青龍の葛藤(後編)
この生真面目で臆病な竜と話している中で、魔導士は妙案を思いついていた。
この竜は大賢人の騎乗竜だ。つまり、この竜はあの城とこの場所を自由に行き来することが出来る。そして、この竜は臆病で、生真面目で、しかし信念は強い。
この竜…………、使える。
仮面の内側で魔導士はにやりとした。魔法陣を消し、ゆっくりとハヤテに近づき、囁いた。
「私を、大賢人の城へと案内しろ」
「……え?」
「私を、案内しろ、と言っている」
ハヤテは目を見開いた。魔導士の言葉を頭の中で何回も繰り返した。その言葉が、何を意味するのか。噛み砕けば噛み砕くほど、ハヤテは恐怖に飲まれていく。
「そ、それはつまり……」
「母親を、助けたいのだろ?」
「そ……、そそそ、そうですが……」
「……それともお前は、母親よりも、今の主人の方が大切か?」
「うっ……」
仮面の内側で、魔導士はしたたかな笑みを浮かべていた。
こういうのも悪くない。まったく触れ合うことのないものの命を奪うのはもちろん気持ちがいい。だが、このように、目の前にいる者を、自分の力で屈服させ、弄ぶ。これもまた面白い。
この竜の見ることで、魔導士は自尊心を回復していった。大賢人に敗れたことで失っていたものが、どんどん戻っていく。
「どうせ、今の主人にも無理矢理従わせられたのだろう?」
「……へ?」
「あのような強い力を持った魔法使いだ。お前程度の竜なら、あの大賢人にはまったく太刀打ち出来ないだろう。そうして、一切抵抗出来ずに使い魔にされたのだろう? その程度の者なら、早く縁を切ってしまえばいい」
「……いや」
「まさか、大賢人が怖いのか? 一介の使い魔が、主人に抵抗し、敵の協力者となったら、主人からは粛清されるだろうな。それが怖いのか?」
「…………ち、が……」
「もしそうなら、心配する必要はない。今の大賢人は、戦える状況ではない。もし今私が乗り込めば、大賢人は確実に死ぬ。そうすれば、お前は大満足ではないか? 母親を助け、煩わしい主人を滅ぼす」
「……ち、が……う」
「あの大賢人が滅べば、私も、お前も満足だ。何を抵抗する必要が——」
「違います!」
ハヤテが恐怖を打ち破り、大きな声を放った。飛び出した声は洞穴の壁を震わし、魔導士の恐ろしいオーラを吹き飛ばした。
「叡持殿は、俺に投資してくださりました。下衆な男たちに追われ、今にも命を落とそうとしていた時、俺を助け、そして投資してくださりました。俺の未来にかけてくださりました。俺を助け、住む場所を与えてくださりました。そして、俺を最高の師匠に出会わせてくださりました」
息を切らしながら、言葉を滝のように放出する。その様子に、さすがの魔導士もひるんでしまう。
「……俺は弱いです。強力な息吹も、高度で複雑な魔術もまだ扱えません。ですが、叡持殿と棟梁のもとで、今まで精進してきました。その中で、様々な魔術と戦闘技術、更には膨大な知識まで授けて頂きました。そして、一人で強大は魔法使いのもとへ行けるだけの勇気と強さをもらいました。それもこれもすべて、大賢人・叡持殿のおかげです。……だから、……叡持殿を、大賢人・新川叡持殿を侮辱することは、許しません!」
瑠璃色のオーラがぶわっと噴き出した。ハヤテの感情の高まりと共に、洞穴の壁を瑠璃色に染めていく。
「懇願など関係ありません。もしあなたがこれ以上叡持殿を侮辱するなら、俺は——」
その時、ハヤテの周りを黒い煙が取り囲んだ。
その煙は、少しずつ形を変え、いくつかの塊へと変わっていく。そして、ハヤテの正面に位置する塊が、見覚えのある形へと変化してく。
「……あ」
瑠璃色のオーラは、一瞬で消え去った。ハヤテの気力は瞬時にとかされた。強力な支柱を失ったハヤテは、ゆっくりとその場に膝を付いた。
「……か、母さん」
「さすがは大賢人の使い魔だ。私に対抗するだけの信念を持ち、しっかりと私の魔術の対策をしている。……だが、私をなめない方がいい」
魔導士は再び片手に魔法陣を展開し、膝を付くハヤテを見下ろしていた。
「この亡霊は特別でな。お前程度、簡単に消すことが出来る」
「……そんなこと、母さんは望んで——」
「こいつには、既に意思などない。ただ、私の言う通りに動く亡霊だ。……自分を護っていた存在に殺される。数奇な運命とはこのことだ」
「ふざ……けるな……」
「私は真面目に魔術を使用している。亡霊を使役し、侵入者を排除しようとしているのだ」
「こ、この……」
「これが力の“差”だ。私があの女から勝ち得た、私が私であることを証明する力だ。……さて、どうする? 主人のため、この亡霊と戦うか? それとも、この亡霊のために、……主人と、戦うか……?」
陰湿な洞穴の中で、潰れた笑い声が響いた。その音と洞穴の湿度は、この弱い竜の精神をズタズタにするには十分すぎるほどの力を発揮した。
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