生地物語

工藤千尋(一八九三~一九六二 仏)

第1話

 僕が田舎から上京したのは十九の秋だった。

 僕の母親は東京に行きたいなら自分でお金を貯めなさいと言った。ずっと親のお金で生活してきた僕は初めて自分でお金を稼ぐことをした。自転車で片道三十分以上かかる工場まで毎日通い、毎日同じ作業をした。そこにはいろんな人がいた。嫌な人は一人もいなかった。ベルトコンベアーで流れてくる荷物を次々とコンテナに乗せていった。金髪で高そうな車で通勤する同い年の子がいた。その子は中卒で働いていると言った。車も自分のお金で買ったと言った。雨が降った時には自転車で通勤していた僕を車で家まで送ってくれたりもした。僕のおんぼろな自転車を高そうな車に乗せてくれた。他にも養護学校からその工場に就職した同い年の子もいた。その子は養護学校から来たのに話をすると僕の友達と何も変わったところは一つもなかった。シャ乱Qが好きなその子は給料日の次の日にはいつも新しいCDを買ったと自慢していた。大学生の人もいた。その人は僕が東京に行くためのお金を稼いでいると言ったら頑張れよと言ってくれた。他にも話の面白いおじさんやモデルのようなお兄さんもいた。事務の女の人は綺麗だった。僕らは毎日、同じ作業をして、煙草休憩をとりながら、昼休みには弁当を食べて、定時である朝九時から夕方五時まで働いた。お金を貯めなければいけない僕は生まれて初めて貰った給料で帰り道に一人で居酒屋というものに飲みに行った。何を頼んだらいいのか分からなかったので生ビールと焼き鳥を注文した。自分の稼いだお金で生まれて初めて飲んだビールはとても苦かった。僕は半分以上のビールを残して焼き鳥だけは全部食べた。時給八百円で一日七時間働いて一か月の給料が大体十四万円ぐらいだった。僕はそこで半年働いて八十万円ぐらいのお金を貯めた。中卒の子が悲しくなるなあと言ってくれた。養護学校から来た子が写真を撮ろうと言ってきて肩を組んで写真を撮った。大学生の人が頑張れよと言ってくれた。たくさんの人が半年間働いた僕にお別れの言葉をくれた。僕は貯めたお金で東京に出て、安いアパートを井荻駅と言う杉並区にある西武新宿線が通っているけど快速電車は止まらない駅の近くに借りた。それでも今まで貯めたお金の半分以上がなくなった。着るものや布団は実家から送ってもらった。それでもテレビや冷蔵庫や洗濯機は自分のお金で買った。ただ、母親が唯一、僕に固定電話を買ってくれた。固定電話の番号は十万円以上で買わないといけないと僕は初めて知った。僕はすぐにアルバイトを探した。最初は日雇いの仕事をしていた。それでも収入が不安定なので定職に就こうと考えた。しかし、どこで働いたらいいのか分からなかったので僕は買った安い自転車に乗って荻窪まで出て、いろんな求人の張り紙を見て回った。居酒屋の張り紙が多かったが、僕はビールが苦かったので時給千円以上貰える居酒屋で働こうとは思わなかった。

僕はたくさんの履歴書を書いた。

 それでもなかなか採用されなかった。僕はお金がなかったので履歴書に貼る写真も使いまわして、履歴書も書くのが面倒だったので日付とか修正液で消して書き直したものを使っていた。僕は何故採用してもらえないのか分からなかった。それでも十以上の面接を受けた結果、荻窪の駅前の本屋さんに採用してもらえた。時給は七百五十円だった。僕は本が好きだったので本屋さんで働けることに喜びを感じた。それでも働いていて何かおかしいなと僕は思った。その本屋さんの社員の人たちは全員同じ宗教の人だった。その宗教で偉い人の本のコーナーが設けられていた。それでも社員の人たちは優しい人もいたし、意地悪な人もいた。僕と同じようにアルバイトをしている人たちもいた。お客さんもたくさんの人が毎日店にやってきた。半年近くその本屋さんで働いた。頑張って働いたつもりだったけど月の給料が十五万円を超えることはなかった。それと毎月僕の給料のうち、三万円近くが電話料金に消えてしまった。僕は寂しかったので毎日家から田舎の友達に電話をした。僕に電話をかけてくれたら僕がお金を払わなくて済むのになあと思っていた。それでも僕はいつも夜になると寂しくて自分から友達に電話をかけて長電話をしていた。家賃は同じアパートに住んでいる大家さんのところに毎月手渡しで持って行った。田舎の工場のアルバイトで貯めたお金もその頃にはほとんどなくなっていた。僕はどうすればお金をかけないで生活できるかを考えた。スーパーで鳥の胸肉を買えば食費がすごく抑えられると知った。自炊をすれば食費を抑えられた。僕は家でご飯を食べた後に食器を溜めておく癖があったので部屋には大きなゴキブリがたくさんいた。食器を洗おうとワンルームの隅にある流しの中に置いてある汚れた食器を手に取ると必ず大きなゴキブリが食器の下からものすごいスピードで現れ、僕は毎回ビビっていた。ゴキブリを倒すために僕は田舎から持ってきたモデルガンで壁に張り付いて止まっているゴキブリを撃った。僕はモデルガンでたくさんのゴキブリを倒した。また、僕の部屋は一階で窓を開けると目の前が道路だったので夜寝る時は窓を閉めて寝ていた。春でも部屋が蒸し暑かったので夏になるとどうしょうかなと僕は悩んだりもした。一人暮らしを始めて、初めて分かることがたくさんあった。生活必需品は本当にたくさんあった。僕は高校を卒業してから一足の靴を履いてきた。靴はそれしか持っていなかった。その頃には靴の底に穴が開いてしまい、雨の日に道を歩くとその穴から雨水が入ってきて靴下がすぐにぐちゃぐちゃになって気持ちが悪かった。それでも僕はその靴を履き続けた。

 僕は一度だけ寝坊をしてしまった。朝起きて、時計を見て慌てた僕は毎日、前日に食べた夕食を弁当に詰めるのも忘れて本屋さんに急いで向かった。僕は十分ほどの遅刻をしてしまった。本屋さんの偉い人が自転車を飛ばして息を切らしている僕に明日から来なくていいと言った。その日まで働いた分の給料も貰えなかった。僕は泣きながら休憩室にある僕用のロッカーを片付けた。仲の良かったアルバイトのおばさんや社員のお姉さんが僕を慰めてくれた。僕の遅刻は仕方ないと言ってくれた。僕は止まらない涙を流しながら少ない荷物を持ってお客さんの間を通って本屋さんを出た。僕はお金のことを心配した。お金がないとご飯が食べられないと思った。そんなことを考えながら自転車を押して貼られているアルバイト募集の紙を見て歩いた。一枚のアルバイト募集の紙を僕は見た。「キリヤ堂」と言う大きな建物にその紙は貼られていた。時給八百円と紙には書いてあった。勤務時間も朝の十時から夜の七時までで、勤務時間は自由と書いてあった。僕は単純に計算してお昼休みの一時間を引いても一日六千四百円貰えると考えた。「キリヤ堂」が何屋さんなのか分からなかったので僕は普通にお客さんのふりをしてその建物に入ってみた。そのお店は生地屋さんだった。僕は人生で初めて生地を見た。フロアや壁も生地だらけだった。制服を着た社員さんや私服を着たアルバイトさんらしき人たちが専用の台の上に生地を置いて腰に下げたハサミで生地を切っていた。チョキチョキ切らずにハサミを動かさずに手を手元から前に滑らせるだけで綺麗に生地が切れていた。それと気になったのが男の人が一人もいなかった。僕は童貞で女性と付き合ったこともなかったので頭の中でいやらしい想像をした。ハーレムのような環境だなあと思った。僕は思い切って社員らしき女の人に、僕は表の張り紙を見てここで働きたいと思っていますと言ってみた。その人は笑顔で、男の子がうちに来るのは珍しいと言ってくれた。そして四階にある経理の人が事務仕事をしているような部屋に案内された。経理の仕事をしているらしき三人の女の人が僕を興味深く笑顔でジロジロと見ていた。優しい言葉もかけてくれた。すぐに店長みたいな人が部屋に入ってきた。その人は菅谷さんという人だった。頭には一本も毛がない人だった。とても明るい人だった。僕は名前と年齢を聞かれたので、小沢勇と言います、歳は十九歳ですと答えた。菅谷さんは僕にその場で採用と言ってくれた。経理の人らしき三人の女の人が派手に騒いで歓迎の言葉をくれた。僕は、休みなしのフルタイムで働きたいとお願いした。菅谷さんは、頼もしいなあと言ってくれた。明日から働いてもらうから履歴書だけは持ってくるようにと菅谷さんに僕は言われた。僕は生地のことは何も知らなかった。それでも仕事が決まったので嬉しかった。しかも女の子ばかりの職場だったので僕は別の意味でも心がワクワクした。



 僕の生地物語が始まった。

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