4:二つ頭
「近くにいる人! 危ないから下がっていて!」
そう叫ぶ大根田と野崎、バイトの佐藤が体当たりを繰り返すと、ひしゃげた鉄の扉は鈍い音を立てて外側に大きくずれた。
「もう一丁!」
野崎が豪快な掛け声とともに前蹴りを入れると、扉は大きな音を立てて開いた。
大根田はモップの中程を左手で持つと、軽く右手をかけてホールに走り出した。刀のような持ち方に、野崎はにやりと笑う。
一階ホールはひどい有様だった。
建物自体が傾いた所為もあって、見える範囲の窓は全て割れていた。藍色の柱も折れ曲がり。剥がれた壁と天井板、ガラス類が散乱し床は足の踏み場もない。
近くの窓は、歪んだ枠の向こうにも瓦礫の類――恐らくはビルの外壁が積み重なっていて、外に出れそうにもなかった。
階段わきにある非常口は扉が壊れ開放されていたが、半歩先には瓦礫が山のように積み重なっている。
大根田達のすぐ横には大手コンビニチェーン、エイトテンの残骸があった。店は丸ごと左に傾き、後ろの壁が半壊して店内が丸見えになっている。
その裏に制服を着た店員五人と七、八人の男女が瓦礫に背を付けてしゃがみ込んでいた。
大根田達はすぐに屈むと、彼らの方に小走りで近寄った。
顔なじみの店員、大学生の
「ミクちゃん、大丈夫? 怪我をしている人は?」
大谷は鼻の穴をふごっと膨らませた。
「け、怪我? ああ、怪我か。ど、どなたか怪我してますか?」
皆が無言で首を振る。野崎がコンビニの角に背中を付け、半身を乗り出し向こうを伺う。大きな破壊音と悲鳴が上がる。
「ねえ、ミクちゃん、もしかして真っ黒くて大きい化け物がいるのかな?」
大谷は大根田に向かってマシンガンのように首を振った。
「いるいるいるいるいる! でかくて真っ黒で、頭が二つあって――」
「頭が二つ?」
大根田はぎょっとして、野崎を見た。一際大きな破壊音が響き、子供の鳴き声が上がった。野崎が弾かれたように半身を戻す。
「ああ、くそっ、でかいぞ、さっきよりも馬鹿でかい!」
中里がごくりと息を呑んだ。
「どのくらいっすか社長……」
「……ホールの天井に頭が付く」
ひええっと驚く中里の隣で、十勝が顎をさすって天井を見た。
「七メートルくらいかしら。さっきの三倍ってとこ?」
大根田は眼鏡を直すと、ふうと息を吐いた。
「数字の上でも最悪だなこりゃ。ザキ、どっか外に出れる場所あるか?」
ザキ、と中里は驚いたように大根田と野崎を見比べている。野崎はまたちらりと壁の向こうを見た。
「俺から見える範囲では無いな。どこもかしこも、そこの窓と同じく出るのに苦労しそうだぜ」
ずしん、ずしんと重い物が移動する音が聞こえ、ぎゃあっと悲鳴が上がり、柔らか物が固い物に叩きつけられる音がした。
「……今、正面入り口を突破しようとした奴が、掴まって床に叩きつけられた。生きてはいるようだが――」
うぐぅと誰かが声を上げる。
「非常口は二か所だったな。ここはダメとなれば、対角線上のクレープ屋の裏だが――」
「だが?」
「クレープ屋自体が壁に押し付けられてぶっ壊れとる」
「……非常階段に戻るか?」
大根田の言葉に一同は真っ暗な階段を振り返った。
と、階段を降りてくる足音が聞こえているのに気が付いた。
「……まだ避難していない人達、ですかね?」
中里の言葉に五階のホビーショップ店長、
「二階と三階の店長達に確認したが、客と店員、全員が避難してきてるはずだ。俺が思うに、ありゃあ人間の足音じゃねえな……」
バイトの佐藤がさっと中を覗き込み、慌てて後ずさった。
「い、いますよ真っ黒いのが! いっぱいいますよ!」
弾かれたように五木と中古書店の手員達が壊れたドアを立て掛け、続いて佐藤も加わって瓦礫を積み上げバリケードを作っていく。
大根田はゆっくりと体を起こした。
「……やるしかないか」
中里がええっと目を見張る。
「大根田さん! マジでやる気ですか!? だってさっきよりも大きいんですよ!」
大根田は冷静に呟く。
「ここで待っていても警察は来ないと思う。しかも上には戻れない。
ならやるしかない。
勿論、さっきみたく巧くいくとは思えないから、君達は僕が『時間稼ぎ』している間に『出口』を探すんだ」
十勝がふんっと鼻を鳴らした。
「大根田さん、随分骨っぽい事を言うじゃないの。まさか小説や映画みたく囮になって死ぬ気じゃないでしょうね? そんなことされて仮に助かっても寝覚めが悪すぎるんだけど」
大根田は苦笑した。
「いやいや、死ぬ気はないですよ。一刻も早く麗子に会いたいしね。ザキの言う通りの大きさだとしたら、前でうろちょろするぐらいしかできないでしょうし」
そう言いながら大根田のモップはじりじりと赤くなっていく。十勝はそれを見ながら、おやおやと呟き、後の一同を振り返った。
「みんな聞いた? 大根田さんが化け物の注意を引くから、一気に飛びだして出口を探すのよ。
あ、佐藤君たちはその扉を見張ってて。出口見つけたら、迎えに来るから」
佐藤は泣きそうな顔でとかちちゃ~ん、と言う。十勝はセクシーポーズをとって、ちょっと待ってなさいねと返した。いつもなら爆笑になる流れであるが、皆引き攣った顔をしていた。
遠藤が小さく手を上げる。
「み、見つけたら、どうしたら――」
十勝はにやりと笑う。
「でっかい声で叫ぶのよ。こっから出れるぞー! ウオウオウオウ! ……みたいな?」
「そ、そんな大きな声出したら、あれにバレるんじゃ――」
「ああ、大丈夫よ、どうせとっくにバレてるんだから」
更に一同の顔が引き攣る。
野崎は何も言わずちらりと大根田に目をやった。
大根田は無言で頷くと、野崎に並ぶ。
「ねだっち、無理はするなよ」
「お前……今から無理する奴にそれを言うか?」
くっくっくと野崎は笑うと、一気に走りだした。
「あ! ザキ! 馬鹿野郎!」
大根田も走り出す。
十勝も振り返って叫んだ。
「行くわよ! 何でもいいから走るのよ!」
コンビニの角を走り出ると、空間が一気に広くなる。
その中心にそいつはいた。
容姿は階段で出くわした奴とそれほど違わない。相変わらず真っ黒で、大きくて長い手をしている。
違いは、頭と思われる部分が二つあること。
そして大きさだった。
見上げる程大きい物が動きまわるということが、これほど恐怖感を湧き立たせるという事を大根田はその瞬間まで知らなかった。
キリンやゾウは見た事が勿論ある。
だが、こいつはそれよりはるかにでかく、太く、素早く動く。
まるで鯨だ。
鍵爪を持って、こちらを見下ろす鯨――
「ねだっち!」
野崎の叫びに大根田ははっとして一歩
唸りをあげて巨大な黒い鍵爪が今まで自分がいた床を抉った。瓦礫が舞い上がり、二つ頭は例の声を上げる。眼鏡のレンズがビリビリと振動するような甲高い声。
大根田は怯みながらもモップで手に一撃を加える。
浅い。
腰が引けている。
全く成っていない。
学生時代に散々絞られた師匠の声が頭の片隅で木霊した。
だが、 二つ頭はさっと手を引いた。一筋の煙と腐った肉が焦げた臭いが漂う。
ダメージというよりは――熱くて吃驚させる程度、か。
大根田は自分の未熟さと、年齢を呪い、床に唾を吐いた。
二つ頭がずしりとこちらに一歩足を踏み出す。
しかし、囮の役目は果たせている。
落ちつけ。
落ち着いて、動きを――
二つある頭のうち一つが、ぐりっと横を向いた。
大根田の視界の端で、小さな影が動く。
「あ! こら、誰かその子を――」
野崎の声がホールに響く。
巨大な黒い鍵爪が一気に広がると、二つ頭の斜め後ろにあった自動販売機を鷲掴みにした。
「あっ――」
大根田が声を発する前に、二つ頭は無造作に自販機を放り投げる。悲鳴と破壊音。
「くそっ、誰か手伝え! 子供が下敷きになったぞ!」
野崎の声に、大根田はこの野郎と大声をあげた。
だが、二つ頭は大根田に再び鍵爪を振るいながら、開いた手で大きな瓦礫を掴むと、凄まじい勢いで放り投げた。
「ザキ! 逃げろ!」
またも破壊音、大根田が自販機の方を見ると、壁に叩きつけられた野崎がずるずると床に伸びていく所だった。
「ザキ! おい、ザキ!」
返事が――反応が――ない。
風が唸り再び鍵爪が振り下ろされる。大根田はまた半歩飛び退くと、モップを肩より上で縦にし、ゆっくりと斜め後ろに寝かせていく。
八相の構え。
両腕が、頭が、体が怒りに熱く燃えていた。
「この――クソやろうがぁぁっ!!!」
二つ頭は『笑い声』のようなものを発した――ように大根田は聞こえた。瞬間、振り下ろされる鍵爪の間を縫って踏み込むと、真っ黒な右の太ももに赤熱化したモップを叩きこむ。
ぼぶっという手応え、モップが曲がる感触、腐った肉の焦げる臭い。
勘か本能か、大根田はモップを逆手に持つと、体の側面をガードする。巨大な掌の一撃は辛うじて防いだが、体重差がある。
大根田はバランスを崩して倒れた。勢いそのままゴロゴロと転がりながら二度三度と振り下ろされる追撃をかわす。
「出口ないわーっ!」
十勝の叫び声。
くそっ、なら、やはりこいつをどうにかして、皆で瓦礫を――
大根田は立ち上がる――が、がくりと膝が落ちた。
は!?
細かく震える太腿。
感覚の無い足首。
足が限界――こんな時に!
空気が唸り、鍵爪が来る。
大根田は歯を喰いしばり、折れ曲がったモップで再び防御をしようとする。
「おい、おっさん!」
視界の端を男が走ってきた。
大根田の左手の方から全速力で、片手には細く重そうな鉄骨を、やり投げのように持っている。
ああ、あのフードコートで寝ていた男か、と大根田が気付いた刹那、男は鉄骨を思い切り二つ頭に投げつけた。
ヴンッと空気が震える音を立て、鉄骨は二つある頭の片方に突き刺さった。
きゃーっと甲高い女性のような悲鳴が鼓膜を震わせる。
「立てるか!?」
「ぼ、僕は大丈夫だ! 下敷きになってる子供を! あと、自販機の向こうに倒れている男を! 頼む!」
男は一瞬眉を寄せるも、すぐに走りだした。
のけ反っていた二つ頭は、滅茶苦茶に鍵爪を振り回し始めた。
だが、男は信じられないような速さでステップを踏むと、それを全てかわす。
あ、あれも、魔法の一種なのか?
驚愕する大根田が瞬きする間に、男が自販機に辿りつくと、手を下に差し入れた。
周りの瓦礫の後ろから隠れていた人達が顔を出す。
「君! やめるんだ! 一人じゃ無理――」
おらぁっという声と共に、自販機はゆっくりと持ちあがっていく。
「くそっ、重いな! だ、誰でもいい! ガキを助け出せ!」
瓦礫の中から少年と老婆――フードコートで本と男を眺めていたあの老婆が飛びだした。
「支えていてね、お兄さん!」
老婆の声に男は、おお! と吠える。
少年が自販機の透間に潜り込んだ。
「血がいっぱい出てる! う、動かしてもいいのこれ!?」
瓦礫をどけて、寝せる場所を作りながら老婆が叫んだ。
「下敷きになってるよりましよ! 早く――」
二つ頭が自販機に向けて走りだした。
ずんずんと重い音を立てながら、大きく両手を振りかぶる。
「くそぉおおおおっ!」
大根田は思い切り手の平を太腿に押し当てた。
肉の焦げる音、臭い、痛み!
しかし動く!
足が何とか動く!
だが、間に合わない!
二つ頭は鍵爪を二つ同時に繰り出した。
思わず目を瞑ってしまった大根田の耳に、酷く重い音がした。
「……え?」
目を開けると、二つ頭の鍵爪を野崎が受け止めていた。
「お――おおおぉぉぉぉおおっ!? ザキ! ザキ無事か!?」
「無事、かどうかは判らんが……」
野崎はにやりと笑った。二つ頭の鍵爪は野崎のシャツを破ったものの、胸板を貫けず止まっている。
「とりあえず、俺には効かねえぞおっ!!」
二つ頭は叫び声を上げ、鍵爪を引っ込めると、更に大きく振りかぶる。
自販機の下から血まみれの女の子が引きずり出された。
「おっさん、頭下げろやあ!!! おおおおおらああああっ!!!!」
男は自販機を抱えると、ぶん投げた。唸りを上げたそれは、しゃがみ込んだ野崎の頭の上をすっ飛んで行く。
二つ頭は不意をつかれ、慌ててガードをするも、自販機は派手な音を立て、その胸元にぶち当たった。
バランスが崩れ、倒れそうになる二つ頭。
その期を逃さず、大根田はモップを振るった。
狙い違わず、右の腕の付け根に叩きこまれたモップはついに折れた。だが、折れ口からほとばしった赤い光が二つ頭の腕に絡みつく。
「うおおおおおおおおっ!」
大根田は折れたモップを振り切った。赤い光は細く鈍く、糸のようになると二つ頭の腕を切断し、消えた。
「やったか!?」
野崎の言葉に、少女を助け出した少年が、フラグぅ! と叫ぶ。
二つ頭の身体から、ずるずると腕が二本生えてきた。
「な――なんだあそりゃあ!?」
呆れたような男の叫びを打ち消すように野崎は大根田の名を叫んだ。
「ねだっち! 何やってる! 動け動け! 足を止めるな!」
そうは言ってもな、と大根田は肩頬を引き攣らせた。
足はもうぴくりとも動かない。
「大根田さん! 逃げてくださああああい!!」
中里の声。
とん、と背中を優しく押される感覚。
なんだ? と思う間もなく、体の中心を温かい物が走り、足が――動いた!
じゃあっと唸り声をあげ、二つ頭は三本の腕、十五本の鍵爪を大根田に振り下ろした。
大根田は後ろに転がると、鍵爪の連撃をかわし、折れたモップを構える。
足が動くなら、まだ――まだ、やれる――
ばずっという音と共に、二つ頭の鉄棒が刺さった頭が弾け飛んだ。
大根田の顔に水しぶきが降りかかる。
振り返ると、エステ店員の阿部山が両手でピストルを作り、片膝をついていた。その後ろで十勝が腰を支えている。
「はい、阿部山ちゃん、とどめの一発ぅっ!」
十勝の掛け声とともに阿部山の手から凄まじい勢いの水鉄砲が発射された。反動でのけ反る阿部山をしっかり支えた十勝の足の下で床がバキバキと捲れあがる。
二つ頭は残りの頭を吹き飛ばされた。
水鉄砲はそれでも勢い強く、窓を塞いでいた瓦礫の上部を抉って吹き飛ばした。
「よーっし、ついでに出口ゲットぉぉぉっ!」
十勝の叫びを耳にしながら、大根田は崩壊していく二つ頭の前で、長く息を吐いた。
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