2:マンションへ
ネギハマー砦から四車線の
「泡儀組の事務所はそこの最上階にある」
五十嵐はそれだけを言うと、やや速足でどんどん進んでいく。
「……その、一刀さんというのは、どういったかたなのですか?」
大根田は自分が緊張していることに気づいている。
五十嵐は当初、何も言わず一人でコーポ作郷に向かおうとした。だが、佐希子がしがみついて必死に止めたのだ。
『ヤーさ――竜二には悪いけども、相手が鬼なら、一人で行っちゃだめだ! あんた一人じゃ、どうにもできないでしょ!?』
五十嵐は血が出るくらい唇をかみしめ、涙目で佐希子を睨んだ後、ゆっくりと頷いた。
今、大根田達は五人で移動している。
先頭はフル装備の間宮、続いて五十嵐と大根田が並び、その後ろを佐希子、やや遅れて麗子が後ろに気を配りながら歩いている。
「……一刀さんは、おやっさんは、俺の恩人だ。今ここにいるのは、あの人のおかげなんだ」
「……少年刑務所から出たことと関係があるんですね」
聞いてしまった。
しかし、聞いておかなければならないことでもあるだろう。
大根田の問いに五十嵐は頷く。
「そうだ。あの人が動いてくれたおかげで、俺は――目が覚めたようなもんだ」
「そうですか……」
沈黙が辺りを支配する。
ひび割れ、滅茶苦茶になったアスファルト。半壊した自動車。崩れかけた建物と所々に黒々とそびえる巨大な『崖』。おかげで、コーポ作郷はいまだに目視できない。
「……そっから先は聞かねえのか」
「……五十嵐さんが話してくれる気になったらでかまいません。今問題なのは、その人と五十嵐さんとの関係です。何かあった時に――」
五十嵐が立ち止まった。
大根田も立ち止まる。
「……何かあった時に……何だ?」
五十嵐は大根田を見た。
大根田も五十嵐を見る。
「……あなたが無茶な事をしないように、今度は私が止めます」
ぎゅっと空気が引き締まった。
間宮と麗子も足を止め、マナガンを構え周囲を警戒している。
「そ、そういえば――」
佐希子が無理やりな明るい声を出して、五十嵐と大根田の間に割りこんできた。
「能美ちゃんと柳ちゃんとの定例会議なんだけど! アマツさんの言う通りに今回は龍脈経由でやってみたんだけどね、これが凄かった! 大容量のデータを遅延なしでやり取りできるんですよ! いやあ、映像の再生もアマツさんのデータで補って立体化までできるってんだから一気にSF映画みたいだなぁ! …………なんて……ねぇ」
佐希子の声が急激に
五十嵐がため息をついた。
「……なげーよ。要点だけ話せって」
佐希子がぱっと顔を明るくした。
「ちょ、ちょっとは自慢ぐらいさせてくれてもよかでしょう!?
いやあ、いずれは――つまりは龍脈が完全に安定したなら、地域全員でネットの動画を見るように映像とか情報を同時に共有出来るんじゃないかって考えてるんだけどね! アマツさんも可能ではあるって言ってましたね! いやー、凄い凄い!!
あ、それと京都の能美ちゃんなんですがね、海に向かうことになりました」
「え!? 海!!?」
大根田も佐希子の話に引き込まれた。
そうだ、海は一体どうなっているんだろう?
もしかして海は今地面よりも高い位置にあるのだろうか?
それとも海も海底ごと陥没したんだろうか?
となれば、例えば、津波みたいな災害が起きたんじゃなかろうか?
「……そういえば僕の知り合いにも、麗子の知り合いにも海沿いに住んでいる人がいないんだよね。五十嵐さんはどうですか?」
「……俺もいねぇな。お嬢は?」
五十嵐の表情が、いつも通りになってきたなと大根田は秘かに胸を撫で下ろした。
佐希子はううんと首を捻る。
「あたし個人にはいないし、ネギハマーにもいないんだけど、能美ちゃんと柳ちゃんはいるんで、状況は聞いてる。例えばご両人が多分心配してる津波とかは起きていないみたい。
……まあ、二人とも日本海側の知り合いしかいないんだけども」
「津波が起きてない、となると壁ができている、とか?」
佐希子は首を振った。
「海も同じく陥没してるんだとさ。海底ごと、ずどーん! といってるって。海岸線から見ると、所々、地上と同じく『崖』っていうか、ほっそい『島』ができてるって」
五十嵐は近くにそびえたつ『崖』に目をやる。
すでに暮れかけた夕日に照らされ、そびえたつ『崖』。陥没から取り残された余り部分は、もう慣れてしまったが、今いる日常が狂っている象徴なのだ。
「移動を再開してもいい?」
「あ、申し訳ない」
間宮の言葉に大根田は頭を下げ、五十嵐も謝罪の言葉を述べた。佐希子は腕を組んで、ううんと唸る。
「となると、やっぱ全世界同時かつ、同程度に陥没が起きてる可能性があるってことなんだよなぁ……欧州は確認したけど、南極とか北極はどうなってんだろ?」
「……しかし判らないな――いや、津波が無かったのはいいことだけども、どうして――」
首を捻る大根田の横で、五十嵐は煙草を取り出すと口に咥えた。
しかし、火は点けない。
ライターが無いのだろうか、と大根田は懐を探った。
「五十嵐さん、ライターなんですが、僕も持ってないみたいで――」
五十嵐はふっと笑った。
「すまねえな、これはこうやってるだけだ。どうも、そわそわしちまってな……。
ところで、津波なんだがな、陥没した時に俺達はマナで守られたって話じゃねえか。あれと同じことが起きたってことじゃねえのか? マナは生き物を守ろうとすんだろ?」
ああ、と手を打つ大根田。その横で佐希子は、それも一つだなあ、と『崖』を見上げる。
「例えば――海中にいる魚を守ろうとマナが働き、津波が起きなかった――もしくは、震災の記憶がある私達日本人は無意識に津波を恐れ、それに反応してあの瞬間爆発的に濃くなっていたマナが津波を抑えた――とか色々と仮説は立つのよ。
でも、能美ちゃんに言わせれば、仮説にすぎないわけでして、で、それを調べるために能美ちゃんは海に向かうってことになったわけ。まあ、海産物の流通を何とかしたいってのもあるんだけどもね。
能美ちゃんの家の場所は京都の
おう、と五十嵐が口をすぼめた。
「喜連駅って―と、京都の――
「お、ヤーさん詳しいじゃないのよ。その辺りなのよ」
大根田が手を挙げる。
「そこから海に行くのなら、大阪湾の方が近いのでは?」
「と、思うでしょ? ところが、大阪には相変わらずマナ電話が繋がらない。しかも大阪と京都、ついでに奈良、福井の間には、やっぱりでかい『壁』があるんだってさ」
大根田は眉をひそめ、しばらく無言だったが、ややあって口を開いた。
「……僕は、『壁』にまだ近づいたことが無いんだけども――その――あまりに都合が良すぎるというか――」
五十嵐も頷いた。
「地域ごとに孤立させてやろうって悪意がビンビンじゃねぇか」
佐希子はうんと頷くと、微笑む。
「あたしも、そう思う。北海道なんて、丸ごとで北海道のはずなのに、市ごとに壁ができてるって話だしね……初め、あたし達は『壁』は『崖』の大きなものだと考えてた」
大根田が首を捻る。
「それは、つまり、陥没しそこなった部分が連なって壁になっているってことかい?」
大根田達は丁度『崖』の横を通るところだった。
土の匂いが辺りに漂っている。
陥没からこっち、雨の類が降っていない。仮にゲリラ豪雨なぞが起きたら、崩落の危険性もあるのではないだろうか……。
佐希子はアスファルトの裂け目を懐中電灯で照らし、おお、怖っと呟いた。
「まあ、最初はそう考えてたし、そういう場所もあるんじゃないかなって。
つまり『陥没』の原因を――あぁ、これ能美ちゃんの推測なんだけどもさ、そもそもマナがどこから来たかって話になっちゃうんだけども――」
五十嵐が、なんだぁ? と甲高い声を出す。間宮が振り返って、声をもっと小さくと囁いた。五十嵐と佐希子が頭を下げた。
「おいおい、なんですぐに、そういうスケールのでかい話になっちまうんだよ!?」
「いやぁ、こんな状況だと日々陰謀論に肩までどっぷりつかってるような状態だしねぇ。それにマナモノがうろついてる時点で、どんだけ突飛な仮説を立てても、頭がおかしいと思われないからねぇ」
大根田が苦笑した。
「いやいや……まあ、そうなんだけども、困ったねぇ」
五十嵐は、で? と先を促した。だが、佐希子は肩を竦めた。
「ま、ここらにしときましょ。マナの出どころに関しては、仮説は立ててあるんだけども、確証はないのよね。ちなみにアマツさんにも話してみたんだけども――」
佐希子は爪先でアスファルトを蹴る。
そそり立つアスファルトの影からアマツがぬっと現れた。
うわっと大根田が思わず声をあげ、麗子と間宮がマナガンをさっと向ける。
『驚かしてすまない。呼んだかね?』
麗子に無言で背中を小突かれ、佐希子は頭を下げまくった。
「いや、申し訳ない! で、アマツさんは、マナがどこから来たか、そして陥没の原因は何かってのは全然判らないんだそうでございます」
『その話か。私はあの陥没で起動したのだ。だから、その瞬間以前の問題に関しては、全く判らない』
大根田が、ほうと口を丸くする。
「アマツさんも大変ですね……」
アマツが目を瞬く。五十嵐がふっと小さく笑った。
『私は今、
佐希子が、うんうんと頷く。
「まあ、あんたは産まれ立てだけど老けてるからね。しゃーない」
『……そういうものなのか?』
佐希子は肩を竦めた。
「ともかく、能美ちゃんは明日から海を目指して旅に出る。柳ちゃんは手近なダンジョン、ほらガード下のダンジョンを潰すって。ようやく回復役が見つかったみたい」
「向こうも大変ですねぇ……」
「大根田さん年寄りみたいだなぁ……って年寄りか」
「ちょっと、それあたしもディスってる?」
麗子のツッコミに佐希子は大袈裟に頭を下げる。
「若くて申し訳ない!」
「よし、撃ち殺そう」
こえぇ、とふざける佐希子と麗子を横目に、アマツは五十嵐と大根田の横に移動した。
『泡儀一刀だが、現在も着々とマナを貯めこんでいるようだ。それと、マンション付近に人影を幾つか見かけた』
間宮はそれを聞くと、手近な瓦礫にさっと身を隠し暗視ゴーグルのスイッチを入れた。
「これから先は慎重に行きましょう。マンションも見えてきましたし」
五十嵐は前方を見た。
鬼弩通りには高架橋があり、渋滞が多い四号線との交差点に架かっていた。それが向かって右に崩れ落ちて、瓦礫の山になって道の半分を塞いでいた。
「あれか」
成程、瓦礫の向こうにマンションの上階らしき黒い影が見える。
大根田は懐にしまった小太刀を、そっと握った。
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