第一話 夜鳴く獣

夜鳴く獣①

 ごうごうという唸るような風音が次第に激しくなる。

 長めの前髪が流れて額が全開になるのに不快そうに顔を歪めて、珠保はママチャリを止めた。イオンのセールで買ったママチャリは変速機が付いていないので、登りと強風には弱いのだ。

 京都と言っても洛外のはずれともなると、まだまだそれなりに田舎と紙一重なのどかな風景が広がる。このあたりは観光地も近いので昼間は比較的人が多いが、夜は街灯も暗くひっそりとしていた。そんな路地裏に自転車を止め、手近なコインパーキングの防護柵に勝手にチェーンを括り付ける。

 音……いや、『声』が響くのは、ここから少し離れた竹藪の辺りのようだった。

 激しい風に揺らされた竹が大きな音を立てているが、それに混じって確かに獣の咆哮のような声が聞こえる。

「獣型の物の怪やろか……こんなとこで騒ぐなんて珍しいな」

 面倒くさそうな口調でつぶやいて、珠保は往診バッグから大きな海外製の懐中電灯を取り出し、ポンポンと肩を叩いた。

 マグライトと呼ばれるそれは通常のものより光の拡散性が高く、重く長いボディは海外の警察組織では警棒に代用されるほどの打撃力があるしろものだ。何かに襲われても武器として転用することが出来る。

 もっとも彼がこれを愛用しているのは職業柄トラブルに巻き込まれる機会が多いから……というわけでもなく、ただ単に趣味である。

 竹藪のあたりは街灯もほとんどなく、夜はかなり暗い。だがこの時間はまだ近隣の民家から漏れる明かりも多く、単純に光が届かないというだけでは説明しきれない漆黒が目に入った。


 闇、ではない。黒い塊。


 この辺りの金持ちの家に多い、平屋建築の屋根に届くほどの大きな獣の影であった。暗闇では容易に姿を視認できないほどの大きな獣が、竹藪の中で暴れている。竹は柔軟性の高い植物だが、このような巨体になぎ倒されまくれば著しく景観を損ねる恐れがあった。

 これは明らかな迷惑行為である。本来なら専門の警察を呼ぶところだが、珠保はこう見えて気の短い男だった。


「ここを誰のシマだと思ってるんです? ちょっと静かにしてくれませんか」


 体躯のわりには凛とよく通る声が、獣に突き刺さる様に竹藪に響き渡る。

 一応は医師らしく丁寧語を用いて話しかけてみた。この街に巣食う怪異であれば未来の客かも知れないのだ、無碍には出来ない。

 大きな獣は一瞬動きを止め、わずかに珠保を振り返った。

 暗闇の中、大きな赤い目が鋭く光る。

 珠保は目くらましも兼ねて電灯の光を獣に向けた。熊や虎を思い出す大型肉食獣の様な毛皮が照らし出され、獣がぐおお、と不快そうに声を荒げる。

 珠保の姿をはっきりと認識したらしき獣が、大きな鋭い爪の光る手を振り上げた。

 自らに向けて振り下ろされる手を受け止めるべく珠保は咄嗟にマグライトを構えた。こんな大物とバトルになることは滅多にないが、やはり護身に使えるものは携帯しておいて悪いことはない。とは言え焼け石に水レベルではあるが。


 だが、振り下ろされたその爪が珠保に届くことはなかった。


 その毛むくじゃらの手は珠保の目前で見えない壁に弾かれ、獣はその巨体ごと何かに付き飛ばされたかの様に後ろへと吹っ飛んだ。

 しなる竹が軋んだ音を上げつつ獣の身体を受け止める。


「先生! ご無事でしたか」

「……韮川にらがわくん」


 珠保の背後からハイブランドのカジュアルに身を包んだ長身のイケメンが駆けつけてきた。

 ガアアアア!!

 びりびりと全身を震わせる大きな咆哮が響き渡る。珠保への直接的なダメージは一応防いでくれた見えない障壁は獣にはさしたるダメージを与えなかった様で、むしろ獣の怒りを買った様に見受けられた。

「韮川くん何してるんですか、遅いですよ」

「すみません、俺今日東京で舞台だったんで……」

 韮川と呼ばれた男は苦笑いで珠保に頭を下げ、ゆるりと起き上がった獣を睨みつけた。

 男の目が青く光り、全身を青白いオーラの様なものが包み込む。

 大きく深呼吸し何かを解放するかの様に気合を込めると、元々長身だった男の身体はさらに大きく膨れ上がり身の丈2メートル半ほどとなった。茶色く染められていた短めの髪は白く染まり、後頭部が原始人の様に後ろに膨らむ。大きく伸びた両腕は細長く筋肉部分だけが異様に張り、節張った指の先には眼前の獣にも劣らぬ金属の様に鋭い爪が黒く光っていた。

「久々にその姿見ましたね」

 顔面の造形こそイケメンのままだが「異形」と呼ぶに相応しいその姿に珠保はさして驚く様子もなく、肩に担いでいたマグライトを再び獣の方へと向ける。

 大きな背中は赤銅色の毛に包まれ、肩口からは鮮やかな黄と黒の縞模様に彩られた力強い肉食獣の手足が伸びていた。ほぼ全身を毛で覆われているが、その尻尾には毛がなくその代わりに爬虫類の様な硬い鱗で覆われている。

 頭部は虎柄の毛皮の隙間から人肌の様な皮膚が垣間見えるが、その表情は理性がうかがえる様なものではなかった。

 顎に手を置いて考え込むような仕草で、珠保がぽつりとつぶやく。


「大型のキメラ……ぬえか?」


 鵺<ぬえ>。

 古くは平家物語にも描かれている鵺という妖怪は、その姿も出所も諸説残されている。日本の古い文献によると、最もメジャーな説は「頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇」という姿をしていたというものだ。文面通りに想像すると恐ろしいというよりはわりとマヌケな姿なのだが、目の前の獣の姿……虎の様な身体をベースにイヌ科の猛獣の様なふさふさとした赤い背毛、蛇というよりはワニの様な野太い鱗の尻尾。またその頭部は毛むくじゃらの人の様な顔であることから、闇夜で見た昔の人には猿の様に見えたのであろう。そう考えると古代の文献とそう遠い姿ではない。

 鵺は日本古来の妖怪とされてはいるが、珠保の調べでは元は虎だったものが長寿により周りの動物型怪異を取り込み変異したタイプの妖獣だ。似た姿のキメラ型妖怪は中国大陸にて多数散見されており、恐らく原種は中国が生息地なのだろう。そもそも日本には野生の虎は棲息していない。

「先生、下がってて下さい」

 先ほどより重く低い威厳のある声で、韮川……だった何かが青い目を光らせて言った。


「この日本で、王である俺様の前で勝手にはさせぬぞ……」


「……その割には来るの遅かったですけどね」

 珠保のツッコミに、韮川が巨体を震わせてぶんぶんと手を振り言い訳がましくまくしたてる。

「だって、人として生活してる以上仕事に穴は開けられないじゃないですか! 俺が勝手に消えたらどれだけの人に迷惑がかかるか……」

「その間に街がひとつメチャクチャにされたらどうしてくれるんです。それも韮川くんの仕事でしょう」

「そうですけど……! いや待ってください、これでもめちゃくちゃ急いで最終の新幹線に乗ってきたんですよ! 終電ギリギリのとこタクシーめちゃくちゃ飛ばして」

「変身したら一瞬でパッと来れるでしょうが」

「本番直後で疲れてたからチカラ温存してたんです……」

「結構めんどくさいですよね、そういうとこ」


 軽口の様に言って珠保が肩を竦めた。


 彼……韮川春樹はるきは人間としての仮の名で、真名は五代目ぬらりひょん。妖怪に詳しい人間なら誰もが知っている、日本の妖怪の王だ。もっとも彼はまだ先王を継いで百年そこそこの若造なのだが、力は歴代でも最強クラスと言われており、一部のアウトロー以外の殆どの日本妖怪は彼の元に与している。

 妖怪達の暮らす異世界の日本では王としてのまつりごともこなすが、武闘派の王である彼の仕事は、主に人間界に流れ出してくるアウトロー妖怪どもを制圧……まあ簡単に言えば「シメる」ことであった。

 その為普段は監視と社会勉強を兼ねて人間の姿で人間として生活しているのだが、人の姿を長期間維持するのには意外とエネルギーを使う。また人間体でいる間の病気や怪我・疲労は妖怪に戻ると回復しなくなってしまうため、魔科医にかかるか人間の姿のままで治す必要があるのだ。

 ちなみに人間の時の韮川春樹は、実は昨今人気の若手舞台俳優であった。人間の女の子にモテたくて下心丸出しで雑誌のオーディションに応募したらうっかりグランプリを獲得してしまい、モデルの仕事からスカウトされて舞台に出る様になったのだ。なりゆきでデビューしてしまった芸能界だが、それなりに人間としてのモテ生活を楽しんでいる。


 そんな余談はさておき。


「あいつは俺がシメるんで、ちょっと待ってて下さ……」

「いや、待って」


 グルルル……と唸る獣に目を細めて珠保が韮川を制した。

 どうもただ暴れているにしては様子がおかしい。


「怪我……か? それともなにか術式……」

 珠保の呟きに、韮川ことぬらりひょんが首を傾げる。

「あいつ、どっか痛めてますか?」

「……そうっぽいな」

 なら俺の出番やなあと呟いて、珠保は白衣を翻した。




「鵺くん、ですか? 君は患者なので大人しくしていて下さい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る