁止している日本は素晴らしいと思った。プリーズを連呼していた本間さんが少し鬱陶しかった。僕は日本に帰ったら部屋にあるモデルガンを捨てようと考えた。翌日に僕らは飛行機に乗って日本へ戻った。最後に換金所で使わなかったグアムの紙幣を日本紙幣に換金してもらった。僕は三枚の一ドル札と数枚の何種かのセントのコインだけは換金せずに記念としてそのまま持ち帰った。また、税関でもろだしの雑誌とトランプを見つからないようにカバンの中の一番奥に詰め込んでひやひやしながら税関を通過した。ピーっという音が鳴らなければセーフなのだろうと僕は思っていたので、持ち物チェックをするところやセンサーを通る時にドキドキしながらそこを通過した。それは日本の空港でも同じだった。僕は、頼むから絶対にこの密輸だけは許して欲しいと願いながら持ち物検査を受けた。女の人もいたので、もしここでもろだしの雑誌やトランプを大勢の人の前で出されて、これは何だとか言われたら僕は逃げ出すしか選択はなかった。そんな心配も結局は不要だったみたいで僕の密輸は大成功した。嬉しい気持ちとホッとした気持ちの後に、明日からまたいつもの日常が始まると思ったら少し残念な気持ちになった。楽しい時間が終わる時はいつも同じような気持ちになる。グアムにいた時もそうだった。初日の夜に、まだ明日と明後日と楽しい時間が残っている。二日目の夜に、まだ明日が残っている。楽しい時間が終わるギリギリまでまだ残っていると言う気持ちと時間を戻したい気持ちになる。仕事をしている時は早く時間が進んで欲しいと何度も壁にかかってある時計を見ては、さっきからまだ三分しか経ってないと不満を持ったりするくせに。ニュートン時間とベルクソン時間と時間は二種類ある。僕の時間は完全にベルクソン時間だった。それでも時給千円は変わらない。僕はもう二十二才になっていた。僕と同い年の大卒の人間が来年からは社会に出てくる。僕は大人にならないといけないのか。それともすでに大人になっているのか。税金だって昔から払っている。働き始めてからは税金を常に払ってきた。童貞も森川さんとCをした。僕は童貞ではない。親の力を借りずに生活もしてきた。家賃だって滞納せずに今までちゃんと払ってきた。僕が今までに支払った家賃の金額だけでも二百万円を超える。でもそんなことは当たり前であり、誰かが褒めてくれるわけでもなくて、僕はいつまで経ってもフリーターであり、正社員でボーナスを貰うこともなく、それでも大人なのかと聞かれたら僕は答えに戸惑ってしまう。太陽のまぶしさのせいに僕は出来なかった。

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