3:伝播

「おう、ねだっち! 生きて到着できたかぁ!」

「当たり前だろ! いや、しっかし、暑くて死にそうだよ……」

 ようやく辿り着いた大根田達を、段ボールを抱えた野崎がニヤニヤ笑いながら出迎えた。


 会社の入ったビルの入り口は瓦礫がすっかり撤去されていた。

「どうやら日本刀は持ってきてないみたいだな?」

 いやいや、と大根田はズボンの後ろに刺した小太刀を見せた。

「備えあればなんとやら、だ。お前が持って帰れって言っても俺は拒否するぞ」

 野崎は、しねえよと苦笑すると、こめかみに指を当てる。

「あー……そっちの件は、また後で。あ? 行方不明? ったく、こっちで人員かき集めとくから、情報集めといてくれ」

 佐希子が、もう駄目だと腰を下ろすも、アスファルトが熱くて飛び上がる。

「あっちいっ! な、中に入れてもらっていいですか?」

 野崎は頷くと横にそれた。


 ホールもすっかり片付けが終わっており、床には段ボールやマットが敷かれ、大勢の人が横たわっていた。大根田はリヤカーから人を降ろしながら、これ、みんな熱中症か? と野崎に聞いた。

 野崎は、マナ電話を終えると頷く。

「そうだ。行き倒れを含めて三十人はいるぞ。

 ところで、このマナ電話ってのは便利だな。じゃんじゃん連絡が取れる」

 佐希子が目を丸くした。

「へえ、凄いですね! マナ電話は直接会って通話契約を取ってない場合、余程信頼している人同士じゃないと繋がらないんですけど……」

「そうなのか? ま、非常時だからみんな頭のガードが緩いんだろ」

 野崎はそう言って笑いながら、再びマナ電話を始める。

 佐希子の肩を大根田が叩いた。

「ああみえて、社長だから」

「はあ……そういうもんなんですか。世の中はやっぱり広いなぁ……」


 大根田は熱中症の老人に肩を貸しながら、野崎に声をかける。

「ザキ! この辺に寝せていいのか?」

「ああっと、症状はどのくらいだ? 重症なら――なあ、遠藤君! また来たんだけど温度をもうちょっと下げられるかい?」

 床に寝ている人たちの間を歩いていた事務員の遠藤文代えんどうふみよが首を振った。

「無理です、ムリ。社長、やっぱりもうちょっと密閉されたところじゃないと冷気が全部外に逃げちゃうんですよ」

 野崎は頭を掻くと、大根田達に苦笑いを向けた。

「と、いうわけで、上の黒いのをなるべく早く始末しなくちゃいけなくなった。いけるか?」

 大根田はにやりと笑う。

「大丈夫だ。その前に水を一杯もらえるか?」


 しばらく後、階段と上階にいたヨモツシコメ五体を大根田達は掃討し終えた。

 熱中症患者はただちに二階のエステ店跡と廊下に移動し水が配られた。非常扉を閉め、窓を塞いだ薄暗い空間は遠藤の能力により冷やされ始め、全員がホッと一息をついた。

 大根田は小太刀についた黒い粘液をずたずたになったワイシャツで拭い、脱ぎ始めた。

「遠藤さんのあれはクーラーみたいに、体から冷気を出すのかい?」

 野崎も粘液で汚れ、ずたずたになったワイシャツを脱ぐと、大根田のシャツと一緒に丸めて近くのごみ箱に押し込んだ。

「そうだ。なんでも15度くらいまで下げられるらしいが、時間がかかるうえに、そんなに強くできないらしい。だから暑くて大人数の場合はこうやって密閉しないと駄目なわけだ。

 まあ、あまり疲れないらしいんで、俺には凄く魅力的な魔法に思えるんだがね……ところで――」

 野崎がにやりと笑う。

「どうだった昨日の夜は? 俺は三回死にかけたぞ」

 大根田も再び、にやりと笑う。

「うち一回は、奥さんだろう?」


 二人が笑っていると、五十嵐が段ボールを両脇に抱えて階段を上がってきた。慌てて大根田が手伝おうとすると、五十嵐は笑って、おっさんはちょっと休んでろと言った。

「おっさん働きすぎだ。黒い奴、ほとんどおっさんがやっちまったじゃねえか」

「いや、五十嵐さんとザキの助けがあったから――」

「それでも休めって。今日はまだ始まったばかりだぜ?」

 五十嵐は箱を開けると、500ミリのペットボトルを大根田に渡した。

 大根田は礼を言って受け取ると、一口飲む。

「うん、うまいな。でも市販の物じゃないような……どこからか汲んできたのか?」

 野崎も一本とって一口飲む。

「隣の神社の井戸水だ。手を洗う所から汲んできたんだが、八木のお嬢ちゃんの話じゃあ――」

 佐希子がひーひー言いながら、段ボールを抱えて階段を上がってきた。

「ひー、あー、きっつい……えっと、実はこんな事もあろうかと数か月前に神社の井戸の方に、うちで使ってる変化生物を入れといたのよ。

 あと、市内の井戸を幾つか開放してきましたよ。まあ、一番近いやつはまだなんですけどね、ちょっと人を分散させた方が良いと思いましてですね……」

 五十嵐が頷く。

「お前にはホントに助けられてるな。感謝してもしきれないぜ」

 佐希子は、少し照れたように顔を伏せ、ブンブンと手を振った。

「あー、そういうのいいから! 今はそれどころじゃないから、もう、ね、ほんと……」

 野崎が五十嵐の顔をじろじろと見た。

「君は昨日自販機を投げた人だろ? さっきの身のこなしも凄かったな。どうだい、うちで働かないか?」

 大根田は、おお! と声をあげた。

「そりゃいい! 五十嵐さんは丁度お仕事を探していて――」

 五十嵐は、深々と頭を下げた。

「大変ありがたいお誘い感謝します。ですが、その――」

 野崎はポンと手を打った。

「ああ! 思い出した! 昨日の夜工事現場に行く予定だっただろ? ああ、うん、履歴書を見たよ。いや、今時あんなことを正直に書いちゃいかんだろ。普通は雇わんよ――」

 五十嵐は口元を引き締め、頭を下げたままだ。


 ああ、前科の件か・・・・・・。


 大根田は胃の辺りが重くなるのを感じた。

 仕事をするうえで、しかもこれからは命に係わる場面が多くなるはずだから、前科のある人間は会社としては遠慮したいところだろう。

 だが、昨日からこっち、五十嵐は冷静沈着で、人命優先、信頼がおける人物のように思えた。どちらかと言えば一緒に仕事をしたくない暴走しがちな人間は、自分だったし……。


「い、いや、ザキ、俺が思うに――」

「落ち着けよ。俺以外は雇わないって意味だ。五十嵐君、あんた、今日からうちの社員でいいかな? まあ、こんな状況なんで色々と保証は難しいが、他の社員と同じ待遇にするから勘弁してくれ」

 野崎はそう言うと、口をパクパクさせた大根田に笑いかけた。

「ねだっち的には五十嵐君はどうよ?」

「も、勿論お薦めだよ! この人は絶対にお薦めだよ!」

 五十嵐は少し目元を潤ませると、また頭を下げた。

「自分は、その――と、とにかく頑張らせていただきます!」

「ああ、固いな君は。まあ、俺の事は好きに呼んでくれていいが、敬語はやめてくれ。ムズムズする」

 野崎はそう言って佐希子に顔を向けた。

「で、斑木だがこっちに向かってるそうだ」

 佐希子は、ナイスタイミングと親指を立てた。


 大根田達が二階から戻ってくると、熱中症の人達を上に移した所為か、ホールは幾分涼しくなっていた。

 半壊したコンビニ、エイトテンの前に長机が四つ横に並べられ、その前には小さな行列ができている。店内には段ボールが幾つか積まれ、『野崎派遣会社 臨時出張所』と墨で大きく殴り書きされた、やはり段ボールの看板が立てかけてある。

 机には大根田のお馴染みの事務員たち、中里、十勝、伊藤の三人が座っていた。

「あれは何やってるんですか? もしかして水とか食糧の配給ですか?」

 五十嵐の疑問に、野崎が顔を顰めた。

「五十嵐君、敬語は――まあ、いいか……。

 水はなんとかなるが、食料は配るほど手に入らないんだ。あれは――」 


「わあ、大根田さんだ! お元気そうですが、またまた汗だくですねえ! あら? ワイシャツは? 古着でよかったら、ここにありますけど、着ます?

 あ、十勝ちゃんちょっと中座しますよ。あーっと、そちらの人達も汗だくでご苦労様です!」

 こちらに気づき、ブンブンと手を振りながら走ってくる中里の明るい声に五十嵐が、頭を下げる。

「お疲れ様っす」

 佐希子も倣って頭を下げた。

「お、お疲れっしたぁ」

「ちょいちょーい! まだ始まってもいねぇよ!」

 中里はそうツッコんで佐希子の肩をバンバンと叩いた。

「どうもどうも! 大根田さんのお知り合いですか? ワタクシは中里良子と申します! 以後お見知りおきを! あ、そっちの背の高い人は昨日自販機をぶん投げてた人ですね!? うーん、パワフルな魔法ですねえ! あの時は助かりました! さて――」

 硬直している佐希子の前に中里はずいっとバインダーを差し出した。

「こちらにはどういったご用件でいらっしゃったのでしょうか? もし、お仕事の方をご希望でしたら、こちらのエントリーシートにお名前と、どういう事ができるのか書いていただけますでしょうか? 当社から仕事を割り振るときの目安とさせていただきます。

 ただし、お給金の方は現状用意できる現金の方が不足しておりますので、当日払いには限界があることをご了承ください」

 中里からシャツをもらいながら、大根田は野崎に耳打ちする。

「もしかして、そこの段ボールの中身は金か?」

 野崎は頷くと、皆を引っ張って壁際に移動した。

「昨日から銀行を何件か回ってな、会社の運営資金を全部降ろしてきたんだよ。まあ現状金を使う場所がなくなりつつあるんだが、ぶっちゃけ強盗の危険を考えると、銀行さんは置いときたくないみたいでな」

 五十嵐が頷く。

「まあ、そうでしょう――そうだろうな。さっきもコンビニが襲われて爆破されたって話を聞いたぜ」

 野崎は五十嵐ににやりと笑いかけ、顎をさすった。

「まさか日本で暴動じみたことが起きるとはな。そのうち全員モヒカンで肩にとげとげの付いたパットを付け始めるかもな」

「どこの世紀末だよ……まあ、割と洒落になってないけども」

 大根田の乾いた笑いの横で、佐希子はしどろもどろになりながら、中里と話していた。

「ええっとですね、私がここに来たのはお仕事にエントリィではなくてですね……」

 見かねてか、五十嵐がそれを取り上げた。

「じゃあ、俺から。

 どうも、さっき社員になりました五十嵐です。とりあえずこちらに能力を書けばよろしいんですか?」

「ほえーっ!? 自販機さん、うちの社員になられたんですか!? いや、こりゃ正に百人力ですね……ほう!!? 身体能力強化? 具体的にはどういう感じで?」

「大体五分くらい力が上がる感じで――だな。多分肺活量とかも上がってる気がするが、今は細かいところまでは判らん。持てる重さはさっきリヤカーに二十人くらい乗せて引けたな。まあ、後ろから押してもらったんだが」

「なるほどなるほど。で、どのくらい休んだら次に使えるようになるんですか?」

「そうだな……一分くらいか」

 佐希子が、おお! と感心した声を出した。

「ヤーさんも凄いな。普通の人はマナの再充填に三分から十分くらいかかるんだけどなあ」

 五十嵐は片眉を上げる。

「俺のは大した能力じゃねえから早えんだろ」

 中里が佐希子の肩をつつく。

「そのマナって、何?」

 佐希子は、渋い顔をした後、コホンと咳払いをした。

「よ、よーし! ここで大々的に説明しちまいましょう! 

 み、皆さ~ん! ちょっとこちらに集まっていただけますかぁ!!」

 ひっくり返った声の佐希子の前に人が集まり始める。

「今からマナ、及びマナ電話、の説明を始めますです!」

「えっ……そ、それは慎重になった方が――犯罪に使われる可能性もあるんじゃぁ……」

 大根田の心配そうな声に、佐希子はブンブンと首を振った。

「これは能美ちゃんや柳ちゃん――三人で決めていたんですが、マナ電話はどんどん広めていきます!

 現状の情報不足はいかんともしがたいものがあります。リスクはありますが、それを上回る収穫があると考えます!」


『こ、こりゃ便利! ヘイヘイ! 佐希子ッち、十勝ちゃん、聞こえる!? シーユーネクストウィーク!!』

『いや、来週会おうって、良子ちゃん、あんたどういうことよ』

『あー、十勝さんそれはツッコんだら負けだわ』

『佐希子ちゃん、あたしのことは十勝ちゃん、もしくはグレースとお呼び!』

『『グレープ!』』

『誰がブドウだ、ごらぁ!!』

 佐希子たちが肩を震わしながらマナ電話で遊んでいる頃、五十嵐はワイシャツの男と禿頭の男達とマナ電話を試していた。

 ワイシャツの男、池町幹夫いけまちみきおはタクシー運転手だった。彼はすぐさま、マナ電話を試み、家族と二人の同僚に対して成功。また、禿頭の男、高田紀次たかだのりつぐは土建業者で、やはり家族と仕事仲間に試み、家族と可愛がっている後輩に対して成功する。


 それから一時間後、居種宮市内でマナ電話を使える人間は五千人を突破することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る