5:壁
『よーし、本日の作業は終了です! 班ごとに点呼をとってください! 明日の日程の方は、今夜マナ電話をします!』
茅野のマナ電話と共に、皆がやれやれと息をついた。
時刻は午後五時半。輪入道の捕獲後はマナモノの襲撃は無く、作業は
茅野は工程表を見ながら頷くと、野崎にマナの結晶を渡した。
野崎は数を確認し、領収書を切って渡す。
「確かに受けとった。明日はどうする?」
「やり方が判ったし、連中は捕獲したわけだから、こっちで対処できると思う。
ダメな場合は連絡をする。
それと風呂に入れよ。汗臭すぎるぞ」
野崎は笑って茅野の肩を叩いた。
「お前は陥没しても変わらなくて良いなあ! 他の連中は不安がってて胃がやばそうだよ」
「俺だって不安だよ」
「だからメガネがいつもより奇麗なんだな?」
あれで、と近くにいた大根田は表情を変えず心の中で驚いた。
そして、これマナ電話か通信で漏れてないよなと、そっと辺りをうかがった。
茅野は笑って、眼鏡を外すとハンカチで拭く。
「……命に係わるからな。こんなものが原因で死んだんじゃあ、親が泣く」
野崎と茅野は笑い合った。
「しかし……あの八木のお嬢さんは、無茶苦茶だな。天才というか、紙一重というか……」
野崎は更に笑った。
「本人に言ってやれって! 多分、喜ぶぞ!」
ごんごんと唸りを上げながら水車は土手の上に水を凄い勢いで汲み上げていた。水は順調に調整池に流れ込んでいる。
大根田は土手を降りてくると、水車を見上げ、いやあと言葉を詰まらせた。水車の横に立っていた五十嵐が、ふうと息を吐く。
「……俺ぁ、改めてお嬢の事を尊敬したぜ。あと馬鹿だな、とも思ったよ」
ありがとう、そして、なんだとぉ! という声が水車の上から降ってくる。
佐希子は空中浮遊しながらメンテをしている作業員に片手を挙げると、
「この天才、八木佐希子を馬鹿と仰るか!?」
アマツがするすると水車の後ろから移動してきた。
『こちらも確認は終わった。ボルトの緩んでいる個所は現在補修中だ。台風の類が来て水車自体が壊れても、動力部はそのまま隔離されたままだろう』
流石だねえと佐希子は頷く。
水車を作った職人たちに頼んで、佐希子は巨大な金属性の箱を急造させた。箱の中には鋼鉄の杭を数本通し、水車の動力としたのだ。
「で、マナの結晶はマナ切れになったりしないのか?」
五十嵐の質問にアマツが答える。
『パワーストーンの粉末も埋め込んである。明日にでもパワーストーンの類を更に埋め込むように指導はしてある』
大根田は、ああと声をあげた。
「促成栽培の応用ですか! なるほどなるほど!」
五十嵐は水車に近づくと、下部の動力源の覗き窓を開いた。
懐中電灯を点ける。
巨大な杭に固定された輪入道達は、ひたすらに回転を続けていた。その回転が水車を猛烈な勢いで動かしているのだ。
輪入道達の前にはゆっくりと回転する一際太い杭があり、そこにマナの結晶やパワーストーンが埋め込んである。ここから漂うマナを摂取しようと輪入道達は回転を続けているのである。
「……なんつーか、ちょっと胸が痛いな。馬の鼻先にニンジンを吊るしているっつーか、奴隷が車輪を回してる絵みたいっつーか……」
佐希子は肩を竦めた。
「言わんとしてる事は判るけども、こいつらもあたしらも得をする方法ってば、これしかないと思うんだよね。まあ強制労働っぽいけども、見方を変えれば共生と言えなくもないんかなと」
アマツが頷く。
『輪入道等の付喪神にあるのは、いかに効率よくマナを摂取できるかという事だけだ。言い換えれば、マナさえ与えれば飼育することもできるのだ』
五十嵐は頷くと覗き窓を閉じる。
「理屈は判ったが、どうもな……」
佐希子は五十嵐の肩をポンポンと叩いた。
「いや、それでいいんだってヤーさんは」
「そうかい」
「そうだい」
さて、と大根田は手を打った。
「本日の業務は終わりですね。皆さん、帰る準備をしましょう」
佐希子が手を挙げた。
「はい! 壁に近づきたいです!!」
大根田とアマツ、五十嵐が顔を見合わせる。
「……芳治さんとザキに話してみるかな」
芳治は腕を組んで、ううんと唸った。笑っているような困っているような微妙な表情だ。
「確かに興味はあるけども、俺が住んでる三木町は壁から近い所じゃあ二キロもないんだよ。しかも壁の手前には山があるしなあ。地滑りなんてさらに起こされたら、復興に時間を食っちまうしなあ」
「じゃ、じゃあ! ここから南下すれば――」
芳治は、それならと頷いた。
「ここから南に十キロくらい行けば、人はいないはずだ。民家はあるけども三木町に全員逃げてきているんだ。
ちなみに地響きを聞いたのも、そこなんだよ」
野崎が、人がいないのは間違いないのかと聞いた。芳治は頷く。
「町長と町議会が丸ごと無事だったからな。今は集まってた方が良いだろうってことになって、昨日までに全員こっちに来てるんだ。こんな時期なら火事場泥棒もいねえだろうし、金を盗っても役に立たないしな」
野崎が笑った。
「いやあ、今でも金は重要だぞ。役には立たないが、精神的な支えになる。まあ、一か月後にはどうなってるか判らないがな」
佐希子はダチョウ恐竜に飛び乗った。
「よっしゃ! 八木佐希子、直ちに調査に向かいます! 皆さんご苦労様でした!!」
佐希子はそう言うと、南を指さし姿勢を低くした。だがダチョウ恐竜は走り出さない。大根田と五十嵐が尻尾を軽く掴んでいたのだ。
「あのねえ佐希子ちゃん、一人で行っていいはずがないでしょ?」
「大根田さん! それにヤーさん! ついてきてくれるのね!?」
わざとらしい泣き演技をする佐希子。アホか、と五十嵐は彼女の足を叩いた。
「お前が暴走しないように見張るためだっつーの。無茶はしないって昨日の夜言ったばかりだろうが」
「あえて言おう! てへぺろと!」
微妙に古いなと茅野が顔を顰め、野崎に聞いた。
「お前は行くのか?」
「俺はやめておく」
即答する野崎。大根田も頷く。
「そうだな。ザキは大事な人間だからな」
野崎はよせよせと手をひらひらさせ、ダチョウ恐竜にまたがった。
「俺だって壁は間近で見てみたいがね、今日はこれから帰って帳簿をつけて、明日の日程の調整をしなくちゃならねえんだ。徹夜だけは避けたいんだよ。体が第一だ」
芳治も頷く。
「同じく俺もやめておこう。明日も仕事が山積みだ」
野崎は、よしと手を打った。
「よし、野崎派遣会社、本日の業務は終了! 陽が落ちてきたからマナモノに遭遇する確率が高い。班ごとに集団で帰ってくれ!」
それから三十分後、大根田達三人はダチョウ恐竜にまたがって壁の手前に立っていた。
全員が土の臭いにむせながら上を見ている。
傾いた陽に照らされた土の壁は、酷く
「……じゃあ、近づいてみますか」
佐希子はそう言ってダチョウ恐竜の上で姿勢を低くする。
ダチョウ恐竜たちはマナを介して、ある程度こちらの意思を察してくれるらしく、抜き足差し足で進み始めた。
壁まではおよそ百メートルといったところだろうか。
先頭を進む佐希子の乗ったダチョウ恐竜が突然足を止めた。とっとっ、と鼓動が足から伝わってくる。
大根田の乗ったモホークもびくりと体を震わすと、唸り声を上げながら姿勢を低くした。
「何かいるな」
五十嵐はダチョウ恐竜から降りると、肩を交互に回す。
大根田もモホークから降りると小太刀を抜いた。
「……見られている気がしますね」
佐希子はこくこくと頷くと、ダチョウ恐竜から滑り降り、爪先で地面を二度叩く。
『私も感じている。これは巨大だぞ』
アマツが顔だけを地面からのぞかせた。
「きょ――え? マジで?」
佐希子は周囲を見回す。
なだらかな山と、点在する民家。鳥やカエルの声は聞こえず、虫すら飛んでいない。
「……壁から?」
『前方、だな。しかも広範囲だ。何かがいる、というより壁全体がこちらを見ているという感じだ』
「ってことは、そいつだかそいつらに俺達はもう見つかってるわけだな? じゃあ、進むしかねえな」
五十嵐の言葉にアマツは頷いた。
『その通りだ。何かを観測したいのなら進むしかない。
勿論、安全は保障しない
だが、私はこの辺で失礼する。どうやら私に対しても敵意があるようだ。先程からマナを吸い取ろうとしてくる何かを感じる
一同、気を付けるように』
アマツは地面に沈んで消えてしまった。
佐希子はひきつった顔で二人を見た。
「う、うわーお、壁が超巨大マナモノなの確定じゃないですか……ど、どうします、お二人さん」
大根田は、まあそうですねえ、と五十嵐と目配せをすると、さっと歩き出した。
「え? え、ちょ!」
動揺する佐希子。五十嵐は肩越しに指を突き立てる。
「おめぇはそこで見てろ。やばくなったら叫べ。そしたら俺達は全力で逃げる。お前もダチョウと一緒に全力で逃げろよ。もしかしたら、でかい岩が飛んでくるかもしれねえぞ」
おひょっ、と言葉に詰まって珍妙な顔になる佐希子。
大遠田と五十嵐はさくさくと壁に近づいていった。
「――ま、待ってください! あたしも行くって! 行ってやるって――」
我に返った佐希子が走り出そうとしたとき、地響きが始まった。
大根田と五十嵐はさっと跳び退ると、姿勢を低くした。うおおおおっと佐希子が叫びながら尻もちをつく。
「だから、下がってろって! 間違いなくヤバい!」
振り返って佐希子に叫ぶ五十嵐の肩を大根田が叩く。
「でました! これは――いや、これは、なんとも――」
大根田は額をびしゃりと叩くと、絶句した。
五十嵐も壁に目を戻す。
「……おいおい、おいおいおいおい……」
五十嵐がふへっと笑いを漏らす。
確かにこれはもう、笑うしかない。
見渡す限りの壁、それが歪み、ひび割れる。地響きと共に土埃が壁から湧き上がり、まるで波のように三人に押し寄せてきた。
たまらず大根田と五十嵐は撤退した。
腰を抜かしている佐希子を抱え上げた五十嵐は、ダチョウ恐竜に飛び乗る。大根田がモホークに飛び乗ると、土埃が三人に襲い掛かった。
「うわっ! くそっ!」
「ぷわっ、ぺっぺっぺっ!!」
『大丈夫ですか、二人とも!?』
『ああ、そっか、マナ電話でやり取りすればいいのか。いや、何あれ!? なんなの!!?』
『てめぇに判らんのに、俺達に判るわけねぇだろが!!』
ずしん、と大きな音がした。
『おいおいおいおい、まずくねえか!』
『た、多分まずい! まずすぎるぞ、これ――うわっ!?』
ずしんずしんと巨大な音が近づいてくる。地面が揺れ、ダチョウ恐竜達が弱々しく鳴き、あちこちへ首を動かす。
ずしり、と大きな音が響き、恐らくは近くにある民家の何かが――きっと瓦が――雪崩を打って壊れる音が響いた。
「モホーク! みんなを率いて走れ!」
大根田の声にモホークは敏感に反応した。甲高く鳴くと、うろうろとする二匹に首を叩きつけ、先頭を切って猛スピードで走り出す。残りの二匹も即座に続いた。
さっと空気が変わり、土埃から抜け出したのを佐希子は悟った。
眼鏡を服で拭うと、顔を一撫でして振り返る。
土埃を割って、巨大な塊が現れた。
ずしん、とその塊が地面にめり込み、新たな土埃が沸き上がる。
「あ、足!? ああああああ足だよ、おいぃぃぃぃ!!!」
「前だけ見てろ! 頭がおかしくなるぞ!!」
五十嵐はそう言いながらも、肩越しに何度も振り返った。
大根田も振り返る。
巨大な土でできた人型が何体も立っていた。顔と思われる部分には粗雑な凹凸があるだけなのに、明らかに視線、しかも強い敵意に満ちたものを発している。
拳と思われる部分は、もはや巨岩だ。百メートル、いやもっとあるのだろうか?
だが、もう歩は進めていないようだ。
その理由は一体何か?
移動できる距離に制限があるのか、それともただ単に飽きたのか、いや、壁から離れれば用がないのか。
一分、二分とダチョウ恐竜たちは走り続け、巨人たちは小さくなっていった。
投石の類はしてこないようだ。
助かったらしい。
大根田は胸を撫で下ろした。
しかし、壁に近づくと、ああなるということは、いずれ、あの巨人たちとも対峙しなければならないということだ。
佐希子が大きく息を吐いた。
「いや、まったく…………あれ、どういう風にみんなに説明すればいいのかな……ってか、他の壁でもあれがでるのかな?」
「知らねえょ! 言っとくが、今日はもう帰るからな!」
「え~~!? どっかそこらの山の中に入って、他の壁に行ってみようよ~」
「アホか!! 地滑りどころじゃねえ! あいつら、間違いなく山を崩してくるぞ!」
「おおう、そりゃマズいな」
佐希子と五十嵐の会話に、大根田はただ首を振るだけだった。
やはり壁には絶望させられた。
だが、あれだけ巨大なマナモノならば、敵対しているあの連中とも協力して――
いや、恐らく無理な気がする。
それに、あの巨大なマナモノをどうにかできる気が全くしない。
どんどん無理が増えて――
ああ、くそ、と大根田は目を瞑る。
落ち着け!
陥没から、まだ一週間も経ってないのだ。
きっとなんとかなるはず……いや、なんとかするのだ!
大根田の心の叫びを知ってか、モホークはめくれ上がったアスファルトを蹴って飛び上がり、声高く鳴いたのだった。
C7 了
予告:
各地の情報を集めているという学生自治会と接触をするために居種宮大学を訪れた大根田達。
だが、突如殺人事件が発生!
手段は?
犯人は?
そして動機は?
次回C8 『居種宮大学殺人事件!(仮題)』
お楽しみに!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます