クソラノベについて、考察してみた。

3分タイマ-

第1話

最近、YouTubeで「クソラノベ」と評価される、なろう発の小説を紹介している動画を何本か見た。




ほう、クソラノベ紹介の動画コンテンツも必要性があったんだな。みんな、コメント欄で議論している。ただ、買っているヒトは少ないように見えたので、冷やかし目的で見ていると考えている。




本当に好きなら、「クソラノベ」を紹介するコンテンツではなく「僕が好きな、なろう小説」とかのコンテンツを見るはずだから。事実、こちらは、レビューされていたので面白そうだったので買ってみました!という、コメントがいくつか見られる。




自分は、はて、「クソラノベ」とは何か考えてしまった。書籍化されているので、当然人気があったのだろう。




Amazonレビューと評価。


なろうでのブクマの数で比べてみた。




ブクマは8000をこえているし、なろうで、それだけ読者を獲得した作品なのに、Amazonレビューでは評価は2。そしてレビュー数も2つとか、かなり少ない。




んん?なろうでの感想欄となろうレビューでは評価はいいのに。市場に出た途端反転する評価。




クソラノベと言われながらも2巻をだす作者もいる。続編をだせるのだから、それだけ読者を獲得できたのだから、クソラノベと言うのはどうかと思った。




けれども、自分は大人気の新海誠さんの「天気の子」はクソラノベだと思っている。物語として破綻している。


アニメーションとして、見るなら素晴らしいと思う。


だが、脚本として見ると矛盾がいくつも存在し見ていることが苦痛になってくる。ありえないよね。と、大人目線で見てしまうからだ。ターゲットは完全に若者であり、最初に母親の病気のシーンがあり命の重さがわかりそうだが、主人公はあっさり命を軽く見ているように大多数の生活圏を奪う選択をする。


私なら自分一人に世界の地形がかわるような選択をせまられ、死ぬのが怖いあまりに自分が生き残る選択をしたとき、多分、罪の重さに耐えられず、そのあと、沈んでいく日本とともに精神破綻すると思う。平気で生きていける主人公はある意味サイコパスに感じた。




前作では、1人の少女を救うことで多くの人が助かり未来軸がかわったのに、同じく繋がった世界で今度はその生活圏を奪ってしまう選択を選んだ。




私は新海誠先生のアニメの初期作品が好きだ。そこには確実に美しい風景とともに確かに地に足をつけた情緒があったから。




重い何かをかかえて、人間らしく生きている特別な、けれども普通に今にも足元をぬかるみにすくわれそうな危うさ悲しさ、ささやかな喜びがにじんでいた。




でも、天気の子やその前の作品は完全に「売れるために全力をつくしたコンテンツ」であり、矛盾点など一切承知のうえで作り出した作品だ。




新海誠先生らしさが完全になくなった地に足がつかない主人公たちが主役となった。




古参ファンは新海誠先生らしくなくなった。と評価している人が一定数いるし、わたしもそのうちの1人だ。




だが、新海誠先生は自分らしさってなに?と、あれほどの深いアニメを過去1人で作ったりしていたのに、「僕らしい小説ってなに?よく新海誠らしくないって言われることもあるけど、僕は僕らしい小説が全くわからない。」ということを語っており、そのことに自分はひどく驚いた。




小説を書いている人ならわかると思うのだが、これが自分色の作品だ!という持ち味が必ずでると思うのだが……。


ある種のフェチズムといってもいいし、信念ともいえる。監督自身の心の中を覗いているような錯角さえもする。私は地に足がついた誠実なリアリティが細かな心情が繊細さが新海誠先生の小説らしさだと勝手に思いこんでいた。




けれども、新海誠先生は、それらは自分らしいと評価されるのは全くもって無縁だと思っている。




売れるために作り上げた脚本だから、プロとして正解なのだろう。そして、きちんと結果を残した。


矛盾点をだしてもエンターテインメントになるならそれでOKとした。




キャラクターの心理描写は、何故かRADWIMPSの歌詞で補填され、私はRADWIMPSの歌詞で彼らの心理がわかるありさまだし、天気の子はRADWIMPSの音楽に頼りきっているように感じた。




音楽との共演といえば聞こえはいいが、それは前作で思いっきり味わえたのでもう満族していた。むしろ、今回はそちらを全面にだされ、物語は破綻しておりキャラクターが地に足がつかないフワフワ系になってしまっている。


それでも、次の作品が世に出れば私はぜったいに見てしまうのだから、クソラノベと言いつつ買ってしまう購入者と一緒だ。


次の作品を見ても、同じようにモンクをいいながら見てしまうことだろう。矛盾点に眉をしかめ、ふわふわしているキャラクター達に好感を持つことなく、それでもアニメの美しさに感嘆するのだろう。




同じアニメ監督の細田守先生は、時をかける少女の「未来でまってる」と言う台詞が全てをもっていかれ、次作のサマーウォーズではキャラクター達の魅力にはまり、非現実をとことん楽しませてくれた。




おおかみこどもの雨と雪では、良さが全くわからなかった。


なぜ、絶賛されているのかもわからなかった。それ以降、彼の作品は私の中では理解できないものになった。


細田守先生は、脚本家に任せた方がいいタイプだ。細田守先生に脚本のかじをとらせると、鬱々しい監督と言われるだけあって細田守先生らしさと本来はいえるのだろうが、私は駄目だった。


時をかける少女のように脚本家がかじをとり、細田守先生がアニメのかじを、とる。そのバランスが良かったのだと思う。




アニメでリアリティを追求した「聲の形」はキャラクターが決して楽観視されることなく苦しみの連鎖を複雑な友情の動きを、徹底的に自分という軸にむきあって展開してくれた。そこにエンターテインメントはなかった。見たあとの気持ちは、次の日が休みで良かったな、精神がもっていかれた。


この作品をみて、私ははじめて、ご都合主義の有り難さがわかった。リアルは辛い。矛盾しているが、破綻している物語だろうが救いがあるほうが、読後感は良かった。


私は聲の形は評価しているが、もう一度見れる?と聞かれたらNOと答える。それほど、精神をけずられたからだ。






また、最近では、脚本が存在しないゲーム。プレイヤーがゲームの背景とプレイ内容から想像することしかできないゲームがあることに驚いた。キャラクターはいっさい喋ることなく、制作サイドは語ることなくプレイヤーに全てを創造させた。


これには驚いた。




プレイヤーはゲーム内容も操作説明を一切うけることなく、何もわからない状態でゲームをスタートさせる。コントローラーを適当に操作してできることを確認してすすめていく。




制作サイドも語らないことを徹底しており、上手くプレイヤーに物語が伝わらなかったときは歯噛みしたそうだ。




LIMBOと言うゲームは妹を兄が探しに行く物語とだけしか発表されていない。それだけなのに、ゲーム評価が恐ろしく高い。自分が何処にいるのか、何をしているのか、自分を攻撃してくる相手は何者なのか。全て想像し、何度も死んでプレイヤーは物語の先に進んでいく。全てを疑い、ゲームをクリアする。




INSIDEと言うゲームは前作のLIMBOでうまく伝わらなかった物語を、さらにわかりやすくしたと言っているが、プレイヤーからしたら「わからない!!」と言うことにかわりはない(笑)


主人公は誰に狙われていて、何故、殺されるのか?襲ってくる化け物はなんなのか、逃げているのか?生き延びようとしているのか、自殺したかったのか。物語の確信に近づいているようで、最終的にはわからない。


しかし、美しいグラフィックとキャラクターの動きに徹底的にこだわっており、喋らないキャラクターと言う存在にもう1つの映画を見ているような気分である。それだけ、世界観がつくりこまれており、キャラクターの動きがアニメーション担当の人のこだわりがすごく強く。語らないゆえに、それ以外に全力投球している、珍しい会社である。


私もゲームを見たが、全くわからず、ただただ、その世界観に圧倒されるだけである。




けれども、これでも物語としてなりたっている。




もう少しわかりやすいゲームになると、「リトルナイトメア」が日本では有名だと思う。こちらも誰一人喋らず、小人であるシックスが何者なのか、何処にいるのか、視覚でしか判断できない。


できないが、キャラクターが際立っており、よく部屋を観察するとよく物語が細かく作られていることがわかる。




語らないことが、よりよくプレイヤーをその世界観に引きずりこむことができ、疑心暗鬼にさせることで、プレイヤーはより深く物語に意味を見出そうと必至になる。






なろうはクソラノベと評価されながらも、何故、出版のあとがたたないのか、出版社に聞くとクソラノベと評価されようが売れるからだそうだ。不思議なことに、クソだと言われていても、何故か売れるのがなろう小説の不思議なところだそうだ。


確かになろう小説は、異世界、ざまぁ、俺TUEEEEなど、もう独自の文化を突き進んで小さい世界を作者達が勝手にもりあげてくれる1つの会社みたいになっている。(笑)常に萌えを勝手に作り出し、悪役令嬢、追放など、現場監督でもいるの?というくらい萌の押し売りランキングがすごい。だから、ランキングが同じのでうまる。言わばCM祭りである。悪役令嬢おもしろいよー。見てかない?今年はこれで売ってくよ!ってなかんじである。




これを会社としてみたら、素晴らしい団結力具合いである。


勝手に作者がスローガンかかげて、お互いをもりあげていく。






そして、個性的な作者たちは、ランキングにうんざりする。




だが、萌の押し売りのなかに、独自路線でランキングを制覇する覇者もいるので、なろうはそれがおもしろい。面白ければはやりのランキングの中に異色の作品がまじっている。




自分たちは、なろうテンプレを生み出し、そして派閥しまた、エッセイ欄が盛り上がっていく(笑)




なんか、おもしろいところですよね。




たまにクソラノベの方が売れて、正統派ラノベは打ち切りとか、購入者の気持ちはわからん。






売り出し方はいろいろあるからね。


( ੭˙꒳ ˙)੭






認めてくれる人がいる限りそれは成功なんでしょう。




売り上げとれれば成功なんでしょう。




自分たちがどこに軸をおくかですよねー。(・ω・)






なろうでは1800ブクマ作品がアルファポリスだとブクマ6しかつかないからね。全く意味不明だよ。(笑)




まあ、皆さま好きに書いていきましょー

( ੭˙꒳ ˙)੭




オス!


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